巡り合う

 沖田が駆けつけたときにはもう全て手遅れだった。
 一人の隊士が倒れている。その隣にはたった今沖田が斬り殺した敵が死んでいる。

「へへ、隊長……仇、取ってくれたんすね」
「喋るな。今、人を呼んで」
「いやもうどっちにせよ駄目っすわ俺」
「でも……!」

 確かに今から医者を呼んで間に合いそうな傷ではなかった。最期に家族とあわせてやる時間すら残っていそうにない。彼はこれから戦場でひっそりと死んでいく運命にあるのだと見えない死神が告げている。

「隊長、一つ、頼んでもいいっすか……これを、妻に……」

 自分の血でどろどろの手が震えながらポケットを探る。そうして取り出されたのはきれいなラッピングの施された小箱だった。

「何か、伝えることは?」
「…………」

 だんだん声がか細くなって、一言一句漏らさず聞き取ろうと口元に耳を寄せる。忘れないようしっかりと刻み込んで、約束すると頷いた。
 ありがとうと言おうとしたのかもしれない。唇がわずかに動き、そして、瞳は昏く何も映さなくなった。

 それは視界と集中を妨げるよくないことだと教えられていたから、涙は流さない。でもいつだって近しい者が死んだときは心がぐちゃぐちゃになる。
 だからこそもしかしたら本当は泣くべきなのかもしれない。自分のためにも死者のためにもそれが正解なのかもしれない。でもそんなこと今この場では許されないのだ。死神と手を繋ぎたくないのなら。

「まだいるぞ、殺せ!」

 知らない声に振り返る。碌に確認もしないで喉を貫いた。彼が少しでも静かに安らかに眠れるように。あるいはただ、なんとなく。

 今自分が斬った知らない者の死と、知っている彼の死は、沖田の中で明確に重さの違うもので、だから人は殺し合うことをやめられないのかもしれない。同じにしてしまえばきっと人は誰も殺せなくなる。平和な世界が訪れるかもしれない。それはとても不思議でパラレルワールドのようで、考えたら気持ち悪くて吐きそうだった。

 罪悪感と命の重さの薄められたこの世界も、自分も、みんな腐っている。
 誰かに否定してもらいたいのに、まだ死体になっていない沖田は戦場で今ひとりぼっちだった。






 いつもと変わらない部屋の明るさと匂いに途方もない安堵感を覚える。黒い背中が書類から目を離さないまま声だけで迎えてくれた。いつもとまったく同じトーンだ。

「飲んでたんじゃなかったのか」
「へい。今日のは辛気臭くていけねえや」

 酒で憂鬱を紛らわす気になれなくて、一滴も飲まずに退席した。酒よりも今は誰かと、土方と話がしたかった。

「あんたは仕事ですかィ」
「逃げられちまったからな。事後処理とか、あと一人反省会?」
「……あの、それ、二人でもいい?」
「いいよ」

 人肌が恋しくて、背中にぴとっとくっついて腕を回してみる。生きている人の温度と匂いがした。額を擦りつけて甘える。

「ていうか、慰めて」

 ただ、言葉がほしかった。何か。ずっと無性に欲しているのに、なんて言ってもらいたいのか自分でもわからない。あれからずっと頭の中はぐちゃぐちゃのままだった。まだあの戦場に一人で立っている錯覚を覚える。

「お前が悪いんじゃない」
「わかってまさァ……」

 本当に誰も悪くなかった。土方の作戦ミスでも沖田の監督不行き届きでもない。ただ相手が彼より強かった、それだけだった。

「こういうのって、誰を責めればいいんでしょうね」
「誰も責めなくていい」

 たぶんそれが正しいのだろう。誰かを恨んでどうにかなるわけではないし、恨みがまた別の恨みを作ることだってある。そうして恨みに蝕まれるのが正しい世界の在り方であるはずがない。あってほしくないと望む人がいる。

「俺はそれでいいんでさァ。でも土方さん、あいつの奥さんは? 旦那なくした思いをどこにぶつければいいんですかィ」

 命に差はないのだといっていたのは昔の偉い人だっただろうか。しかし沖田は知らない人よりも知っている人の死の方がずっと悲しいし、大勢いる隊士の中の一人の死より土方や近藤の死の方がきっと狂いそうなくらい悲しいのだろうと思う。人間とはそういう罪深くて弱い生き物なのだ。

 だからたぶん沖田よりも彼の妻は深い深い悲しみに捕らわれるのだろう。ただ一人この人と決めたはずの存在の死なのだから。

「明日、結婚記念日なんだそうです。この日に毎年身につけるものを贈る約束してて、少しずつ奥さんを飾り立てていくんだって言ってやした。年をとるごとに老いるんでなく俺の手できれいになっていくんだって。恥ずかしいプロポーズでしょう?」

 討ち入り前に彼はそう、うれしそうに話してくれた。結婚指輪に始まって次はイヤリング、その次が明日で、春に子供が生まれるから写真を入れられるようロケット付きのペンダントを。だから絶対死ねないのだと笑っていた。それなのに数時間たった今はもう泣くことも笑うこともできない。

「俺、預かっちまったんでさァ。結婚記念日のプレゼント。それと伝言、頼まれて……」


 俺の分までたらふく生きて、そんで来世でまた俺と巡り合ってくれ。


 彼は確かに耳元でそう囁いた。討ち入り前に照れながら明日のことを語ったときと同じ目をして。どうしてか幸せそうだった。
 あれからずっと、どんな顔をして渡せばいいのか考え続けていた。彼の死は伝わっているはずだけど、沖田が頼まれた「物」と「言葉」は伝え方次第で救いにも追い打ちにもなるのだ。お腹にいる子供のためにも、少しでも希望をあげたかった。

 それなのに自分は壊すことしか知らないから、その反対のことなんて望んだってできっこない。誰かを救うなんてとても遠すぎて。

「それでへこんでたのかお前」
「もう、べこべこでさァ」

 弱音を吐いたら長い指先が不自由そうに髪に触ってきた。うまく手が背中に回らないらしく、じれったそうに同じところばかり揺らす。下らないかもしれないけれど、目の前にいるこの人も自分と同じ不完全な生き物なのだと知って安心した。

「前来いよ。慰めようがねぇ」
「このままがいい」

 本当は抱きしめてほしかった。甘やかされたかった。けれど沖田に「物」と「言葉」を託した彼のことを思うとそれはひどくいけないことのような気がした。だからせめて残された家族に想いを届けるまでは、このままで。

「土方さん、もうちょっとこのままでもいい?」
「今日だけなら、いいよ」
「うん……」

 目を閉じると沖田はまたあの景色の中に立っていた。彼が最後の力を振り絞って大切な人のために希望を残そうとしているあの瞬間に。
 自分も死ぬ間際、どうか悲しまないでほしいと誰かを思うのだろうか。その時傍にいる人に、自分は何を託すだろう。希望を、残せるだろうか。

「ねえ土方さん、もし生まれ変わりなんてものが本当にあるとしたら、あんたはまた次の世でも俺と巡り合ってくれる?」

 ふと浮かんだ疑問をそのまま口に出してみる。もしあるのだとしたら今度は違う出会い方を、違う世界でしたいと思った。そんな不鮮明な幻想を夢に描く。

「やだよ。できねえ約束はしねぇ」

 少しも悩むことなく返された答えがあまりにも土方らしくて、おかしくて小さく笑った。

「ひどい人でさァ」
「俺たちは死んで生まれ変わるために生きてるんじゃねぇんだ」
「……ですよねィ」

 安心した。あるいはこの感情を「救われた」と呼ぶのかもしれない。

 できることをしようと思った。自分なんかに何ができるかなんてわからない。望む何かになれる保証なんてない。だから沖田は沖田のやれることをしようと思った。今目の前にちょうどいい見本がいる。

「明日、一緒に渡しに行こう」
「へい。一緒に」

 いつの間にかほしかった言葉は沖田の内側におさまっていて、この人といると人間もあまり汚い生き物でないような気にさせられるのが不思議だった。

 この世界は汚いから、きれいなものがきれいだと思えるのかもしれない。なんて奇妙なんだろう。この世界は。




 元のテーマは生まれ変わりを信じるかどうかについてでした。


09/01/10