心中しようか


 沖田の方が身長が高かったから、彼女が俯いてしまうと沖田の目には彼女の結い上げた髪に刺さった玉かんざしばかりがよく見えた。震えてゆらゆら揺れている。

「あのね。わたし、ね。沖田君の、ことが……」

 やっとこちらを見上げた瞳は初めて見る色をしていた。


「好きなの」


 うっすらと頬を染め、それでも真っ直ぐ純粋に見つめてくる。
 生まれて初めて女の子を、彼女を、かわいいと思った。






 不思議な日だった。それが沖田の今日一日への感想だった。
 あれから数時間がたちとっぷり日が暮れ、夕飯を食べて風呂に入っても、目蓋の裏にはまだあの瞬間の景色が焼きついて離れない。彼女の仕草や表情、空の色大地の色、空気の匂いさえも。もしかしたらこのままずっと呪いのように染み付いて一生離れないのかもしれない。それでも別に構わなかった。むしろずっと忘れずにいたいと思える。服の上から思い出の在り処を探り当て指で撫ぜたら優しい感情が溢れ出して、ふっと一人で笑みを作った。なんだかとても気分がいい。

「総悟」

 不意に後ろから声がして足を止めた。とびきりの猫撫で声に体の中の体温が下がっていく。こういう日は大抵よくないのだ。べらぼうに機嫌がいいか、その反対。
 ストレスの捌け口になるのはごめんだった。無視を決めて歩き出す。しかし三歩もいかないうちに距離を詰められて捕獲された。こうなるともう逆らいようがない。

「おいで」

 土方はそれだけ言うとこちらの返答も聞かずに手を引いて沖田を連行していった。せっかくの幸せな気持ちはあっという間に逃げてしまって、とても残念な気持ちになった。この手を振り払えない自分が何よりもみじめな気分にさせる。人間はどうしてこんなに奇妙にできているのかとても不思議で、誰か教えてほしかった。そんな風に思うのは本当に世界中で自分たった一人だけなんだろうか。

 連れてこられたのは沖田自身の部屋。おそらくは単純にこちらの方が近かったというだけだろう。ぴしゃりと閉ざされ、世界に二人きりになる音。まだ繋がっていた手を乱暴に引かれ、いつもより激しく唇を吸われた。

 やっと向かい合った顔はやっぱりよくない方。何があったんだろうとぼんやり考えていたら舌に歯を立てられて、ちりりと熱が走った。もちろん情じゃなくて痛みの方だ。

「痛ぇんですけど」

 そう、睨め上げて文句を言ってもびくともしない。腹が立ったので報復しようとかざした手はまた軽々と捕らえられてしまった。手加減なんてものはなくて、どこまでも機嫌が悪い。

「何怒ってんのあんた」
「オトモダチができたそうじゃねえか」
「……っ!!」

 無意識に自由な方の手が思い出の在る場所へと伸びる。しかし触れるより先に頬を叩かれて、生まれた一瞬の隙に両手を捻り上げられた。無作法な手が中に突っ込まれてすぐに見つかって、浚われる。かんざしの飾りが他人事みたいにゆらりと土方の手の中で優雅に揺れた。

「監察ってのはそんなプライベートまで調べさせられるんですかィ。どんな下種が上司なのか見てみてえや」
「目の前にいるだろ、今」

 酷薄に笑ってみせる。捻り挙げられたままの手が痛くて苦しい息が零れた。気がついたのか、後ろでひとまとめにされて少しだけ楽になる。しかし拘束されていることは何も変わらない。

「返せ」

 こんな体勢で凄んでみたところでなんの意味もないことはわかっていた。土方は意に介さずに、つまらなそうにかんざしをくるくる回して観察する。
 ちょうど目の前の棚の上にはスタンドミラーがあって、小さな四角に切り取られた世界だけを見るとまるで後ろから抱きしめられているみたいだった。あまりの現実とのギャップに悔しくて唇を噛み締める。すると土方も鏡の存在に気付いて、ミラー越しに沖田を見つめて楽しそうに笑った。風呂上りの湿った髪にふざけてかんざしを添えて遊ぶ。

「似合うんじゃねえの、お前」
「……死ね」

 鏡の中の、偽者の女にさせられた自分を見たら泣きたくなった。それを見て土方がじゃあやめようかと手を離す。かんざしは沖田の髪からするりと落ちて、たぶん畳に転がった。しかし確認する間もなく自分も引き倒される。

 自分を組み敷く土方の顔を見たくなくて固く目を瞑った。やっと自由になったけどじわじわと痛む自分の両腕で目蓋の上から目隠しをする。それでも視覚以外の全ての感覚が今自分が何をされているのかを詳細に敏感に伝えてきて、こんな最低なセックスでも感じてしまう自分がひどく情けなかった。
 脱がされて、触られて、ひどいことをされているのにちゃんと気持ちよくなれる。そういう風に作られたこの体が嫌い。昨日までは好きだったけど今はもう。

 総悟、と名前を呼ばれる。腕を無理やりどかされて隠していた濡れた頬を拭われた。唇に温かいものが触れる。もう一度優しく名前を呼ばれたが絶対に目は開けなかった。かわりにしんじゃえと呪いの言葉を全力の、過去形になりかけの愛を込めて捧げる。どんな言葉も今はほしくなかったから、遮るようにそればかり何度も唱えた。

「じゃあ死のうか、二人で」
「しんじゃえ、しんじゃえ、しんじゃえ」

 労わるように抱きしめられる。何か囁かれた気がしたけど壊れかけた内側まではちゃんと届かなかった。
 熱いものが閉ざした二つの瞳からとめどなく溢れ続ける。もうこのまま壊れてしまっても構わなかった。土方が信じてくれなかったから、裏切ったから、こんなひどいことをするから、何もかもどうだってよくなってしまった。でも死ぬのなら、一人で死なせて。

「しんじゃえ」

 どうして好きになってしまったんだろうと暗闇の中で考える。この気持ちも現実も変えられないのならいっそ。

「しんじゃえ……」

 それでもやっぱり恋しくて、光を探して手を伸ばす。そこにある当たり前の希望は、もう明日には絶望に姿を変えているのかもしれないけれど。






「ありがと」

 本当にうれしかったから、沖田はまずそう伝えた。それからなんと繋げようか言葉を探し、結局いいのが見つからなくてストレートに伝えた。

「でも、ごめん。俺、好きな人いるから」

 告げた瞬間、彼女の顔がほんの一瞬だけ泣きそうに歪む。けれどすぐにそれはきれいに繕われてちょっとだけ失敗して、なんともいえない表情になった。
 こういう時、普通はなんて声をかければいいのだろうか。こんな経験今までになかったからわからなかった。困っている自分を見上げる彼女の髪に刺さった玉かんざしがニヤニヤ笑っているような気がした。

「なんとなくね、そんな気はしてたんだ」

 彼女は潤んだ瞳で沖田に笑ってみせた。うれしかった分申し訳なくて、もう一度ごめんと口にしたら謝ることじゃないでしょと彼女は少し怒ったふりをして言った。

「そうだ。これ、返すね」

 徐に手を後ろにやって彼女は玉かんざしを結っていた髪から引き抜いた。ハイと前に差し出される。
 彼女と親しくなったきっかけはこの玉かんざしだった。引ったくり犯を追いかける最中に彼女とぶつかり、元のかんざしを駄目にしてしまったので弁償の品として贈ったのだ。

「それはあげたんでさァ」
「いいの。振られた男からの贈り物なんて、持ってても未練残るだけだもん」
「……そっか」

 受け取ろうとして伸ばした指先が一瞬掠める。さっと手を引いて彼女は照れくさそうに笑った。

「いい? 幸せになるんだよ」
「そっちこそ」

 それからじゃあねと言い合って別れた。たぶんこうして話すことはもう二度とないのだろう。それとも数年経った頃に結婚式の招待状が送られてきたりするだろうか。もしそうなったら素敵だなと玉かんざしをくるくるやりながら一人で小さく笑った。

 帰ったら夜にでも土方に今日のことを話してあげようと思った。今までずっと話しそびれていたことを全部。今日あたりで仕事が落ち着く予定だったはずだからきっとちょうどいい。
 同じ年の友達ができたこと。告白されたこと。幸せになると約束したこと。話したらどんな顔をするだろう。

 でもきっと、喜んでくれると思った。本当にそう信じていた。


 信じていたのに。




 「ハリネズミに恋をした」の前夜の話。額縁構造って書くのが楽しいことに気付いた。
 うちの沖田は土方さんが大好きで大好きでたまらない子です。

09/06/08