咲かずに散った花 決着をつけよう。 そう言われたのは初めてだった。今まで何度もことあるごとに拳や傘や剣、時には定春とかバズーカとかを交えてきた。それなりに長い付き合いで、けれどつかず離れずの距離で、同じ夜兎同士でもないのに会うたびに喧嘩をするというのは考えてみたら奇妙な間柄なのかもしれない。 そういう意味では神楽にとって沖田は特別な存在といえるだろう。しかし好きか嫌いかと問われれば、一秒と悩むことなく断言することができる。嫌いだ。 だからこそ、いい加減どちらが上なのかわからせてやる頃合かもしれない。それでもって「参りましたかぶき町の女王、神楽様」と土下座で言わせてやるのだ。ああなんて素敵なのだろう。 決着をつけようといわれて神楽が考えたのはそんな他愛のないことだった。それから二人で近くの広い空き地に移動して闘り合った。しかしどうしたことだろう。自分から誘うからにはそれなりの勝算があるのだろうと思ったのだが沖田の動きは全く少しも切れがない。万全どころかいつもよりずっと動きが悪い。 かといって手を抜いているわけでもないようだった。むしろいっぱいいっぱいで、肩が大きく上下している。まだ戦い始めてからそんなに時間もたっていないというのにだ。 「お前、どうしたアルカ?」 ついに神楽は気になって、戦いを中断して尋ねた。 「どうもしねぇよ。ちょっとナマってるだけでィ。ほら、こいよ」 そんな風には全然見えなかった。息があがって喉がひゅうひゅう言ているし、顔なんて真っ青だ。どう見ても具合が悪いのは明らかで、そんな相手と戦う気にはたとえどんなに嫌いな奴だろうとなれなかった。 「今日はもうやめヨ。こんな顔色の悪い奴に勝ったって嬉しくもなんともないアル」 「逃げんのかこら、チャイナ」 「ふん、風邪が治ったら出直してくるヨロシ。かぶき町の女王、神楽は逃げも隠れもしないネ」 それ以上は聞く耳持たず、神楽は出て行こうとした。しかし立ち去る神楽に沖田は何も声をかけなかったので、逆に気になって空き地を振り返って見る。おかしいと思ったら沖田は空き地の真ん中で蹲っていた。 「大丈夫アルカ?」 流石に神楽も鬼ではないので心配になって沖田の元まで引き返す。愛用の刀は土の上に落ち、手は服の上から心臓を握り締めている。もしかしたら本格的に具合が悪いのかもしれない。神楽はどうしようかと考えて、一番はじめに浮かんだ顔を提案してみた。 「銀ちゃん呼んでくる?」 しかし沖田は無言で僅かに首を振って提案を跳ね除けた。なので今度は沖田の保護者の名前を出してみたら、それ以上に強く拒否される。 やがて絞り出すような声で、少し休めばよくなるからと言った。だから誰も呼ぶなということらしい。仕方がないから沖田の言う「少し」が経つまで背中をさすってあげた。そんなものがきくのかは知らないが、気持ちくらいは楽になれるかもしれない。具合が悪い時の一人ぼっちはきっと寂しいだろうから。 それから10分くらいすると沖田の顔色はほんのちょこっとだけよくなった。呼吸も落ち着いてきたようなので安心する。沖田は一度楽な姿勢に座り直して黒い服の中から錠剤をいくつか取り出すと水も飲まずにそれらを一気に飲み下した。 「それ何?」 「薬」 「そんなの見りゃわかんだヨ馬鹿にすんな」 せっかく人が心配してやっているのになんだその態度は。妙な仏心を出して損した。一生の不覚だ。 しかしそこでふと神楽はおかしなことに気がついた。薬を持っていたということは元々具合が悪かったということだ。それならどうしてわざわざそんなときに決着をつけようとしたのだろう。 「お前、何がしたかったアルカ?」 そう尋ねるとずっと地面と睨めっこしていた沖田の瞳が隣の神楽を映した。そういえばこんな近くで彼の瞳を見るのは初めてだったから神楽もじいっと見つめ返す。その色の名前を探すのに夢中になって、質問の答えはちゃんと聞いていなかった。 「もうすぐ死ぬんだ、俺」 その目は神楽を見ているはずなのに遠いどこかを見ているようでもあって、吸い込まれそうになった。明るい陽の光の下では人間の瞳はこんなに宝石みたいなのだと生まれて初めて発見し、知らず自分の傘の柄を強く握り締めてしまう。 「――――え?」 やっと脳に答えの言葉が届いた。あまりにも遅すぎた反応に沖田がおかしそうに笑う。今、あなたはなんて言ったの? 「病気でな、もう治んねえの。さっきのは苦しくなったときにちょっと抑える薬。だから最後にお前と決着つけておこうと思ったんだけど」 でもちょっと遅すぎたなと沖田は笑った。その笑い方があまりにも屈託なくて、ただの苦笑だったから騙されているんじゃないのかと疑った。しかし神楽は初めて見たのだ。彼が苦笑する顔を。 「ほんとのほんとに、死んじゃうの!?」 とても信じられなかった。だって今、目の前にいる彼は生きているのだ。確かにさっきはひどく辛そうだったけど今はちゃんと笑っている。全然平気そうに。 ――ああ、そうか。唐突に全て理解した。 「そうやって、みんなに嘘を吐いていたアルカ」 沖田は小さく頷いた。やっぱりそうだ。この馬鹿は自分の周りの全ての人を騙しているのだ。もうすぐこの世界とお別れするのに、誰にもそれを悟らせないよう平気なふりをしているのだ。そうやって騙された人があとでどれだけ辛い思いをするのかも知らないで。 「駄目ヨ、言わないと。わたしマミーが大丈夫って言うたびにすごく痛かったネ。平気じゃないときはちゃんとそう言ってくれないと、お前の周りの奴らだってきっと痛いヨ!」 本当のことを言ってもらえないと不安になるのだ。大丈夫だと言われても本当に大丈夫なのか、何かしてあげたほうがいいのか、あの頃幼かった自分はいつも必死になって考えていた。あんなのは間違っている。心配なんていくらでもかけていいから、どうか一緒に同じ景色を見させてほしかった。もう今は遠い昔の、ここよりはるか彼方の星での思い出。 「旦那にもおんなじこと言われた」 「銀ちゃん?」 「そう」 この時神楽は初めて沖田が病気で困ったとき万事屋に依頼していたことを知った。ずっと秘密にされていたのだ。わたしだって万事屋の一員なのに。そう思っていたら沖田が、自分が口止めしていたのだとフォローを入れた。どSで死にかけのくせに、こんなときだけ気を回さなくたっていい。 「でも依頼とかそういうのなしに自分から話したのは、お前が初めてだな」 「どうして?」 他にもっと話すべき人はいるのに。尋ねると沖田はなんでだろうと呟いて小さく笑う。 「一人くらい、誰かにちゃんと伝えておきたかったのかもな」 本当は全然平気じゃなくて、がんばっていたのだということを。この目に映る真実の景色を。 「でもこのことは絶対内緒な。この先もずっと。ばらしたら祟るから」 「駄目ヨ! こんなの間違ってるアル!」 「ああ、わかってらァ。でももうずっと前から決めてたことだから」 沖田はゆっくり立ち上がった。まだ食い下がろうとしていた神楽に向き直り、右手を差し出す。 「最後だから、握手」 青い空と陽の光を背負った沖田は、今まで神楽に一度も見せたことのない柔らかい表情をしていた。馬鹿にするのでも不敵にでもなく、たとえば友達や家族に見せるような、そんな風に笑っていた。 「俺、女の中ではお前のことが一番好きだったぜ」 全然知らなかった。実はきれいな眼をしていること、ちゃんと笑えること、そんな風に思われていたこと。それならいっそ知らないままのほうがよかったのに。こんな胸の痛みを知るくらいなら。 「わたしはお前なんか嫌いアル。筋金入りの嘘吐きで、最低の、碌でもない男ネ」 唇を噛み締めて睨め上げたら沖田はほんの少し残念そうな顔をした。仕方ねェかと、傘でできた影へ向けて伸べられていた手が降ろされる。そこで初めて神楽は自分が握手を求められていたことを思い出した。 「帰ったら手洗いうがい忘れんなよ」 「あ……」 違うのだ。そんなつもりだったんじゃない。ただ馬鹿で、忘れていただけなの。 伝えたいのに声が出てこなかった。背中を向けて沖田は歩いていってしまう。これで最後なのに。もう会えないのに。それなのにきっともうどんなに声を枯らして叫んだって届かない気がした。彼の心の奥深くまでは。 「総悟ォォォォっ!」 ほとんどうろ覚えだった彼の名を、神楽は生まれて初めて叫んだ。そんなことをしたって自分なんかじゃ、嘘を吐く価値もない自分では、駄目なんだってわかっていた。何一つ動かせやしないのだと。それでもわけのわからない胸の痛みに突き動かされて無我夢中で叫んだ。彼の名を、ほんの刹那の間だけでも振り向かせたくて。 沖田はさっき神楽が足を止めて引き返したのと同じ場所で振り返った。唇が動いて神楽に何かを囁く。けれどそこは遠すぎて、彼が神楽にくれた最後のメッセージは風に吹き飛ばされてちゃんと届かなかった。そして今度こそ、沖田は神楽の世界から歩いていなくなってしまう。最後に神楽が見た彼は、いつものあの悪ガキの面をしていた。 どうして最初、もっと真面目に話を聞いてあげなかったのだろう。どうしてあの手を握ることを忘れてしまったのだろう。どうしてわたしは読唇術が使えないの。どうしてわたしの聴力は人間並みなの。 せめてちゃんと、悩んで考えればよかったのだ。そうすれば今頃気づいて後悔することはなかったかもしれないのに。たとえ彼の世界の一部になんてなれなかったとしても。 「わたしの馬鹿……!」 本当は嫌いなんかじゃなくて、ずっと前から好きだったんだ。今頃になって、やっと気づいた。 土沖前提の沖←神でした。「もしも土方さんがいなかったら俺はこいつあたりと付き合ったりしてたのかなァ」と沖田がぼんやり考えていたらもえる。 09/07/30 |