鬼の子 むせ返るほどに強く血の臭いが立ち込めていた。 二人の侍が血を流して事切れている。そのすぐ傍には彼らを見下ろし佇んでいる幼い子供。小さな手には背丈ほどもある刀が握られており、刃先は地面に沈み、てらてらと血を纏い光っていた。 「そ、総悟……?」 目の前の惨状とその中心にいる子供の存在が信じられず、恐る恐る名を呼んでみる。すると子供は振り返り、天使のような笑顔を見せた。とても場違いなほどいとけない。 「あ、土方さん」 いつもと変わらぬ日常が、そこにだけ存在していた。 「ねえ土方さん。俺ね、時々変な夢を見るんでさァ」 畳の上に仰向けに寝そべって、退屈そうに沖田は世間話を始めた。ある討ち入りが終わって二日後のことである。土方が事後処理に追われて忙しくしていることなんて相変わらずお構いなしだ。土方もどうせいつものことだし仕事の妨げになるわけでもないのでBGMだと思って適当に相槌を打ってやる。 「ガキの俺がね、大人を殺したところから始まるんですけど、ちょうどそこに土方さんが現れるんですよ。それで返り血塗れの俺を見て、鬼の子だって言いながら首を絞めてくるんでさァ。それがもう夢とは思えないほどマジで苦しくて、ああ俺死ぬんだなって思ったところでいつも目が覚め」 「っ、うぁちっ」 灰を落とそうと口元に伸ばした指をうっかり焼いてしまい、熱さに思わず悲鳴を上げた。更に零れた煙草が大事な書類の上にダイブを決めたのでまた違う悲鳴を上げる。これで今までの約一時間半がパーになったが今はそれどころではなかった。 「……大丈夫ですかィ? つか何やってんですか」 「あ、ああ……問題ねぇ」 沖田がびっくりして起き上がり、土方の様子を窺う。動揺を気取られていないかと内心気が気でなかったのだが、そんなことはなんにも知らずにきょとんとした目がこちらを見ている。だからこちらも平静を取り繕って世間話のふりをして尋ねてみた。 「その夢、よく見るのか?」 「んー、そうですね。討ち入りの後とかに決まって見てるような気がしまさァ。しかもすげえリアルなんで、なんか気になるんですよねィ」 つまり現実で人を殺した後ということか。土方は大きく息を吐いた。火傷したところを舌先で冷まし、小さな痛みに眉を顰める。しかし本当はこんなものどうだってよかった。 沖田は知らない。沖田の夢の半分が実は本当にあったことであることを。知らないというよりも全く覚えていないのだ。成長過程で埋もれてしまったのではなく、きれいさっぱり消滅してしまっている。少なくともこの事件の翌週には沖田はもう忘れていた。それでも小さな沖田が人を殺めてしまったことは紛れもない事実なのである。 いくら沖田の頭がカラだからといって、あんなことを一週間やそこらで忘れられるとはとても思えない。まさか記憶喪失かとも疑いかなり焦ったのだが、結局土方は誰にも、近藤にすら相談することはできなかった。沖田が人を殺してしまったこと自体誰にも話していなかったからだ。あの事件はおそらく今でも侍同士の喧嘩が原因だということで片付けられているはずである。 だからあの日のことを知っているのは土方だけということになる。あの時の沖田の様子からして、人を殺めたのはおそらくあれが初めてではなかったのではないかと思う。しかしそれすらも沖田の中ではひどく曖昧なものになってしまっていて確かめようがない。沖田を含めて土方以外の人々の中では、沖田が初めて人を殺めたのは真選組としての仕事の中でということになっている。 だからこれは土方だけが知っている、沖田の秘密。消えてしまった過去の罪。 「あーあ。こりゃもう駄目ですねィ」 いつの間にか傍まで寄って来ていた沖田は土方が焦がした書類をおもしろそうに観察していた。ひょいと指で摘みあげ、裏返して外の光に透かして遊ぶ。真っ黒い焦げ痕は最早修復不可能であることは明らかだった。 「こいつは捨てて、新しく作り直しなせェ」 「っ……」 何気なく吐かれた一言が胸に突き刺さった。土方の小さな変化に気がついて、沖田が不思議そうに見上げてくる。 「どうかしたんですかィ」 上目遣いの瞳は土方の内心を探ることに全神経を注いでいるように見えた。あの日もこんな風に沖田は無心に土方のことを見上げていたのを思い出す。 あの日、初めて土方は沖田のことを怖いと思った。それは二通りの意味でだ。人を殺すことに何の疑問も抱かないこと、そして沖田にとって土方に嫌われないことこそが善悪の価値観そのものであったこと。 このままではいけないと思った。このまま育てばどうなってしまうのか恐ろしかった。沖田が人を殺すことに何の疑問を抱かないことにではない、土方に依存しすぎていることが恐ろしかった。 だから土方は一からやり直させたのだ。存在を否定することで、まるで紙切れのようにそれまでの時間を捨てさせた。ただ依存され、責任を負わされることが嫌で恐ろしくて。そのことが沖田にどんな歪みをもたらすかなんてまるで考えもせずに。本当は忘れたのとは少し違うのだろうことも薄々気付いていながら。 「土方さん?」 沖田は土方が何も言わないから不思議でたまらないという顔をしていた。自分が一度殺されたことなど何も知らないのだ。夢のことだってそれほど深く考えてはいないのだろう。 なんにも知らない、とってもいい子。時々悪戯をして我侭をいう子供。そういう風に土方が作り変えた。強制した。 「なんでもねえよ」 優しく頭を撫でてやると沖田は幸せそうに目を細めた。それからもっと近くに寄って、首に腕を回して甘えて抱きついてくる。背中をあやしてやったらもっと強く締め付けてきた。 「やっぱ変な夢ですよねィ。土方さんが俺の事殺すわけないのに」 あの日のことを忘れてしまった二人目の沖田は笑って言った。そうやって信じられていることに痛みを覚える。 取り上げた牙を返したときから覚悟はしていたつもりだった。しかしあの日に殺した沖田が再び息を吹き返したとき、自分は本当にこんな風に抱きしめることができるだろうか。思い出さないでほしいと、こんなにも強く思っているのに。 「総悟は総悟だよ。ちゃんと今、息してるだろ」 あの子供が目を覚ましてしまわないよう呪いをかける。大人を平然と殺す子供と、子供に理想を押し付ける大人では、一体どちらが本当の鬼なのだろう。 「そうですよねィ。俺もし土方さんにそんなことされたら、きっと死んじまうもん」 「…………」 あの日より以前から変わらずに沖田は土方のことを特別な存在のように扱っている。沖田の目に映る世界は土方を軸に回るのだ。おそらくはだからこそ沖田は一度死んだのだろう。 でももう二度目はないかもしれない。もう一度土方がリセットしようとしたら、既に一度ヒビの入った偽物の子供の心が壊れてしまうのではないかという予感がした。 その予感は土方の罪悪感を蝕んでいく。覚悟なんて何一つできていないのだ。 二人のお侍さんがお婆さんを苛めていたのだ。だから石をぶつけてやった。そうしたら二人のお侍さんがぶっ殺してやると叫びながら追いかけてきたので、殺されるのは嫌だったから刀を奪ってかわりに殺してやった。それだけだった。総悟にとっては好きなアニメを見るのと同じくらいの些細な一コマだった。 それなのに。 「そ、総悟……?」 背中からかけられた声に総悟は笑顔になって振り向いた。 「あ、土方さん」 手にしていた大きな刀を放り出し、いつものように駆け寄っていく。悪い奴らを倒したから、褒めてもらわなくてはならなかった。 総悟がこうして駆け寄ると、土方はいつも優しく受け止めて頭を撫でてくれるのだ。総悟は土方にそうされるのがとても好きだったから、いつものように手を伸ばす。しかしその手は乱暴に振り払われて、総悟はとても驚いて土方を見上げた。 土方は何かを恐れるような顔をしている。その視線は自分へと向けられていて、総悟はわけがわからなかった。 「土方さん……?」 不安になって名前を呼んでみる。もしかして手が汚れているのがいけないのだろうかと思い服でごしごし擦ってみたがあまりきれいにならなかった。むしろ服の汚れがひどくなった。 「お前がやったのか、総悟」 凍りついた声。なんのことを言われているのか一瞬わからなくて首を傾げ、数秒してから理解が及んで頷いた。そうだ、ちゃんと説明してたくさん褒めてもらわないと。今日はとてもいいことをしたのだから。 「そうですぜ。俺がやっつけたんでさァ!」 「やっつけたって、死んでるじゃねえか。なんであそこまで……」 「だってあいつら、俺のこと殺すって言ってた。俺まだ死にたくねえもん」 どうしてか総悟が話せば話すほど土方の表情は硬くなっていった。振り払われた手はまだ繋いでもらえない。総悟は土方に甘えたくて、もう一度抱きつこうと手を伸ばしてみた。すると土方はびくりと震えて、半歩後ずさりする。 「あ……」 自分は拒絶されているのだと、総悟はやっと悟った。土方の眼はまるで化け物でも見るかのようだ。総悟に殺される瞬間の侍たちと同じ色をしている。 手が汚れているからじゃない。総悟が人を平気で殺す汚い子供だから、繋いでくれないのだ。この明るくてきれいな世界では今自分がしたことはとても罪深いのだと、総悟は初めて理解した。 どうしよう。きっとこんな悪い子供は捨てられる。嫌われて、いらないゴミにされてしまう。 そんなのは絶対に、嫌。 「土方さん、土方さん、土方さん!」 不安で壊れそうになって夢中で名前を呼んだ。他にどうしたらいいのかわからなくて、返事がもらえるまでずっと呼び続けた。 ごめんなさい。嫌いにならないで。もうしないから、だからなかったことにして。 土方を失ったら自分はもうどうやって生きていけばいいのかわからないのだ。土方がいなくなったら、またひとりぼっちで暗い闇の中に落とされてしまうのではないかとさえ思う。 いい子にならなくてはいけない。人を殺さない子供に生まれ直すのだ。今日と、これまでの時間をどうかなかったことに。そうしないと嫌われてしまうから。 そして明日からはこの人の望む、きれいで完璧な子供になろう。 テーマはちび沖田でダークなものでした。沖田の善悪の基準が土方の反応全てだったらいいなというよくわからない妄想を抱いています。 09/11/20 |