猫又と高校生


 人間と妖怪は違うイキモノだから深く関わるべきではないのだ。わかっていたはずなのに、3年もの間、甘えた夢を見ていた。ひとりぼっちだった千年と比べたらほんの一瞬の時間だったはずなのに、「たった三年」とは思えない。三年も。

 放課後の教室で好きだと思いを告げられて、初めて総悟は我に返った。
 このままではいけない。もう離れなくてはいけない。やはり彼の世界に足を踏み入れるべきではなかったのだ。

 だから総悟は姿を消した。朝、校門の前で人間の姿で彼を待つことをやめた。もう二度と人間に化けることはなく、猫のふりをして見守っていくつもりだった。妖怪なんかに心を奪われて彼の人生が狂うことも、いつか正体を知られて突き放されることも、同じくらい怖かったから絶対嫌だと思ったからそれくらい大切で大好きだったから、だから。自分から逃げた。


 もう二度と同じイキモノのふりをして会うことはしない。そう誓ったはずだったのに。


「やっと見つけたぜ」


 己の腕を掴む手を、土方は反対の手で掴み返して不敵に笑った。信号が青になり、二人の隣を子供たちが笑いながら駆け抜けていく。とおりゃんせ。

 土方が赤信号に気付かず渡ろうとしたのだ。それを見て迷うことなく総悟は誓いを破り捨てた。彼の命より大事なものなんて現在の時の軸の中においては他にない。これが三回目だったことも理由の一つだ。土方は覚えていないだろうが、総悟は過去に二回土方が信号を無視して飛び出そうとしたのを助けたことがある。
 それともひょっとしたら二回目は覚えていただろうか。あの時の記憶は消していなかったから。彼を見上げて、ふと思う。

「あの、離してくだせェ」
「離さねえ。離したら逃げるだろ」

 言うなり土方は総悟の手を引いて信号を渡った。点滅し始めたから少し早足で、総悟は仕方なく後をついていく。人間の腕力などたかが知れていたが、総悟にはその手を無碍に振り払うことなどできやしなかった。繋いだ手が熱くて、ドキドキする。

 そうして連れてこられたのは土方の住むマンションだ。ちゃんと連れてきてもらったのはこれが初めてだったけど、いつも見守っていたからよく知っていた。彼の家は共働きなのでこの時間帯は誰もいないことも、知っている。小さい頃土方がいつも寂しそうにベランダから夕焼け空を仰いでいたことも。

「なんか飲む?」

 ベッドの上に座るよう促され総悟は大人しく座った。ベッドはふかふかで、土方の匂いがした。寝そべったらきっと気持ちいいだろうなと猫の部分が考える。ここで丸くなって目を閉じたら、きっと最高に素敵な夢が見られるに違いない。たとえば、同じ時間を手に入れた世界の夢とか。
 総悟が何もいらないと言ったので、土方もバッグを机の上に降ろして椅子に腰掛けた。真剣な眼が総悟を射抜く。内側で心臓が騒ぐ音がした。

「十日も学校来ねぇで何してたんだよ」
「…………」

 十日どころか二度と行かないつもりだったなんて口にしたらやはり怒るのだろうか。

「やっぱり俺のせいか?」
「! 違いまさァ!」

 そこだけははっきりと否定できた。土方は何も悪くなかった。むしろいけないのは安易に人間の世界に足を踏み入れた総悟のほうなのだ。もしもそうでなかったならはじめから出会えなかったのだけど、どうして違うイキモノに生まれてきてしまったんだろうと呪う。しかしこの途方もない気持ちを説明することなどできなくて、何も言葉が見つからなかった。どうして同じイキモノに生まれてこなかったのかという千年前に傷つけられた言葉ばかりがぐるぐると頭の中を巡る。今ならその意味が痛いほど理解できた。

 長い長い沈黙が落ちる。土方は何か考えごとをしているようだった。もうこんな近くで見ることはないかもしれないから、総悟は土方をじっと観察する。笑った顔が見たいと思ったがこの雰囲気では叶いそうにない。

「俺は総悟のことが好きだよ」

 土方は、ことさらにゆっくりとまるで子供に含み聞かせるみたいに言う。

「総悟は俺のこと嫌い?」
「そんなの……」

 大好き、に決まっている。彼の人と同じ魂だからとか、そんなことはもうどうでもよくて土方十四郎という人間が総悟は大好きだった。この人への「好き」と千年前の人への「好き」は違うんだって、ちゃんと理解していた。もっとずっと特別で、世界で一つきりの「好き」だ。
 しかしだからこそ妖怪の自分ではなく人間の女とちゃんとつがいになって幸せになってほしいと思うのだ。自身は報われなくても構わないから、子孫を残してほしかった。この果てしない時の向こうまで。じゃないとこの先、生きていく目的を見失ってしまう。この魂を追いかける以外の生き方を猫又は知らないのだ。

「お前が俺のことを嫌いだって言うなら仕方ねえよ。でも、もしそうじゃないのなら、俺の傍を離れていくな」

 土方は椅子から降りて床に膝をついた。総悟の手をぎゅっと握って、下から顔を覗きこむ。その瞳の中には総悟が住んでいて、自分もあっちにいきたかった。そうしたらずっと一緒で、同じ時間の中にいられる。もうただの猫又に戻ることはなくて、ずっと総悟という名前を抱いたまま。ひとりきりの永遠を捨てて有限の果てまで共に、願わくば。

「だからお前がそんな顔してまで無理に離れていく必要はねえ」

 総悟、と名を呼ばれると世界が滲んで唇を噛み締めた。
 名前を呼んでもらうのが好きで、触ってもらうのが好きで、でも置いていかれるのは嫌い。耐えられない。だから、今のうちに終わりにしなくてはいけないのだ。いつか本当に失いがたくなる前に。

「俺も、土方さんが好きです。でも一緒にはいられやせん」
「どうして」
「…………俺、人間じゃないんでさァ」
「かまわねえよ」

 即答される。「なんだそれ」も「馬鹿言うな」もなかった。総悟は一瞬驚いて、それからすぐに納得した。仕方ないかと現在の科学社会を思い苦笑する。かつては人間よりもたくさんいたはずの妖怪も、今や人間の知らないところで絶滅の危機に瀕している。

「信じてねーでしょう、あんた」
「お前が言うなら信じるよ?」

 土方は総悟の手を恭しく持ち上げてやわく唇で触れた。不意打ちで思わず変化が解けそうになって体を緊張させる。土方はそんな動揺を悟ってかからかうような笑みを浮かべた。

「俺はお前と出会ってからこの三年で、10センチ背が伸びたよ。でもお前は1ミリも伸びてない。それどころか髪や爪すら、伸びたところを一度だって見たことがない。それってすごく不思議だよな?」
「あ……」

 そんなの当たり前だ。これは仮の姿なのだから。それにそもそも千年でやっと人間でいう五つか六つ分くらいの成長を遂げたので、成長という概念自体が総悟の中にはないのだ。土方が成長するということは頭で理解できていても、同じように自分の変化も時に合わせて少しずつ変えていかなくてはいけない事までは全く考えもしなかった。この三年間、一度も。

「え、あの、じゃ、じゃあ……」
「実は結構前から薄々そんな気はしてたんだ。他にもいろいろおかしなことはあったしな。だから今更、驚かねえよ」

 まるで妖術にかけられたようだった。声が出てこなく口をパクパクさせる。土方はそんな総悟を楽しそうに目を細めて眺めていた。

「そういうわけだから、お前は俺の隣にいろよ。お前の正体がなんだろうと気にしねぇから」

 そう、急に顔を近づけてくるものだからびっくりして後ろに逃げて、追い詰められて、しまいにはぱたんとベッドに仰向けになって倒れる。じゃれるように手を握ったまま覆い被さられて猫の時も含めてこの千年で一番の至近距離で見つめられる。状況についていけない心臓がバクバクとうるさかった。

「ぅ……」

 唇に唇で触れられる。こんなことされるのは初めてで、あまりにも緊張しすぎて変化が解けてしまったことに気付いたときにはもう遅かった。さすがに土方もびっくりした様子だったがすぐにニヤッと人の悪い笑みを浮かべる。

「かーわい」
「っるさい! 猫又を馬鹿にすんなィ」
「馬鹿にはしてねぇよ。触っていい?」
「あっ」

 返事も待たずに手が伸ばされて、中指の背が獣の耳を撫ぜた。きゅうっと目を瞑ったら一緒に耳も垂れて笑われる。それから今度はキスをされて、ぺろりと舌で舐められて、目を開けてと囁かれたらたまらなくなって両の腕を伸ばした。目を開けると至近距離に顔がある。

 抱き寄せる。

「土方さん。大好きです」

 だからどうかもう少し、一緒にいさせてください。




オフ本『よせあつめらんこり』収録の猫又シリーズのその後。総悟たんが猫又で土方は高校生です。千年前に総悟という名前をもらって以来、同じ魂ばかり追いかけている一途な猫又のお話でした。

10/02/22