通販限定ペーパー再録2


4.猫又と五歳児(ちび土+沖  「猫又シリーズ」)

 たとえばモノクロだったり、いつも何かから逃げていたり、人によって見る夢のタイプは様々であるという。土方の場合はどちらかといえば夢そのものをあまり見ないほうだった。あるいは目が覚めた途端に魔法が解けたかのように全て忘れてしまうのかもしれない。

 それなのに珍しく今朝の夢は鮮明で、とてもよく覚えていた。あの時の心細さも黄昏の美しさも、優しくて寂しげな透き通った声さえ、まだ耳に焼き付いて離れない。

 それは不思議な夢だった。夢の中の土方はまだ五歳くらいの子供で、全然知らない道を一人で泣きじゃくりながら歩いていた。何かの理由で迷子になって帰れなくなってしまったのだ。帰りたい思いだけで歩き続けるうちにどんどん日は傾いていく。途中、「坊や、どうしたの」と声をかけてくれる者もあったが知らない人間が恐ろしくて一目散に走って逃げた。そうしているうちにずいぶん大きな通りに出てしまったことにも泣くのに忙しくて気付かず、横断歩道を渡ろうとしたところで強く後ろに引っ張られた。

 とん、と背中が温かい何かにぶつかる。反射的に泣き止んだ土方のすぐ目の前を車が走り抜けていく。世界は土方の知らない黄昏の色をしていて、初めて見る景色の美しさに自分が迷子であることも忘れて息を呑んで見惚れてしまった。こんな遅い時間に外にいたことは今までなかったから。
 土方はさっきまで心細くてたまらなかったことも忘れてぼんやりと世界を眺めていた。まるで母親と一緒にいる時のような安心感さえ胸の奥のところで感じていた。はっきりと自覚していたわけではなかったが、それはおそらく背中に感じる温もりのせいだろう。

 不意に、すうっと後ろから白い手が視界に現れて我に返った。手は空よりも下、道路の向こう側を見るよう土方に促す。傷一つない、とてもきれいな手だった。

「いいかィ。あれは信号。あれが赤のうちは渡っちゃいけやせん。青になるまでいい子に待っていなくちゃいけない」

 後ろから声がした。びっくりして振り返ると知らない少年がいた。もっとも五歳の土方からすれば少年といっても彼はずっと「お兄さん」だ。

「だれ?」

 土方は尋ねたが彼は何も答えなかった。そのかわりに土方の手を掴み、弱い力で引っ張る。

「おうちの近くまで送ってあげる」

 そう言って、道路は渡らず来た道を引き返すように歩き出したから土方もとことこ後ろをついていった。知らない人間のはずなのに、不思議と怖い感じはしなかった。繋いだ手が温かくて、心地よかったからかもしれない。

「ねえ、なんでぼくのおうち知ってるの?」
「ずっと、見守ってるから」

 言葉の意味がわからなくて土方は首を傾げる。彼は少し寂しそうな、不思議な笑い方をした。こんな風に笑う人もいるのかと土方は驚いた。

「あんたは知らなくていいことでさァ。だから家に帰ったら俺と出会ったことはどうか忘れてくだせェ」
「わすれるの? どうして?」
「俺が、違うイキモノだから」

 それっていけないことなのだろうか。土方にはわからない。ただ、彼があまりにも悲しそうに、寂しそうに笑うものだから頭を撫でてあげたくて、それなのに小さくて手の届かないことが悔しくてまた泣き始めた。

「困ったな。なんであんたが泣くんですかィ?」

 まるで泣くように笑うから、だから悲しくなったのだと、そう伝えたかったのに言葉は喉につっかえて出てこなかった。黄昏の色が次第に濃くなって、もうじき着くよと彼が呟く。


 そしてそこで、夢は終わる。






 夢に食われるというのはこういうことをいうのだろうか。今もまだあの黄昏の中にいるような心地がした。冬の朝の透き通ってキンと冷えた空気に包まれても、ここが歩き慣れた登校路とはどこか違う異次元であるかのような錯覚をさせられる。

 母親の話だと、土方は五歳のときに本当に迷子になって捜索願を出されかけたらしい。公園でちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまい、それから四時間以上経って日も暮れた頃に一人でひょっこり帰ってきたのだそうだ。その時の土方は確かに誰かに送ってもらったようなことを言っていたのだが、次の日には迷子になったことも含めて全て忘れていて、神隠しだ天狗の仕業だと大人たちは大層気味の悪い思いをしたそうだ。しかし当の土方本人はそんなことがあったなんて全く記憶になくて、不思議な事件だったと母親が時々零すのでそんなことがあったのかなというくらいだった。

 だからもしかしたら今朝の夢は、土方の中に埋もれていたあの日の記憶だったのではないかと、そんなことを考えていた。それほどまでにリアルな夢だったのだ。
 それならあの少年は、一体どこの誰だったのだろうか。ちょうど今の土方と同じくらいの年頃のような印象だったが、鮮明な夢の記憶の中でなぜか彼の容姿だけがまるで霧に包まれたみたいに思い出せなかった。とても寂しそうな笑い方をすることだけ、とてもよく覚えている。

「土方さん!」

 不意に、強く腕を引っ張られ土方はハッと我に返った。トラックがクラクションを鳴らして通り過ぎていく。見知ったいつもの景色。赤信号。

「あんた、何やってんですかィ。あれが赤のうちは渡っちゃいけやせん。青になるまで待ちなせェ」

 声が、夢の中と被る。もしかしたらよく似ていたかもしれないと思った。びっくりして振り返ると、総悟が少し青褪めた顔をして土方を見上げていた。

 総悟は中学三年のときにこっちに引っ越してきた。といっても彼がどこに住んでいるのか、それまでどこに住んでいたのか、土方はとんと知らない。ただいつも校門の前で別れるので、完全に方向が違うことは確かなはずだった。それなのに登校の時間帯にこんなところにいるのはとても奇妙な話だし、かなりぼんやりしていたとはいえさっきまで周りに誰もいなかったことだけは確かのはずだった。

 総悟には時々そういう不思議なところがある。それらを不気味に感じたことは今まで一度もなかったが、もっとよく知りたいとは正直思う。けれどもし聞いていしまったら今ある当たり前の日々が砕けて失われてしまうような、そんな漠然とした不安があった。だから肌で感じているいくつもの違和感を全部無理やり気のせいにして目を瞑る。

「総悟。おはよ」
「おはようじゃなくて、ちゃんと前見て歩きなせェ。心臓に悪い……」
「悪かったよ。ぼんやりしてた」

 今はもう、手を伸ばせば簡単に触れることができた。くしゃくしゃと髪をかき混ぜると総悟はくすぐったそうに笑う。人の話聞いてますかとちょっとだけ唇を尖らせて。


 この平凡な日常という奇跡に、最大限の感謝を。



5.少年と猫又 (猫又シリーズで五百年後の話)

 何百年経っても人間は変わらない。気に入ったものは手にいれないと気が済まないのだ。自分が生まれた銀杏の木の山は今はどうなっているのだろうか。時々ふと考える。

 人間は変わらないが人間によって世界は変えられてしまった。欲望がぶつかり合って世界はぐちゃぐちゃになった。妖怪どころか人間だって住む場所がなくなってしまった者がたくさんいる。人間は愚かだから仕方ないよと烏天狗は苦笑して零していたが、さて彼は今頃どこで何をしているのだろう。関係ないかもしれないが風の噂では戦場に現れる白い鬼がいると聞く。

「総悟、起きてる?」

 まだ変声期途中の掠れた声に獣の耳がぴくんと動く。目を開けると灰色の空があった。その真ん中で十四郎が心配そうに見下ろしていた。

「今起きやした。おかえり、十四郎」
「うん、ただいま」

 十四郎は総悟の隣に腰を下ろした。手に持っていたひょろひょろの芋を二つに割って長い方を総悟に差し出す。これが今日の夕飯だ。ついでにいうと朝と昼と昨日の夜はなかったので一日半ぶりの食事になる。

「俺はいいから十四郎が全部食べな」
「駄目だ。食わないと怪我治らないだろ」

 子供のくせにこういうところはしっかりしている。でもしっかりしすぎていて心配。
 十四郎は戦災孤児である。総悟が彼を見つけたときには既に一人ぼっちで、たくさんの屍の広がる原で大声を上げて泣いていた。十四郎はまだ物心ついて間もない年頃で名前もわからなかったので十四郎という名前も総悟がつけた。それからずっと総悟は十四郎の面倒を見ている。他に信用できる大人が現れるまではと思っていたのだが、このご時世で他人の子供一人を養う余裕のある心の広い大人など到底出会えるはずもなかった。だから総悟はせめて十四郎が一人で生きていけるようになるまでは面倒を見ようと決めたのだ。戦争に奪われることのないよう守ると決めた。たとえ最後には時間に奪われるのだと知っていても。

「俺の怪我が治ったら、魚を探しに行きやしょう」
「……そんなもん見たことねぇよ」
「こんなもんしか食わないから十四郎はでかくならねーんでさァ」

 人間のせいで自然環境は壊れ、たくさんの生き物が滅んでしまった。妖怪も今ではもう見かけることは稀で、ほとんどの妖怪たちが姿を消してしまった。総悟の妖力がいつまでも戻らず人間に化けられないでいることだって怪我のせいだけではきっとないのだろう。もうこの世界で妖怪が生きていくことはとても難しいのだ。
 それでもせめてこの子が大人になるまでは、と願う。

「俺だってちゃんとちょっとずつ背も伸びてる。いつか総悟の身長だって追い抜いて、強くなるんだ。魚なんか食わなくたって……」
「早く大人になりなせェ。一人でも生きていけるように」
「人間たちの輪の中で?」
「そう」

 十四郎は不満そうに唇を噛み締めた。総悟は二本の尻尾で十四郎の顔を撫でてあやす。十四郎の手が大事そうにその毛並みをなぞる。

「俺は、総悟と一緒がいい」
「駄目でさァ。だって俺たちは……」

 同じイキモノじゃない。

「総悟は何が怖いの?」

 唇が触れる。本当に押し付けるだけの、子供じみた、けれど精一杯の。

「どうして逃げようとするの」

 人間から。同じ魂を持った別の存在から。世界が死んだあの瞬間から。
 だって、もうあんな思いをするのもさせるのも耐えられないんだ。五百年前の喪失の痛みから、弱い心は未だ立ち直れずにいる。そうして重ねて遠ざけようとすることは今生きている大事な人を傷つけるだけでしかないとわかっているのに。

「俺は人間と一緒が嫌なんじゃない。妖怪と一緒がいいのでもない。ただ、総悟と一緒がいいんだ」

 細い腕がいっぱいに伸びて総悟の頭を抱きしめた。温かい生きた体温に鼻の奥がつんとなった。

「大人になったら俺が総悟を守るよ。総悟がまた笑えるように」
「……いいの?」
「当たり前だろ。俺は、十四郎なんだから」
「意味わかんない」

 泣き笑いで子供じみたキスを返す。五百年前ももっと勇気を出せば違う未来があったのだろうか。詮無いことを考えて、滅んだはずの世界に初めて愛情を抱く。

「じゃあ早く大人になって、俺を抱きしめてくだせェ。もっと強く」


 だから時間よ早く流れろ。そしたらまた、やり直せる?



6.絶望遊戯(土+沖)

 近藤が姿を消したのが五日前。隊士総出で調査に当たるも行方どころか犯人の目星もつかぬうちに今度は山崎が何者かに斬られ重傷を負った。それが三日前。

 そして現在、近藤は依然行方知れずで山崎の意識は戻らない。そんな憂鬱な昼下がり、屯所が爆発炎上した。冗談みたいな笑えない現実。

 まさかこんな事態に見舞われると誰が予想できただろう。近藤と山崎の件で動揺していたところに文字通りそのまんま爆弾が投下され、誰もがパニックに陥った。大将の不在もあって完全に指揮系統は麻痺してしまいどうしようもない。土方一人の手に終えるレベルを既に越えている。裏切り者がいることはほぼ間違いなく、今この炎上する屯所で土方が信頼して使うことのできる駒は冗談抜きで一つきりだった。

「土方さん、原田さんと連絡とれやした。外に出てたけど今戻って入り口らへんで救出活動を手伝っているそうです」
「わかった。そっちはそのまま任せるって伝えろ。……あと安否がわからないのは監察だけだな」
「へい」

 後ろで沖田が返事をして言われた通りを携帯に向けて繰り返す。土方はいつどこから襲われても刀を抜くことができるよう神経を尖らせ前だけを向いていた。いつもと逆の役割分担の理由は単純に、土方が前を歩いているからというだけである。

「ところでどこを目指して歩いているんですかィ」
「俺の部屋」

 沖田のもたらした情報を総合すると爆発は複数箇所で勃発したが今のところ深刻な被害は出ていない。となると恐ろしいまでの幸運か、目的が他にあるかだ。前者に越したことはないが後者となると大将がいない今、狙われるのは機密情報くらいしか思い当たらなかった。現在は偶然牢も使用していないので除外していい。

「監察室と資料室は真っ先に爆破された。二つに共通するのは情報だ。爆破される前に恐らく盗み出されたと考えていいだろう」
「ああ、なるほど。他にうちで機密がある場所といったらあんたの部屋しかねェってことか」
「……しかも一番杜撰な管理でな」

 具体的にはパソコンにいれたまま机に置きっ放しである。一応ロックはかけてあるがコンピュータに強い者ならその程度の障壁はないにも等しい。

「土方さんは変なところ抜けてますよねィ」
「情報はとられようが爆破されようがどうとでもなるからいい」

 それよりも大切なのは大将の行方の手がかりだ。同一犯が絡んでいるかは定かでないが、その可能性もゼロではない。もしかしたら何か得られるかもしれない小さな希望に今は縋りたかった。だからこそ隊士たちをまとめる努力を完全に放棄してたった二人で動いている。こんなやり方は副長としては失格だろうなと内心で苦く思った。

 しかし決死の覚悟で飛び込んだ副長室に敵の姿はなかった。それどころか炎の気配もなく静かなものだ。この部屋にだけ不自然なまでに日常が横たわっている。

「……どういうことだ?」

 机の上に散乱した紙の資料も味気ないスクリーンセーバーを繰り返すパソコンも、土方がこの部屋を出た時と寸分違わない。部屋の外での出来事などまるで嘘のようだ。

「ねえ土方さん。俺思うんですけどね」

 沖田は土方の隣の畳を踏みしめ、懐に手を入れた。携帯のバイブが鳴っている。

「情報より、もっと敵さんのほしがるものが他にあるんじゃねーですか」
「なんだよ」

 もう片方の手が土方の胸倉を掴んで引き寄せた。吐息がかかるほどの距離で囁く。

「土方さん、あんたでさァ」
「あ――――?」

 唇が重なる。しかし舐められた裏側よりも腹が熱かった。まるで炎が爆ぜるような。

 夢かと思った。あるいは敵が幻覚を見せているのかと。またどこか近くで爆音が鳴ったがそれも遠い世界のことだった。
 これはいったいなんだろう。本気でわからなくて、手を熱いところへ伸ばすと凍るような冷たさで震える沖田の指に触れた。なぞるように辿った指に触れたのは柄と、刃。刀はまだ腰にあるからそれではない他の、もっと短い。たとえば懐に忍ばせておけるような。触れたところが熱く濡れたような気がした。


 どうして。


 世界がぐらりと傾いた。離れていった唇は不器用に紅を差したように赤い。
 膝が震えて立っていられず崩れ落ち、沖田の隊服に縋りついた。視界は赤くもあり黒くもあり、沖田の顔は見えない。声だけがやけに透き通って耳に届いた。


「土方さん、ゲームをしやしょう。あんたが俺を殺すゲームでさァ」


 どういう意味だと問いかけたいのに口は血に噎せるだけで話す機能が壊れていた。痛みに耐えかねて腹に埋まった刃を抜こうとした手は濡れた指に絡めとられて邪魔をされる。とても優しい声で沖田が話すので、まるで子守唄のようでひどく眠気に襲われた。

「抜いてはいけやせん。ここは当分火も来ないから大人しくしていなせェ」

 刺した本人の言葉とは思えない。大事そうに土方の頭を抱きしめて髪に唇を埋める。
 総悟、と名前を呼んだつもりだったがうまく声にならなかったかもしれない。

「さよならは次までとっておきやしょう」

 もう世界は真っ暗で何も見えなくて、土方には沖田の声だけしか聞こえなかった。恐ろしく眠くてじきにそれすらもわからなくなる。何かとても大切なことを囁かれた気がしたのに確かめることもできない。燃え盛る炎の爆ぜる音ではなく雨の音を近くに聞いた。

 取り戻さなくてはいけないと、そればかりを暗闇に捕らわれた夢の中で繰り返す。




 最後のやつは続き物の没ネタ冒頭シーンです。他は猫又ばかりで申し訳ない……。


2010/12/31