拍手ログ66-70 66.ぶっかけろ!(土→→→沖 下ネタ注意 土誕) 誕生日なのでなんでも一つだけ言うこと聞いてあげまさァ。 それは気まぐれだったのか、それとも日頃の不幸への同情だったのか。5月5日、ふらりといつものように部屋にやってきたと思ったら沖田は突然そう告げたのだった。 「え、なんでもって、なんでも?」 「へい。実現可能なことなら、まあ」 「ふーん」 どうやら本当に一つだけ、沖田は土方の望みを叶えてくれるらしい。いつも仕事もプライベートも嫌だ死ねばかりのくせに、なんて大盤振る舞いなことだろう。 こんな機会は滅多にないのでよく考えなくてはいけない。そうは思うのだが土方の頭に浮かんだ望み候補はただ一つだった。 これしかない。頭の中でもう一人の土方が叫ぶ。これは年に一度のチャンスなどではないのだ。一生に一度の奇跡、最初で最後のミラクルだ。絶対に、悔いを残してはいけない。さあ今こそ長年の夢を叶える時なのだ! 「よしわかった! 総悟、一度でいいからお前の顔にぶっかけ……」 最後までは言えなかった。鳩尾に沖田の肘がクリーンヒットしたから。 もんどり打つ。 「ぐは……、総悟、何故だ……!」 「土方さん、よく聞こえなかったんでもう一度言ってくだせェ」 「お、お前にぶっか……ぐはぁ!」 今度はハイキックが顎に決まった。似たようなやり取りをあと2ラウンドほど繰り返す。そして降りかかる沈黙。互いの肩で息をする音だけが空気を湿らせた。音もなくだくだくと鼻から赤い滝が落ちる。 やがてその沈黙は土方自身の手によって打ち破られた。 「なんでもって言ったじゃんか!」 「言いやした! でもねえ、まさかそんな変態的要求されると思ってなかったんでさァ。てゆーか死ねよ変態」 「何を言う総悟。男はみんな変態だ! わかったそれじゃあフェアにいこう。お前も俺にぶっ――」 キン、というお菊の鳴き声とともに前髪が数本宙を舞った。穏やかな5月の陽光を受けて刃が銀色に光る。笑っているのに不穏な沖田の雰囲気が季節を逆行させ冬に戻すかのようだった。 「わかりやした。武士に二言はないんで叶えてあげまさァ。その顔面に変態の血をぶっかけてやらァ!」 「えっ、ちょっ、逆なんですけど俺はお前にぶっかけ……」 「くたばれ土方ァァァァァ!」 「うぎゃぁぁぁぁぁ!」 極限の命のやり取り(一方的)の中で土方は思った。こんなことがいつかのバレンタインにもなかっただろうかと。 そして心の底から願った。春よこい。ぶっかける前に、せめて手ぐらい握れる程度でいいから。 67.あなたに伝えたいおもいがあるの(土沖 初期 「ネバーランド」後) とある事件で髪を短くしてからずいぶん時が過ぎた。 あの頃に比べれば髪はちょっと長くなって、でもまだ前のように一つに束ねるには全然及ばないちょうどよく邪魔な、そんな長さである。味噌汁を啜ろうとすれば一緒に泳ぎだすし風が吹けば口に入る。そして何より、寝癖が目立つ。なんともうっとうしい微妙な長さだ。 ヘアバンドもカチューシャも、ついでに山崎に勧められたうさ耳ヘアバンドも、全部試したがお気に召さなかった。かといってヘアピンなどの小道具を使いこなせる技量もなく。この不器用さは罪だと己を恨めしく思う。 そういうわけで仕方がないので。 「土方さんやって」 だから沖田は今日も得意のおねだりスキルを発動させるのだった。 沖田がヘアピンたちを持ってやってくると土方はいつも呆れた顔をする。それでも忙しくない限りは断らず、沖田の髪を整えてくれるのだった。 「それで? 今日は何がいいんだ」 「三つ編み!」 「できねえよ。短すぎるっての。とりあえずまずは跳ねてるのから直すぞ」 仕方ねえなと言いながら土方は正座する沖田の後ろに移動する。まずは寝癖直しのスプレーを吹きかけて、そっと櫛を髪にさす。丁寧に丁寧に、まるで大事な刀の手入れをするかのように沖田の髪を梳いていく。この時間が沖田はとても好きだった。本当は寝癖くらい自分で直せるし、ぐちゃぐちゃでよければ自分でセットもできる。でもそうしたら毎朝ここへやってくる理由がなくなってしまうので自分じゃできないふりをするのだ。そんな真相、この人は本当は全部お見通しなのかもしれないけれど。でも何も言わないから、大人しく甘えておく。 「少し髪伸びたよな」 「うん」 「また伸ばすのか」 「うん」 髪を切ってしまったあの日、もう一度と決めたのだ。また前と同じ長さまで伸ばそうと。そして今度は絶対に悲しい顔なんかさせない。勝手に離れてなどいかせない。 「前はあんなに長いの嫌がってたのにな」 櫛ではなく土方の長くきれいな指が沖田の髪に触れる。その感触が心地よくて沖田は瞳を閉じた。万事屋さんに触られるのも好きだったけど決定的に違うのは、土方に触られると胸がドキドキすることだろうか。もっと触ってほしくなるのだ。 「ねえ土方さん」 「ん?」 「もう少し髪が伸びたら、ゴムを買ってくれる?」 「そうだな。一緒に買いにいこう」 「本当?」 沖田はうれしくて、言葉にできないくらいうれしくて、飛び上がらん勢いで後ろを振り返った。本当は抱きつきたかったのだけど、そんなことをしたらきっとこの心臓の鼓動が土方にも聞こえてしまいそうな気がしてできなかった。どんな激しい討ち入りの時だってこんなに動悸がすることはないのに。髪を切ってからずっと、こんな風に時々おかしくなる時がある。 「約束だよ。絶対だよ? やっぱなしは駄目だからね!」 「……お前、俺に一体どんだけ恐ろしいゴムを買わせる気だよ。呪いのゴムか? 夜な夜な悲鳴を上げる呪われた逸品なのか?」 「そんな変なのいらない。というかゴムは喋らないんだよ土方さん」 「……真顔で諭さないでくれ。なんか切なくなる」 それじゃあ丈夫な、絶対切れないやつがほしい。沖田がそうねだると土方は約束するよと言って頭を撫でてくれた。それだけで幸せな気持ちになれる。 また前と同じ長さになるころには、内側でもう目を覚まそうとしているおもいを形にする言葉を見つけられるだろうか。そうしたらそこからもう一度始めるのだ。 延長戦じゃない、新しいゲームを。 68.もっと笑って(土沖) 山のように積まれた仕事を一人で片づける気にはなれなくて、ちょうどよく暇していた沖田を食べ物で釣って巻き込んだ。そうして二人で死ぬ気で書類の山なる怪物を討ち取ったのは日付が変わるころだった。 なんとも長い戦いだったと振り返りつつ一息つくと今度は腹に何か入れたくなって、こっそり忍び込んだ台所から饅頭をかっぱらってきた。手癖の悪いのは育ちの悪さのせいなので仕方ない。誰のものだろうと知ったことか。名前も書かずにしまっておくやつが悪い。 「あー……うまかった」 饅頭を食べ終えた指までぺろりとなめて沖田が幸せそうに言った。こういう時の顔だけは昔と少しも変わらない。 「お前は本当にうまそうに食べるよな」 「だってうまいもん」 確かに仕事を終えた達成感も手伝って饅頭の糖分は安い幸福を与えてくれた。せめてこのお茶を飲み終えるくらいまでは煙草を吸わずに余韻を味わっていようかと、そんなことを考えながら表情を緩ませる。 「あ、ねえ土方さん」 「んー?」 沖田は何かを思い出したというように顔をこちらに向けて尋ねた。唇の端に饅頭の欠片がついている。 「今俺、スチル出た?」 「……え」 ふわふわしていた思考が急に緊張感を取り戻す。スチルってなんだ。あのスチルか。聞き間違いでなくてか。そしてなぜ自分がこんな言葉を知っているのだったかと、はたと思い返して急に憂鬱に襲われた。自分で自分の地雷を踏んだ。 「土方さん?」 ことん、と沖田が首を傾げさせる。ああこの顔はきっと意味が分かっていないのだろう。 「……なあ、どこでそんな言葉覚えてきたの」 沖田があの手のゲームをやるとは考えられないので、大方だれか悪い大人に吹き込まれたのだろう。考えてみたら簡単にいくつか候補が上がって頭が痛くなった。ここは本当に子供の情操教育によろしくない。頭が空っぽのせいでなんでも吸収してしまうのだから、変なことを教えるのは勘弁してほしい。 「今日神山と話してたらね、あいつが突然スチル出たとか叫びだしたんでさァ。それで散々一人で騒いだ末に俺は存在自体がスチルだとかわけわかんねぇこと言い出したんで、とりあえずボコッときやした」 「ああ、そう……」 存在自体がスチルって、それはいったいどうなんだ。どんだけレアでハイクオリティな生き物だ。神山としては最高級の褒め言葉だったのかもしれないが実在する人間相手にそれはあんまりだろう。 「つうか、そんな簡単にスチル出されてたまるか……」 こいつは俺のだぞ、スチルどころかフラグの一つも立てさせてたまるかと、内心で独占欲の炎がふつふつと燃え上がる。沖田に全くその気がないのが救いだが、神山は昔からストレートにああなので土方としては警戒せざるを得ない。神山を他の隊に飛ばす機会を土方が虎視眈々と狙っていることも、気づいているのかいないのか神山がのらりくらりとかわし続けていることも、沖田はちっとも知らないのだろう。水面下での争いはもう長いこと続いているというのに。 「土方さん、スチルってどういう意味なんですかィ? あんたは知ってるんでしょう」 難しい顔をして黙り込んでしまった土方に寄っていって下から覗き込む。唇の端についた饅頭の欠片が気になって、苦笑しながら親指でぐいと拭ってやった。沖田も何かついていたのかしらと自分の手の甲で唇を擦ってみる、その仕草がとてもいとけなくてかわいかった。 時々こうして子供らしい表情や動作をすることがあるい。しかしあの頃のように花が咲き零れるような笑顔はもう見せてはくれなくなった。それはただの成長による変化なのかもしれないが、大人になりきらないうちに人を斬らせてしまったせいもあるのではないかと思う。あの頃の笑顔こそが沖田の無敵のスチルだった。 「なあ、スチルの意味知りたいか?」 「あんたがなんでそんな複雑そうな顔しているのか知りたいんで、是非」 じゃあ手を出して。言えば沖田は何も疑うことなく素直に右手を差し出した。土方は空にした湯呑を邪魔にならないところにどかし、自分の左手を重ねる。恋人のように指同士を絡め合って、肩で体を押すようにゆっくり後ろに押し倒した。沖田はされるがままに背中を畳と懇意にして、土方の瞳をじっと見上げる。 「スチルって、いやらしいこと?」 「ってわけでもねんだけど、お前こんな時でもないと素じゃスチル出ねぇだろ」 今は、もう。 「……よくわかんねェ」 快楽に身を委ねて蕩けた顔も嫌いではない。しかし土方が一番ほしい無敵のスチルはもっと別の顔なのだ。 今となってはもうどうすれば得られるのかもわからない。今生のルートではもしかしたらそんなフラグを立てることは不可能なのかもしれなかった。人を斬らせるという選択肢を選んでしまったから。 「それっていけないこと?」 土方さん、と重ねた手をきゅっと握って子供の眼をして問う。そんなんじゃないと囁いて唇の端の饅頭がついていたところにキスを落とすと、くすぐったそうに目を細めて笑った。 「いけなくないなら、悲しい顔をするのはやめなせェ」 あいた手で引き寄せられてもう一度重ねる。一度瞬きをして開けたらもうそこには子供はいなかった。いるのは子供の殻を脱ぎ捨てた、大人になりきれていないいきもの。言葉の意味を知らずとも見透かされたのは確かだった。 「……そうだな、悪かった」 たとえもうあの頃の笑顔を失ってしまったのだとしても、彼が彼であることは変わらない。この思いも揺らがない。それどころか増すばかりで。罪悪感しか残らなかったわけではないのだ。 それならばいつか。 「なあ、総悟」 「なんですかィ」 メーターをぶっちぎるくらい好感度を上げて、幾多のフラグを立てて、たくさんの思いを捧げて。 「いつか素のお前でスチルを出すよ、絶対に」 あの頃と同じでなくても構わない。だからどうか、心からの笑顔をもう一度。 69.恋愛指南書 机の隅に時計がわりに置いていたケータイが不意に震えだした。にわかに机が揺れる。サブウィンドウで発信者の名前を確認して、出ることなく切断して黙らせた。また机の上に戻して何事もなかったように正面に顔を戻すと向かい合わせに座っていた沖田と視線がぶつかった。 「……何?」 「出ないんですかィ」 土方が何か答えるより先にまたケータイが騒ぎ始める。うっとうしさに溜息を一つ零し、今度はそのまま鞄の中に放り込んだ。こんなにしつこい女だとは思わなかったとひとりごちる。 「いいの。もう飽きたから」 それにもうあとひと月と半分もすれば卒業して別の道を歩むのだ。ここいらで切れておいた方が面倒がなくていいだろう。どうせもう自由登校なのだし、どんな捨て方をしようが女どもに裏庭で囲まれる心配もない。 「できやした」 沖田は自分のノートを土方の方に押しやった。相変わらずの汚い字だ。ついでにいえば、ほとんど真っ白。 「まあまあできたと思うんですけど」 「どこかだよ……」 解かせていたのは去年、土方が沖田の学年の時に解いた試験問題だ。だから範囲が若干違うとはいえほとんど被っていることは解く前に確認済みで、だからもう少しできていていいはずなのだ。このままでは留年するらしいというのは冗談ではなかったらしい。 「お前さあ、古文の時間、何聞いてんの? これはさすがにまずいだろ……明日だぞ試験」 「何言ってるんでィ。だから恥を忍んであんたなんかに教わりに来たんじゃねェですか」 「威張るなって……」 呆れて嘆息を零しつつ、昨年の自分の回答と照らし合わせて赤のボールペンでチェックを入れていく。ほとんどがバツで、丸つけというよりももうバツ付けだ。照らし合わせるだけ時間が無駄な気がしてくる。 「お前は本当に昔から、嫌いな教科はボロクソに駄目だよな」 「……土方さんは、好きだったんじゃねェの?」 「あ?」 両手で頬杖をついてこちらの手元に視線を落としたまま沖田は呟いた。もちろん古文の話ではないのだろう。嘆息して手を動かしながら答えてやる。 「好きだから付き合ってたんだよ」 「でも、もう飽きたの?」 「そういうこと」 付き合い始めたのは確か夏の終わり頃だったろうと思う。塾の夏期講習でよく顔を合わせるようになって、なんとなくわからないところを教え合うようになった。それがやがて体の関係を持つようになったのは一体何がきっかけだったか、もう忘れてしまった。 互いに受験勉強で忙しかったから遊ぶ回数は少なかったものの、だからこそ半年近く続いていたのかもしれない。よくよく思い返してみれば今までで一番長続きしていたことに驚いた。 「ほら、採点できたぞ。お前はまずは助動詞の活用を覚えろ。これじゃ間違いの解説するのも馬鹿らしい」 選択問題以外すべて不正解という恐ろしい答案を机の脇にどかし、かわりにテキストの一番最初のページを開いて寄越す。とりあえず眺めていろと指示をして、土方はノートを一枚破って定規で線を引き始めた。未然連用終始連体、と数を数えながら横線を足して表の形にしていく。あと一日で果たして何ができるだろうかと、考えたがもうどうしようもない気がした。それならせめて少しでも、追試に役立つことを叩き込んでやろうと密かに思う。明日までは絶対無理。 「でも本当に好きだったら、きっと飽きないと思う」 こんなまだるっこしいことをするよりもテキストの表を暗記ペンで直に塗った方が遥かに速いかと、気づいてはたと手を止めた時だった。沖田が独り言のように呟いたのは。 これはこんなに他人の恋バナが好きな人種だっただろうかと不思議に思った。彼女いない歴イコール年齢な己を嘆くのは度々だが、羨ましがられたことはなかった気がする。 「なんだよ。つか、俺の色恋より真剣に自分の未来を心配したほうがいいぞ」 「あんたのはさ、恋や愛ってよりなんつーか、棒と穴なんじゃねぇの」 咎めるでもなく、ただ純粋に心に浮かんだことをうっかり言葉にしてしまったような、そんな感じだった。さすがに言葉が過ぎたと思ったのか気まずげに、あとから視線を横へ泳がせる。沈黙が落ちてそのまま時間が止まってしまったようだった。 「……すいやせん、なんか変なこと言った」 「いや……」 ごとん。自分の中で何かが音を立てて動くのを感じた。 看破された。自分でさえ気づいていなかったことを、沖田は見透かして狙い違わず射抜いたのだ。それは屈辱というよりもむしろ感動に近かった。そうだ確かに今までのはみんな恋などではなかった。 けれど恋ならとうに今、知った。目を覚ましたのは舌なめずりする獣だ。本当の、おいしそうな獲物を見つけて心を躍らせた獰猛で、純情な。 「なあ、総悟。俺と付き合ってみねえ?」 「は……あんた何言って」 ガタンと立ち上がった拍子に椅子が鳴った。もうどうでもよくなったテキストの上に手をついて机の上に乗りあがる。 「嫌なら抵抗しろよ?」 逃げるならこれが最後のチャンスだ。 「えっ、先輩、ええっ、待っ……嘘だろィ」 「本気だよ。残念ながら」 無理やりは本意ではなかったから、これから何をするのか予告するように後ろ髪に触った。その瞬間、沖田の頬が耳が顔がみんなさあっと熱に染まった。動揺に揺れる瞳が潤んでこちらをまっすぐに見上げている。 きつく結んだ唇はつれなかったけれど抵抗もしなかった。目を閉じることも知らず小さく震える体を抱きしめてみたいのに机が邪魔で、そんなもどかしささえも愛しさに拍車をかけるみたいだった。今やっと、初恋を見つけたのだと知る。 「なあ、俺に教えてくれよ。総悟」 恋や愛というやつを。 俺の世界をひっくり返したお前がいけないのだ。だからちゃんと責任とって、恋愛のご教授願いたい。 70.背徳の日(土沖) 初めて二人でホテルへ行った。誰の眼も気にせずめいっぱいじゃれ合って、一つのベッドで束の間の眠りに落ちた。こんな宝石のような時はきっと二度とないと信じられた。 携帯電話のバイブの音に意識を掬い上げられて目を開ける。音は床の方からしていた。 隣で眠る土方は仕事で疲れていたのだろう、目を覚ます様子はない。無防備にさらされた寝顔に口元を緩め、沖田は片肘をついて起き上がった。腰に甘い痺れを感じて吐息を漏らす。 まだ動きたくないとぐずる体を引きずってベッドを降り、反対側でくしゃくしゃになった上着を拾い上げた。内ポケットをまさぐってまだ止まない音の源を探す。こんな時間に誰だろうと思ったがそういえば今が一体何時なのか知らなかった。けれどまだ寝かせておいてあげたかったし沖田自身もこの時間をもっと長引かせたかったから、早く切ってしまってベッドに戻ろうと幸せなことを考える。 まだ半分くらい夢から抜け出せていなくて、誰だか確認すらせずにボタンを押した。 聞こえてきた声に体が固まり、一気に覚醒する。 『あ、やっと繋がった? もしもーし』 「……近藤さん」 唇が無意識に名前を紡いだ。小さく震え、もしかしたらうまく音にはならなかったかもしれない。それでも長年の付き合いのせいか相手にこちらの存在は伝わったらしい。 『え、あれ? 総悟?』 「へい」 『これ、トシのケータイだよね』 「……っ!」 まだ持っていた上着を慌てて広げてみると、確かに沖田のものより一回り大きく見えた。それに何よりことんと落ちたライターが、誰の持ち物であるかを雄弁に語っている。この上着は自分の物ではない。それならもちろん、そこから出てきたこの小さな機械だって。 どうしようどうしようどうしよう。 頭が真白く塗り潰される。体中が中も外も震えているのがわかった。ごめんなさいなんて、言えるわけない。本当のことを知られてしまったら、もう生きてなど。決して。 『今、一緒にいるの?』 「あ……へい。でも土方さん、今ちょっと出らんなくて。なんか飛び蹴り食らわしたら当たり所が悪かったみたいなんでさァ」 すらすらと嘘が口から飛び出していく。その一つ一つが刃になって我が身を切り刻む心地がした。ほろほろと、何か見えない己を構成するものが壊れて散っていく。 「仕方がないんでだらだら起きるのを待ってるんですけど、何か急用ですかィ」 『ん、いや大した用じゃないから帰ってからでいいよ。二人でゆっくり帰っておいで』 「へい」 通話を終えた後もまだ震えは止まらなかった。言えなかった言葉たちが内側でくすぶって暴れている。 本当は二人でサボってホテルへ行っていたんです。本当はとてもいやらしい行為に耽っていたんです。本当は今もまだシャワーも浴びずにぐちゃぐちゃで服も見つからなくて中には他人の精液が残っていて。本当は。本当は。ねえ近藤さん俺たちのこと軽蔑しますか? 「総悟」 名を呼ばれて振り返った。いつから起きていたのだろう。それとも今、覚めたのだろうか。 「おいで」 ぽたりと閉じられた小さな機械に水が落ち、初めて自分の瞳から零れるものの存在を認識した。それははらはらと雨のように内側にも降り注ぎ暗い海になろうとしている。 だから沖田は首を振った。そうしなければ今にも溺れてしまいそうで。 「嫌でィ」 だって嘘を吐いてしまったのだ。本当はもうこんなに汚れていてそれがとても気持ちよくて幸せで、戻れないところにまで来てしまっているのに。 絶対に欺いてはいけない人を欺いたのだ。最低だ。 「俺たちは、やっぱりこんなことしちゃいけなかったんだ」 「総悟……」 「戻してくだせェ。なかったことになるまで時間を巻き戻して」 「無理だよ」 「どうして!」 「だって俺が嫌だから」 二人とも半端な覚悟で望んだわけではなかったことは、はじめからわかっていた。だから余計に苦しくて、悲しいのだ。 もう一度おいでと呼ばれて今度こそ従った。一人でも息をしていられるほどもう強くはいられなかった。そうするにはもう多くを与えられすぎていて、遅すぎる。戻れない。 「土方さん、助けてくだせェ」 この底なしの海に溺れようとしている心をどうか。すがるように覆いかぶさって唇を重ねた。涙の味がしてしょっぱかった。大きな手が後ろ頭に添えられてもっと深くまで繋げさせてくれる。 「いつか、ちゃんと話そう」 それでもそんな日が来るとは信じられなくて、答えることはできなかった。今はただ暗い海で酸素を求めて喘ぐしかできない。 2012/07/04 |