ミッドナイトブルー 夜の海を背景に、素肌に直接羽織っているらしい白の上着が風になびいてよく目立った。 それを目印に歩きながら神楽は昼間のことを思い返していた。 銀時の友達になりゆきで連れて来られた海水浴。といっても陽射しに弱い神楽はただ飯目当てで来たのだが、退屈なので日陰を散策していたらいつの間にか坂本のプライベートビーチを抜けてしまったらしい。しかもそこにはなぜか見覚えのある、見たくもない顔があった。 「似合わない。不釣合い。暑苦しい。見ててウザい」 そいつは神楽を見るなり顔をしかめてそう言って、つられて神楽も顔をしかめた。 ここで暴れるのは非常に分が悪いので今日は無視して回れ右して帰ろうと思ったのに、どうやら向こうは神楽が思っていたより遊び相手が不足らしい。 「あそこのゴリラを土台に要塞つくるからちょっと手伝えや」 と、今しがた新八の姉にどつき倒されたゴリラを指した。 ちょうどそこは日陰で、神楽も暇を持て余していて、昼食にはまだ少し時間があって、断る理由が見当たらず、不本意ながら、嫌々ながら、手伝ってやることにした。 そして二人で黙々と要塞をつくっていたとき、そいつは何気ない口調で言ったのだった。 「気が向いたら夕食後ここに来いや。遊んでやるぜ」 神楽が真意を問い質す前に、夢のない大人たちの乱入により空飛ぶ要塞建設は中止を余儀なくされた。そのまま銀時に連れられてプライベートビーチに帰ってしまったので結局真意は聞き損ねた。 それからだらだら過ごしているうちに夜になって今に至る。 夜なので昼間の完全武装はやめて普段着で来たのだが、なぜか神楽の顔を見るなり沖田は昼間とまったく同じに顔をしかめた。 「お前、水着は?」 「持ってるわけないネ」 神楽のスケジュール帳に水泳の二文字はないのだからあるはずもない。 「来いよ。買ってやっから」 沖田はそのまま答えも聞かずずんずんとホテルのほうに歩いていった。神楽は慌てて追いかけて、その背中に声を浴びせる。 「ちょ、ちょっと待つネ! なんでそんなもの」 「着衣泳は重いからに決まってんだろ」 まったくもって答えになっていない。話には聞いていたが本当に頭がからっぽなのかもしれない。神楽はそんなことを思いながら、ホテルの売店をのぞいてみたい好奇心も手伝って、それについて行った。 水着など買ったことがないので選ぶのは少しどきどきした。しかし待たせるとうるさそうなので適当に近くにあった赤のワンピースを買い、ホテルのトイレで着替えてくる。袋に服を入れて売店に戻ってくると沖田は難しい顔をしてペンギンとイルカのぬいぐるみを見比べていて、どちらにしようか検討しているらしかった。 「よし、準備できたな」 しかし今は買う気がないのかぬいぐるみを両方棚に戻し、沖田はまた来た道を引き返して行った。少し後ろを離れて神楽もついて行く。 そして再び戻ってきた夜の海。着くなり沖田は上着のポケットに突っ込んでいた手を神楽のほうに振りかぶった。ついでに何か飛んできて、条件反射で手で掴まえる。それはいわゆる水中眼鏡、ゴーグルというやつだった。 「ほら、来いよ」 砂浜に上着を脱ぎ捨てさっきと似たような台詞を吐いて、浅瀬から手を伸ばす。格下扱いされているようで気に食わなかったのでその手は無視して浅瀬に突入した。 足に触れる水の感触。波が来て、足元の砂をさらう。さらわれた砂の分だけ足が大地に埋もれた気がした。 「うわ、すごいアル」 素直に神楽は感嘆の声を漏らした。しかしその頃には沖田はざぶざぶと更に深いところへと進んでいて、「来れるもんなら来てみろや」と言ってからかいの笑みを浮かべた。もちろん売られたケンカはサラ金の世話になってでも即買いだ。 「バカにしてほしくないネ。これくらい簡単に……」 進もうとして、足が砂に埋もれてよろめく。しかも満面の笑顔で沖田がその体を更に押した。 小さな悲鳴と共に、大きな波飛沫。水音と耳障りな沖田の笑い声。 「そうそう。俺はそれが見たかったんでィ」 そのためだけに水着まで買い与えて海に連れてきたのか。ずいぶんと金のかかる悪戯に神楽は頬を膨らませ、それでも最低限の親切か恩着せがましいだけなのかよくわからない差し出された手を掴んで、力任せに投げ飛ばしてやった。 今度は少し離れたところで大きな水飛沫。耳に心地よい沖田の悲鳴。神楽はここでやっと表情をほころばせた。 「てめぇチャイナ、人がせっかく手を貸してやろうってのに何しやがる」 「お前の世話にはならないネ」 「ふーん。そうかィ。それじゃあ俺は遊ばせてもらうぜ?」 そう言って口許に浮かべた不敵な笑み。その意味を悟る前に神楽は再び転ばされていて。 結局いつもと同じパターンでいつものようにケンカが始まってしまった。ただし今回は水中戦だと言うだけで。 ケンカは神楽の惨敗だった。いつもなら互角に戦えるのだが今回は地の利が向こうにある。足がつくかつかないかのところまで泳いで逃げられ、潜ったり溺れかけたりしながら必死に追いかけて、追いつくたびに転ばされた。 「変な顔が輪をかけて変だぜチャイナ」 「うるさい黙れヨ」 憮然とする神楽とは裏腹にとてもいい笑顔の沖田。心底楽しそうなのがなおさら神楽の神経を逆撫でする。 沖田は神楽の機嫌が悪いことに気づいたのかその笑みを苦笑に変え、転んだままの神楽を今度こそ手を貸して立たせてくれた。 「ま、そんだけ水の中で動けるようになりゃ十分だ。これからちょっと沖に出るから」 「沖?」 何をしに行くのかと不思議に思い尋ね返すと、沖田は裏のない笑みで答えた。 「お前にもいいもん見せてやるっつってんだよ。だーいじょうぶだって、俺がおぶって泳いでやっから」 まだ意図が飲み込めないが、沖田の手に導かれるままにその肩を両手で掴んだ。 いくらこいつでもまさか泳ぎの苦手な神楽を沖まで連れて行って沈めたりはしないだろう。それにひょっとしたらさっきまでのケンカも神楽が水に慣れるための訓練だったのかもしれない。 (こいつ頭からっぽヨ。だからそんなこと考えてたはずないネ) きっと思い過ごし。考え過ぎ。 神楽を背負って陸地に背を向けぐんぐん泳いでいく沖田の後頭部を見上げ、神楽はそう思うことにした。いつもは殴る的でしかない頭が、今はやけに近い。なんだか変な感じ。 夜の闇に溶け、どこから海でどこから空かその境界はよくわからない。ただ後ろを振り返れば、遠くに見える砂浜がここがどれだけ遠く離れているかを教えてくれた。 「このへんでいいか。チャイナ、水中での動き方はわかったな」 自分も砂浜を見やり、距離を確認しながら沖田は尋ねる。神楽は大きく頷いた。 「じゃあゴーグルして。これから潜るから。間違っても俺の手は離すなよ。口開けるなよ。暴れるなよ。ケンカ売るなよ」 「最後のはお前次第ネ」 「そーかい。じゃあ俺も気をつけるかね」 軽口を叩いて沖田はゴーグルをつける。沖田から手を離すわけにいかないので苦労しながら神楽もゴーグルをつけた。 「さぁて、潜るぞ。用意はいいな?」 神楽が無言で頷くと、沖田は肩に回されていた両手を取ってその片方をしっかり掴んだ。それから二人で「いち、にの、さん」の合図をして水中に身を沈めた。 水中は真っ暗だった。沖田はこんなところで何をしたかったのだろうと、神楽は相手の顔を見る。しかし沖田の目は神楽ではなく空いている自分の手に注がれていて、神楽もそちらを見てみれば小さな懐中電灯が握られていた。水着のポケットにでも忍ばせていたのだろう。 沖田がスイッチを入れる。暗い海に一筋の頼りない明かりが灯った。 (うわ……) 思わず声を上げそうになり、慌てて片方の手で口を押さえる。さっきまで何もいなかったのに、光に誘われてすぐにたくさんの魚が集まってきた。沖田がぐるりと懐中電灯で周囲を照らせば、魚たちもそれを追いかけるように輪を描いて泳ぐ。 神楽が空いているほうの手を伸ばすと魚はするりと潜り抜けた。どんなに掴まえようとしても水を掻きまわすだけで触れることはできない。そんなことをしていたら沖田が手を掴み、懐中電灯を貸してくれた。 それからしばらく魚と遊びながら、呼吸が苦しくなる前に顔を出して、もう一度水中へ潜った。沖田の手を引っ張って水底を目指してみれば、遠くのほうに噂に聞くサンゴ礁らしきものも見えた。もっと近くで見たかったのに沖田が手を引っ張ってそれ以上深くへ行かないよう神楽へ指示した。 そうして20分くらい魚と戯れていただろうか。水面に顔を出してまだ潜ろうとする神楽を沖田が止めた。 「そろそろ戻らねェと」 「もう終わりアルか?」 「時間も遅いし、お前と違って俺はこれから重い荷物背負って陸へ帰る仕事があるんでィ」 重い荷物扱いされて水中で遅い蹴りをお見舞いしてやれば、「痛ェよ」と沖田は心にもないことを言った。 それから神楽はしぶしぶ沖田の背中に戻って、まだ足元にいるかもしれない魚たちのことを考えながら空を仰いだ。 「あ、満月」 「団子食いてェ」 「お前もっときりきり泳ぐヨ。わたしもお腹空いてきたネ」 「荷物が重くてこれ以上はちょっと速度出ねェなァ」 それでも行きと同じペースで沖田は泳ぎ、軽口を叩いているうちにすぐ陸に戻ってこられた。今遊んでいた海を振り返ってみれば、昼間見たときより少し優しく見える。 「お前、明日も泊まってるアルか」 「ああ。二泊三日で明々後日の午後に帰る」 「もし暇だったら明日の夜、わたしに泳ぎを教えるネ」 少し意外そうな顔をしてから、沖田は楽しそうに笑った。 「いいぜ。遊んでやるよ」 〜+〜 それから夜の少しの間だけ神楽は沖田と海で遊び、ケンカばかりしていたような気がするのにいつの間にか泳げるようになっていた。しかしほとんど教わった記憶はないし礼を言うのも癪なので、これは自分の並外れた才能のおかげということにしておいた。 一応公務員の真撰組は神楽たちより先に帰り、それから数日くらいして家の建て直しが完了した頃、神楽も江戸に戻ってきた。 そして今、神楽は真撰組の屯所の前にいる。 「これ、土産アル」 「土産も何も同じところに行ったじゃねェか」 「細かいこと気にすると禿げるぞお前」 自分でも思っていたことを相手に言われて少し恥ずかしくなり、照れ隠しに土産の入った袋を無理やり押し付ける。沖田は不思議そうな顔で受け取って、袋の中身を取り出した。 「あ、ペン座衛門」 「ネーミングセンス最悪。ペン吾郎とかもっと可愛い名前思いつけヨ」 それはあのとき売店で沖田が睨めっこしていたペンギンのぬいぐるみだった。 「勘違いしないでほしいネ。銀ちゃんにお金もらったけどほしいものがなかったから恵んでやっただけヨ」 強がりな嘘。本当は自分でせがんで金をむしりとったくせに。 神楽は言いたいことを一息で全部言うと背中を向け、すぐにその場を去ろうとした。しかしその背中に沖田の声がかかる。 「この辺で泳ぐのにちょうどいい川知ってんだけど、今度連れてってやろうか」 つい振り向いてしまってから、しまったと顔をしかめた。見れば沖田がニヤニヤ笑っている。不覚を取って少し顔が赤くなった。 「……気が向いたら、遊んでやってもいいアル」 「休み取れて気が向いたら遊んでやるよ。だから捨てんなよ水着。この俺がせっかく買ってやったんだから」 「それはお前次第ネ」 それだけ言って背を向ける。今度こそ振り返ってやらなかった。 次に顔を見るのはたぶん向こうのオフが決まって遊びの予約を入れに来るときだろう。 友達がいないかわいそうな奴なので、そのときまで水着は捨てないでおいてやろうと思う。 初沖神。なんかもういっぱいいっぱいです。沖田は上司(土方)と格上だと認めた人(近藤、銀時)以外には敬語使わないと一人で勝手に信じてます。だから神楽にはタメ口にしてみたのですが書き辛いです。 慰安旅行編と微妙にリンクしてます。 05/11/03 |