無自覚の魔法 近藤は出張でいなくて、土方は忙しそうで、山崎は潜入操作で、誰にも構ってもらえない。仕方がないので珍しく一人で見廻りに出ることにした。 そんな気まぐれに水を差すように、屯所からずいぶん離れたところで突然やってきた通り雨。腹が立つとかそれ以前に、なんだかもう呆れてしまった。これはどこの陰謀だ。雨宿りをしようにもちょうどいい屋根が見つからず、知らない人と狭い思いしてまで避けるものでもないと思い当たってそのままぶらぶら見廻りを続けることにした。 天から落つる雨。青を覆い隠す灰色。灰色に覆われて同じように灰色くなった大地に灰色の粒が落ちてくるような。そこまで考えてわけがわからなくなってやめた。 「風邪ひくよ?」 灰色の空を隠すように、くすんだ赤い色が視界を埋め尽くす。そっと指先で触れて、指先を伝う雫が手の甲をなぞった。 くすんだ赤い傘の先を見やればそこには見慣れた顔。うちのマヨネーズ星人の大して愛着のなかったらしい愛刀を、今自分の腰にあるそれなりにお気に入りの刀で叩き折ってくれた人。 その名も―― 「砂糖星人だ」 「違う」 砂糖星人、もとい銀時は自分に向けられた沖田の指に胡乱な眼差しを返した。しかしたぶん不満なのは指ではなく呼び名のほうだったのだろう。万事屋の坂田銀時、と含めるように付け加えた。 「今日は多串君は?」 「捨ててきた」 「なんで雨の中悠長に歩いてんの」 「なんとなく?」 「ああ、そんな日もあるわな」 簡潔で適当な返答だが、会話を面倒くさがっているわけでもない沖田に銀時も似たような受け答えをした。それから二つ三つ世間話をして、銀時の傘から少し顔を出してもう一度空を見上げてみればまだ雨は止む様子がなく、往来のど真ん中で雨宿りというのもなかなか悪くはないがそろそろ行こうかと思った。 「ここから屯所は遠いよ」 「うん。知ってる。でも雨止みそうにないし」 「急ぐの?」 その問いに首を振ろうとして、上のほうで一つにまとめた髪がはねて水を撒き散らすのですぐにやめる。どうやら顔に刎ねたのか銀時は傘を持っていないほうの手の袖口で自分の頬を軽くこすった。 「じゃあうちに寄っておいで。たいしたもの出せないけど雨宿りくらいならさせてあげるよ」 「いいの?」 「俺ってば暇なんだよ。今日に限って新八はいないし神楽は鉄砲玉だし、寝坊して起きた時点で誰もいなくてなんかすっげー空しかったの」 「うんうん。そういう日もある」 さっきの銀時の口調をまねてみようとしたら全然似なくて、雨音に沖田の笑い声が重なった。 〜+〜 万事屋に着くなり銀時は部屋の奥から普段は使われていないだろう皺のよった服を持ってきた。ビーチの侍って何する職業だろうと沖田は首を傾げる。しかしなんだか少し格好いい。真選組の隊服に採用したいくらいだ。 「服乾くまでこれでも着てろや。神楽の服だとサイズ合わないだろうからこれで我慢してくれ」 その言葉で相手の気遣いを理解して後ろを振り返ってみれば、沖田の通ったところの床がナメクジが這ったように濡れている。たしかに着替えないと迷惑にもなりそうだ。 風邪を引くとどっかのマヨネーズ星人もうるさいし近藤さんが悲しむのでここはお言葉に甘えておこう。そう結論付けて沖田は上着を脱ぎ、シャツのボタンに手をかけた。 「いやちょっと待て。沖子ちゃんストップ」 少し焦った声色に沖田は素直に手を止める。またか、という思いで内心溜息をついて。 「隣の部屋使っていいからあっちで着替えてきなさい」 「めんど」 「ったく、じゃあ俺が隣行くから終わったら呼べよ」 ぶつくさといいながらも銀時はさっと立ち上がり、すたすたと隣の部屋に消えて行った。ここで土方なら沖田を軽々と持ち上げて部屋にぶち込むのだが、考えてみれば自分が動いた方がエネルギーの節約になるのだなとかどうでもいいことをしみじみと思う。 それから閉ざされた襖を見て、取り残された気持ちになった。 本当はいつだって取り残されているのだ。周りが何の障害もなく前へ進めるところで、いつも沖田だけがそれを妨げられる。 男じゃないから。女だから。どんなに剣の腕がたっても、隊長職についていようと、この先どれだけ成長しようと女として生まれた事実だけは消せない。変わらない。 「男はずるい」 着替えも終わり、服は適当な場所に干させてもらって、濡れた髪をほどいて乱暴に櫛をいれながら憮然として沖田は言った。乱暴にタオルで拭いたため髪が絡まってしまったらしく、一向に櫛が通らないのが更に腹立たしい。 銀時が沖田の言葉に不思議そうな顔をして言った。 「なんで? 俺は女が羨ましいけど」 ソファに毛先に落ちた水滴を撒き散らしていることにも気づかず躍起になっていた沖田の手から銀時はそっと櫛を奪う。髪の一房を手で掬って毛先の方から痛くないよう優しく梳いた。 銀時の座っている側に梳かしやすいよう髪を全部持ってきて、自然と顔は向こうを向いた状態で問い返す。 「羨ましいって?」 「だって、男は女に勝てないでしょ?」 上から下に滴り落ちる水気を拭おうとタオルで優しく髪を挟む。沖田と違って乱暴に絞ったりせず、自然にまかせてゆっくり水を染み込ませた。 「男はね、そりゃあ力は女よりあるかもしれないけど、女には勝てないんだよ」 「なんで?」 たしかに今真選組で沖田の右に出るものはいない。しかしそれは沖田だけのことであって、その辺の娘たちが真選組を倒せるかといえば答えはもちろん否だ。頭なら勝てるという話かとも思ったが、自分はバカだが一応女であることを思い出してこれも却下した。 「理由なんてないよ。敢えて挙げるとするならば、そういう風にできてるから?」 「よくわかんない。それなら真選組は女ばっかでいいんじゃないの」 眉根を寄せ、沖田は難しい顔を作る。髪を梳く銀時の手が一瞬止まり、相手が苦笑を漏らしたのがわかった。 「この効果はね、この世の男全てにきくわけじゃないんだよ。ただ誰だって生きていれば、絶対に勝てない女に一生のうちで一度は出会う」 雨にあわせて歌うように、滑らかに言葉が紡がれていく。それと一緒に緩やかに動く手の感触が気持ちよかった。 「女はすごいよ。本人でも気づかないうちに魔法をかけるんだから」 「魔法?」 気持ちよさに身を委ね、目を閉じたまま沖田はその単語を繰り返す。 髪は梳かし終ったようで、丁寧に三つによりわけ、編み始めたのが感触でわかった。それでも嫌な気はしなかったのでそのまま放っておく。 「魔法をかけられた男はその女のために自分の全てを捧げ、全身全霊を持って尽くす」 「どうして?」 「そういう風にできてるんだ。男はね」 終わったよ、と言われて顔をそちらに戻してみれば、予想通りきれいな三つ編になっていた。編み終わった先端をほどけないよう注意しながら受け取る。それから銀時はソファの脇に置いてあった櫛を返して、お湯が沸いたようなのでお茶を入れに席を立った。 昔の近藤と土方の真似で伸ばしたはいいものの邪魔になって切ろうとしたらなぜか周囲に猛反対され、土方はともかく近藤が言うならと思い、だらだらと伸ばしつづけた長い髪。愛着なんて欠片もなかったはずなのに、小さい頃寝てる隙にやられて以来見たことのなかったその髪形によくわからない感情を覚えた。どこかくすぐったいような、いつもと違う自分になってしまったような、そんな不思議な気持ち。 自分では編めないしせっかくやってもらったのだから一日くらいこのままでも仕事に支障は出ないだろう。そう思って、まだしっとりとしているものの水気の抜けた髪を、すっかり水を吸って重くなってしまったゴムで固定した。 肩と胸を通って腰へゆるやかなカーブを描くしめ縄のような髪を、くすりと笑って指先でつつく。立ち上がっても上のほうで髪が揺れることもなく、思っていたより邪魔にもならず悪い気はしなかった。 「なにしてんの?」 「うん。ちょっと試運転を」 歩いたり跳ねてみたりしていた沖田にお茶を持って来た銀時は奇妙な顔をした。髪の短い人間にはこの感覚はわからないだろう。 「さっきの話、万事屋さんも魔法にかかる?」 すとんとソファに腰を下ろして熱いお茶を両手で包み込んで尋ねる。 「さあねぇ。案外もうかかってたりして?」 銀時はおどけたような笑みではぐらかした。 〜+〜 「たっだいまー」 雨も上がり、上機嫌で帰ってきた沖田はもちろん気づいていない。すれ違う隊士の10人が10人必ず振り返るのを。山崎に関しては2時間かけて整理した書類を床にぶちまける始末だった。 「見廻り行ってきましたー。今日も異常なしですよん」 まっすぐ副長室へやってきて、ふざけた口調で報告する。しかし口調は今更なので土方も特に反応は示さない。 「一人で行ってきたのか。雨に降られなか――」 書類から顔を上げた土方の口から煙草がぽとりと落ちる。書類に焦げ痕がつくのにも構わず、土方は沖田を凝視していた。 「おま、どうしたんだ、それ、その髪」 土方の様子がおかしいので沖田は小さく首を傾げる。書類放っといていいのかなーとか考えたのはその程度で、もちろん自分のせいだとは微塵も自覚していない。 「万事屋さんが雨宿りさせてくれて、結んでくれた」 「結んでくれたって、お前昔から俺が勝手に結ぼうとすると怒ったじゃねぇか」 「うん。でも万事屋さんは」 そこで言葉を止める。いい言葉を探して数秒思案して、これだと思ったものを口にした。 「特別だから?」 言った後に少し違う気もしてきて、語尾が疑問口調になる。ただそれでも間違ってはいないと思うので訂正はしなかった。話してみて、あの人は何か違う感じがする。それになによりおそらくああ見えて沖田よりも強い。 「ねー土方さん。万事屋さんってかっこいーよね」 何気ないこの一言で土方の硬直は解けた。血相変えてやかましい音を立てて立ち上がり、先ほどの山崎同様書類の山をひっくり返す。しかしそれには取り合わず、土方は沖田につめよった。 「お前、まさかあいつのこと……」 「何? あ、土方さん火が床に燃え移る」 肩を掴まれても沖田はどこ吹く風で、ちりちりと書類を燃やす煙草のことばかり気にしていた。 女は怖い。本人でも気づかないうちに魔法をかけてしまうのだから。 沖田は自分が既にどれだけの人に魔法をかけ、そのうちの一人がどれだけ重症か、もちろん少しも自覚していない。 淡々とした文体に憧れて目指してみてまだまだだとか思ったり。 上のほうで結ぶと髪が暴れるんですよ動くたびに。あれは髪が長くないと絶対わからない感覚です。 それにしても銀さん三つ編み作るの恐ろしく早いです。ちなみに沖子はあだ名ですよ。 05/11/11 |