優しくて残酷な


 人を好きになるということはいつからこんなにも痛みを伴うものになってしまったのだろう。
 これが初恋だなんていわない。でもこれほどまでの痛みを感じたのはきっと初めて。
 手に入らない心なんて星の数ほど。
 でもそのことで痛みを感じるのはこれが最初。



 監察方なんてろくな仕事ではない。人の嘘を見破って、真実を探り当て、責めることが主な仕事なのだから。まったくもって嫌な仕事だ。
 そしてそれを余計に嫌だと思わせるのは、職業柄周囲の人間関係に目ざとくなってしまうところだ。

 ひょっとしたら本人たちより先に気づいたかもしれない。
 山崎はずっと知らな振りりをして、本当ははじめから知っていた。あの二人の秘密の恋を。

 人間は何より自分の事に一番疎いのだと、テレビに出ていた偉そうな人間が知ったかぶりで言っていたのを思い出す。まったくもってその通りだ。あんた偉いよ。

 恋に気づいた瞬間にはもう実らないことが確定していて、馬鹿馬鹿しさに苦笑さえ零れ出た。
 別にここで働くことに異存はないし、彼らが憎いわけでもない。彼らの下で働くことに何の疑問も抱いていない。それなりに楽しいし、楽しくなくてもそう思い込むことができるくらいには悪くない生活だと思っている。

 ただそれでもちりちりと、時折心は痛むのだ。

 こちらの思いなど露ほども知らず無邪気に笑いかけられて、そのたびにうれしさ半分空しさ半分。
 俺はあなたのことがずっと好きです。二人の関係も知っています。あの笑顔にそう突きつけてやったらどんな顔をするだろう。表情を凍りつかせるのか、それとも少し驚くだけか。

 見てみたい、とは思わない。

〜+〜

 潜入操作が基本とはいえ、真選組の一隊士としては剣が使えなくてははじまらない。珍しく仕事に隙間ができて、副長に給仕でもしようかと思ったら機嫌が悪かったようで冷たく無碍に断られ、本当にすることがなくなって、そうだ稽古でもしようと思い立った。
 とはいえ監察方の稽古に付き合ってくれる暇人など早々いるはずもなく、気がつけば人を探して屯所を散歩する羽目になっている。なにやってるんだろう。内心でぼやいてみるが散歩をやめてもすることがないので仕方ない。

「俺、つきあってやろーか」

 なぜかその声は上から降ってきて、山崎は声とその方向に驚いて空を仰いだ。

「……どうしてそんなところにいるんですか」

 半ば呆れて、木の枝に腰掛けて足をぶらぶらさせながらこちらを見下ろす沖田に尋ねる。
 朝から副長の執務室にもいないので遊びに行ったかと思えば、ずっとここにいたのだろうか。

「特に深い理由はないけど暇だったから」
「仕事してくださいよ」
「いや今昼休みだから」

 まだ昼にもなっていないし朝から一度も仕事している姿を見てもいないのに、もう昼休みに入ってしまわれたらしい。
 あまりの沖田らしさに呆れて溜息も出ない山崎のことなどまるで意に介さず、沖田はひょいと枝から飛び降りた。反動で枝が少し揺れて、葉が数枚地面に落ちる。そのうちの一枚を、何気ない仕草で空中で掴み取り、口許にあてがう仕草が様になっていてドキリとした。

「で、剣の稽古。俺でよければ付き合うけど?」
「あ……」

 そのために降りてきたらしい。山崎以上に剣の相手に不自由しているのが沖田だ。強いくせに加減というものを知らないせいで、誰も沖田とは稽古したがらない。本人も諦めたのか最近ではまったく稽古場に寄り付かなくなってしまい、銃火器による副長の暗殺に心血を注いでいる。

「お願い、できますか」
「俺でいいの?」

 その言葉に何か引っかかりを感じて、職業病で言葉の裏に何かあるのかと探ろうとして、この人は他人に何も探らせない術を身につけている人だと思ってすぐにやめた。誰にでも愛想がいいようでいて、自分の認めた限られた人間にしか本心を見せないのが沖田総悟という人間なのだ。

「お願いします」

 その言葉に、沖田が一瞬困ったように笑った気がした。
 気のせいだったかもしれない。

〜+〜

 華奢な肩で、信じられないほど強い一撃を打ち込んでくる。頭は空っぽだと言われていながら、戦闘の最中に置いては最良の選択をする。
 いつ見ても惚れ惚れとする剣捌きで、土方や近藤のそれも素晴らしいが、この人のは別格だと思った。

 隙を突いて打ち込もうとしてもあっさり見破られ、剣の腹で受け止められる。かと思えば次の瞬間には反撃に転じていて、気がつけばもう吹っ飛ばされている。
 さっきから勝負はずっと一方的で、誰もいない稽古場に竹刀の音が反響した。

 もう両手の指では足りないくらい打ち込まれて、ついにへとへとになって山崎は床に倒れこんだ。久しぶりに汗を流して、体が疲労にずっしりと重く、火照った体にひんやりとした床が気持ちいい。

「疲れた?」
「そりゃあ疲れましたよ」

 沖田のほうはそれほど息を乱しておらず、まだまだ余裕がありそうだったが山崎の方はそうはいかない。竹刀を床に転がして、滅多に見せない申し訳なさそうな顔で覗き込んでくるのが新鮮で、不覚にもかわいいと思ってしまった。

「痛い?」
「そりゃあ痛いですけど気にしないでください。俺が頼んだんだし」

 久しぶりに思い切り体を動かして、いいストレス解消にもなった。ストレスの原因の一つが目の前のこの人であるのだから少しおかしな気はするが。

「俺がほしい?」
「そりゃあ……え?」

 それまでと同じトーンで聞かれて疲れた頭が条件反射で答えを返そうとして、全身が凍りつく。今この人はなんと言った。何を口にした。

「手加減してたのはどっちだよ。防御ばかりでろくに打ち込んでこねーし。つっまんねーの」

 剣は口ほどに物を語る。そんな言葉があったかどうか覚えていないが、そういうことなのだろう。それともこの人は、もうずっと前から気づいていたのかもしれない。
 真選組で唯一、沖田だけはいつも何を考えているのかわからなかった。わからせてくれなかった。もしかしたらそこに惹かれたのかも、とちらりと頭の隅で思う。

「俺はいいぜ? 山崎なら、あげたって」

 信じられない言葉に思わず目を瞠る。
 山崎の上に沖田は屈み込み、冷たい床に肘をついて、唇を吸った。
 息をするのも忘れて、ただただ目を見開いて、今までで一番近くにある瞳を見つめ返せばそこにはさっきと同じ申し訳なさそうな色がある。

 同情か後ろめたさか、あるいはその両方。

 山崎は確信した。この人はずっと前から気づいていてずっと前から気づかない振りをしていたのだ。なんてずるい。山崎と同じだ。
 気づけば山崎が傷つくと思って、気づかない振りをしても傷つくことを思い知って、それで出した答えがこれなのだろうか。

 情けなさと悲しさで、視界が滲む。感触で沖田が唇を離したのがわかった。
 目を覆って、すべてなかったことにしてしまいたい。この人が全てを知っていたなんて、耐えられない。だって気持ちは伝わっても思いは届かないのだから。心を手にすることは叶わないのだから。


「悪ぃ、山崎。ホントごめん」

 好きになれなくて。心をあげられなくて。それ以外のものなら全てあげるからどうか許して。


 言外に込められた言葉が、胸を焼く。剣で斬られたってきっとこんなに痛くない。


「……俺のほうこそ、すいません」

 好きになってしまって。一瞬でもほしいと望んでしまって。気を使わせてしまって。


「でも、同情ならいりませんから」


 思ったより、はっきりと言葉にできてほっとした。そのかわり笑えていたかどうかは微妙だったけれど。
 山崎の言葉に沖田はハッとして、また「ごめん」と繰り返した。でももう謝ってほしくなくて山崎は「いいんです」と今度こそ笑い顔を作って言った。

 どんな顔より、笑っている顔が好きだと思った。あの人のそばで笑っているこの人が、自分は一番好きなのだと。



 この痛みが、消えるのはきっとまだ当分先。それでも今はこの人の一番の友人という座にいるのは自分だと、驕っても許されるだろうか。これからもずっと今日をなかったことにして、気づかない振りを続けるこの人の優しさに、少しくらい甘えてもいいのだろうか。
 尋ねれば、沖田は笑って頷くだろうか。それともまた「ごめん」と申し訳なさそうに繰り返し、優しいだけのキスを寄越してくるのだろうか。

 たしかめたい、とは思わない。思っちゃいけない。これ以上の痛みを知らずに済むように。




 沖田はきっと土方とは別の意味で山崎が大好きだと思う。あと(史実は無視の方向で)外見年齢から判断するならたぶん一番年が近いのではないかと。

05/11/23