釣り合わない天秤


 許されない恋なんてない。世の中にはそんなことを言う人もいる。
 嘘をついてはいけません。人を傷つけるようなことをしてはいけません。世の中の誰もがそう言う。
 それならば、この恋はきっと許されない。この気持ちはきっとあってはいけなかった。
 人を好きになることでこんなにも後ろめたく、辛い気持ちになるのなら、初めから愛とか恋なんて言葉を知らなければよかったのだ。


 そんなこと、思えるはずがない。







「山崎ぃ、この前の報告書できた?」
「あ、はい。これのことですよね。すいません後で提出しに行こうと思ってたんですがちょっと時間が取れなくて」
「いや別に問題ねーよ」

 どうやら今日は忙しいらしく、山崎も他の隊士たちも慌しく作業をしている。わざわざ手を止めなくてもいいのに山崎は馬鹿丁寧に沖田のほうに向き直って両手で書類を手渡した。
 ぱらぱらと見出しだけ目を通して、一応必要な分が揃っていることを確認する。

「じゃ、俺が届けとくから」
「お使いですか?」
「そんなとこ。これおすそわけね」

 沖田は土方からお駄賃にと分捕ったガムを一枚山崎にもくれてやり、ひらひらと書類ごと手を振って部屋を出た。

 戸を閉めて、5歩歩いて一度振り返る。書類で口許を隠し小さく呟く。

「人のいい奴。ばっかみて」

 それからそよぐ風の音に掻き消されてしまいそうな小さな掠れ声で「ごめん」と言った。



 山崎とは隊士の中でも特に仲が良くて、比較的年齢も近いほうなので気があった。山崎とは話していて楽しいし、遊ぶのも好きだ。

 と、少なくとも沖田のほうは思っている。

 だからずっと気づかない振りをしていた。山崎の気持ちに。何も知らない振りをして無邪気にからかって、笑って、遊んで、傷つけた。平気な振りをしながら傷ついていくのを黙って見ていた。

「ほんと、馬鹿みてぇ」

 自分が。
 結局それで平気な振りをすることが山崎を傷つけるならいっそと思い、知っていると目の前に突きつけてやったらやはりまた傷つけた。それからも山崎は相変わらず平気な振りで無理をしていて、沖田のほうもそれにあわせてやっていて。二人の間でまるで示し合わせたようにあの日のことはなかったことにしてしまって。

 全てが正常。全てが異常。奇妙なバランスで釣り合ってしまった天秤のような。

〜+〜

 どうせ気配でわかっているのだからとノックは省略して、予告なしに副長室へ足を踏み込む。締め切った部屋に煙が充満していて、よくこれで呼吸できるものだと感心した。

「書類、そこ置いといてくれ」

 書類に向かったまま顔も上げず、視線一つ合わさず土方は言った。
 そこ、という曖昧な言葉が机の上を指すことくらいわかってはいたけれど、そのままぼけっと立ち尽くしていた。立つべき位置が他に見当たらないような気がして。

 なんとなく、手に持った書類をびりびりと静かな音を立てて破り、小さな切れ端に変えていく。出来損ないの雪のように、塵一つない床に積もっていく。
 その音に眉をひそめ、土方はようやく顔を上げた。そして少し目を見開き、面倒くさそうに一言。

「何やってんだよ。それ山崎の書類じゃねぇの?」
「おっしゃる通りでさァ」
「なんで破ってんだよ」
「なんででしょうねぇ」

 どうしてかと考えて自分自身に問いただしてみても、破りたくなったからとしか浮かばなかった。

 矛盾、とでも呼べばいいのか。何かがおかしい。何かが壊れている。
 自分の考えも、行動も、導き出された順序が滅茶苦茶で理解不能。

(なんだろ、これ)

 足りない頭で考えているうちに、書類は残らず紙吹雪に変わってしまった。すっきりしたような、しないような。

「総悟」
「はい?」

 煙草を灰皿に形成された吸殻の山の頂上に捨て、土方は片手で頬杖をついた。

「お前、何しに来たんだよ」
「何って書類届けに」
「届いてねぇよ」
「おかしいですねぇ」
「お前がな。ひょっとして右手、無意識?」

 言われて自分の右手を探す。肩、肘と視線を辿り、手の甲を発見。それはなぜか腰に刺さった刀の柄を握っていた。瞬時に間合いを計算し、土方がぎりぎり外側にいることを知る。机の下に隠れて見えないもう片方の手はおそらく、いつでも抜刀できるよう柄に触れているだろう。

 これを抜いて、何を斬るつもりだったのか。考えて、やはり答えはない。ただ漠然と、土方が少しでも動けばそれに反応してこれを自分は引き抜くのだろうと思った。

「バランスが悪い」

 唐突に土方は口を開いた。考えていたのと似たようなことを言われ、しかし意味はまるでわからず、沖田はそのまま首を傾げた。

「何がですかね」
「お前が。なんか無理してる顔っつーか」
「無理、ですか」

 その言葉が、パズルのピースのようにカチリと音を立てて胸の内のどこかにはまった。
 無理をしているのだと、言われて初めて気がついた。
 平気な振りをして、自分にそう暗示をかけて、でもそれは全然平気ってことじゃなくて。つまりはそのことが生み出した矛盾。釣り合うはずのない天秤を無理やりに釣り合わせて、物理法則全部無視したしわ寄せみたいなもの。

「馬鹿みてぇ、ほんと、俺ってば何やってんだか」

 くつくつと口から零れた笑みは止まるところを知らず、何がおかしいのかもわからないまま馬鹿みたいに笑っていた。なんだか無性に情けなくなって、顔を覆って書類の残骸の上に座り込んだ。その頃にはもう笑っているのか泣いているのかわからなくなってしまった。

 椅子から立ち上がる気配。しかしもう自分の右手は柄を握ってはいない。動かない。
 目線を合わせようと土方が床に膝をついた。沖田の後頭部に手を回し、乱暴に自分の胸に抱き寄せる。

「話せよ。最初から最後まで。全部聞いてやっから」

 沖田はしばらく黙っていた。土方は何も言わない。
 それでいつまでもこうしているわけにもいかないだろうなぁと頭の隅で考えて、仕方なしに途切れ途切れに今まであったことを話しはじめた。話は決して筋道だっていたとは言えず、ずいぶんわかりづらかっただろうに、土方は最後まで何も口を挟まなかった。

 話しているうちに自分が何を考えていたのかなんとなくわかってきて、自分のことなのによくこれだけたくさんのこと抱え込んでいたものだと、いろんな気持ち吐き出した後に思った。


「俺はたぶん、わかんなくなっちまったんでさァ。近藤さんとかいろんな人騙して、山崎傷つけて、そんな代償払ってまで人を好きになっちまっちゃいけねーんじゃねぇかと」

 それから沖田は黙り込み、二度目の沈黙が落ちる。今度はもう話すこともなくなって居心地の悪い思いを抱えたまま黙っていた。
 やがてずいぶんしてから土方が尋ねた。

「重荷か?」
「……はい」

 相変わらず土方の胸に顔を埋めたまま、くぐもった声で答える。

「後悔してんのか?」
「……はい」

 それから間を置いて、ラストクエスチョン。

「じゃ、全部終いにするか?」

 今までのことを全てリセットして、正しかった最初の関係に。
 釣り合わなくなってしまった天秤の重りを全て捨てて、零という名の釣り合った状態に。


 寒気がした。ありえない。そんなことできるはずがない。自分もこの人も、もう戻ることなんてできない。

「……やだ。そんなの、無理。つーか、できるわけねーでしょう」

 リセットなんてできない。この感情を封じ込めることなどできないことがわかっているから、こんなにも困っているのに。本気になってしまったから重荷だと感じているし後悔もしているのに。
 声を絞り出し強く頭を振る沖田の髪を指で梳いて、土方は気持ち悪いほど優しい声音で言った。昔小さいころとんでもないことをしでかして途方に暮れていたときに聞いたのと同じ声だ。

「じゃあ考えろ。他の道」
「わかんねぇ」
「知ってっか? 使わねぇと頭はどんどん衰えるんだぞ」

 考えている振りをして、本当はまったく別のことを考えていた。
 土方がこんなに余裕があるのは、自分から別れるかとまで言ってくるのは、沖田が絶対頷かないと確信しているからだ。この人は全てわかっていて、たぶんこれから沖田の出す答えだってもう知っているのだ。なんてずるい人。なんてひどい人。わかっていて、わざわざ口で言わせようと仕向けるのだ。でももちろんこっちだって素直に向こうの思惑通りに動いてなんかやらない。

「書類、作り直させてきやす」

 顔を上げて、沖田は笑った。土方がチッと大して悔しくもなさそうな舌打ちをした。それから気持ちを切り替えて、話を変えてくる。

「総悟、何で人は一度に一人しか好きになれねぇか、知ってっか?」
「あんたが最高で何人の女を同時にたぶらかしたかなら知ってますぜ」
「そりゃほとんど遊びだ。いつだって俺は本命は一つに絞ってんだよ」
「それで女遊びがばれて真っ先に本命に振られると」

 減らず口に苦い顔。沖田はいつものやり取りに満足げに口許を吊り上げる。
 そんな沖田の頭を軽く小突き、耳元で囁いた。

「答えはな、心が一つしかねぇからだよ」

 ああこの人恥ずかしいなぁ。きっとこういう言葉使って女たぶらかして近藤さんあたりに羨ましがられるんだろうなぁ。そんなことを胸の内で思う。後で言ってやってもいい。でも今は言葉の続きを待つことにする。
 たぶん今度こそ本当にラストクエスチョン。ふざけた顔で、からかいを含んだ問いを投げかけた。

「さて問題です。俺の心は今誰のものでしょう」
「近藤さん」
「てめっ、殴るぞ」

 さらりと即答した沖田に土方は顔をしかめ、振り上げられた手から逃れるように沖田は飛びのいた。相手が答えのわかっている問いにわざわざ答えてやるようなボランティア精神は持ち合わせていない。

「あ、書類の締め切り少し伸ばしてくだせェ。これ三日かけて作ったらしいから」

 床に散らばった紙吹雪を集めながら、沖田はけらけらと笑って言った。

〜+〜

「やーまざきぃ、これなーんだ」

 ようやく仕事が一息ついたらしく机に突っ伏していたところに、わざわざ気配を消して背後から忍び寄る。声をかけてから、頭の上でぱっと花が散ったように紙吹雪を振り撒いてみせた。
 慌てて飛び起きた山崎ははらはらと舞い落ちる紙片の一つを掴まえて、さっと顔色が変わった。

「あー! これってさっきの報告書じゃないですか! なんでこんなことになっちゃってんですかちょっと沖田隊長!」
「不思議不思議。どうしてだろうねィ」
「もう、笑い事じゃないですよぉ。これ作るのに一体何日かかったと」
「三日」

 青ざめる山崎とは裏腹に、沖田は飄々としていた。副長室からかっぱらってきたセロハンテープを山崎の顔の前に突きつけて、笑ってみせる。

「復元すんの手伝ってやるよ」
「これは俺が手伝うといったほうが近いですよ。というかもう書き直しますから」

 溜息をついて資料を探しに立ち上がりかけた山崎の椅子を沖田が蹴飛ばすと、計算通り山崎はそれに足をもつれさせて派手に転んだ。
 驚きと不満の入り混じった声で、床に這いつくばったまま恨めしげに顔を上げる。

「俺に何か恨みでも」
「いいや、別に? な、手伝ってやるからちょっとお話しようや。俺のお友達候補一号君?」

 しゃがんで山崎を見下ろし、沖田はにっこりと笑った。



「優しくて残酷な」の続き。書き上げた後で重大なミスを犯したことに気づき必死で取り繕いました。大丈夫きっともうわからない。でも穴だらけ。あと沖田が微妙に乙女入ってて書くのが恥ずかしかったです。

05/12/04