晦冥残夢


 一度風呂に入って着替えて、勤務時間だけでは終わらなかった途方もない量の〆切が明日の日付の仕事を、自室に持ち帰って片付けていた時のことだった。

「副長ぉ〜」

 困り果てた顔で山崎がやってきたのは。

 山崎がこういう顔で土方の元にやってくるのは仕事で大失態を犯したときか、沖田が山崎の手に余ることをしでかしたときのどちらかだ。大体割合は1:9といったところか。サボりはしても失態は滅多に犯さないのが山崎だ。

「どうした」
「沖田隊長が」
「わかったすぐ行く」

 みなまで聞かず、名前を聞いた時点で土方は万年筆を置いて立ち上がった。やりかけの書類はそのままに明かりだけはすぐ戻ってこられる確証がないので消していく。ひょっとしたら朝日が昇る前に書類の山が片付かないかもしれないと考えて、今から言い訳を考えておこうかという重い溜息をついた。



 そうして山崎に案内されてやってきたのは山崎自身の部屋だった。障子越しに楽しそうな鼻歌が聞こえてきて、開けずともそれが誰の物かわかる。

 この先に化け物でもいるかのように躊躇する山崎をどかして自分で障子を開けた。

「あー、土方さんだぁ」
「げっ」

 なんとなく山崎が躊躇した理由がわかった。
 部屋は酷い惨状だった。散らかし放題であちこちに山崎の私物と思われるものが散乱していて、それに混じって空瓶が転がっている。
 その中心に沖田はいた。部屋以上に酷い格好をして。

「……お前、何してんだよ」

 呆れて物が言えないとは、たぶんこういうときに使う言葉だろう。
 監察は潜入操作もある手前、場合によっては女装などをすることもある。そのせいで山崎の部屋には女物の道具も置いてあるのだが、沖田はまさしくそれで遊んでいたのだった。

 黒くて艶のあるロングのウィッグに、目の覚めるような色鮮やかな着物を羽織り、止めとばかりに唇には紅が引かれ、薄い化粧が施されている。
 片手には化粧道具、もう片手には中身が半分くらいしかない酒瓶が握られていた。

「状況説明」
「俺は今日夜勤なんで仕事してたんですが忘れ物を取りに部屋に戻ったら沖田隊長がいて既にこの状態でした。酒はおそらく一人で飲み出した物と思われます」

 そちらを見もせずぱちんと指を鳴らせばこちらの意図を察して山崎が息もつがずに早口で説明をした。こんなときにまでいつもの癖で説明が事務的口調なのが少しおかしい。

 それはさておき、つまり沖田は一人で一本半開けたということか。
 深々と溜息をつく土方に、沖田は桜色に染まった顔をほころばせて極上の笑みを浮かべた。

「これ、似合いますかね」
「気持ち悪い」

 似合い過ぎて。

 山崎の女装姿は何度か目にしているし、そうでなければ仕事にならないので一応それなりに見栄えはする。しかし沖田の場合は素地がいいので山崎以上だ。女にしては少し声が低いかもしれないがさして気になるほどのものでもない。

「っていやそうじゃなくて」

 自分の考えを頭を振って霧散させ、苦い顔で向き直る。

「総悟、ここで何してんだよ」

 もう一度さっきもした質問を繰り返す。土方の気持ち悪い発言にも気分を害した様子はなく、沖田は本当に気味が悪いくらいにこにこして答えた。

「台所にお酒があったんですよぉ。で、飲んだのね。だって登山家は山があれば登るから。それで山崎のところに遊びに行ったんだけど山崎いなくてぇ、探してたんです」

 ひっくり返されたゴミ箱や中身が残らず引きずり出された押入れを一つ一つ指差して、まるで悪びれずに言った。これでは山崎は夜勤が開けたら久々の非番を丸まる部屋の片付けに費やさなければならないだろう。少しくらい同情してやってもいいが、こちらはこちらで面倒な仕事がこれから待っているので手伝ってやろうという気はない。

「で、なんでそんな格好してんだ」
「似合いませんかね」
「さっきも言ったが非常に気持ち悪い」

 眉一つ持ち上げず土方が言うものだから、沖田はぶりっ子女がするようなかわいらしい仕草で頬を膨らませた。普段は本人が意識して絶対にこういうことをしないのである意味新鮮でいいのだが、やはり逆に気味が悪い。その顔が気に入ったのか沖田は鏡と向かい合って、酒瓶を振り回しながらケラケラと笑い転げた。

「土方さんも一緒に飲みません? おいしーですよこれ」
「いいから帰るぞ。山崎困ってるだろが」
「俺困ってねーもん」
「黙れ酔っ払いが。ったく、悪酔いしやがって」

 連れ帰ろうと手を取ったら一体何を思ったのか、沖田は自分から腕に抱きついてきた。そのまま上機嫌で土方の口元に酒を持って行くのでさっと取り上げる。

「これ処分しとけ」

 まだ入り口付近でおろおろしていた山崎を呼び寄せ酒瓶を受け取らせ、沖田が勝手に脱ぎ散らかした服を手に引っ掛ける。それからまだ腕にじゃれついている沖田も一緒に抱きかかえた。

「じゃ、こいつ連れて帰っから。あとこいつ悪酔いした時は目が覚めても何も覚えてねぇから、このことは忘れていいぞ。つーか忘れろ」
「はぁ、わかりました。あの、片付けはやっぱり俺が……?」
「子守りと代わるか? 俺としては大歓迎だが」
「……いえ、いいです。ありがとうございました」

 徹夜明けの部屋の大掃除と性質の悪い酔っ払いの子守りと。大変なのはどっちもどっちといったところか。
 きゃっきゃっと何が楽しいのか子供のようにはしゃぐ沖田を腕に抱え、土方は嘆息した。たぶんもう間違いなく仕事は終わらない。






 いっそ水でもぶっかけてやろうかとも思ったが山崎の仕事用の着物を着ていたのでそういうわけにもいかなかった。クリーニング代がもったいない。そもそも水をかけたくらいで冷める酔いなら苦労はしないのだ。

 仕方がないのでまず先に目の毒である着物を脱がして持ち帰った袴を着せてやり、ウィッグも外して濡れた布巾でぐいぐいと顔をこすって化粧を落とした。
 その間も沖田の酔いは一向に醒める気配はなく、ことあるごとに土方にじゃれて纏わりついた。いつもはこんなに甘えてこないくせに、酒のせいでずいぶん性格が変わってしまっている。可愛げがありすぎてこれではもうまったくの別人だ。何度も言うようだが気味が悪い。

「ね、土方さん。お酒もっと飲みたい」
「駄目だ。お前飲み過ぎ。もう寝ろ」
「やーだ。もっとちょーだい。ね、お願い」

 こんな声も出せたのかと驚くくらい甘えた声でせがむ。その甘さは子供のそれというよりも、女がするそれに似ていると思ったのは土方が子供より女と接する機会の方が多い人間だからだろうか。

 そんなことを考えたのも束の間で、沖田は今度は土方の肩にしな垂れかかった。せっかく苦労して着せてやった袴の結びを解き、わざと胸元を肌蹴させる。

「こんなに体火照ってちゃ寝れるわけないでしょう? 何でも言うこと聞くから、ちょっとだけ、ねぇ土方さぁん」

 甘い声。甘い仕草。気味が悪いほど別人のような。
 そっと土方の手をとって自分の胸元へ導こうとするので少々乱暴に振りほどいた。
 どこまで悪酔いすれば気が済むのか。これで本人目が覚めたらどうせ何も覚えていないのだから性質が悪い。もし相手が本当に誘いに乗ってしまったらどうするつもりなのか。

「総悟、いい加減にしろや。男のくせに色使ってんじゃねぇよ」

 少し語調を荒らげて、肩を掴んで引き離す。こちらが怒っていることはわかっているだろうに今夜は余程気分がいいらしい。土方を見上げて化粧を落としてもなお桜色に染まった顔に極上の笑みを作る。
 次の言葉で、沖田とは裏腹に土方の顔は凍りついた。

「俺たちはねぇ、こうやって餌貰うんですよ。店で貰ってる分だけじゃ足りないから、こうやって必死に媚びてサービスして餌を貰うの。あくどい手口ですよねぇ。俺たちみんな、ちょー真面目なの。だって生きるためですから」

 なぜかケタケタと楽しそうに笑いながら、素面(しらふ)の時は絶対に語らないことを語る。それは酒のせいだけなのか、それとも相手が自分だからか。
 何か言わねばと思い、どうにか話題を逸らそうと考えをめぐらす。それでも碌な言葉は思いつかなかった。

「いつの話してんだよ。俺は自分を安売りすんなっつってんだよ」
「でもねぇ、俺安いんですって。あの頃は数数えらんなかったからよくわかんなかったんだけど、実は俺、自分の隊服よりずっと安かったんですよぉ。これでも一応高いほうだったんですけどねぇ。でも隊服以下。俺の存在って隊服より安かったんです。もう笑っちゃう」

 力を失った土方の腕を肩から外して、ごろんと横になって土方の胡坐をかいた足の上に頭だけ乗せた。足は畳みに放り出して、山崎の着物を引っ掛けて遊んでいる。

 会話の内容はずいぶんシビアなはずなのに、どうしてこんなに陽気に語っていられるのか理解不能だ。こっちの方が仕舞いには泣きたくなってくる。

 どんなに時が経っても傷は消えずに残っている。これはそういうことなのだろう。それでも笑っていられることが奇跡なのかその逆なのかは今ではよくわからない。どんなに笑っていようと心の奥底で、傷は癒えずに残っていると突きつけられたような気がした。

「忘れちまえよ」

 無邪気にこちらを見上げてくる二つの瞳を手で覆い、言葉を吐く。
 沖田は相変わらずな笑い声をあげながら、土方の手を両手で大層重そうに持ち上げた。そうして光を取り戻した目で土方を見つめ、笑顔を作る。

「俺は一生忘れやせん。そんで時々思い出してね、今の幸せ噛み締めんの。あの頃からは考えらんないくらいたくさんの幸せが今あることを忘れないよう、全部ずっと覚えてんの」

 土方の頬に手を伸ばし、その輪郭をなぞる。忘れないよう必死に記憶しようとしているかのように。
 その笑顔は本当に心からのもので、たとえ酒の酔いのせいであったとしても、これが沖田の普段は絶対に見せない本心なのかもしれないと、思って小さな笑みを返した。

「そっか。わかったから、今日のところはもう寝ろや」
「お酒は」
「なし。どうせお前明日は二日酔いでダウンだろ」
「しやせんって」
「じゃあしなかったら何でも食わしてやっからとにかく寝ろ」
「約束ですぜ土方さん。俺ねぇ、ハーゲンのチョコクッキーと、栗羊羹と、バナナと、ブルーハワイのカキ氷と、イチゴパフェ、と、小豆モナカ……」

 上げ連ねているうちにだんだん声が途切れがちになり、土方が黙って髪を梳いてやればあっという間にすやすやと安らかな寝息に変わってしまった。本人は酒しか頭になくて自覚していなかったのだろうが、実は相当眠かったに違いない。

「総悟、お前、ほんと手がかかる」

 起こさないよう小声で呟き、土方の足を枕にして気持ちよさそうに眠る頬をつついた。強く擦っただけあって化粧はきれいに落ちていて、あとは布団を敷いてその上に安置して、着物と布巾を片付ければ何事もなく朝を迎えられるだろう。二日酔い以外は。

 普通に飲んでいるときはこんなに酷い酔い方はしないし記憶もあるのに、年に何度か稀にこういう悪酔いをすることがある。その時によって原因はあったりなかったりするが、決まっていつも記憶はない。見えない何かが記憶の代わりに二日酔いを置いていくのだと、いつも土方や山崎に看病させながら不機嫌そうにぼやくのだった。

 いつか、あれはずいぶん前だ。近藤が沖田のことを奇跡だと言ったことがある。
 あれだけのことがあって、それでもこうして笑っていられるのだから。これはきっと奇跡なのだと。

 傷を忘れないことがいいことなのかはわからない。
 ただそれでも沖田が幸せだと言って笑うのなら、それが正しいのかもしれない。ならば自分はこの夜のことは知らない振りをして証拠も隠滅して、朝になって全部忘れた沖田に知らん顔で二日酔いの薬でも飲ませてやろう。たぶん自分にできるのは精々それくらいなのだ。


 ゆっくりと、夜が更ける。また朝日が登るまでのしばしの間、世界が闇に閉ざされないよう月が暗い世界を照らす。
 障子越しに見える景色を想像しながら、土方は煙草を一本取り出した。
 その頃にはもう部屋に残してきた仕事のことはどうでもよくなっていた。




 「籠鳥」の予告編のつもりで書きました。沖田が気持ち悪いことになってます。やっぱり沖田は腹黒いくらいがちょうどいいのだと思い知った。
 ちなみにタイトルは「かいめいざんむ」と読みます。

05/12/21