名無しの気持ち

 副長室の入り口、部屋の内側と外側にそれぞれ立って、土方と沖田は睨み合っていた。
 共に鞘から引き抜かれた刀。二人の間を分かつのは冷たい殺気とは程遠い、猛るような怒りの溢れ出す殺気。

 喧嘩の原因は土方の手の内にあった。見るも無残に斬り裂かれた、まだ一度も袖を通されたことのない新品同様の鮮やかな赤に彩られた着物。

「それあたしのだよ。土方さんがそういうことする権利どこにあんの」
「これはもともと俺が買った物だ。俺がどうしようと勝手だろ」
「でもあたしにくれたんじゃん。だからそれはあたしのでしょ。大体なんでくれたのに自分で斬り裂くかな」
「てめぇにゃわかんねぇ……」

ヒュッ

 言葉の途中で予備動作もなしに沖田が刀を投げた。それは土方の頬を掠め、壁にストンと軽い音を立ててダーツのように突き刺さる。柄が土方のすぐ傍で小刻みにゆらゆらと揺れた。
 沖田は土方に掴みかかる。両手が塞がっていたせいで受け損なった土方は後ろに押し倒される形になり、後頭部に鈍い痛みが走った。一瞬視界に星が散る。

 すぐそこに沖田の顔があった。怒りと悲しみを綯い交ぜにした複雑な表情で。

「なんで意地悪すんの? あたしなんにもしてないのに」

 吐き捨てるように言って土方の頬を平手で殴り、それから土方を踏みつけて走って部屋を出て行った。破れた着物を土方の手から奪い返して。

 床に押し倒れたまま土方は天井を見上げていた。追いかけたいけど追いかけたくない。怒りに任せて手を出してしまうのが怖かった。だから今はただただ胸を焦がす黒い炎を鎮めようと、一心に天井を見上げていた。

「てめぇにゃわかんねぇよ」

 もう一度同じ言葉を吐いて。






 喧嘩の発端は沖田の一言だった。テロリストは年中無休で活動中だというのにきっちり正月休みを取って、その最後の休みの日の一月三日。

「ねー土方さん。初詣行くから着物の着方教えて」
「あ? 誰と行くんだそれ」

 今まで沖田が自分から女らしい格好をしたいと言い出すことなんてなかった。どちらかというとそれを言うのは周囲の人間のほうで、本人は頑として拒否して逃げ続けていた。
 なので沖田がこんなことを言い出すのはとても奇異なことで、それは同時に土方の胸の内に嫌な予感をもたらすのだった。

「万事屋さんとね、あたしが一人で着物着られたら屋台で好きなもの奢ってくれるって約束したの」
「なんだそりゃ」
「賭け。年始めのギャンブルは景気づけに絶対勝っておきたいからって」

 つまり沖田は絶対に一人で着物を着られないと思われているらしい。もちろんそれは正解で、着方云々以前に着せられたことだってろくにない。七五三の時に着る着ないで揉めて一戦交えた記憶だってある。

「嫌だ。お前は教えても飲み込み悪ぃから。それに三日とはいえ人が多いぞ。初詣なんかやめて屯所で雑煮でも食ってろよ」
「いいよじゃあ他の人に聞くから。無理なら無理で私服で行くし」

 言って出て行こうとする沖田の手を掴み、引き止めた。教える気もないがもちろん行かせる気だってない。男の嫉妬は見苦しいと言われようが行かせたくないものは行かせたくないのだから仕方ない。

「行くなよ」
「何不機嫌になってんの」
「んなこたぁどうでもいいんだよ。とにかく行くなってお前今日星回り最悪だから。あの占い当たるみたいだし大人しくしとけって」
「近藤さんと松平のおじさんをボロボロにしたあの占いなら正月の特番でやってなかったよ」
「マジでか」
「マジ。ね、あたし急ぐんだけど」

 ちらりと部屋の時計を見て、沖田は土方の手を無理やりに振り解こうとした。しかしもちろん沖田の力で土方の手が解けるわけがない。

「離してよ」
「離さねぇ」
「なんで」
「なんでもだ」
「変だよ今日の土方さん」 
「変なのはお前だろ。急に女らしさなんかに目覚めやがって」
「そんなんじゃないもん」
「じゃあなんだよ」
「それは……」

 言われて沖田が言葉に詰まる。それが余計に土方の癪に障った。

 手を離す。着物をひったくる。刀を抜く。
 それらの動作を2秒でやってのけ、我に返ったときにはもう着物を斬り捨てていた。

 袈裟斬りにされ、とても見られたものではなくなってしまった着物を呆然と沖田が見詰めている。驚きの悲鳴一つ漏らさなかった。その瞳には非難の色の欠片もない。ただ純粋な困惑が、怒りと悲しみを織り交ぜて浮かんでいる。
 沖田は何か言うよりも先に刀を鞘から引き抜いた。

 怒らせた。傷つけた。それがわかっていても謝れるわけがない。






 聞けば聞くほど土方のほうに感情移入してしまう、なんとも哀れで且つ情けない話だった。

「と、ゆーわけなの。ひどいでしょ土方さん」

 華の非番を満喫していた山崎の前に破れた着物を突きつけて、「縫って」の一言。俺の仕事って監察じゃなかったのかな。自問自答してみても答えなんてやっぱり出ない。
 沖田の頼みをまさか断れるはずなどなく、お茶を淹れてもてなしてチクチクと華の非番に針仕事をしてしまう山崎だった。

「それであんまり頭にきたから斬りそうになって刀捨ててきた。ね、あとで一緒に取りに行くのつきあってくれる?」
「いいですけど、とりあえずこの着物は仕立て屋持って行った方が早いような気がします」
「いいよ山崎がやれるとこまでで。あたしがやるよりずっといいし仕立て屋どこにあるか知んないし」

 それから話すことがなくなって沈黙が落ちる。わずかに開いていた障子から入ってきた隙間風が、沖田の湯飲みから立ち上る白い湯気を揺らした。
 もう冷めたかと湯呑みに細い指先で触れて確かめて、そっと両手で持ち上げる。猫舌なのでおそるおそる口許に運び、わずかに一口だけ飲んだ。
 それからすぐに湯飲みを下ろし、持った手と一緒に足の上に下ろす。

「土方さん、なんであんなことしたのかな」

 湯飲みの水面を見下ろして、ポツリと呟いた。

「あー、あの人かなりガキっぽいとこあるから仕方ないですよ。……まあ、気持ちわかるし」
「わかんの?」
「え、いや、やっぱわかんないかな。はい」

 あなたのことが好きで嫉妬に狂ってるんですよ、とはさすがに言いたくなくて適当に言葉を濁してはぐらかした。そんなこと言ったとばれたらどんな目にあわされるかわかったものではない。新年早々殴られるのはまっぴらだ。

「大体着なきゃ着ないで機嫌悪くするくせに、なんなんだか。あれこの前のクリスマスにくれてばっかなのに」
「そうなんですか?」
「うん」
「……えげつねぇ」
「なんか言った?」
「いえなんにも。あ、煎餅あるのでどうぞ」

 思わず漏らしてしまった感想は気のせいということでうまく誤魔化して、手付かずだったお茶菓子を薦める。沖田は小さく首を傾げていたが、結局煎餅の魅力に勝てず手を伸ばした。

 黙っているのにも飽きたしたった今吐いてばかりの暴言をどうか忘れてくれるよう、適当な話題を振る。

「クリスマスにはいつも何か貰うんですか?」
「うん。去年はブローチくれた。一昨年は髪留めで更にその前は」

 指折り数え、土方からの貢物を一つ一つ読み上げていく。懲りずに送るほうも送るほうだが、これだけ貰って相手の気持ちに全く微塵も気づかない沖田も沖田だ。その挙句せっかく贈った着物は別の男のために使われるのでは土方が怒るのも頷ける。本人に自覚がないとはいえ男からすればかなりえげつないというかなんというか。

「副長は自分のために着てほしかったんじゃないですか」
「土方さんのため?」
「だってそうじゃなきゃ贈らないでしょう」

 男から女に、という言葉は飲み込む。沖田の前で性別に関する発言はNGだ。
 沖田は山崎が繕っている最中の着物にまた目をやって、裾をちょっと摘んで持ち上げた。上等な生地を指でなぞり、難解な問題に向き合ったかのように眉を寄せる。

「だってそんなこといつも一言も言わないよ」
「一から十まで全て言葉にするような人じゃないですからね」

 うーん、と唸って沖田はまだ着物と睨めっこしている。まるでそこに全ての疑問の答えが書いてあるとでもいう風に。

「でもなんで土方さんはあたしに土方さんのために着てほしいのかな」

 駄目だ副長あんた完全に100%間違いなく脈なしもいいとこだよアウトオブ眼中で全くの対象外だ。
 本気でわからないらしく難しい顔をする沖田を見て、山崎は土方に同情した。なんて報われない。たぶん本人もその報われなさがわかっていて諦めないのだから滑稽を通り越してむしろ哀れだ。

「じゃあ沖田隊長はどうして着物を着たいなんて思ったんですか?」
「あたし? だから万事屋さんとの賭けだって」
「じゃあもし俺と同じ賭けをしたら沖田隊長は着物着てくれるんですか?」
「嫌だよ面倒くさい」

 ああ俺も副長と同レベルなんだ。わかりきっていたことを改めて確認してしまい、少し空しい気持ちになる。聞かなければよかった。せめて別の人を例にしておけば。
 即答されてしまい心の中で密かに涙を流しながらも外側だけは取り繕って、山崎は言葉を続けた。

「じゃあどうして沖田隊長は万事屋の旦那のために着ようと思ったんですか」
「万事屋さんだったから」

 核心を突いたつもりだったのに、答えは結構あっけない。そしてそのことが逆に確固たる真実を思い知る結果になったような。つまりはそんな一言で済ませられるほど当然のこととして沖田が受け止めているわけで。

「……じゃあどうして旦那は特別なんでしょうね。沖田隊長はその気持ちになんて名前をつけるんですか?」

 これだけはっきりしているのに自分の気持ちに気づけない、この人がずるいと思った。そうやって無邪気でいることで周囲をどれだけ振り回しているのかなんて小指の先程も知らないのだ。

(でもきっと俺も副長もそういうとこひっくるめて惚れちまってんだろうなぁ)

 そんなことを考えていたら針を指に刺してしまった。






 何も刀が掠めたほうを引っ叩かなくてもいいだろうに。これあいつ手に血痕残ってるんじゃないか。
 まだ傷む頬に顔をしかめ、不自然に切れ目のできてしまった壁と刃こぼれ一つない沖田の愛刀をどうしようかと考えて、面倒なことは山崎に押し付けてしまおうという結論に達した。ずいぶん乱暴な考えのような気もするが山崎はそれで給料もらっているようなものなのだから文句もあるまい。
 そんなわけで非番の山崎のところへやってきた。

「俺の仕事は監察であってあんたの小姓じゃないんですがね」

 やはり文句はあったらしい。盆の上に二つ湯飲みがあるところを見ると、誰か来ていたのだろうか。

「それにしてもひどい顔ですね。顔と権力しか自慢できるところがないってのに大変じゃないですか」
「なんだお前今日はやけに突っかかるな。さては女に振られでもしたか」
「……放っておいてください」

 結構図星だったのか涙目で睨まれた。何があったのか知らないが、いれこんでいる女でもいたのだろう。

「ほらもう、手当てするから座ってください。なんで自分で手当てしないかな。ばい菌でも入ったらどうするんですか」

 ぶちぶちと言いながらも救急箱を持ってきて、手際よく傷の手当てを始める。文句はあってもすっかり土方の世話が体に染み付いてしまったようで、まだ当分小姓を雇う心配はなさそうだ。

「よかったですね斬り殺されなくて。沖田隊長が本気だったら胴と首がさよならしてたんじゃないですか」
「なんで知ってんだよ」

 壁に小さな穴が開いたとは言ったが犯人の名まで口にしてはいない。喧嘩の理由を話すのがあまりにも恥ずかしかったので。

「見ればわかりますよ。副長にこんなことするのは沖田隊長くらいですからね」
「……言っとくが今回俺は悪くねぇぞ」
「どうせ見苦しい嫉妬で怒らせたんでしょう」
「……俺は悪くねぇ」

 今日の山崎はやけに冴えている。一発で当てられて居心地の悪さを感じながら、尚も自分は悪くないと主張する。そうだ今回はあいつが悪い。そうに決まってる。
 そんな土方に山崎は溜息をついて、大人気ない、と一言漏らした。

「もう諦めたらどうですか。副長なら女なんて引く手数多でしょうに」
「っるせぇ。仕方ねぇだろ惚れちまったもんは」
「それはご愁傷様でした」

 勝手に実らないと決め付けて早々と慰めの言葉を投げかける山崎。自分が女に振られたからって八つ当たりはやめてもらいたい。迷惑甚だしい。

「諦められるかってんだ。何年越しだと思ってんだよ」
「日数より金額の方が生々しくて興味ありますね」
「言ったら絶対寒気するから言いたくねぇ」

 誕生日に始まりクリスマス、ホワイトデー(もちろんバレンタインはもらえない)、初めて道場に来た日。とりあえず何かある度に、いや何もない時だって、とにかくいろいろなものを贈った。他に気持ちの伝え方なんか思いつかなくて何度も何度も懲りずに馬鹿の一つ覚えみたいに。

「それをあいつどれも全く使わねぇし、ようやく使うと思ったら万事屋さん≠セぜ」

 忌々しげに吐き捨てて、盆に載っていた飲みかけの湯飲みを傾けた。やけにぬるい。なぜか山崎があっと小さな声を上げたが、目で問いかけても何も答えなかった。非難がましい視線を一つ寄越しただけで。

「って、痛ぇぞこら」
「消毒液が染みたんですよ」

 更にその上に爪を立てられたような。気のせいだろうか。土方が首を捻っているうちに手当ては終わり、鏡はないのでわからないが顔に絆創膏というのはずいぶん情けないんじゃないかと手で触れて少し思った。

「ねえ副長。沖田隊長の部屋、すごい汚いんですよ知ってますか」
「ああ。物に溢れてる」

 藪から棒に言われて思い出すのは足の踏み場もない空間で、どこで寝ているのか尋ねたら確かあいつは押入れと答えたはずだ。

「それがどうしたよ」
「あれねぇ、片付けさせてもらえないんですよ。これ理由知ってます?」
「知らねぇ」

 ぬるいお茶を新しい湯飲みに注いで渡されて、空になった誰かの湯飲みと交換する。結局これは誰が使ったものだったのか。

「本人曰く、飾ってあるそうですよ。いつでも手にとって見られるようにって」

 湯飲みを落としそうになって慌てて握力を取り戻す。
 あの部屋には何があったろうか。着物、髪留め、ブローチ、ぬいぐるみ、イヤリング、バッグ、その外諸々。たぶん9割くらい土方が贈ったものだ。あの部屋には少しも報われない土方の財の結晶が詰まっている。報われていない、と思っていた物たちが。

「……使い方違ぇだろ。馬鹿かあの女」
「今更でしょうそれは」

 貰ってばかりのお茶を一気に飲み干し湯飲みをお盆の上に戻す。空を見てまだ日が沈んでいないことを確認して席を立った。

「出かけてくる。部屋の片付けは頼んだ」
「嫌だって言ってもどうせサボったら殴るんでしょう」
「今度お前の失恋祝いに飲みに連れて行ってやる」
「いりませんとっとと出てけ余計なお世話だ」

 そんな声を背中に聞きながら、土方は急いで外へ出て行った。






 失礼な台詞を残し土方がいなくなり、山崎は部屋の押入れを開けた。
 きれいに畳まれた布団の上で繕ってばかりの着物を抱いて、沖田が丸くなっている。目は閉じられていて、呼吸も一定だった。

「そんなところで寝ていると風邪引きますよ。俺は副長室片付けてきますから」

 返事がないのをわかっていてわざとそんなことを伝え、わざと大きな足音をさせて部屋を出て行く。狸寝入りだということくらい一目見てわかったけれど眠っていると思わせたいようなので、騙された振りをしてやった。

「俺が一番可哀想な気がする」

 一人廊下を歩きながら山崎は呟いた。






 相変わらず物の溢れた部屋のど真ん中、山崎が繕ってくれた着物を着方がわからずとりあえず隊服の上から羽織ってみたりして。万事屋との約束をすっぽかしてしまったことに気づいたのは日が暮れた後だった。いいやもう今度会ったら謝っておこう。

 土方がやって来たのもちょうどその頃で、着物を羽織った沖田と目が合うと表情を少し和らげた。しかしすぐにいつものしかめ面を思い出して、ポケットに手を突っ込む。
 煙草でも出てくるかと思えば中から出てきたのは銀色に輝くもので、土方は握り締めた手を沖田の顔の前に突き出した。

「やるよ。その、なんだ、昼間は俺が悪かった」

 言葉なんか聞いちゃいない。ねこじゃらしを突きつけられたネコのように、振り子みたいに揺れるそれを目で追いかける。

 小さな星の飾りがついた銀のネックレスだった。星の部分だけ赤い宝石が埋め込まれている。土方のことだからたぶん本物だろう。

「……ありがと」

 沖田はつっけんどんに短く言って、ネックレスを受け取った。試しにつけてみようかと思ったが頭がつっかえて入らない。

「サイズ違うんじゃないの」
「馬鹿か違ぇよこれはここ外してつけんだって。ちょっと動くなつけてやっから」

 沖田からネックレスをもう一度受け取って首の後ろに手を回す土方はどこか楽しそうで、山崎の言う通りだったのかと考えた。土方がくれるものははっきり言って仕事に邪魔なのでどれも扱いに困っているのだが、こんなに喜ぶのならたまにはつけてやってもいいかもしれない。それでもって機嫌よくしてくれたところで何かおいしいものを奢ってもらうのだ。

「ねー土方さん」
「あ?」
「惚れるって何?」

 ネックレスをつけていた手が止まる。しばらく間があって、やっと返事が返ってきた。

「……なんで?」
「……別に」

 盗み聞きしていましたとはちょっと言い出しづらくて目線を逸らす。でもばれたかもしれない。

「惚れるってどんな気持ち?」

 重ねて問えば土方は困ったような呆れたようななんともいえない複雑な表情をするだけで、いつまで経っても答えをくれはしなかった。

「それって楽しい?」
「……時々、たまに、ごく稀に」




 ネックレスはケースに入れればいいのに入れなかったのは持って歩きたくなかったからです。袋もらっても宝石店のロゴ入ってるから隊士にばれるので。土方さんは矜持が障害になるタイプだと思います。

06/01/07