最果ての夢

「あ、ちょっとタバコ買ってくっから待ってろ」
「嫌でさァ。あんたこの前そんなこと言って途中で女引っかけてどっか行っちまったじゃねぇかィ。俺はあの時3時間も馬鹿みたいに待ってたんですぜ」
「半月前の話持ち出してんじゃねぇよ時効だろ。ほら、これで好きなもん買っていいから」
「へいへい。でもあんまり遅かったら置いてきますぜ。せいぜい早く帰ってきなせェ」
「わーったよ。すぐだから、ちゃんと待ってろよ」

 それでもやっぱり金だけ持ち逃げして置いて行かれそうな気がして、何度も後ろを振り返って帰っていないことを確認した。向こうもこっちが見えなくなるまで面倒くさそうに手を振っていた。






 大砲の音を聞いてハッとなる。
 目にした景色が上下に揺れながら流れていく。
 そうだ。今は馬に乗っているのだった。ここのところまともに休んでいなかったのでついウトウトしてしまったらしい。しかしそれにしても夢を見ながら落馬どころか道を違えることもなく馬を走り続けさせることができるとは、実は結構乗馬の才能があるんじゃないか。自分にこんな特技があるとは知らなかった。知っていれば沖田に自慢したのに。この手の乗り物が好きな沖田は物凄く羨ましがったことだろう。

 立て続けに大砲の音。函館山だ。今あそこで仲間たちが戦っている。それを助けに行くため一緒にいた部下たちも置いて単身馬を走らせていたのだった。

 あそこには仲間がいる。しかしあそこには沖田も近藤もいない。山崎だっていない。ほんの一握りの昔馴染みがいるだけだ。
 気がつけば土方は一人だった。他の奴らが次々に戦線離脱していくのを横目に、土方は一人生き残った。無様にも一人だけ。

 いっそ適当なところで腹でも斬っときゃよかったか。何度そう思ったことか。しかしその度に思い出すのは憎たらしい沖田の顔。腹なんか斬っちゃってだっせーの。まさかそれでかっこいーとか思っちゃってるわけ? あーあ、これだから年寄りは嫌ですねェ。心底馬鹿にしたような顔で、そんなことを言うに決まっている。畜生てめぇに馬鹿にされるくらいなら意地でも最期まで戦ってやる。そう思って、下らない意地だけで今もまだしぶとく生きて馬を走らせているのだ。

 しかしそれも今日まで。たぶん今日が最後の戦いになる。これに勝てば、晴れて蝦夷に新しい国家を打ち立てることができるだろう。
 そうすればあの馬鹿にざまーみろと胸を張って威張ることができる。病気なんかで勝手にくたばりやがってお前こそ馬鹿じゃねーの。たとえ勝っても墓参りにはとても行けそうにないけれど、その辺の空にでも向かってそう言ってやると決めていた。

 まだ死なない。まだ死ねない。失ったものはあまりにも多いけれど、やり残したこともあまりに多すぎるから。死んでいった多くの仲間の遺志を継いで、やらねばならないことがあるから。
 死ぬのは世界が安定して、蝦夷で隠居生活を楽しんだ後でいい。


『あんまり遅かったら置いてきますぜ』


 夢の中の言葉を思い出す。確かあの時は待たせておくとうるさいからと急いでいて、そのせいでいつもと違う銘柄を買ってきてしまった気がする。それ以来だろうか、どうしてもという時以外はどこへ行くにも沖田を連れて行くようになったのは。

「……久しぶりに、待たせてんだな」

 あれからそんなに長い年月が過ぎたわけではない。それなのになぜだろう。もう十年近く前の遠い昔のような。

 沖田が待てる限界はどうやら3時間らしい。しかしそんなものとっくに超過してしまっている。
 あの世なんてものがあるかは知らないが、沖田はまだ自分のことをどこかで待ってくれているのだろうか。それとも近藤や山崎を引き連れてずっと遠くへ先に行ってしまったのだろうか。

「今生で最後の願いだ。俺を待ってろ。置いてったらぶん殴る」

 馬が蹄を打ち鳴らす音と砲撃の音を聞きながら、皮肉なほどに青い空へと呟いてみる。これだけ周りがうるさいと空へは届かないだろうか。しかしどちらにしろ空の向こうにあるのは宇宙と天人の惑星だけで、天国も地獄もないのだ。


 それでもきっと、あいつはどこかで俺を待ってる。


 ずっとずっと待ち続けて、ようやくやって来た土方に沖田はなんと言うだろうか。「遅ぇよ」や「久しぶり」よりも先に、たぶん蹴りが飛んでくる。言葉なんかどうせきっとその次だ。頭が悪くて言葉に不自由しているせいで、いつだって心底から伝えたいことは態度でしか示してこない。

 もしも再び出会えたらどうしようか。欠片ほども信じちゃいないが、仮にもし生まれ変わりなんてものが存在するのなら。

 そうだそれなら今度は争いのない世界がいい。
 文字通り血反吐吐いてまで守り通した幕府や真選組なんて組織はなくて、不逞浪士や天人だっていない、そんな平和な世界。きれいなことばかりでなくたっていいけど、役職とかそういうのにとらわれないで自分の思いを一番に優先できるような。


 そこで今度は副長と隊長じゃなく対等の存在として、願わくばもう一度――――


 馬を止める。退却してきた兵たちが見えてきた。
 砲撃の音が近い。ここからではよく見えないが、まだあそこでは仲間たちが戦っているはずだ。

「退却なんかしてんじゃねぇよ。俺が来たからには負け戦になんかさせねぇから持ち場に戻れ。文句がある奴ぁ今この場で俺が叩っ斬る」

 一番近くにいた奴に刀を向ける。彼らは土方の剣幕に押され、すぐに怪我人を置いて戦場へ戻って行った。これでいい。今からでもまだ十分に立て直せる。

「待ってろよ総悟。俺はお前が年上なんて絶対認めねぇからな」

 まだ死なない。まだ死ねない。だから生きるのだ。戦って戦って、やがて争いのない平和な世界になるように。

 大砲のそれとは違う、乾いた音がした。そんなに遠くからではない。
 それと同時に鈍い痛みが体中の神経を駆け抜ける。撃たれた、そう思うよりも前に思ったのは。


 俺はまだここで死ぬわけにはいかない。


 その思いだけが頭の中で空転し続けていた。
 そして最期に思い出したのは、楽しかったあの日の思い出。あいつの笑顔。






 チャイムの音が鳴り響く。
 誰かが椅子を引く音。ガタガタと机を動かす音。ドアを開け閉めする音。話し声笑い声。

「いつまで寝てんでィ」

 足音の一つがこちらにやってきて、スパーンと何かで頭を叩いた。
 それでようやく覚醒する。どうやらずっと夢を見ていたらしい。

 最初に見たのは少年の顔。それから次に、黒板の上の掛け時計。

「……なんか変な夢見てた」
「そりゃあよかったですねェ。俺なんか珍しく真面目にノート取っちまったィ。だってあんた寝てんだもん写さしてくれる予定の人が俺ぁいなくなっちまいましてねェ」

 言って少年は丸めて今しがた彼の頭を殴ってばかりのノートを渡した。彼はまだ覚めやらぬ頭をもぞもぞと動かして、すっかり枕にしてしまっていた白紙のノートにそれを写し始めた。
 授業は日本史で、幕末だったか明治だったかに函館の五稜郭を取り合った話のようだ。相変わらず汚い字で読みづらいことこの上ないが、そんなことを言おうものならたちまちノートを取り上げられてしまうので黙って解読作業を行う。

「で、どんな夢だったんですかィ」

 前の席の奴の椅子に腰掛け、少年はコンビニで買ったパンを頬張りながら尋ねた。それを見て空腹感を我慢しながら、一度写す手を止めてトントンとシャーペンでノートを叩いた。

「ここの夢」
「ごりょーかく?」
「そ。なんか俺、土方になっててさ。昔のことを懐かしく思いながら最期の死地に赴くんだよ」
「俺は?」
「あー、お前はあれだ。沖田。とっくに死んでる」
「ひっでー、俺ってば夢の中で殺されてやんの。本当は深層心理で俺のこと死んでほしいって思ってんだ」

 ひどいという割にはやけに楽しそうに、パンをくわえたままケラケラとおかしそうに笑った。彼はその手からペットボトルを奪い取り、勝手に喉を潤した。

「それでよ、俺、つーか土方が変なこと考えてんだぜ。生まれ変わるなら今度は平和な世界で、沖田とまた出会い直すんだとか思っちゃってて」
「あんたと同じで恥ずかしい人だったんですねィ」
「っるせ」

 少年は彼からペットボトルを奪い返し口をつける。そのかわり食べかけのパンを彼の前に差し出したので、お言葉に甘えて一口だけ頂いた。ジャムパンかよ最悪だ甘いの苦手なの知ってるくせに。吐きそうな顔で言ってペットボトルを再び奪う。

「でもさ、その夢ハッピーエンドでよかったじゃねぇですか」
「あぁ? どこがハッピーなんだよ。最後に銃殺されて目が覚めたんだぞ」
「まあそれはそうだけど」

 パンの最後の一欠片を口に放り込み、飲み下す。


「あんたが土方で俺が沖田なら、こうして平和な世界で再び巡り会えたってことでしょう?」


 視線を落として次のパンの袋を開けながらなんでもないという風に言う。
 しばしあっけに取られたが、今度はカレーパンだったので最初の一口をかっぱらった。手を伸ばして取り返そうとする少年からわざと椅子を少し遠ざけて、ばくばくと頬張りながら言ってやった。

「生まれ変わりなんて信じるかよ。俺は俺、土方は土方だ。俺は俺の人生を生きるんだよ」
「あーあ。ロマンのない人だ。あ、そーだ話変わるんですけど、この前あんたが行きたがってたライブのチケット手に入れましたぜ。今なら2枚3万で手を打ちやす」

 少年は彼の現実的発言につまらなそうに嘆息し、ブレザーのポケットからくしゃくしゃになった紙切れ二枚を取り出した。

「二枚ってなんだよどうせ一枚はお前の分だろが」
「カレーパンわけてやったんだから奢ってくだせェ」
「おいおい釣り合わねぇって。じゃああれだ、1枚2万で昼飯付き。お前とんでもなく食うんだからこれでいいだろ」
「仕方ないですねェ。あんたの夢の人たちに追悼を兼ねて手を打ってあげますか」

 少年はカレーパンは諦めたのかコンビニの袋から苺メロンパンを取り出して、チケットを相変わらず白紙のままのノートの上に一枚ぽんと置いた。
 持ち合わせがないのでチケットだけ先にいただいて定期入れの中に押し込み、ノートの模写を再開する。五稜郭、土方。そんな文字を書き写しながらカレーパンの最後の一欠片を口に放り込んだ。

「追悼ねぇ。別にそんなもんいらねんじゃねぇの」
「3万払ってくれるってことですか」
「違ぇよ馬鹿」

 土方はきっと死を悼み悲しんでほしいなんて少しも思っちゃいない。なんとなくそんな気がした。
 だからそのかわりに土方の分までこいつと人生を楽しんでやるくらいならまあしてやってもいいかなと考えたけど、恥ずかしいから言わないで黙ってノートを写していた。






『遅ぇよ土方さん』
『あぁ? 俺だってこれでもがんばったんだよ努力は認めろよ。つーか5分も経ってねぇだろ』
『あんたは5分の偉大さがわかってねぇなぁ。5分あればカップ麺だって伸びちまいますぜ』
『ったく、わかったよすいません遅れました俺が悪かったです。これで満足か? ちくしょ……って、これ銘柄違ぇ』
『あーあ。これだから土方さんは土方さんなんでさァ』
『総悟てめぇ調子に乗ってんじゃねぇぞこら』
『あっ、誰がアイス一口やるなんて言ったんですかィ! マヨ菌がうつったらどうするんでィ』
『うるせーどうせ俺の金だろが。おら、いいからもう帰るぞ』
『へーい』
『それともう待たせるのは懲り懲りだから、次からお前もついてこい。断ったら士道不覚悟で切腹な』
『どんな士道なんだか。まあ待っててもつまんないし、次からは付き合ってあげやしょう』




 某NHKドラマの存在を知った瞬間作ったネタ。ちなみにオチは3zじゃないですよ。あそこまで全く同じ人たちばかりじゃ気味が悪いし、あくまでも別の平行世界であったかもしれない話ということで。

06/01/21