残されたもの残ったもの

 先の寄生型えいりあん事件から一月、江戸の町も万事屋もようやく平穏を取り戻していた。
 あの事件で変わったことといえばあれ以来父親からしばしば手紙が来るようになったことと長谷川がまた仕事をクビになったことくらいなもので、世界はそれ以外には何も変わらず正常に機能していた。

「よぉ、チャイナ。暇ならちょっと付き合えや」

 いつも通り酢昆布くわえて定春連れてぶらぶら散歩していたら、向かい側から歩いてくるゴキブーリのごとき黒い影。そいつは片手に刀の代わりにアイスを二つ持っていて、片方を神楽のほうに全力投球かまして来た。

「どういうつもりアルカ」
「土方さんどっか行っちまってアイスが一個余ったんでィ。俺二個も食えねぇし」

 まあまあ食べなさいよ、とまるでどこかで聞いたような言葉を口に乗せて、自分のアイスの袋を開けた。仕方がないから付き合ってやるヨと言って神楽もアイスの袋を開け、その辺の塀に背を持たせかける。沖田は不良さながら地面に座り込んだ。警察のくせに通行の邪魔をしている。

「そういやお前、寄生型えいりあん事件で病院に担ぎ込まれなかったっけ」
「あんなとこその日のうちに退院してやったネ」
「早っ。土方さんのとこに来た報告書、重傷者一名になってたけどあれお前じゃねーの?」
「たぶん」

 それなりに重症だったし、はっきり言って死に掛けた。それでもその日のうちに脱走まがいの強引な退院をして、しばらくの間は定期的に病院に検査に行くということで病院と和解した。あの時はとにかく一刻も早く万事屋に帰りたくて必死だったのだがいや本当に帰ってよかった。まさか新ヒロイン対決などやっているとは夢にも思わなかったので。

「頑丈な奴」
「それが取り柄ネ」

 棒付きアイスをぺろぺろやりながら二人とも空ばかり見上げていた。神楽は時々視線を下ろして定春にもアイスを分けてやって、だらだらと通行人を見送った。

「傷全部消えた? たしかこのへんだっけか」

 アイスを食べ終わってチョコレート色に染まった棒を、神楽の腰、沖田からすれば顔の前あたりをつんつんと突つく。

「そこはちょっと残ったヨ。でも生きてたから気にしないネ。つーか突付くな変態」

 そこだけは深すぎて、いくら神楽でもほんの少しだけ傷跡が残ってしまった。別に気にはしないけれど、ちょっとだけ残念なような。

「ふーん」

 沖田はどうでもよさそうな返事をして、座ったまま神楽の顔を見上げた。棒はまだ神楽に突きつけたまま。

「これでまた嫁の貰い手探すのが難しくなったわけかィ。同情するぜかわいそうに」
「喧嘩売ってるなら買うぞこの野郎」
「いやいや俺は病み上がり……怪我上がりか? まあいいやとにかく元死にかけのガキ苛めて喜ぶほど落ちぶれちゃいないんでね」
「誰が逆上がりネ。大車輪見せてやろうカ、コラ」

 いつもならすぐのってくるくせに、本気で今日は買ってくれる気がないらしい。神楽が何を言っても沖田は涼しい顔で、つまらない男ネ、とぼやいたらご期待に沿えず何よりでさァと少しおどけて返してきた。

「でもいいんじゃねーの。どうせお前は家庭に入る女じゃないだろ。アイスでも食ってりゃ傷だっていつか消えらァ」
「消えるかバカ」
「じゃあ呪いかけてやるよ」

 まじないと書いて、のろい。沖田が今発音したのは言うまでもなく後者のほう。
 座ったまま手を伸ばして神楽の腰を抱き寄せて、あの時血まみれになったところに服の上から唇を押し付けて、ふざけた調子で唱えだした。

「いたいのいたいのとんでけ〜」

 何か考えるより早く体が反応して、とりあえず蹴り飛ばした。どげしっといい音がして沖田が吹っ飛ぶ。しかしもちろん手傷一つ負うことなく、地面に激突する前にくるりと体を反転させて、余裕綽々な様子で両足で着地してみせた。何から何まで腹が立つ。

「なんでィ人がせっかく呪ってるってのに」
「何するネこのばか!」
「だから呪い」

 今度は傘を投げつけた。定春もけしかけた。それでも沖田は全然堪えた風でなく、やはり余裕で全て受け流した。今日の沖田はやけに手ごわい。それとも沖田の言う通り自分が怪我上がりだからだろうか。

 一方的な喧嘩にもやがて疲れて神楽は溜息をついた。いつの間にか落ちていた二つの棒を拾い上げようと屈みかけ、思わずあっと声を上げた。

「服にアイスついてるアル! しかもチョコ!」

 腰のところに茶色い染みが、遠くから見てもはっきりわかるくらいしっかりついてしまっている。

「ほんとだ。ウンコみてぇ」
「お前のせいだろ責任取れよこのエセおまわり!」
「大丈夫だってお前がウンコ漏らしたとみんな思うだけで、おまわりの仕業だとは誰も思うめェ」
「全然よくないネ!」

 ドカスカと神楽が殴るのを沖田は全部手のひらで受け止めて、へいへいわかりやしたよ、と言ってその割には全然わかっていないのか楽しそうに笑っていて、でもとりあえず形だけ観念した。

「新しいの買ってやるから元気出せや。でもウンコ柄の服なんてあるかなー」
「わたし嫌ヨ。そんなの着たらわたしチャイナじゃなくてウンコになるネ」
「ウンチャとかじゃねーの」
「わけわかんねーよアホだろお前」
「いやいやお前ほどじゃねーよ」

 神楽は勝手に歩き出した沖田の後ろを定春と一緒に小走りで追いかけて、少し背伸びして隊服の首根っこを捕まえた。そこにアイスの棒を二本押し込んで、背中にすとんと落としてやる。

「あっ冷てっ、てめぇ今なんか入れただろこのウンコ!」
「お前は内側からウンコ塗れになるといいアル」
「今すぐ肥溜めに突き落としてやろうか」
「お前がナ!」

 臨戦態勢。3秒後には二人とも大地を蹴っていた。そうしていつもの喧嘩が始まる。
 寄生型えいりあん騒動から一ヶ月、江戸は相変わらず平和だった。




 沖神は忘れたころに唐突に書きたくなります。原作の神楽は間違いなく重症に見えたのにいつの間にか傷が治っているというミステリー。

06/02/02