バレンタインラブ きっかけなんて二人ともとうに忘れた。 ただ土方が何かをしてひどく沖田の機嫌を損ねて、しかし土方としては普段沖田に洒落にならない目に合わされているわけで、それくらい些細なことだと思っていたし今も思っている。 大喧嘩して珍しく刀振り回して、最終的には殴り合いに発展して、二人そろってズタボロになって帰った。何があったかと問われれば示し合わせたわけでもないのにわざわざ声までハモらせて「通り魔に合った」の一言。誰一人信じやしなかったが、あまりの剣幕のせいか近藤ですらそれ以上の追求はしてこなかった。 土方に謝る気はない。沖田も許してやる気はない。 そんな感じで冷戦状態のまま一ヶ月が過ぎ、二人は相変わらず喧嘩をしていた。 静かだ。そう思うのは、いつも用もないのにやって来ては散々邪魔して帰っていく人間が姿を現さないからだろう。 ふと外の方を見て、そういえばここ最近外に出ていないことに気づいた。喧嘩したせいで沖田が一人で見廻りに行くようになり、土方が外に出る必要性がなくなったからだ。他の隊士なら何かあった時のために二人で行くよう徹底させるのだが、沖田なら問題あるまい。それに喧嘩中だから顔を合わせたくないので伝えられない。 「副長、山崎です」 コンコン、という控えめなノックの後に聞き慣れた山崎の声がした。咥えタバコのままアーともウーとも取れない適当な返事をして、山積みの書類の山の向こうで扉の開くのを見た。 静かに扉が開いて(いつも蹴り開けてくる沖田とは大違いだ)、山崎が顔を出す。 土方と目があって、否、正確には書類を見咎めて、山崎は嫌そうに顔をしかめた。部屋に入ってきた手には紙袋を提げていた。色鮮やかな包装紙が覗いている。 「なんで書類減ってないんですか」 「うるせー知るか。なんか進まねぇんだよ」 片付けろとばかりに吸殻の山の土台となっている灰皿を山崎のほうに指で押す。向こうもそれが自分の仕事だと承知しているのか何も言わずに灰皿を机から拾い上げた。 「で、用は」 「これ、副長に送られてきたバレンタインの品です。差出人の裏が取れなかった奴はいつも通り処分しておいたんで」 その言葉で初めて今日が2月14日であることに気づいた。バレンタイン。カップルと甘党人間のための日だ。 真選組にも毎年個人宛にいくつか送られてくるのだが、イベントに乗じて真選組をよく思わない連中に毒入りチョコなんぞ食わされてはたまらないので差出人がはっきりしていないものはゴミとして処分される決まりになっている。ちなみに調べるのはもちろん監察の仕事だ。 「あーそのへん置いとけ。いや、やっぱタバコがあったらそれだけ今寄越せ」 「はいはい。わかりましたよ。それと沖田隊長と見廻り行って来たんですけど異常ありませんでした。沖田隊長の代わりに報告しておきますね」 手元のメモと包みを見比べながら、山崎はそのうちの3つを取り出して土方の机に置いた。しかし土方はそちらには手をつけず、驚いて山崎の顔を見上げた。 「何。あいつお前と見廻り行ってんの」 てっきり一人で行っているかサボっているものだと思っていた。そもそも沖田も沖田の代理人も今日まで見廻りの報告になんて一度だって来なかった。 「いつも日替わりで違う隊士がついて行きますよ。立候補者があまりにも多いので二ヶ月先まで予約済みです」 「は? 予約?」 「話したら仕事してくれます?」 「いやだからさっきからサボらずずっとやってるよ俺は。ああわかった帰るなもう少し誠意見せるよう努力してやるから」 なんで山崎ごときに下手に出てやらねばならぬのか。内心ではそんなことを思いつつも沖田の暴走の責任を取らされるのは基本的に自分なのでここはやはり知っておかねばなるまい。そうだこれは沖田のことが気になるからではなくて事前に問題を回避するためなのだ。 土方は少しイラついた様子で吸っていたタバコを山崎の手にある灰皿に押し込んで、最後の一本を取り出して火をつけた。それからあまり沖田のことを気にしているように見られるのも癪なのでなんでもない風を装うため、手に取った書類をろくに読みもせずに印を押したりしてみた。 「沖田隊長が一人で行くのはつまらないから誰か一緒に行かないかって、一人で見廻りに行くようになってから三日目くらいに言い出したんですよ。そしたら希望者が殺到して整理券が高値で取引されるような事態になって、本人よくわかってないみたいですが計らずも大儲け。いろんな隊士に餌付けされて幸せそうです。あ、ちょっと副長その書類まずいですよそこに印押しちゃ」 話を聞くだけでその時の様子が容易に想像できる。沖田のことだから土方が駄目になったから新しくタカれる相手を見つけようという腹なのだろう。それにしてもまさかうちの隊にこんなに沖田のファンがいたとは知らなかった。そしてどうやら山崎もそのうちの一人らしい。 「……あの馬鹿。今年齢いくつだよ餌付けっておい」 「副長もいい加減謝っちゃったらどうですか。仕事に支障きたされると迷惑なんですが」 二人の声が重なる。土方が睨みつけるといつもは怯えるくせに、今回は涼しい顔で。それが余計に腹が立って咥えていたタバコを噛み潰してしまった。 「俺がいつ仕事に支障きたしたって?」 片手を机に叩きつけて、椅子を蹴って立ち上がる。振動で机に山積みになっていた書類の何枚かが床に散った。 「違うんですか? だって沖田隊長と喧嘩してからじゃないですか仕事が進まなくなったのって」 山崎は言いながら土方のせいで落ちた書類を一枚一枚拾い上げた。それを戻してから終わった分の書類を灰皿とは別の手に持って背を向ける。土方を残して。 「沖田隊長もかなりチョコもらってましたよ。怖ーい保護者がいなくなったから、これを機に恋人でも作っちゃうかも知れませんねぇ。じゃ、失礼しましたー」 山崎のくせに珍しく語尾なんて伸ばしやがって一体何様のつもりだ。 入り口付近に置いて行かれた紙袋と、机の上の包み3つと、書類の山を順番に見て、最後にずっと足を運んでいない外の方へ目をやった。 謝りに来るまで絶対に許してやらない。喧嘩の理由を忘れてもその意思だけは固く、いまだ実践中である。しかしお互い意地を張り続けた結果すでに日付は2月14日。江戸の町は外来系イベントに盛り上がり、あちらこちらで甘いお菓子が店頭に並んでいる。 いつもなら見廻りついでに土方に嫌というほど買わせるのに、今年はそれができなかった。甘いものを目の前にお預け食らっているような気分で、そんな沖田に同情したのかは知らないが他の隊士が沖田にたくさんお菓子を恵んでくれた。ちょっとうれしい。来年もぜひ期待したい。 「よーし、お前ら! これから我らモテない男軍団は悲しみを払拭すべく飲みに行く! 皆の者後に続けこれは戦だぁ!」 近藤のその一言で夜勤の隊士以外のほぼ全員の隊士は近藤と飲みに行くことになった。しかし奢りではなく割り勘だ。話によると先日キャバクラで金を使いすぎて、近藤の懐は真冬の南極状態らしい。 沖田は見廻りの途中で駄菓子屋のお婆さんや通りすがりの知らない女の人にお菓子をもらえたのでモテない男軍団に所属してはいないのだが、どうせ屯所にいたって暇なので近藤の酌係という名目でついて来ていた。 「うぉう、うぉう、うぉう、うぉう、俺たちモテない〜♪」 「いぇぁー!」 某社の海賊映画の音楽をパクった替え歌を歌いながら、列をなして歩く群れの最後尾を沖田は一人で歩いていた。 今頃土方は何をしているだろうか。モテるからという理由で置いていかれたたった一人の隊士は。 (とっとと謝りに来いよ土方さんのばかやろー) 一緒に見廻りに行くことも副長室で暴れることもなく、悪戯すらしていない。おいしいものも奢ってもらってない。それがまさかこんなに退屈だったとは思わなかった。 考え事をしていたせいで、いつの間にか列から少し離れてしまったらしい。やや前方を行く列を逆流して様子を見に来た山崎が顔を出した。 「どうしたんです? ハグれちゃいますよ」 「ああ。悪ぃ今行くから」 言って小走りで追いつこうとゲーセンの前を通り過ぎかける。 「あ」 その足が止まった。そういえばしばらく足を運んでいなかったゲーセンの店頭には今月の新しい景品のポスターが張ってあって、そこには非常におもしろいものが、そしてこの退屈でつまらない現状を打破する秘密兵器となり得るかもしれない物があった。 「山崎ごめん。ちょっと俺今日はパスすっから近藤さんには適当に言っといて」 なにがモテない男限定飲み会だ。一人で置いていかれたって少しも寂しくなんかない。疎外感なんて感じない。 日が沈みきってからようやく仕事を半分くらい片付けて、気分転換にと久しぶりに外へ出た。といってもとても遊ぶ気にはなれず屯所に人が少ないので自分まで外泊しては緊急時に対処しきれないというのもあって、コンビニでつまみだけ買って帰ってきた。 台所で溜め込んである酒瓶を一本頂戴して、グラスについてちびちびと飲む。もともと酒はそれほど好きなほうではないが、今夜の酒は格別にまずかった。味がしない。とてもじゃないが酔って楽しい気持ちになんてなれそうにない。 久しぶりに出た外はバレンタインムード一色で、コンビニもこんなところで買うのは自分の心を慰めたい男くらいのものではないかと思うのだがとにかくやたらチョコばかり売っていた。 しかし仕入れすぎたのかこんな時間に一人で酒のつまみを買いに来た土方に同情したのかは知らないが、若い女の店員がサービスにとレジのところに置いてあったチロルチョコを一つ袋に入れてくれた。こんなものもらったってうれしくもなんともない。あとで冷蔵庫にでも捨てておけば誰かが勝手に食べるだろう。たぶん茶色い頭の凶暴な小動物辺りが。 酒はうまくもなんともないが、他に何かやろうという気にはなれない。煙草も今は吸いたい気分ではなかった。 まずい酒を飲みながらぼんやりと、今頃他の隊士たちは何をしているのだろうと考える。 沖田がついて行ったそうなのでたぶんキャバクラということはないだろう。ということは今頃はその辺の飲み屋で楽しくやっているのか。未成年のくせに沖田は酒が好きなので、たぶん近藤の酌をしながら自分はその倍近く飲んでいるのだろう。 (つっまんねぇなー) 早々と飲み飽きてきた酒の入ったグラスを手の上で転がして、広いんだから屯所で飲めばいいのにと思う。こんなだだっ広いところに一人で置いていかれたってどうしていいのかわからない。どうせなら夜勤を入れておけばよかったと後悔するが、今から無償労働というのもちょっと遠慮したい。 せめてあと一人、あと一人誰かいれば酒だってうまくなるのに。 「土方覚悟!」 突然障子が派手な音を立てて開く。反射的に身構えた土方の顔面に何かが飛んできて、刃物でないことを確認してから手で受け止めた。 刀の柄に手をやり第二撃に備えつつ相手を確かめようと顔を上げる。 「え、総悟……?」 そこにいたのはずっと待ち侘びていた姿だった。 なんて馬鹿だったのだろう。いつもなら顔を見ずとも声だけでわかっていたはずなのに。いつもなら襲撃される前に気配でわかったはずなのに。 沖田は部屋の入り口に立ったまま不機嫌そうな顔つきで土方を見下ろしていた。つとその手が動いて土方のほうを指す。 「それ、あげまさァ」 「へ?」 『それ』が何のことだか最初わからなくて、数秒くらい考えてからようやく自分が今手に持っている物のことだということに気づいた。受け止めるだけ受け止めて、『それ』が何か確認するのを忘れていた。もしこれが沖田ではなく本当の敵だったら土方は今頃一人寂しく暗殺されていてもおかしくはない。 その土方の手にある『それ』は、一見すればただのマヨネーズだった。しかしそれよりも少しサイズが小さく、マヨネーズの形をしているだけで本物のマヨネーズでないことはすぐにわかる。ひっくり返したりしていろいろ観察して、それがなんだかようやくわかった。 「ライター?」 「らしいです。ゲーセンの新景品。おもしろいでしょう?」 「え、つーかお前近藤さんたちと飲みに行ったんじゃ」 「途中で抜けて来やした。こいつに一目惚れしちまったんで」 言いながら勝手に土方の隣に座って、畳の上に転がっていたグラスを拾い上げた。まだ残っていた液体を自分の喉に流し込んで、つまみも一緒に放り込んだ。 「一人酒なんて惨めで見てらんねーから、酌でもしてあげましょうか」 グラスを土方に渡し、自分は瓶を取り上げる。土方があまり飲まないのを知っているからグラスに一口分だけ注いだ。 「……この前、悪かったな」 「もういいって。それよりホワイトデー期待してるんで」 拗れに拗れた喧嘩の行く末はひどくあっけなく、こんなことならもっと早くに謝っていればよかったと思った。どちらもとうに喧嘩の原因なんて忘れていて、元の関係に戻るきっかけを探していただけだったのだから。 「何ほしいんだよ。言っとくが副長の座以外だぞ」 「じゃあそこの腰に差さってる兼定くだせェ」 「やれるか馬鹿。大体お前のより短いから使いづらいだろ」 「お菊は長いから持ち歩くの微妙に邪魔で困るんでさァ」 「腰にささってる別のモンならいくらでもくれてやるぜ?」 「いやそっちのはありがた迷惑なんで」 久しぶりの軽口に、二人してケラケラと笑った。酒も手伝って陽気な気分にさせてくれる。 土方は思い出して、コンビニの袋に残したままだったものを取り出した。 「とりあえずこれ、コンビニのおまけだけど。ホワイトデーになったらちゃんとしたもん返すから」 「へへ、ありがとうございます」 差し出された手のひらにチロルチョコをぽとりと落とした。 山崎の話だと自分だってたくさんチョコをもらったはずなのに、こんなただでもらった一口で終わってしまうようなものに、沖田はとてもうれしそうに表情をほころばせた。 「このお酒おいしーですねぇ」 「そうだな。って俺の分もうねぇじゃんか全部飲んだのかお前」 沖田がついでくれた酒は一口だけだったけれど、格別にうまかった。 タイトルをバレンタインキスにしようと思ったらキスシーンがまるでなく変更を余儀なくされました。 喧嘩の原因は実は72訓です。9巻が本当に萌えて仕方なかった。 06/02/06 |