愛するままに 最近は穏やかで平和な日々が続いていて、冬の寒さもようやく少し薄らいできたように感じる。 そんな気持ちのいい午後なのに、土方は副長室に缶詰である。平和なのに仕事が全く減らないのはいったいどいつの陰謀なのか。少なくとも仕事を増やしている人物なら心当たりがあり過ぎるほどにある。 「副長、大変です! 沖田さんが」 乱暴なノックの後に返事も待たずに入ってきた隊士の言葉に、土方は表情を歪めた。なんだって沖田はこういつも人が忙しくて死にそうなときに限って問題ばかり起こすのか。どうやらまた仕事が増えたらしい。 「あー、で何やらかしたよ今度は。便所に罠でも仕掛けたか?」 「いやそうじゃなくて、とにかく局長も待ってるんで来てください!」 「わかったすぐ行く」 局長も。その言葉は今回の問題は筋金入りであることを意味していた。 昨日までは間違いなく平和だった。現場の仕事もなく、デスクワークばかりで沖田が暇を持て余す日々だ。隊士たちはいつ沖田の暇潰しの標的にされるかといつもより緊張感のある仕事振りを見せていた。 しかし今日、攘夷派の連中と繋がりを持った容疑で一人の女が屯所に連行されてきた。近藤も土方もちょうどその日は怒涛のごとき忙しさで手が離せず、取調べに当たったのは情報を掴んだ張本人の山崎と、万一の時のために沖田がついた。 今回はいったいどんな不始末をやらかしたのか、そんなこと考えたくもない。どうせその想像を10倍くらい凶悪にしたやつに決まっている。たとえば証拠になりそうなネタを根こそぎ闇に葬ってしまったとか。 早足でやって来たのは局長室でなく沖田の私室だった。部屋には沖田と近藤しかいない。いつもの沖田なら近藤を見れば飼い主に甘える犬のように尻尾を振らんばかりに喜んでみせるのに、今日はそんなことはない。沖田は近藤と少しも視線を合わせようとせず、膝を丸めて顔を埋めていた。 「悪い、今来た」 わざわざ言わずともわかりきっていることを、会話の糸口を見つけたくて口にしてみる。しかしもちろんそれで空気が少しも明るくなることはなく、ひどく気まずい状態は少しも改善されなかった。 「トシ、まあ座れ」 土方が来たことでどこかほっとしたように近藤は自分の隣を勧めた。土方が腰を下ろすと近藤はそちらを向いて、向かいの沖田をちらちらと窺いながら説明を始めた。 「山崎がしょっ引いてきた女の取り調べをしてたんだが、山崎がちょっと席を離した隙に総悟が女を殴ったそうだ。しかも暴れたりしたわけじゃなくまったくの無抵抗だったらしい」 「……で、女は」 なぜ、という言葉を飲み込んで続きを促す。自分が呼ばれた理由を察し始めていた。 「問題ない。山崎が手当てして、取調室に残してある。取調べが終わってないんで返すわけにも行かなくてな」 「そうか」 二人が話している間にも沖田はぴくりともしない。こちらに目を向けようとすらしなかった。完全に自分の殻に閉じこもってしまっている。 「なあ総悟、どうしてそんなことしたんだ? 何かあったんだろ? 黙ってたらどんどん面倒なことになるんだぞ。下手をするとお前……」 「責任とって辞めるってこともあるんだぞ」 近藤の言葉の後を土方が引き継いだ。その言葉に反応して、びくりと沖田の肩が動く。しかし口を開くかと思えばそうでなく、それ以上の反応は見せなかった。 ほとほと困り果てた様子で、近藤が珍しく溜息を吐き出した。土方の言葉はもちろん脅しなどではない。警察が容疑のかかった無抵抗の女を殴ったとあればそれくらいの処分は本来なら当然のことなのだ。事が大事になれば、そういうことにもなりかねない。 「どうしたんだ総悟ぉ……」 「近藤さん、ちょっと席外してくんねぇか」 これ以上近藤がここにいても何にもなるまい。大好きな近藤がこれだけ言っても口を割らないのだから、よほど言いたくないのだろう。それをいつまでも近藤が頼み込んでいたところで、その期待に答えられない自分を責めつづけるだけだ。近藤だけでなく沖田のためにもこの状況はあまりよくない。 「しかしトシ……」 「あんたも仕事たまってるんだろ。ここは俺が引き受けっから」 土方に言われ、自分がここにいても意味のないことを悟ったのかのろのろと近藤は立ち上がった。部屋を出るまで何度も沖田を振り返り、心配そうな視線を寄越すが沖田はもちろん無視の姿勢を貫いていた。 小さな音を立てて障子が閉まる。それに遠ざかっていく近藤の足音が続いて、それが聞こえなくなるまで土方は沈黙していた。相手が近藤だからこそ言えないこともあるのだと、土方は知っていた。 「さて、俺にも話すつもりはねぇか。お前このままじゃ最悪マジでここにいられなくなるぞ」 沖田の肩がまたびくりと動く。 土方は沖田がどれだけここにいることを大切に思っているか知っている。ここにいられなくなるということは、沖田にとって世界の終わりにも等しいのだ。 沖田は何も言わない。土方もそれ以上は何も言わず、沖田が答えるまでじっと待っていた。 「……言いたくないです」 5分くらいして、ようやく沖田は口を開いた。顔は上げず、膝に埋もれてくぐもった声で。 「そうか。じゃあいい。当分そこで反省してろ」 用は済んだとばかりに土方は立ち上がり、一度も振り返ることなく部屋を出て行った。 沖田のアホは土方の想像の10倍どころか30倍くらい面倒な仕事を増やしてくれたと、深い溜息を吐き出して。 次に向かったのは局長室でも副長室でもなく、件の取調室だった。いつも何かあったら真っ先に知らせに来るはずの山崎が今日は来なかったと思えば、取調室の前で途方にくれていた。そういえばこの件は山崎が担当していたのだった。 「よう」 「あ、副長!」 たぶんずっと一人で番をしていたのだろう。監察に番なんかさせたのはいったい誰だ。相手が悪ければあっさり脱獄されてしまうだろうに。 「あの、沖田隊長は」 「部屋で反省中」 いい答えを期待していたのだろう。土方の返事に山崎は見るからにしぼんだ顔をした。しかしそれにはかまわず土方は扉のほうをちらと見る。それから山崎にも顎で示して向こうに聞こえないように扉から少し下がった。 「総悟を取り押さえたのはお前だな」 「はい」 「近藤さんにももう聞かれたかもしんねぇが、なんか変わったことなかったか?」 「変わったことですか」 「ああ」 山崎はさすが監察なだけあってそういうことには割と目ざとい。山崎は土方に言われて思い出すように視線を虚空にやって、自分の中で答えをまとめたのだろう、すらすらと説明を始めた。 「俺が来たときには容疑者が悲鳴を上げて床に倒れていて、沖田隊長がすぐ傍に立っていました。女のほうに手当てをしながら話を聞いたんですが、突然沖田隊長が殴りかかってきたんだそうです。といっても拳で一発殴っただけみたいで、その辺は証言と怪我の痕から間違いなさそうです」 「突然殴りかかって、か。他には?」 「はい。あの、俺の気のせいかもしれないんですが、俺が来たとき沖田隊長、なんか怯えてるみたいでした」 「怯えてた?」 たかが女一人にあの沖田総悟が? 沖田が怖がるものなんてそう多くない。たかが女一人、どうして怖がることがあろうか。しかしそう思うのと同時に、土方はある可能性について考えていた。 「なんか震えそうになるのを必死に我慢してるみたいな感じで、あとすごく怒ってました。怒り通り越して憎悪に近いくらい」 「そりゃ怖かったろ」 「……止めに入るの結構勇気いりました」 「よく生きて帰ってきたな」 本気で怒った沖田など土方だって止めに入りたくはない。それをよくやったものだと山崎に感心して褒めてやった。 「でも、どうして沖田隊長は……」 「取調べ終わってないんだよな。俺が変わるから、お前は総悟のポジションについてろ」 「えぇ! 俺がですか? もっと腕の立つ奴呼んできましょうか」 「立ってりゃいいから」 どうせただの数合わせだ。入り口で見張っているだけなら山崎でもできる。何かあれば土方が斬ればいいだけの話だ。 扉を開ける前、土方は軽く刀の柄に触れた。 紙の上では知っていたが直接会うのは初めてだった。物売りの女で、山崎の調べだと裏で攘夷派連中のパイプ役をやっていたらしい。 それほど悪い顔ではなさそうだが、残念ながら沖田のせいで右頬は大きなガーゼで覆われてしまっている。 「やあ、すいませんね。うちの馬鹿が怪我させちゃったみたいで」 いつもは絶対にしない営業スマイルを顔に貼り付けて、土方は取調室の椅子に座る女に微笑みかけた。ああマジうっぜぇ。内心で呟きつつ。 「俺は真選組副長の土方十四郎です。入り口に立っているのは監察方の山崎退」 自己紹介をしてから軽く会釈して、自分も向かいの席につく。他の隊士、特に沖田は土方のこの変わりようになんらかの喜ばしくない反応を見せるのだろうが、さすが山崎は長いこと監察として土方の下についているだけあってそれを見ても平然を装っていた。 「本当失礼しちゃうよ。なんだって悪いことしてないのに警察に殴られなきゃなんないのさ。こっちは商売だってあるんだ、とっとと帰らせてくれないかねぇ」 「すいませんねぇ。あと少しだけ俺の話に付き合ってもらえませんか」 頬杖をついて机の上に乗せられていた手をそっと取り、土方は指先に口付けをした。そのまま上目遣いに女を見て、「嫌ですか?」と聞いてみる。あー気持ち悪ぃと内心で毒づいて。 普段女を落とすときにはこんなこと絶対にしない。しかしこういうタイプの女には割とこの手は有力で女は少し気分をよくしたようだった。 「まあ、そんなに言うなら話に付き合ってあげようかしらね」 「ありがとうございます。仕事とはいえ、貴女みたいな人と話す時間を持てるなんて光栄ですよ」 「そんなこと言っちゃって、あんたみたいなのはどの女にも同じこと言っちゃってるんじゃないの?」 その言葉とは裏腹に、女は誘うようにもう片方の手を土方の頬に添えてくる。その手の上に自分の手の平を重ね、鳥肌が立つような甘い言葉を吐いてやった。 「貴女は自分の美しさがわかっておられないようだ。どうです、これが終わったら今日のお詫びに食事でもご馳走させてもらえませんか」 「ふふ、悪くないわね。さっきの坊やも悪くないけど、あんたが一番あたしの好みだわ」 女は机から身を乗り出す。土方は少し近くなった顔に相手が望む通りに口付けをくれてやった。唇の隙間に舌を差し込んで、相手が望むようにしてやる。 女の肩を引き寄せると、女は上体を机の上に乗り上げて土方の誘いに更にのってきた。 「俺からも一つお聞きしていいですか。貴女はさっき俺にどんな女にも同じ事を言うのだろうと言われましたが、そういう貴女は他の奴にも? たとえば、うちの坊やとか」 右手を女の背に回し、話の合間にもう一度軽い口付けをする。いつの間にか女の口調から荒っぽさは消えていて、艶めいたものが見え始めていた。女は手馴れているようで山崎の存在すら少しも気にかけていない。商売女というよりむしろ下手な娼婦のようだ。 「ああ、あの坊やにはこんなところに連れてこられた迷惑料がわりにと思ったんだけど、そうしたら突然殴ってきたのよ。一体どういう教育してるわけ?」 「別にたいしたことは教えてないですよ。ただ俺がいいって言った奴以外は基本的に斬らないし手も出さないようには教育していますがね」 「あら、じゃああたしはどうして殴られたのかしら」 逃がさないよう、女の手首を捕まえる。背中に回していた手はもうそのときには刀の柄を掴んでいて。鯉口を切る音は二人の会話にうまくかき消された。 「あいつには一つだけどうしても許せないものがあってね。あんたみたいに愛してもいないくせに体ばっか求めてくる奴ぁあいつの敵なんだよ」 敬語も抜けて、口調に冷たさが宿る。手首を引いて机にうつ伏せに組み敷いて、背中に両手を回させた。お芝居終了。ここから先はいつもより少し手荒い尋問だ。 「な、何を」 「悪いが食事の話はなしだ。仕事で関わった女は女だと思わないようにしているんでね」 ゆっくりと刀を抜き放つ。その鞘走りの音を盾に念のため更にトーンを落として、山崎にまでは届かないだろう声で、女の耳に囁いた。 「それに俺、本命いるし?」 刀の腹を女の項すれすれのところに持っていく。女の髪の毛が数本切れたが構いやしなかった。 「離せ! くそ、騙したね!」 「丁重にもてなしてやったんだろうが」 「一般人に警察がこんなことしていいと思ってるのかい!」 たしかにばれたら土方は切腹を申し付けられるだろう。ついでに真選組解体なんて騒ぎにもなるかもしれない。しかしもちろんそれくらいきちんと考えてある。 「山崎、上への報告書に書いとけ。攘夷派郎党と接触した容疑で連行した女は突然暴れだしたので副長直々に首を刎ねたってな」 「了解しました」 「なっ……!」 なんでもないという風に平然と揉み消しを行おうとする土方と山崎の態度に、あからさまに女の顔色が変わった。 「俺は総悟と違って気に食わない奴は迷わず斬ることにしてんだ。俺にはそれを揉み消せるだけの権力があるんでね」 「ちょっ、ちょっと待って! 話すよ、全部話すから!」 ちらりと山崎のほうを見れば、呆れ返った顔をしている。もう取り繕う必要もないと思ったのだろう。土方はそれににやりと笑みを返してやった。 「よーし信じるぜ。山崎、後はお前に任せた。なんかあったら斬っていいぜ」 「はいよっ」 これで沖田をいじめた仕返しも十分にできたし、攘夷派郎党とのことも吐かせられそうなので土方の仕事は終わった。すっかり怯えてガタガタ肩を振るわせるだけになってしまった女の首から刀をどけて鞘に収める。 「本当に揉み消してるんですか」 部屋を出て行こうとした土方に、すれ違い様山崎が女に聞こえないよう低い声で尋ねてきた。 「するわけねぇだろ。俺はやるときゃはじめからばれねぇようにやる主義だ」 「それはたいした主義なことで」 山崎は呆れを濃くした顔でさっきまで土方が座っていた椅子に座った。 声もかけるのももどかしくて、土方はいきなり障子を開けた。 戻ってきたのはもちろん局長室でも副長室でもなく沖田の部屋だ。反省という名の謹慎を申し付けられてすることがない沖田はさっきより幾分元気を取り戻したのか、座布団を丸めて抱きしめ畳にごろごろ転がっていた。そうしていると動物園のパンダみたいだ。 「あの女、全部吐いたぞ」 転がるのをやめて顎を少し逸らせて土方を仰ぐ。そこにはさっきの山崎同様、呆れたような顔があった。 「あんた仕事で忙しいくせに、わざわざ自分でやったんですかィ」 「ついでに仕返しもしてきてやったから安心しろ」 「あー土方さん実は俺よりSだからさぞかし楽しかったんでしょうねェ」 人聞きの悪いことを。しかしそれでも沖田がまともに口を開くようになったのは喜ばしい限りだ。やはり悪態を吐いてこその沖田だろう。 土方は一度廊下に顔を出して周囲に誰もいないことを確認し、障子をきっちりと閉めた。それから俄かに再び転がり始めた沖田を足で止め、その隣にどかっと座る。 「どこ触られた?」 「口。その時点で殴った」 さっきあの女にしたよりもずっと優しい仕草で頬に触れ、唇を重ねた。お互いの中からあの女の余韻が消えるように。 「あとは」 「口の前に首筋と耳と」 「ああやっぱいい。もう全部抱く」 自分で聞いておいて途中で遮って、まだ抱えていた座布団を取り上げて仰向けにさせた。もう一度口付けして、頭をぎゅっと抱きしめる。 「仕事、忙しかったんじゃないんですかィ」 「ばーか。物事には優先順位ってのがあんだよ」 耳を舌でくすぐって、手でスカーフを外して。沖田もそれに倣って手を伸ばし土方のスカーフを外してその辺に投げ捨てた。 「つまり仕事より情欲のままに俺を貪るのが先と」 「愛情のままにって言えよ。あんな女と俺を一緒にすんじゃねぇ」 「はいはい。それは失礼しやした」 くすくす笑いながらもう一度口付けをする。 二つのスカーフがさっきまで抱きしめられていた座布団の上で重なって、その隣では持ち主たちも同じように重なって触れ合って、愛し合っていた。 女をたらしこむ土方さんが気持ち悪く書けたと思うのでよかったです。もちろんこの後で土方は山崎にどうやって吐かせたのか沖田にだけは言わないよう固く口止めをしました。 06/02/13 |