ゆめくいあらわる 小さな物音と空気の流れに気がついて目を覚ますのも今ではもうそれほど珍しいことではなくなってしまった。 布団にくるまったまま部屋の入り口に目をやれば、小さな影が闇にあった。背後の月は雲に隠れて空は暗く、どんな顔をしているのかはよくわからない。 「眠れねぇのか」 声をかけてやるとこくんと頷いた。それきり帰るでも部屋に入るでもなく部屋と廊下の境に立ち尽くしている。時々手が動いて目をごしごしと擦った。小さく鼻をすする音が、しんと静まりかえった夜を揺らす。 総悟は滅多なことでは泣かない。近藤などは一度も泣いている姿を見たことがないかもしれない。出会った当初の総悟は本当に喜怒哀楽に乏しい子供で、今はそれほどでもないがやはり人前でよく泣いたりするタイプではなかった。 そんな総悟を泣かすことのできる数少ない存在の一つが夢である。眠っている間、人というものは無防備だ。それは肉体面だけでなく精神面でも同じで、夢は容赦なくその人の深層心理を鮮やかに見せ付けてくる。 だいたい月に一度か二度、総悟は夢に泣かされて土方の元へやって来る。近藤には自分のこんな姿を見られたくないのかはたまた寝相の悪さに辟易したのか、いつも来るのは決まって土方のところだった。 「また嫌な夢か」 「へい」 総悟が一向に部屋に入ってこないので諦めて土方のほうが布団からもそもそ這い出てそっちに行ってやる。 近くで見れば顔は涙でべとべとで、大きな瞳からはまだ涙が溢れ続けていた。布団から出た途端冷気が肌を刺すようで、こんなに泣いては顔の表面が凍りついてしまうのではないかと思う。 目尻を指で拭ってやったら総悟は少し顔をしかめた。たぶん自分で強く擦りすぎたのだろう。すべらかな肌はそこだけ少しやわくなっていて、触られると痛みを感じるらしい。 気になって手を取ってみれば袖が水気を吸って湿っている。こんなに泣く前にもっと早く起こしに来ればいいだろうに、今夜は格別に冷え込むのでこれでは風邪を引いてしまいそうだ。 「ったく、痛くなるまで擦んなっての」 「だって」 「だってじゃねぇよ。擦んないで優しく触るとか方法あんだろが」 そう言っている間にも総悟はまだ泣き続けていて、つい反射で動かしかけた右手を土方が止めた。こんな調子で擦り続けていたら目に悪いし朝になっても腫れが引かなくなってしまう。総悟だってそんなことで近藤に心配をかけることは望むところではないだろう。 ここ最近ずっと夜遊びが続いていてあまり寝ていないので実を言えばぐっすり眠りたかったのだが、放っておくわけにもいかない。土方は欠伸をかみ殺して総悟が泣き止むまで一緒にいてやることにした。 いつもの縁側に腰を下ろして膝に総悟を乗せて、薄雲の向こうにあるはずの月を眺めていた。眺めていたのは土方一人で、総悟はまだしゃくりあげて泣いている。たぶん自分でもどうすれば止まるのかわからないのだろう。土方は震える肩や俯いたままの頭を少しでも安心させようとずっと撫でてやっていた。 総悟は夢の内容を話さないし、土方も絶対に聞かない。 しかしたぶんそれは子供にありきたりなお化けや妖怪変化の出てくるものでないことは間違いない。もっと生々しい、人間の黒い部分ばかりを見せ付けるようなものだろう。今でこそただの夢に過ぎないが、半年前まではそれが総悟にとっての現実だったのだ。 「寒くないか?」 「へーき、でさァ」 土方の問いに総悟は少しつっかえながら答えた。 確かに子供の体温が高いというのは本当で、膝の上の総悟の体は温かい。しかしそれでもこう小さな体では全身を温めてくれるわけではないので、土方はさっきから寒くて仕方なかった。吐く息が白くて少し悲しくなったが、それでもこの寒さがなければうつらうつらしてしまっていただろう。 「ひじかたさん」 それから5分くらい経っただろうか。土方が寒さや眠気と格闘していたところに総悟は声をかけてきた。人肌に触れて少し安心したのか、さっきより涙も少し収まりかけている。 「ゆめってどうしてみるんですか」 見るから見る、としか言いようがないような。生物学的な話をしたところでわかりはしないだろうし、土方だって生物学的観点から説明しろといわれたところでできやしない。 「おれは、わすれちゃいけないんですか」 抱きしめていた土方の手をきゅっと握る。その手はずっと外気に触れていたせいか冷たくて、驚いてもう片方の手で握りしめてやった。更にその上に総悟が残りの手をそっと重ねてくる。 冷たい手、濡れた袖、擦りすぎて腫れた目尻、いったいどれだけ一人で泣いていたのだろう。泣いて泣いてそれでも涙が止まらなくて、どうしていいのかわからなくなったところでやっと土方を頼りに来たのかもしれない。 「大丈夫だ。夢は夢、もう二度と現実にはならねぇ。きっとそのうちたくさん思い出ができてくれば古いことは忘れちまうさ」 総悟の鼻がすんとなって、上に重ねられた小さな手を伝って土方の手にも一粒の雫が落ちた。 「ほんと、っですか……っ」 涙で声をつまらせながら体を捩って土方を見上げる。土方の手から離れた小さな手が今度は着流しの衿を握り締めた。 「本当だよ。人間ってのは嫌なことは忘れるようにできてるんだ」 土方がそう言ってやると総悟はまた勢いよく泣き出して、幾粒もの雫が頬を伝った。土方の首に強く抱きついた総悟を土方もそっと抱きしめてやって、泣き疲れて眠るまでずっとそうしていた。 思えば総悟が声を出してわんわん泣くのを見るのはこれが初めてだった。 ようやく大人しくなった総悟を抱いて部屋に連れて行き、いつものように寝かせてやった。これでようやく眠れると思ったら少しの間忘れかけていた眠気がどっと押し寄せてきて、ついでに凍えそうなほど寒いことも思い出してしまった。 さっさと眠ろうと立ち上がりかけて動きを止める。何かが引っかかったような感じがして、少しだけ嫌な予感を覚えた。振り返ってみれば案の定、眠る総悟の手は相変わらず土方の衿を掴んだままだ。 「勘弁してくれよ……」 総悟の布団は子供用のやつを近藤がわざわざ買ってきたせいでとてもじゃないが土方が入れるスペースはない。となるとここでこのまま寝るしかないわけなのだが、今夜の冷え込み具合でそれをやるのは気が進まなかった。寒いのは嫌いだ。 どうにか引き剥がそうと試みるが、やればやるほど総悟は衿を握る手に力を込める一方で離してくれそうにない。残念ながら今夜はもう諦めるしかなさそうだった。 吐き出した溜息は白く濁り、ますます泣きたい気持ちになって冷たい畳に身を横たえる。隣の総悟はぬくぬくと音が聞こえてきそうなくらいにとても暖かそうだ。 「さっみぃ……」 「そーですね」 思わず口をついて出た独り言になぜか返事が返ってきた。ぎょっとして今しがた布団を被せてやったばかりの総悟を見れば、腫れぼったくなった目が真っ直ぐこちらを見つめている。 「てめ、起きてたなら手ぇ離せよ」 「さっきおきたんでさァ」 「わかったから離してくんない?」 しかし総悟は一向に手を離そうとしない。まさかここで凍死しろと言うのだろうか。夜中に叩き起こされてわざわざ付き合ってやったというのにこの仕打ちはないんじゃないか。 「ひじかたさんもいっしょがいいです」 ひたむきな顔でそんなことを言われては、文句を言おうと開きかけた口をそのまま閉じるしかない。ひょっとしたら相手が断れないことを計算しているのではないかと時々疑いたくなる。 「ここ狭いから、寝るなら俺の布団な」 「へい」 観念した土方に総悟はうれしそうに笑って頷いた。 二人で寒さに震えながら土方の部屋に戻ってきた。総悟は抱いていた枕を土方の枕の隣に並べて満足そうににこにこしている。 二つ並んだ枕を見て土方が何を思ったかなど、きっと総悟は知らないだろう。先に布団に潜り込んで土方が来るのを待っている。今まで一度も不満を漏らしたことはなかったが、もしかしたら一人で寝るのは嫌いだったのかもしれない。 「ひじかたさん、だっこしてくだせェ」 「……お前それ嫌な夢見ねぇ?」 「なんで? そっちのがあったかくていいでしょう?」 総悟は不思議そうに首を傾げた。本当に土方が何を連想したかなどまるでわかっていないのだろう。 ひょっとしたら嫌な夢を見ることももうそれほどないかもしれない。土方はふとそんなことを思った。 「ったく、何のために枕持ってきたんだか。これっきりだからな」 布団に入り、腕を枕がわりに貸してやって胸の内側に抱きいれてやる。長い間放置されていた布団はひんやりと冷たかったが、総悟の体はぽかぽかと暖かかった。 「おやすみなさい」 「ああ、おやすみ」 願わくば今度こそよい夢を。もう二度と夢に食われそうな夜が来ないように。 悪い夢に食われそうな総悟と、悪い夢を食べる獏みたいな存在の土方さん。 総悟はときどき土方の寝所を訪れますが(もちろん深い意味はない)、女遊びで土方さんがいなくなっているとパニックを起こします。朝まで部屋の隅で丸くなって待っていたりすることもありますがそういう日に限って土方さんは帰ってきません。 06/05/05 |