有限の愛 毎日のように血を吐いて、やがてガス欠になった車さながらプスンとだらけた音を立ててある日突然機能停止してしまうのだと、皮肉なことを言ったのは自分だったか相手だったか。 風がそよぎ、まだ青い銀杏の葉を揺らす。その下で太い幹に背を預け、歌を口ずさむ子供が一人。 「総悟」 土方が呼ぶと沖田はすぐに顔を上げて、嬉しそうな笑みを浮かべた。それからすぐに少し困ったような、悲しそうな顔になる。それはもういつものお約束になってしまっていて、土方はいつも無視することに決めていた。 「ったく、大人しく寝てろって言っただろ」 「今日は調子がいいから大丈夫でさァ」 「嘘吐け。お前先週だってそんなこと言って後で……その、大変だったじゃねぇか」 血を吐いた、とは流石に口にできなくて慌てて適当な言葉を繕った。沖田に気を使ってというよりはなんとなくそれを言うことで何か変えられない現実を認めることになるような、そんな気がしたからだ。 「今日こそ平気かもしれないじゃないですか。それに日がな一日寝てるのって結構疲れるんですぜ」 「よく言うぜ」 こんなことになる前はむしろ喜んで毎日惰眠を貪っていただろうに、今では全く反対になってしまった。あれほどサボり魔だったくせに今頃になって自分にもできる仕事を持ってこいと駄々をこねる。典型的な天邪鬼だ。 沖田はまだ何か言いかけたが土方のほうはここで問答を続けるつもりはない。以前よりずっと小さくなったような錯覚を覚える華奢な体を両腕でしっかりと抱き上げて、有無を言わせず部屋の中に連れ戻した。 ぐちゃぐちゃにされたシーツを適当に足で伸ばし、その上にそっと寝かせる。足のほうに丸まって捨てられていた掛け布団を拾い上げ、胸の辺りまでかけてやった。自分も座りかけたところで吹き込む風に気がついて立ち上がる。障子を閉めようとしたところで、布団の中の沖田が異を唱えた。 「障子、閉めないでくだせェ」 「わかった」 今日は風が少し冷たいのであまり風にさらしたくなかったのだが、さすがに一日中こんなところに押し込められていたのでは気が滅入るのも頷ける。なのでとりあえず半分だけ開けておくことにした。 「寒くないか?」 「へーき。土方さんのが寒いんじゃないですかィ?」 「問題ねぇよ」 座ろうとして、自分がここに座ると沖田が外を見られないことに気づいて反対側に回ってやった。そうしてようやく腰を落ち着け、土方も沖田に倣って外を見やった。 透き通るような冷たさを運ぶ風が銀杏の枝葉を揺らす。遠くのほうからかすかに隊士たちの稽古の声も聞こえた。 「あとどれくらいで色づきますかねェ」 「さぁな。あとで山崎あたりに聞いといてやるよ」 沖田が言っているのが銀杏の葉だということはすぐにわかった。この木は屯所での沖田のお気に入りポイントの一つなのだ。 「土方さんは知らないでしょう。あそこの手前の枝、すっげぇ寝心地いいんですぜ」 「知ってるよ」 いつか沖田がそんなことを言っていたのを覚えている。それに実際よくここで仕事をサボって昼寝しているのを起こしにきたこともある。それなのになぜ、知らないと思うのか。土方としては逆にそちらのほうが不思議である。 「俺にはもう登るだけの力はないけど、あの寝心地と景色だけはきっと忘れやせん」 「そうか」 他になんと言っていいのかわからず、それしか返事を返すことができなかった。それでも沖田は少しも気にした素振りもなく、久しぶりに話し相手ができたことがうれしいのか楽しそうに話を続けた。 「あ、あと知ってますかィ。きれいに色づいた銀杏の葉っぱを枕の下に置いて寝ると、いい夢が見られるらしいですぜ」 「試したのか」 「はい」 「で、結果は」 「いい夢見られましたぜ。10回に4回くらいは」 「アホか。それ葉のせいじゃねぇよ絶対。確率低すぎ」 「やっぱそうですかねェ。でも俺は信じてるから。土方さんみたいに夢も希望もない大人にはならないって決めてるし」 つーかなれそうにないけど、と少し間をおいて付け足した。しかし口調はあくまでも軽いままで、本気でそう思っているようには全然見えない。そのことが一層土方の胸に耐え難いものを沸き起こらせる。 土方には理解不能だった。もう余命幾許もないと知っていながら、尚も以前と変わらず笑っていられる沖田総悟という存在が。 自分ならこうはいかないのではないかと思う。足掻いて足掻いて、絶望して、とてもじゃないが笑ってなどいられない。 今ここでこうしている自分の存在がそう遠くないうちに消えてなくなってしまうというのに、沖田はなぜこんなにも楽しそうに銀杏の話ごときにに花を咲かせることができるのだろう。 苦しんで苦しんで、その果てに死が待っているというのに。 弱い力で袖を引かれ、土方は我に返った。見れば大人しく横になったままの沖田が困ったような顔をして笑っている。 「話、聞いてないでしょう。仕事疲れですかィ?」 理由を知っていて、わざとそんなことを聞いてくるのは本当の理由を否定したいからかもしれない。 「苦しくねぇの?」 病が。変えられない近しい未来が。 もっと顔がよく見えるようにと沖田の額に手を当てて、前髪を掻き揚げる。こんな寒い中外にいたせいだろう、額はひんやりと冷たい。 「苦しいですよ」 苦笑を濃くして、それでもまっすぐに土方の視線を受け止めて答える。もう二人とも銀杏を見てはいなかった。 「でも仕方ないでしょう。そういうものなんだから」 それは病気を指していたのかもしれないし、運命そのものを指していたのかもしれない。そしてそれはどちらも同じことともいえた。 「でも不思議ですね」 そのときの沖田の表情があまりにも安らかで涼しげで、思わず「何が」と聞き返すことすら忘れた。 「土方さんのほうがずっと苦しそうだ」 言葉を失う。だってきっとそれは図星だったから。 苦しい。死にそうなくらいに苦しい。 それで一体何が悪い? 「……ったりめぇだろ」 苦しくて苦しくて、どうしていいのかわからなくて。世界がもうすぐ闇に閉ざされてしまうような、そんな予感さえして。 でもその予感は間違いなく的中する、確定事項で。 「俺はお前がわかんねぇよ。なんでそんなに平気そうなツラしてんだ。お前、もうすぐ死ぬんだぞ! いっぱい痛い思いして、血も吐いて、近藤さんや俺よりもずっと若いってのに、戦場でもなんでもないこんなくだらねぇとこでっ」 二人とも果てるなら戦場か、ずっと遠い先の未来でだとばかり思っていた。こんな結末認めたくなかった。 「やりたくねぇよ。病なんてわけわかんねぇもんに、お前をっ。お前をどうこうしていいのは俺だけだろうが!」 「土方さん!」 沖田が土方の剣幕に驚いて声を上げるが、土方の耳には届かない。 嫌だった。沖田が苦しむのを見ているのは。これ以上そんな様を見ていたらおかしくなってしまいそうだった。 沖田の上に馬乗りになり、細い首を両手で掴む。弱い抵抗は無視して、何か叫ぼうとした喉をゆっくり絞め付けていった。喘ぎ声にも似た、掠れた呻きが漏れる。 「っじ、かた……!」 「病なんかに奪われるくらいなら、俺が先に奪ってやるよ!」 苦しくて苦しくて、この苦しみをどうにかしたくて。 もう苦しむのを見たくなくて。 結局手にかけるのはどちらの理由が大きいのか。でもどちらにせよ、これはただの身勝手で傲慢なエゴでしかないのだろうと、どこか頭の隅の冷めたところで考えていた。 沖田の顔が苦痛に歪む。病ではなく、土方のせいで。 自分は病にまで嫉妬しているのかと思ったら自嘲の笑みがこぼれた。最低だ。 そのとき沖田と目が合って、その目は、やはり笑っていた。 この笑みはよく知っている。 土方を殺そうと狙うときに必ず浮かべる、不敵な笑みだ。 そう思った瞬間、後頭部に鈍い痛みが走った。 何かで殴られたのだと理解するまでに数秒かかった。 痛みに世界が暗転しかける。ぐらりと大きく傾いて、それからハッと我に返って持ち直した。このまま倒れてしまっては沖田を潰してしまうと、たった今まで殺そうとしていたくせに。 ぼすっ、と背後で布団の上に重い物が落ちる音がした。 土方の手が緩み、開放された沖田は体をくの字に曲げて激しく咳き込む。右手を口に、左手を今しがた土方に絞められていた首に軽くあてがって。 咳きこみながらも沖田は苦しげに言葉を吐き出した。 「あん、たっ、さいって、ぇっ」 最低、と咳が収まってからもう一度言い直す。手の平を見て血痕がないことを確認してから水差しに手を伸ばし、こくんと小さく喉を鳴らした。 それらの一連の行動を終えると沖田はまだ中腰で自分の上にいる土方を迷惑そうな目で見上げつつ布団を被りなおし、手探りで土方の後ろに落ちていたものを拾った。それは土方もよく見慣れたものだった。 「こりゃあお手柄だ。殺人未遂の現行犯逮捕ですねェ?」 にやりと笑う、その両手には包み込むようにして一丁の拳銃が握られている。そしてその銃口は当然のことながら土方の眉間に。 「いやまさか今際の際に副長の座が転がり込んでくるなんて思いませんでしたぜ」 遅ればせながら土方はようやく悟った。自分はさっきこれで殴られたのだと。 病で臥せっているとはいえ真選組の一番隊隊長だ。それなりに恨みも買っているし、この機に乗じて天誅を加えんとする不届きな輩が屯所に忍び込んでこないとも限らない。この拳銃はそういったときのための護身用として土方自身が沖田に持たせているものだった。 沖田の両手が小刻みに揺れている。怒りでも引き金を引くことへのためらいでもなく、拳銃を持つのが重くて辛いのだ。以前なら片手で自分の体の一部のように扱っていたというのに。 「何か、言うことは?」 「……悪い。すいませんでした。ごめんなさい」 心の底から謝った。ようやく冷静になれて自分が仕出かしたことの重大さを理解した。警察が病死寸前の部下を殺人未遂だなんて洒落にならない。 今度ばかりは引き金を引かれても仕方ないような気もしたが、土方の謝罪に満足したらしく意外にあっさり沖田は拳銃を下ろした。ずいぶん消耗したらしい。すぐに畳に投げ捨てて、大きな溜息を吐き出す。 「ったく、思いつめた男ほど怖いものはねぇや」 「大丈夫か?」 「一応。あ、でも痕残りそうなんだけどどう言い訳しましょうかねェ」 白い喉にまざまざと残る土方の手の痕。これでは隠しようがなかった。 しかし自分で蒔いた種だ。素直にあったことを説明しようと土方は思っていた。自分は然るべき処分を受けるだけのことをしたのだ。 「ねぇ土方さん」 「なんだ」 急に真顔に戻って沖田は尋ねてくる。少しだけ不思議そうに。 「あんたに殺されてあげたほうが、あんたは楽になるんですかィ?」 幼い頃、見聞きするものなんでもかんでも「あれは何」としつこいくらい聞いてきたときと同じ顔をしていた。今より背丈がずっと低かったあの頃の沖田と今の沖田が一瞬重なる。何の疑いも持たず、いつも自分の後をついてきた純粋な子供の姿。 「お前がいなくなるのに楽なことなんて、あるわけねぇだろ」 「弱い人だ。いつからあんたの世界は俺が中心になっちまったんだィ?」 「知るか」 そんなこと自分でだって覚えていない。いつの間にか気がつけば、というのが一番近いような気がする。 さっきまでとはもっと別の柔らかい雰囲気の苦笑を浮かべ、沖田は土方に手を伸ばした。両手で頬を挟み、土方に顔を逸らさせない。 「いいかィ。一度しか言わないから、よーく聞きなせェ」 そういえば初めて会ったあの日も、こんな風にして頬に触れられたことを思い出す。あのときの小さな手と比べるとずいぶん大きくなったものだと思い、それだけの年月がいつの間にか過ぎていたのだと知らされた。 「俺が死んでも、絶対に後を追うような真似だけはしないでくだせェ。自棄になったりもしないで、今みたいにちゃーんと隊をまとめて近藤さんを支えてあげて。それで生きて生きて生き抜いて、平和になったら結婚して子供作って、そういうフツーの幸せを、俺のかわりにめいっぱい楽しんでくだせェ」 「てめ、浮気しろってか。いつもうるせぇくせに」 「俺が死んでまで愛してくれなくていいですから。俺はあんたを縛るために好きになったわけじゃないし。俺が死んで辛いなら、忘れてくれたって構いやせん」 忘れるなんて、きっとできるはずがない。こいつ以上に誰かを愛せるだなんてまるで思えない。 沖田を好きになる前の土方にとって『恋愛』とは性欲処理やゲームと同じ意味の言葉で、こんなかけがえのないものを意味するための言葉なんかじゃなかった。そのことを気づかせてくれたのが沖田で、だから土方にとって沖田は最初で最後の存在なのだ。 「これさえ守ってくれるなら、今この場で殺してもいいですよ。それであんたの苦しみが和らぐのなら」 それが本心からの言葉だということは、目を見ればすぐにわかった。 沖田は本当に、心から今この場で殺されてもいいと思っていた。 やはり沖田という人間はよくわからない、と土方はしみじみ思う。 「お前はどちらかといえばどっちがいい?」 この答え次第でなら、手を汚しても構わないと思った。 沖田が本当にそれを望むなら、叶えてやりたいと思ったから。 それでももちろん沖田が首を振ることもなんとなく土方はわかっていた。今日の天気について話すみたいな軽い口調にどうでもよさそうな顔で、それでもはっきり否定するのだ。 「できれば最後まで力の限り生きていたいですねェ。銀杏がきれーな黄色に変わるのを楽しみにしてるんで」 「じじくせー」 「そう言わないでくだせぇよ。ここは本当に娯楽がねぇんだから」 自分でも自覚はあったらしく沖田は照れたような顔をした。 それから少し真顔に戻って、「それと」と付け加える。 「前にも言ったでしょう。最後まで、一分一秒でも長く、あんたと一緒にいたいんでさァ。たとえ傍にいられなくても、せめて同じ世界に存在していたい」 最高の殺し文句だ。口説いたこともないくせに、相変わらず不必要なスキルばかりがずば抜けている。これではたった一人のためだけに生きてきて、残された時間もそのためだけに生きようとしているみたいではないか。 そっと背中に手を回し、上体を起こさせる。沖田はされるがままに大人しく従っていて、土方は小さな体を力をこめすぎないよう注意して優しく優しく抱きしめた。 「お前、どれだけ俺が好きなわけ?」 「知らなかったんですかィ。沖田総悟はどうしようもないくらいに土方十四郎が大切で大好きなんですぜ。あんたは?」 「ばーか。聞くだけ時間の無駄だってぇの」 前髪の上から額に口接けを落とす。本当は唇に触れたいのだが、病をうつすのを嫌がって沖田がさせてくれないから。 「苦しくねぇか?」 「土方さんが苦しくなければ、俺は苦しくないですよ」 「んだそれ、わけわかんね」 「じゃあ一生わかんないままでいてくだせェ」 言って沖田は笑ったけれど、土方にはその理由がわからなかった。 それでも沖田が楽しそうに笑うからそれでいいことにした。 しばらくそうして抱き合っていたのだが、不意に沖田が思い出したように口を開いた。 「そーだ土方さん。殺人未遂の件なんですけどねェ、言い訳しないで済む方法思いつきましたぜ」 「何も言わずに腹を切るとかそれ系はなしの方向でなら聞いてやる」 「痣が消えるまで土方さんが仕事休んで俺の奴隷になればいいんだと気づきやした」 「奴隷って、他になんか言い方ねぇの?」 「じゃあ下僕」 あまりの言い様に土方は呆れて溜息をついた。 それでもきっと自分はこの言い分を飲むだろう。たまには仕事を先送りにして、暇を持て余している沖田と昔語りをするのも悪くないと思った。 仕事は後でいくらでもできるけれど、沖田と他愛もない話ができる時間は限られているのだから。 一万打記念に一時期フリーで配布していたものです。記念の割に暗いのはなぜだろう。 土方は沖田が苦しいのは病や死の運命のせいだと思っていますが、本当は土方が苦しそうなのを見るのが辛いだけっていう気持ち悪いくらいラブラブな二人。 06/04/09 |