あたしとだれかのラブゲーム

 好きとはつまりどういうことだろう。
 最近のあたしはずっとそればかり考えている。

「近藤さんは好き、山崎も好き、土方さんはびみょー、万事屋さんも好き……」

 そうやって好きの数(例外あり)を指折り数えてみる。たくさん。みんな好き。
 それでもその好きの中に、他の好きとは違う好きが混じっているってことに気づいたのはけっこう最近の話で。

「なんでだろ。何が違うんだろ」

 それが不思議で、だから最近はずっとそればかり考えている。
 でもあたしはバカだしこういう難しいことはわからない。だから自分より頭のいいであろう大多数の人たちに聞いてみようと思った。
 お前はバカだから何か困ったことがあったら周りの大人の人に聞けってたしか土方さんも言ってたし。
 土方さんの言うことの半分くらいは正しいんだ。半分だけだけど。


 さあ、そんなわけでいってみよー。


ケース一。近藤さん。

 志村家のコタツの中、無人の家にゴリラが一人。近藤さんを探すなら屯所の中より志村家だ。わざわざコタツの中まで尋ねて行って布団をめくれば、やっぱり近藤さんはいた。
 こんにちはって挨拶して、それからさっそく聞いてみる。やっぱり何か尋ねるなら一番年上の人だよね。ゴリラだけど。

「ねー近藤さん。あたしね、わかんないことあるの」
「ん? おお、どうした。お妙さんに何か用か?」
「違う」

 コタツから頭だけのそのそと出てきた近藤さんの顔の前にしゃがみこみ、あたしは一人で見廻りがてら遥々志村家のコタツの中まで尋ねてきた用件を伝えることにした。

「あのね、あたし近藤さんとかみんな好きなの。でもなんかそれとは違う好きもあるの。これって何かなあ」

 すぐに返事が返ってくるかと期待していたのに、答えは返ってこなかった。近藤さんはコタツから顔だけ出したまま凍りついてしまって、何を言っても反応がない。電池の切れたシンバル持ってる猿の人形みたい。ゴリラだけど。
 とりあえず待ってみる。五分経過。再起動。

「あ、相手は誰だァァァ! お父さんの知ってる人!? 駄目ですよまだそんな、許しませんよお父さんはァァァ!」
「……何の話?」

 肩をがしっと掴まれて、なにやらすごい形相でよくわからないことを捲くし立てられる。あたしはきょとんとしてしまって、とにかくわけがわからなくて困り果ててしまった。

 そんなことをしているうちに凶暴な家主が帰ってきたので質問タイムは強制終了。哀れゴリラはボロ雑巾に。持って帰るの重いからここに置いていこう。放っておけば勝手に復活するだろうし。近藤さん強いから。ゴリラパワーだ。

 あたしはよく土方さんにシュゴとかシューショクゴとかそういうのが抜けてて話がわかりにくいって言われるんだけど、今回も何か言葉が足りなかったのだろうか。とにかくあたしの質問は近藤さんにうまく伝わらなかったみたいだ。
 今度はもう少し上手にな日本語を喋れるように努力しようと思う。



ケースニ。山崎。

 お腹が空いたからご飯食べに屯所に戻ってきた。そしたらちょうど山崎がいて、他の隊士たちが食べ零したご飯を拾ってテーブルを拭いていた。監察ってこういう仕事の人だっけ。

「山崎ー、今って暇? 質問していい?」
「いいですけど。あ、そこのテーブルまだ拭き終わってないんで食事ならこっち側でどうぞ」

 隊服の上から割烹着着て、真選組のお母さんみたい。前にそう言ったら山崎はどこか遠くを見て寂しい笑いを浮かべて「だって俺以外に誰もやらないじゃないですか」と言っていた。山崎って実は偉いのかも。
 そんなことを思いながら、あたしは言われた通り山崎がきれいにしてばかりのテーブルに自分のご飯を並べて座った。
 質問二回目。今度は上手な日本語を喋ろう。

「あのね、好きっていろいろある?」

 無駄に長いからきっと近藤さんには伝わらなかったのだ。簡潔に要点だけ述べたほうがきっと伝わりやすい。つまりは筋道立てて話すのがうまくないから試みるのが面倒くさくなっただけなんだけど。

 山崎はテーブルを拭く手を止めて、トイレでツチノコでも見てしまったような変な顔をした。あれ、また伝わってない?

「そりゃあいろいろあるでしょう。家族への好きとか友達への好きとか」

 慌てて何か言い足そうかと思ったところで、山崎は返事をくれた。よかった今度は伝わったっぽい。無駄なことはいいから要点だけ話せって土方さんが言ってたのは正しかったのかも。なんでもあたしの長い文章はフメイリョウでわけわかんないからとかで。

「いっぱいあるんだ」
「ありますよ。でもなんですか突然」
「うん、あのね」

 あたしは山崎に伝えたいことを今度も簡潔に要点だけで説明した。つまりはいっぱいの好きの中にある他のとぜんぜん違う好きについて。話してる途中で向こうの廊下を近藤さんの泣き声が走り抜けたけど、それは割とどうでもよかった。

「この違う好きって何かな」

 そういえば、山崎とは少し前にもよくわからない会話をしたような気がする。たしか年明けらへんに土方さんと喧嘩したときだ。そのときもこういう気持ち関係の話題だった気がする。なんか縁がある。

 山崎は難しい顔をしてしばらく黙っていた。仕方ないからあたしはご飯を食べて待っていた。おいしい。でもお魚がうまくほぐせない。土方さん連れてくればよかった。あの人それはもう上手にほぐしてくれるから。あれは神業。あれだけなら尊敬してやってもいい。

「ちなみに沖田さんはなんだと思うんですか?」
「あたし?」

 それがわからなくて聞きに来てるのに、長々と待った末の答えがこれですか。半分くらい暇潰しにバラバラに解体されたお魚さんも浮かばれないよ。

「わかんない」
「それじゃあ駄目ですね」

 しかも山崎ごときに駄目だしされた。お前何様。山崎のくせに。

「教えてよ」
「駄目です。それは俺が教えることじゃなくて沖田さんが自分で見つけなきゃいけない答えですよ」
「だって土方さんがわかんないことは周りの人に聞けって言ってたもん」
「駄目なものは駄目ですー。ほら、魚で遊んでないで食べ終わったら食器片付けてくださいね」
「ぶー。山崎のくせに、いじわるっ」

 ちょっと拗ねてみたら山崎は苦笑いした。それでも教えてくれるつもりはないみたいで、そのかわりあたしの周りに飛び散った魚の残骸を片付けてくれた。いじわるだけどやっぱいい奴。



ケース三。万事屋さん。

 あたしはもう一度外に出かけた。
 最近はあたしが何をしてても土方さんは怒らない。よくわかんないけど忙しいみたいで最近あたしと見廻りに行ってくれない。あとなんかずっと機嫌悪い。うざい。だから今日も一人でお散歩。じゃなかった見廻り。

 今度は万事屋さんに聞いてみることにした。万事屋さんは山崎と同じくらいいい人だから、教えてくれるかもしれない。
 それに万事屋さんに会うのは好き。なんていうか、血が騒ぐ? みたいなそんな感じになる。

「お邪魔しまーっす。ご用改めでーす」

 元気よく遊びに来たらちょうど眼鏡君もいて、なんか買い物に行くところだったみたいだ。こっちが挨拶したら挨拶し返してくれた。姉は怖いけど弟はそんなに強くなさそう。でも山崎よりは強いかな。どうだろ。

「こんにちはー」
「いらっしゃい」

 勝手知ったる我が家のようにまっすぐ万事屋さんのいるリビングまで入っていく。万事屋さんはいつものようにソファに座ってジャンプを読んでいた。

「最近よく遊びに来るね。土方君構ってくれないの?」
「あんなマヨラーどうでもいいし。今日は質問しに来たの」
「ふーん。まあ座って」

 勧められるままにあたしは万事屋さんの隣に座った。それと入れ替わりに万事屋さんが立ち上がってお茶を淹れに行く。遊びに来たときは大体いつもこういうのが定番だ。時々眼鏡君が淹れに来ることもあるけど。

 あたしは万事屋さんの背中を見ながら今日も無理だなと思った。
 万事屋さんの背中には隙がない。今ここで斬りかかってもきっと斬れないような気がする。たぶんそれはあたっているんだろうとも思う。万事屋さんはいつもだらだらしてるのになぜか隙がなくて、まるであたしが万事屋さんの隙を探すのが癖になっていることを知っているみたいだった。

「それで、質問って?」

 お茶を淹れて戻ってきて、万事屋さんは早速聞いてくれた。今度こそちゃんとした答えは返ってくるのだろうか。あたしは期待を込めて万事屋さんに尋ねてみた。

「あのね、他のとはいっぱい違う好きがあるの。この好きが何か知りたいの」

 この好きは危険。あたしの中の何かが赤い信号を点滅させている。つまりこの好きはあたしにとってそれだけ奇妙で危険なすごいものなのだろうとなんとなく思っていて、だからあたしはこの好きの正体を知りたくてたまらなかった。
 だってなんか怖いんだ。怖いと思うのは正体が知れないからだって土方さんが言ってたから、あたしはなんとしてでもこの好きの正体を知りたいの。
 今度こそ、答えを手に入れることができるだろうか。

「山崎は教えてくれないの。万事屋さんは教えてくれる?」

 斬れそうで斬れない、奇妙で危険なこの人ならこの気持ちの名前を教えてくれると思った。この人なら、あたしのよくわからないものへの不安を壊してくれるんじゃないかと。
 だから聞きに来た。なのに、万事屋さんは困ったように笑って言ったのだった。山崎と同じ言葉を。

「俺は教えられないよ」
「なんで!」

 三人目も失敗。三度目の正直なんて言葉は嘘なのか。この言葉を教えてくれた土方さんは嘘吐きだ。あとで文句言ってやる。

「他の人にはもう聞いたの?」
「山崎に。でも、自分で見つけなさいって」
「俺もそうするべきだと思うけど」
「だってあたしバカだもん。わかんないよ。せめてヒント!」

 あたしだってはじめから何も考えてなかったわけじゃない。考えて考えて考えた末、わかんないから聞こうと思ったのに。
 土方さんが何事も努力は大切だって言うから努力したのにちっとも報われない。あの人本当は嘘吐き大王なんじゃないの。一緒にいなくてもあたしに嫌がらせを仕掛けてくる土方さんって何。ある意味すごい才能じゃないのこれ。斬っていい? あの人マジで斬っていい?

「じゃあヒント。土方君に聞いてごらん」
「あの嘘吐きに?」

 今日だけで土方さんに教わったことのいくつかは嘘になってしまった。今更新しいことを聞きに言っても信用なんかできやしない。そもそもあの人最近構ってくれないし。あたしと目も合わせないでやんの。何よあたしが何したっていうの。

 なんだか考えているうちに腹が立ってきた。そうだこれは土方さんを斬るしかない。斬ったらきっと最近のモヤモヤしたこの変な不安もなくなるかもしれない。得体の知れない好きはあたしの中からいなくなってくれるかもしれない。土方さんの霊魂と一緒に。そうだ、きっとそうなのだ。霊魂諸共抹殺作戦に切り替えよう。

「帰る!」
「そうだ、もう一つ」

 立ち上がってずかずかと帰りかけたあたしを、万事屋さんは引きとめた。まだ何かヒントをくれるならせっかくだしもらっておこうと思ったのだけど、今度のもやっぱり意味不明だった。

「沖子ちゃんは世界で一番誰が好き?」
「みんな好き」

 だってちょっと前まであたしの中の好きはみんな同じだった。どっちのほうがいっぱい好きとかそういうのあんまりなかった。両方好きでどっちか片方だけいっぱい好きなんて難しいこと考えたことなかった。

「ヒントをあげた依頼料ってことで、今と違う答えが出たら一番に俺に教えてよ。そしたらお礼に最高の魔法教えてあげる」

 いたずらっ子みたいな顔で、万事屋さんは内緒話をするときみたいに人差し指を唇の前に立てて言った。

「土方さんをこの世から抹消できるくらい?」
「それは答えが出てからのお楽しみ。気が向いたらまた遊びにおいで」

 今度こそ話は終わりらしい。あたしは一応お茶出してもらったしお構いされたわけなのでぺこりと一つお辞儀してさよーならって挨拶をして出て行った。

 万事屋さんはいい人。子ども扱いするけど。女扱いもするけど。それでもあの人はいい人。でもいつか斬れるか試してみたい。



ケース四。マヨラー。

 なんであの人には聞かなかったかって、最近ろくに構ってくれないからだ。なんていうかここまでくると避けられてるんじゃないかって気さえしてくる。仕事中毒なんだきっと。可哀相な人だ。早く斬って楽にしてあげないと。

 そんなわけで本当は聞きに行きたくないんだけど(だってなんか構ってほしいみたいに勘違いされたら嫌だ)、もう他にあてもないから仕方なく聞きに行こう。
 しかし相変わらずノックもせずに入ろうと手を伸ばしかけたところで、中から近藤さんの声が聞こえてきた。

「トシぃ、お前なら知ってるんだろ誰だ俺の娘に手を出した奴はァァァァァ!」
「……知らねーよ。つーかウザいから帰れ。仕事してくれ俺にしわ寄せが全部来る」

 近藤さんに娘なんていたっけかな。志村姉との間に子供はまだいなかった気がするんだけど。それともあたしが知らないだけ? そんなはずないか。で、それじゃあ誰なのゴリラガール。

「こんにちわー」

 とりあえず扉の外で考えていても埒が明かないし盗み聞きだと思われるのも嫌なので、あたしは堂々と部屋に入ることにした。
 あたしの姿を目にするや、動きを止める土方さんと近藤さん。何この失礼な態度。特にマヨラー。今すぐ斬り捨ててやろうか。

「何のお話?」

 そしてゴリラガールは誰。どんな顔をしているのか一度会ってみたいと思ったんだけど、試みても近藤さんとの意思疎通はできなかった。さっきから相変わらずのゴリラモード。お願い人間に戻って。言葉がわからないよ。

「だから誰なんだ、俺の知ってる人? 知ってる人か?」
「いやそれあたしが聞きたいんだけど」
「なぜだ、なぜ隠すんだァァァ!」
「え、なんで? ゴリラガール隠れちゃったの?」

 そんな泣かれたって困る。どうしよういつまでたってもまるで会話が見えてこない。これあたしが悪いの? あたしの日本語がまずいの?

 どうしていいかわからなくて困った顔で土方さんのほうを見た。土方さんはよほど仕事に追われているのかひどく疲れた顔で溜息をつき、それでもあたしが助けを求めているのをしっかり理解して近藤さんをあたしから引き剥がしてくれる。

「近藤さん、とりあえず帰ってくんねぇか。その件はまた今度付き合ってやるから」
「本当か? じゃあ次は絶対教えてくれるんだな? 教えてくれなかったら俺グレちゃうからな?」
「あー、もういいやめんどい。山崎にでも聞け」
「よーしわかった。山崎ー! 山崎ィィィィ!」

 土方さんは煙草を一本取り出して口にくわえ、本当に心の底から面倒くさそうに近藤さんを追い出した。土方さんの機嫌がかなり悪そうなのであたしも一緒に出て行こうかと思ったんだけど、よく考えたらまだ何もここまで来てやった目的を果たせていないので仕方なしに留まった。二度手間はごめんだ。無駄に多くこんな仏頂面を見る必要はない。

「で、お前の方は何の用だ」

 手でライターを弄びながら尋ねる土方さん。あたしとは少しも目を合わせてくれない。何この態度。すごい腹立つんですけど。用がなかったらとっくに斬り捨ててるよ?

「最近なんかあたしに冷たくない?」
「気のせいだろ。俺はお前と違って忙しいんだ。遊び相手がほしいなら万事屋にでも行くんだな」
「そういう言い方ないでしょうよ」

 これにはさすがのあたしもちょっとムッときて、つい言い返してしまった。何なの本当に。あたしが何したっていうの。もう本当にサイテーだこの人。仕事忙しいからって八つ当たりしないでもらいたい。

 もういっそここで斬って終わりにしようかとあたしが考え始めたあたりで土方さんはあたしの機嫌を損ねたことに気づいたらしい。煙と一緒に溜息を吐き出したかと思うと吸い始めてばかりのタバコをもう灰皿の上に潰してしまった。
 それから回れ右してその辺の引き出しを開けてお菓子を取り出す。土方さんは自分では食べないのになぜかいつも部屋にお菓子を置いている。土方さんの不思議のひとつだ。

「悪かったよ。ちょっと疲れててな。ほら、これやるから機嫌直せ」

 ポンポンとあたしの頭を軽く叩き、土方さんは手の上に飴を三粒落としてくれた。あ、これあたしの好きな飴だ。やった、あとで大切に舐めよ。
 我ながら簡単だとは思うけれど、これだけでさっきまでのムカムカはきれいさっぱり消えてなくなってしまった。あたしはこういうとこが楽でいいって土方さんに褒められたことがある。どういう意味かわからないんだけど。

「それで本当に何しに来たんだ? なんか今日はあちこちで謎かけをしてるらしいな」
「なんで知ってんの?」
「近藤さんと山崎が俺のとこに言いに来た」

 ということはつまり万事屋さんのところに行ったことまではバレていないと考えていいらしい。土方さんは万事屋さんのことが嫌いだから知られていなくてよかった。これ以上この人の機嫌を悪くさせて鬱陶しい生き物に進化させる必要はない。

「あのね、あたしわかんないことがあるの。土方さんがわかんないことは人に聞けって言うから、あたしみんなに聞いてたの」
「そうか」

 あたしは土方さんの顔を見上げて、今までした中で一番長い説明をすることにした。土方さんはあたしの日本語がおかしくても、どんなに変わったことでも、ちゃんと最後まで話を聞いてわかってくれようとする。だからあたしも安心して何も考えずにいい加減な日本語で喋れる。

「なんかね、あたしの中に他のとは違う好きがあるの。でもこの好きは怖いの。なんか嫌なの。でもなんなのかわかんなくって、どうしていいのかわかんなくて、モヤモヤってした感じ」

 赤信号。この好きは危険。だから早くどうにかしないといけない。じゃないとあたしはこのモヤモヤに押しつぶされて、どうにかなってしまいそう。こいつを早く斬らないと、あたしがあたしでいられなくなってしまいそうな。

「ねー土方さん。これって何? あたし、どうすればいいの?」

 これであたしの話はおしまい。土方さんはいつもどおり、最後まで黙ってずっと聞いていてくれた。相変わらず上手に喋れなかったと思うけど、土方さん相手ならきっときちんと伝わると思う。いつだってそうだから。ちゃんと伝わるから。それで答えをくれるんだ。土方さんの不思議そのニ。

「その好きの正体が知りたいか?」
「うん」

 あたしの頭の上に置かれたままだった手が、頬の辺りに落ちてくる。なんとなくあたしはその手を捕まえて、あたしのよりずっと大きくて骨ばっていることに少し驚いた。これじゃあ別の生物だ。これが男と女の違いなのかな。あたしもこういうかっこいい手がほしい。

「それはな、きっとお前がそいつのことを誰よりも愛しているからだ」
「ほぇ?」

 全然別のことを考えていたのもあって何を言われたのかわかんなくて、あたしは変な声を出した。アイシテルってなんだっけ。あまりにも耳慣れない言葉にきょとんと首を傾げてよく考えてみる。

 するとたぶんあたしがわかってないことが伝わったんだと思う。土方さんは少しだけ苦笑いして、別の言葉に言い換えてくれた。

「つまりお前はあの銀髪と結婚したいってことだよ」

 ケッコン。現場に残ってる血の痕。山崎とか監察がときどきなんか調べてる。赤くて黒いの。
 あともう一つ。旦那様を持つこと。お嫁さんになること。

「……旦那様とお嫁さん?」

 こっち? こっちのケッコン?
 自信がなくて尋ねてみたら、そうだって短い返事が返ってきた。

 えぇぇぇぇぇ。嘘だ。嘘嘘。ありえない。だってそんなのありえないよマジで。もう駄目だって無理だから考えられないから。
 そうだ考えてみれば今日一日であたしはこの人を嘘吐き大王に認定したんだっけ。そうだきっとだからこれも嘘なんだ。

「それで真実は?」
「は?」
「は、じゃなくて本当のところは何? あたし、真面目に聞いてるんだからね」
「いやだから別に冗談言ったつもりはないんだが」

 何それ。つまりこれが一日聞き歩いた末に辿り着いた答えですか。この答えならあのお昼の三口くらいしか食べるところが見つからなかったお魚さんも浮かばれるんですか。
 もう嫌だ。わけわかんない。なんであたしがアイシテルになってケッコンになるの。

「あたし帰る!」

 どこに、なんてわからない。まだ勤務時間だし(全然お仕事してないけど)ここがあたしの住処だから帰るも何もないんだけど。
 とにかく今あたしはものすごく混乱してて、ただひたすらにどこかへ逃げてしまいたいと願っていた。

 まだ持ったままだった土方さんの手をえいとその辺に投げやって、もらった飴だけは大事に握り締めて万事屋さんのところのときよりずっと急いで出て行こうとした。

「待てよ」
「きゃんっ」

 これだけはやめてっていつも言ってるのに。土方さんがあたしの髪を引っ張って止めたので、あたしは嫌々立ち止まらざるを得なくなった。反則技だ。ずるい。


「お幸せに」


 言葉の意味なんてもちろんあたしにはわからない。何がどうなって幸せになれるの。不安ばかりに変わってしまったこの世界で幸せになんてとてもなれそうにないよ。
 ただそのときの土方さんの顔がまるで別人みたいで、さっき飴くれた人とは違う人のような気がして、どこが違うなんてうまく言えないんだけど、なんとなくひどく嫌な気持ちがした。モヤモヤがいっぱい大きくなったみたいな。

 なんでかわからないけどあたしはこの言葉にものすごく腹が立って、乱暴にその手を振り払って逃げ出した。早くここでないどこかに行きたい。危険信号がチカチカとあたしの頭の中で瞬いている。



ケース五。あたし。

 どこをどう走ってきたのかなんて覚えてないけど、あたしはいつのまにか屯所の外れにまで来てしまっていた。もちろんこんなとこには誰もいない。

 そこでようやく立ち止まって、息を整えようとしたところであたしは初めて気がついた。自分が泣いていることに。
 何これ。あたしったらなんで泣いてるの。何が痛いの。何が悲しいの。それとも何かうれしいの。

「ふぇぇ、ぅぇっ」

 なんか胸が苦しい。どうして泣いているのかもわからないまま、あたしは自分の涙の止め方もわからずその場でうずくまってしまった。
 しゃがみ込んで膝の間に顔を埋めて、ぱさりと軽い音すらなく長い髪が地面に落ちる。

 好きって何。好きって怖いよ。こんなに苦しい気持ちなら、あたし好きなんて気持ちほしくない。アイシテルもケッコンもいらない。ただのみんな好きの好きだけでいい。それだけがいい。

 死刑宣告を下されたような気がした。好きっていう名前の得体の知れない殺し屋が真選組隊長を殺しに来るんだ。

 殺しに来るならあたしは戦わなくちゃいけない。あれを殺すまであたしの不安はきっとなくならない。斬らないと。どうにかして、息の根を止めて、そうすればあたしは救われる? 楽になれる?

 そうやってわかんないことだらけのモヤモヤした気持ちを抱えてグルグルして、あたしは気が済むまでずっと泣き続けた。
 それから少し落ち着いてきたところで、土方さんがくれた飴を一つ口に放り込んだ。おいしかった。でも土方さんを思い出したらなぜだかまた泣きそうになった。

 ベトベトになった頬を手の甲でゴシゴシ擦って、暗くなり始めた空を仰ぐ。
 そこであたしは一つの重要なことをようやく思い出した。

「……あたし、他のと違う好きって二つあるんだけど」

 そうだずっと忘れてた。あたしの中にはみんな好き以外の好きがあって、でもその好きにも二種類あって、どう違うのかも教えてもらおうと思ったのに。

 ねー土方さん。アイシテルでケッコンの殺さなくちゃいけない好きはどっちの好き? 残ったほうの好きはなぁに? この答えは、自分でちゃんと見つけなくちゃいけないのかな。

 おしあわせに。さっきの土方さんの言葉を思い出したら、なぜだかまた胸がズキンと痛んだ。




 気がつけば二言目には土方さん土方さん言っていました。なんだこの子。
 天然というよりもひたすらに頭が空であることが一人称にしたことで浮き彫りにされた気がします。なんだか書く度に馬鹿度が上がっているような……。

06/09/30