死せる生者の苦笑い

 電話の音を呼び水に、夢から切り離された現実の世界が色を持ち始める。

 無言電話に誘われて死人を拾う夢を見た。
 健気に笑う死に顔になんと声をかければいいのかと迷っていた。

「銀さーん、僕ちょっと手が話せないんで電話出てくださーい」
「おー……」

 低く呻くような返事をして、ずるずると半ば這うように受話器に手を伸ばした。人の眠りを妨げておいて下らないセールスだったら住所つきとめてしばきに行こう、そう心に決めて。

「はーい、こちら万事屋でーす……ふぁ」
『……旦那?』

 受話器から聞こえてきた声に欠伸はただちに消滅した。今度こそ完全に頭の中がクリアになって思考が夢から切り替わる。

「うん、そう」

 適当に頷けば先方は『いつものー』とお馴染みの言葉を返してきた。相変わらずのふざけた態度だ。しかしそちらはあえて無視して落ち合う場所だけ聞きだすと即座に電話を切ってしまった。

「電話、何でした?」

 今頃になって手が開いたのか新八が顔を出す。

「仕事入った。ちょっと行ってくる」
「僕もついていきましょうか?」
「いいや、すぐ済むし夕飯作っとけ」

 それに依頼人は自分以外の人間がついてくることをおそらく好まないだろう。
 正夢だったかな、と今まで見ていた夢を思い返して一人ごちた。違うのは死人でないということだけ。少なくとも、今はまだ。







 まず先にスクーターで向かったのは真選組の屯所だった。
 スクーターをばれないようなところに隠し、慣れた様子で石垣を乗り越える。本当に慣れてしまったものだと思い、苦笑する気にすらなれないことに舌打ちをした。

 そして同じく慣れた様子で依頼人の部屋まで無事にたどり着く。今日はいつもより人の気配がなくてやりやすい。たぶんまた何か仕事で出ているのだろう。見つかる心配がないのは好都合だが、これでは外で待っている依頼人はさぞかし肝を冷やしていることだろう。それともあの子供に限ってそんなことはあり得ないだろうか。どちらにせよ、いっそ見つかってしまえばいいのにと思う。ここだけの話、この仕事はまったくもって乗り気じゃないのだ。

 それでも仕事は仕事なのでこっそり忍び入り、部屋の押入れを開ける。下の段の手前にはいつものように紙袋が一つあって、念のため中を一度確認してから片手に引っさげた。
 さあこれで準備は完了。後はコンビニに寄って水とタオルを買うだけだ。
 そうして帰りも誰にも見つからずにまんまと屯所を後にした。自分はあと何回ここに忍び込むのだろうと憂鬱な気持ちを胸に抱いて。



 この依頼を受けたのは今日で三度目だ。もう三度目。はじめの依頼からまだそんなに長い時間は過ぎていないはずだ。
 それが何を意味するのか知らないわけではない。本人もきっとわかっているはずだ。こんなことを続けていてはいけないのだと。ただでさえ長くない命を更に縮めないためには。

「待った?」

 密集した建物と建物の間、路地とも呼べぬ暗がりに座り込んで依頼人はこちらを見上げていた。誰かまわず尻尾を振る子犬のような表情で、黒くて赤い血に濡れてにっこりときれいに笑って。

「今来たところでさァ」

 電話と同じくふざけたことを言ってみせる、その口調とは裏腹に声はひどく弱々しい。それがどれだけ相手の悲しみを誘うかなどきっと一度も考えたことはないのだろう。

「ほら水。あとタオルも買ってきた」
「すいやせん」

 手に入れてきた物たちをいつもどおり直接には手渡さず、手の届く比較的きれいそうなところに置いてやった。すると依頼人、沖田はこちらが一歩下がるのを十分に待ってから袋に手を伸ばし、まず真っ先に口をすすいだ。吐き出された水は残酷なほどにきれいな赤い色水に化けていて、「赤いや」と本人もおかしそうに笑った。

 それから水で顔を清めタオルで拭う。一番汚れた手のほうは血塗れの服を全部脱ぎ捨ててから同じようにした。その間、じろじろ見ているのも失礼のような気がして遠くの明るい通りのほうを眺めていることにする。

「今日、屯所に人が少なかったけど何かあった?」
「へい。山崎が桂のアジトつかんだとかで隊士はほとんどそっちに回されてんでさァ。ま、思った通り逃がしちまいやしたけど」
「ふーん。じゃあきっとまだ追ってるんだな」
「たぶんそうでしょうね。俺はすぐに走んのしんどくなってフケちゃったんだけど」

 こんなのが一番隊隊長だなんて情けねぇや、言って沖田は苦笑した。桂を逃がしたことより遥かに悔しそうに。
 この少年がこんな顔をすることを今まで自分は知らなかった。初めて知ったのは最初に依頼を受けたときで、あれからは毎回この顔に会っている。彼の保護者たちは彼のこんな顔を知っているのだろうかと、見る度に思う。

「もうやめたら?」

 着替え終わって外見だけは元通りになった嘘吐きに聞いてみた。欺き続けるのをそろそろやめたらどうかと。

「そのうちばれるってのはちゃんとわかってるんだろ。その時お前の大好きな連中がどれだけ悔やむと思ってんだ」

 もしも自分が彼らの立場にたたされたなら、責めて責めて責めまくるだろう。気づいてやれなかったことを。何も知らずに命を削らせていたことを。

 しかし沖田が浮かべたのは、想像していたような逡巡や悲哀の色ではなかった。夢で見たのと同じ、健気な笑い顔。それでいて少し苦笑を孕んだ、およそこの年頃の、特にこの少年には似つかわしくないような。

「わかってまさァ。でも俺はあの人たちが大好きで、少しでも役に立ちたいんです。それが俺の存在理由だから」

 生きることも死ぬことも二の次でそれだけが全てだというように、沖田はきっぱり言い切った。そして血の染み付いた地面を踏みつけて立ち上がる。

「だから旦那、このことはどうかまだ黙っててくだせェ。あと少しだけ」

 少しよろけて壁に片手をついて、それから本当によく目を凝らしていないとわからないくらいわずかに、ぺこりと頭を下げた。

 また沖田について新しいことを知ってしまった。ふざけた態度の裏にある、健気で純粋な本心を。こうして新しいことを知る度に、どうしてこんな子が死ななくてはならないのかと切ない気持ちにさせられる。


「わかった。約束する」


 他の答えなど口にできるはずがなかった。依頼人がこうまで言うのなら部外者である自分にはどうこうする権利などない。ただ見守り続けるだけだ。全てが終わる、その時まで。

「すいやせん」
「別に謝ることじゃねぇよ」

 血塗れになった隊服が乱雑に詰め込まれた紙袋を受け取って、残った方の手を貸してやる。あれだけの血を一度に失ったのだから貧血で歩き辛かろう。


「ねぇ、旦那。近いうち、もう二つ別の依頼をしてもいいですかィ。……それが、最後ですから」


 手を引いて暗がりから陽だまりへ抜け出そうと歩き出したところで沖田は言った。最後という言葉に反応してつい足が止まってしまう。


「……そん時はお客様感謝デーにして格安で請け負ってやるよ」

「ありがとうごぜぇやす」


 それきり二人は何も話さず手を繋いでしばらく歩き、適当なところで別れた。
 沖田はその場でどこかに電話をかけ、待っているよう言われたのかぼんやり日陰に座っている。また倒れやしないかと気になって離れたところで見ていたら数分で土方がやって来た。

 沖田の顔を見るなり土方が頭を小突く。負けじと沖田もじゃれ付くみたいに殴り返していた。楽しそうに笑いながら。その先に待つ未来など、まるで少しもおくびにださずに。


「早く気づかないと後悔するよ、土方君」


 聞こえていないとわかっていても言わずにはいられなくて、こんな微笑ましい光景を見られるのもあと少しなのかと思うと寂しかった。もうすぐまた一人知り合いが消えていく。

 最後の依頼が何なのか、二つのうち一つは予想がついている。しかし予想が当たっていようといなかろうと、そして残る一つが何であろうと、依頼人の気の済むようにしてやろうと誓った。


 それが万事屋である自分にできる、唯一のことだから――




何を考えていたのかは我ながら不明ですが、今回は地の文で遊んでみました。何一つ効果がないと思われるのでただの遊び。そしてたぶん気づく人はいないだろうなと。


06/11/04