祝福の雪すら降らない

 いい加減うんざりしてきた機械音声に溜息を吐き電話を切った。そのままそこらにぶん投げて苛立ちをぶつけたい衝動に駆られるが、その度にいつ連絡が来るかわからないからと自分に言い聞かせて何とか思いとどまる。

「ったく、何してやがるあの馬鹿」

 毒づきつつ、十数通目となる『早く帰って来い』とだけ打ったメールを再送信する。そうしている間にもやはり返信も電話もかかってこない。

 時刻はまだ10時前だ。されどもう10時と言い換えることもできる。
 もう結構な年齢なのだし土方としても少し帰りが遅いだけでこんなに口やかましいことをしたくはない。しかし沖田はあれで一応一番隊の隊長なのだ。連絡がつかず行方も不明では許されない。
 もちろんそのあたりのことはよく言い含めているつもりだし、沖田のほうも迷子だとか寝過ごしたとかで帰りが遅くなるときは大抵土方に連絡を寄越してくる。もしそれを怠ったとしても、必ずこちらからの連絡には応じていた。

 それなのに今日は夕方からずっと音信不通のままだ。例によって例のごとく何も告げずにふらりと一人で出かけて行って、今なお屯所に帰ってこない。何かあったのだろうかと流石に少し不安になってきた。仕事柄、恨みだけなら安月給でたくさん買っているのだ。

「副長、もうお休みですか?」

 あれやこれやと一人で思案していたところに山崎の声が割り込んできた。障子のほうを見やれば山崎のシルエットがある。
 どうせ仕事の話だろう。何もこんな時間にとも思ったが、いつ起こるかわからないから事件は事件なのだと思い直してしぶしぶ布団から這い出した。まだ寝るつもりはなかったが今日は格別に寒いので布団を敷いて暖を取っていたのだ。

「どうした。何かあったか?」
「いえ、お電話です。沖田さんから」
「総悟から?」

 思わず手に持っていた携帯を見下ろした。しかしこちらは相変わらず沈黙したままである。他の隊士経由でかかってくる電話といえば真選組の、つまりは110番しかないのだがなぜそんな番号にかけてきたのか。

「また自分の携帯壊したんですかねえ」
「かもな」

 過去にも何度かそれで番号がわからなくなってあちらにかけてきたことがあった。かけてくる度に必ず「俺でも覚えられる番号で助かりまさァ」とぼやくのだ。

 そんなことを思い出しつつ、名残惜しいが暖かい布団と一時の別れをして電話を取りに歩きだした。寒い廊下をひたひたと歩いていると、いい加減うちも子機という文明の利器が加わった最新式の電話を導入するべきかと考えさせられる。そうすればこんなに寒い日に外に面した廊下を歩く必要だってなかったろうに。寒いのは嫌いだ。あの銀髪の次くらいに嫌いだ。

「俺だ」

 寒さに震えつつ早足で部屋へやって来て、置きっ放しになっている受話器を拾ってぞんざいな対応で出た。こうして態度で示さないとあれは反省という言葉を思い出さないのだ。

 しかし少し待ってみても相手からの応対はない。電波が悪いのだろうかと考えて、携帯からかけているのならこちらにかけてくるはずはないだろうと考えて首を傾げた。それではなぜ返事がないのか。

「総悟?」

 名を呼んでみてもやはり反応はない。もしかしたら土方が出るのを待っているのに飽きて、電話を放置したまま消えてしまったのかもしれない。沖田なら十分に考えられる話だ。これもやはり前科がある。

「……無駄足かよ」

 寒い中根性出してやってきたのに。まあ山崎とはきちんと会話していたようだし無事ならそれでよしとしようか。
 そう考えて耳から離しかけた受話器が不意に、微かな音を拾った。

 小さな、鼻を鳴らすような音。

 もう一度受話器を強く握り締めた。電話の向こうに沖田がいることを確信して。

「何があった?」

 話しかけてもすぐに返事はなく、更に数分もの間土方は待たされた。そしてやっと、実に半日ぶりに聞く声は、

『どうしよう、俺、ごめっなさ……っ、どうしよ、土方さん……』

 沖田に限ってあり得ないと言っていいくらいに動揺していた。

「落ち着け、総悟。今どこにいる?」

 やはり何かあったらしい。しゃくりあげて何度も同じことばかりを繰り返す沖田を必死に宥め、どうにか居場所を聞き出そうとした。こちらから逆探知することも可能だが、そうなると他の連中にも沖田の異変を気取られてしまうかもしれない。沖田はたぶんそれを望まないだろう。

『煙草屋の、隣……この前、土方さんが見廻りの時に煙草買ったとこ』
「わかった。今からそっち行くけどいいな?」

 尋ねるとまた沈黙が落ちた。どうやら本当は来てほしくないらしい。しかし最後には『助けて』とか細い返事が返ってきて、それきり電話は何の反応も返さなくなった。

「ちょっと出かけてくる。パトカー一台乗ってくぞ」
「あ、はい。どうでした沖田さん」
「迷子っぽい」

 迷った道が何であるかはわからないが。
 あの沖田が自分に助けを求めてくるなんてきっと余程のことなのだろう。
 最後の言葉を思い出し、よくわからない胸騒ぎに襲われた。






 沖田がいるらしいところはどちらかというと江戸の外れの方で、細い人気のない通りだった。その閑静さを買って幕府高官の屋敷などがぽつぽつと見られるくらいで他には特に何もない。
 歩いていくのはずいぶん骨が折れる距離で、この前二人で見廻りがてら歩いてきた時も、来たのはよくても帰りはさすがにしんどくなって、結局タクシーを拾ったのを覚えている。

 なぜこんな辺鄙なところに沖田はいるのだろうか。パトカーに乗っていった形跡はないし、一人でここまで歩いて行く理由などそうそう思い当たらない。暇潰しならもっと近場の別のところを選ぶだろう。
 そう思いつつ、山崎に渡された沖田のコートを胸の前で抱きしめた。別に深い意味はなく、ただ単純に寒いのだ。何せ道が細すぎてパトカーでは途中までしか来られずに寒空の下を歩く羽目になっているから。

 開発や発展といったものから置き去りにされてしまったらしいこの場所には街灯やネオンの類は一切なく、今夜が雨や曇りでなくてよかったと思えるほどに光源は月と星だけに頼っていた。
 そんな仄かな明かりたちにさらされて、公衆電話の足元に真っ白い何かがうずくまっている。
 本当に気味が悪いくらいに白くて、土方ははじめそれが膝を抱えてうずくまっている人間だとわからなかった。

「総悟か?」

 半信半疑で声をかけると、膝小僧の間に埋もれていた頭がぴくりと動いた。どうやら本人らしいのでそのまま歩を進め、そしてようやく少し遅れて真っ白く見えた理由を悟った。

 沖田は支給品の白いシャツを着ているだけで、後は何一つ身につけていなかった。

「総悟!?」

 慌てて駆け寄り沖田愛用のダッフルコートをばさりと膝の上からかける。迷うことなく自分の分も脱いで、そちらは肩にかけてやった。着物で来てしまったためこれ以上着せてやるものを持っていないことに後悔を覚える。

「……ひ、ひじ」
「喋んなくていい。待ってろ」

 寒さに歯が噛みあわっておらず、ろくに口を聞ける状態ではなさそうだった。
 短くそれだけ告げると土方はすぐ脇にある自動販売機へ走って行って、破壊せんばかりに硬貨を叩き込んだ。赤いランプが寒々しく点灯し、前にここで押したのと同じボタンを押す。沖田にはカフェオレを、自分にはブラックコーヒーを。

「ほら、持てるか? 落とすなよ」

 どうせ寒さでかじかんだ手では蓋も開けられないだろうと思い開けてやってからそっと手渡した。これで少しは体も温まるはずだ。コートをやってしまって自分も寒さに震え、缶に口をつける。

 今日は朝から雪でも降りそうな寒さだった。そのせいか空気はいやに澄んでいて星がいつもより多く見える。暇さえあれば空を見上げてぼんやりしているような沖田が何故こんなところで縮こまって俯いていたのだろう。
 こんな寒さでなくともこの格好は、明らかに異常だ。

「ごめ、なさい……」
「総悟?」

 カフェオレを両手で持ったまま、沖田は突然ボロボロと泣き出した。
 普段ならあり得ないことに土方はぎょっとする。子供の時にだって沖田がこんな風に泣くことは本当に滅多になかったのだ。よほどのことでもない限り。

「何があったんだ? 一からきちんと話せ。落ち着いたらでいいから」

 この言葉にこくりと頷き、沖田はグスグスと泣きながらちびちびカフェオレを啜った。土方も同じように自分の分を飲みながら沖田を待つことにする。
 本当はすぐにでも暖かいところに連れて行くべきなのだろうが、沖田がすぐに動くことを納得してくれるとも思えない。動くということはどこかへ行くということだから。この格好で、人のいるところへ。

 そうして沖田は十五分くらい黙々と液体を喉に流し込み、空になったところでようやく少し落ち着いたのか、ポツリポツリと口を開きだした。

「この前、護衛の仕事あったでしょう? あの人に、お呼ばれしたんでさァ。そんで行ったら真選組を」

 そこで一度言葉が途切れる。また目にじわりと涙が浮かび、強く握り過ぎたのか空になった缶がみしりと音を立てた。

「言うこと聞かないと、真選組を、潰すって……っ」

「なんだって?」

 聞いて不快に眉を顰める。真選組を盾に何を迫られたのか見当がついてしまって。

「……それで、やらせたのか」

 沖田は頷く。一心に空になったカフェオレの缶に視線を落としたまま。その肩がカタカタと小刻みに震えているのは果たして寒さのせいだけだろうか。

「俺怖くて、気持ち悪くて……っ、だから無意識に土方さんの名前、呼んじまったんでさァっ、そんですごい怒らせて、こんな格好で放り出されて、帰れなくて、どこにも行けなくて……っ」
「もういい。何も喋るな」

 土方はまだ少し中身の残った缶を投げ捨て、泣きじゃくる沖田のことを抱きしめた。すると沖田の泣き声が一層大きくなって、こっちまで悔しさで泣きそうになってしまう。

「どうしよう土方さん。俺のせいで、真選組なくなっちゃうかも」
「させねぇよ。そんなこと、俺がさせねぇ!」

 そうだ、そんなことはさせない。どんな手を使ってでも真選組を潰させやしない。
 それに沖田を脅した相手は確かにかなりの権力者だが、真選組は松平の管轄なので直接手を下すような真似はできないはずだ。極端な話、松平を経由せずに来た話は公的な手順を踏んでいないという理由でこちらから断る権利だってある。
 と、そこまで考えて土方ははたと気がついた。

「というかお前、なんで呼び出しの件黙ってた?」

 土方のところに沖田に呼び出しがかかったなどという報告は届いていない。隊長とはいえ一介の隊士に直接話がいくなどどう考えたっておかしい。いくら沖田だってそれくらいはわかっただろうに、一体どうして。

「それ、は……」

 言い淀み、視線を彷徨わせる。何か言い訳を探すときの沖田の癖だ。その癖を見た瞬間、土方はまた嫌な予感に襲われた。

「お前、まさかはじめからわかってて……」

 沖田が俯く。その沈黙が何よりも肯定を示していた。はじめから体を求められることをわかっていたから、あえて話さなかったのだと。

「てめぇ、なんで俺に言わなかった! わかってて、どうして行くんだよ!」
「……確証がなかったから」
「そんなの理由になるか!」

 土方は怒っていた。本当に、腹の底から怒っていた。こんな時にさえ頼ることをしてくれない沖田のことを。

「なあ、そんなに俺って頼りない?」

 頼る価値のない、好きな相手を守るだけの力のない男だと、沖田の目には映っているのか。だとしたらそれは、とても悲しいことだ。

「違いまさァ」

 少し困ったような顔で沖田は土方に手を伸ばした。そっと人差し指の先が目の縁をなぞる。見えない刃物のように冷たい空気の中、沖田の指は驚くほどの熱を帯びていた。

「もし俺が話してたら土方さんはどうしましたかィ」
「そんなの決まってる。多少荒っぽいことをしてでもお前のことを諦めさせる」
「だからでさァ」

 沖田の指が離れていく。肌に残った温もりはみるみるうちに冷たい空気に攫われて、凍てつくような寒さを教えてくれるだけ。

「俺一人、体差し出せばいいだけの話なのにそんな危ない橋を渡る必要はねーだろィ? それにほら、別に死ぬわけじゃないし。おそらく」

 まるでなんてことのないように笑ってみせる沖田の目は本気でそう言っていた。凍死だってしかねない状況に追い込まれて、尚も本気で思っているのだ。
 しかしこれはそんな問題なのだろうか。それほどまでに軽い、取るに足らない犠牲なのか。自分は今こんなにも苦しいのに。

「お前、俺と真選組のどっちが大事?」
「選べやせん。ただこの二つのためなら俺は、自分なんかどうなったっていいんです。あんまり大事じゃないんです」

 刹那の間さえも悩むことなく返された答え。ほんの少しだけ、申し訳なさそうに。
 その表情を見た瞬間ひどくやるせない思いがこみ上げてきて、もう一度強く沖田を抱きしめた。

 この冷たい凍え死にそうな空気の中で儚く揺れるロウソクの火のように暖かい沖田の熱を感じて初めて、真選組をいらないと思った。あんなものも土方自身もはじめからなかったのなら、沖田はもっと楽に生きられただろうに。自分を犠牲にする守り方など選ぶことも知らずに。今よりももっと幸せに包まれて。


「土方さん、もっと強く抱きしめてくだせェ。……もし嫌じゃなかったら」


 嫌なわけがない。その言葉に答えようともっと腕に力を込めた。このまま抱き潰してしまうんじゃないかというくらいに強く。
 沖田もまた、怖々とした風に土方の後ろに手を回してくる。震える手がくしゃりと髪を触って、ほうと安心したような吐息が漏れた。


「この腕の中で死ねるならきっと幸せだろうなァ……」


 眠りに落ちる前に「おやすみなさい」と言うようなトーンでぼんやりと呟く。
 そしてそれきり、ふっと沖田の体から力が抜けた。後ろに回されていたはずの手もぱたりと落ちて、だらんとしたまま動かなくなる。

「総悟!?」

 驚いて様子を見ようと体を離すと、土方という支えを失った沖田の体はぜんまいの切れた人形のようにどさりと地面に倒れた。ハッとして額に手をやると、これが人間の体温かというくらいに熱い。

 こんな真冬の寒い日にこんな姿で外にいればこうなることは必至だ。カフェオレなんか飲ませる前に、沖田がどんなに嫌がっても無理やりにでもどこかへ連れて行くべきだったのだ。それなのに目先のことばかりに捕らわれて沖田の異変に気づいてやれなかった自分に激しい自己嫌悪を覚える。

 これでは頼ってもらえなくて当然だ。沖田をこんな目に合わせてしまったのだって土方の責任かもしれない。

「くそ……っ」

 しかし今は自分の力なさを呪っている場合ではなかった。これだけの高熱となると沖田の生命をも脅かしかねないだろう。時は一刻を争う状態だった。
 少しためらったが結局、懐から携帯を取り出しある番号にかける。

「山崎、俺だ。今すぐ総悟の服一式と口の堅い医者一人用意しろ。くれぐれも近藤さんや他の連中には漏らすな」

 今から服を自ら取りに行く余裕はないし、土方には山崎のように要求に合った人材を探すための人脈もない。結局今の自分にできるのは暖房のきいたパトカーまで沖田を抱いて連れて行くことくらいなのだ。

 ぐったりした沖田の体を抱き上げる。ばさりとコートが地面に落ちて改めて白い肌が露になり、たくさんの痣や鬱血の痕跡が星明りに照らし出された。
 わかっていたはずなのに頭に強い衝撃を受けたような心地がして、生まれて初めて殺したいほどに強く自分を憎んだ。




 沖田を苛めよう計画その一。割とよくありそうなネタ。
 もしかしたら110番は奉行所に通じてしまうのかもしれない……。

07/01/16