ティーブレイク

 時として理解不能、日常的に歩く災害。それは隊士たちの間でしばしば囁かれる言葉で、我らが親愛なるファイナルウエポン様の密かな通り名である。誰が言い出したものかは監察の能力をもってしても不明だが、一つだけ確かなことはとてもよく当たっているということである。
 少なくとも山崎はそう認識している。



 山崎が訪れたとき、部屋には珍しい光景があった。いやむしろ恐ろしいと言い換えてもいいかもしれない。

「よう、山崎」

 きれいに整頓してあったはずの書類は床に散乱し、ついでにインクも転がっていて大惨事としか言いようがない。おそらくはここ三日間の仕事がパーだ。いい加減、短気なりに仕事として黙って耐えていた鬼の副長様もご乱心なさるかもしれない。そうなると真っ先に被害を被るのは間違いなく自分なので一瞬で元から低かったテンションがどん底まで急降下した。

 そんな胃の痛くなる光景のど真ん中、書類がどかされ空いた机の上には我らがファイナルウエポン様がふんぞり返って座っている。

 と、まあここまではまだ胃が痛むだけで月に一度くらいの頻度で見られる光景である。むしろ珍しくもあり恐ろしくもあると山崎に思わせたのは、沖田の後ろで机に突っ伏したまま動かないミントンの敵にして恐怖の権化、鬼の副長土方の方だった。

「寝てんですか、それ」

 ついに沖田が副長の座を手にしたのでなければそれは、眠っているように見えた。
 意識がないのをいいことに上司をそれ呼ばわりして指差す山崎に沖田は素直に頷く。そして先刻山崎が土方のために淹れたものと思われるお茶で勝手に喉を潤しながら、


「というか俺がお茶に一服盛ったんだけど」


 我らが真選組のファイナルウエポン様はさらりと聞き捨てならないことを仰った。


「えェェェェェェ!? 生きてんすかそれ!」
「安心しろィ。用法用量守って使おうという努力はしたぜ。努力は」

 というか毒物の場合用法用量守った方が危なくないか。それは確実に死ぬよう努めたという意味にとっていいのだろうか。いやまさか、口ではなんと言おうと流石にそれはない。たぶんない。なかったらいい。

 とりあえず念のため脈を確かめた方がいいだろうかと思ったところで、山崎は数秒前に交わされた会話とこの光景との矛盾に気がついた。そうだ、たしかに沖田は言った。お茶に一服盛ったのだと。

「つーかあんた飲んでません!? 自分で一服盛ったお茶飲んでません!?」
「あ、俺って薬効かない体質だから。てか山崎うるせぇ。言っとくけど盛ったのは睡眠薬だから。毒なんかで楽に殺しちゃやんねぇよこの人は」

 こちらのツッコミなどまるで意に介さず、湯飲みを持ったまま人差し指を立てて口元にあてがい、しい、と沖田は悪戯めかした笑顔で小さい子にするみたいな仕草をする。この笑顔に騙されて何百回泣かされてきたかわからない、いつか真顔で山崎にそう語った本人が現在返事のないただの屍のような状態なので、その台詞はかなり真実味があった。

 しかし確かに土方をよく観察してみると、肩が小さく上下を繰り返していた。どうやら沖田の言っているのは本当らしい。少なくとも生きてはいる。それならば起こして殴られるのも得策ではないと山崎は黙ることにした。というよりも無駄に騒ぐのに疲れたというのが本音だった。

「あれ? でも沖田さん、風邪引いたときよく薬飲んでますよね。……子供用シロップを」

 このまま回れ右して全て見なかったことにしてしまおうかとも思ったが、ふと気になったので尋ねてみる。薬嫌いの上に効かないというのなら、あえて飲む必要もないだろうにと不思議に思ったからだ。

「あれは飲まされてるんでィ。どうせ周りの気休めくらいにしか役立たねぇんだから、少しでもまずくない方を飲んだ方が得ってもんだ」
「はぁ」

 そういえば沖田は人一倍風邪の治りが遅いことを思い出した。だから風邪を引かせないよう、傍から見ていても鬱陶しいだろうと同情するくらいに土方や近藤に過保護に育てられている。その結果がこの傍若無人さだとするのなら、恨むべきなのは沖田ではなく育てた二人なのかもしれない。

「実は苦労してるんですね」
「まあ、そりゃ人間だし?」

 空になった湯飲みを手の中で転がしながらそちらに視線を落とし、沖田はつまらなそうに言う。あるいは少し拗ねたような。

 一瞬前に見せた笑い顔など幻影だったのだとでも言うかのような変わりように今更驚きもしないが、おそらく既に会話に興味をなくしてしまっているのだろう。沖田は何にでも興味を持つが、一度それが薄れれば文字通り見向きもしなくなる性質にある。

 なので会話を見捨てられる前に、もう一つだけ質問をした。

「で、本題ですがどうして一服盛ったんですか?」

 山崎のこの問いに沖田の視線が少しだけ動いた。山崎にではなく、眠っている土方の方に。その視線は哀れむような、慈しむような柔らかいものだった。


「土方さんは俺以上に人間だから」


 湯飲みが手放され、空いた手が土方の黒い前髪に伸びる。はじめはそっといたわるように触れられ、なのに次の瞬間には鷲掴みにされぐいっと引っ張られる。さすがにこれには堪えたか、土方の寝顔が歪んで呻き声が漏れた。

「ハゲますよ。副長が」
「よっしゃ」

 注意したら調子に乗って体ごとそちらを向いて今度は両手であちこち引っ張りまわしだした。
 他の人間相手には滅多に見せない、とても楽しそうな表情。山崎は沖田のこの表情が好きだ。しかしそれが山崎自身に向けられたことはまだ数えるほどしかない。そういう意味では強制的に眠らされた挙句に安眠妨害されている土方が、少しだけ羨ましかった。

「あの、俺の質問覚えてます?」

 別に土方がハゲようが山崎は一向に構わないどころかいっそハゲてヅラに給料注ぎ込んだらいいくらいに思っていたが、土方への悪意よりも沖田への好奇心の方が今回は上回った。なのでもう一度尋ねてみる。少しだけ呆れ混じりに。

 沖田はどうやら会話していた過去を思い出してくれたようで、土方で遊ぶのを中断してこちらに向き直った。そして問う。

「お前、今週の土方さんの平均睡眠時間言える?」
「副長のですか?」
「うん」

 もしかしてこれは会話に関しての記憶は残っていても質問が未回答のまま放置されていることは捨て置かれているのだろうか。それともこの会話の先に答えが待っているのか。釈然としないまま、我ながらいまいちな答えを返した。こんな答え、土方が相手ならきっと速攻で殴り飛ばされる。

「わかりません」

 だって一隊士である自分がそんなことを知るわけがない。それに山崎だって自分の仕事があるのでいつも土方と顔をつき合わせているわけではないのだ。特に最近は予定が立て込んでいるのか仕事している姿しか見ていない。そしてそれ以前に何よりも土方の私生活に山崎は興味がない。

 しかし沖田は山崎のこのいい加減な答えに大して気分を害した風でもなく、そのまま会話を先に進めた。

「実は俺も知らねぇ」
「それって何か意味あるんですか今の会話」
「そんでもって土方さんも知らねぇんだってさ」
「……はい?」

 ますますわけがわからなくなってきた。攘夷派連中の間で交わされる暗号文ならいくらでも読むことができる自信があるが、沖田との日本語による会話は時としてそれ以上に難解だと思うことがある。そのたびに土方が仕方なしに通訳に入り、山崎はよくわかるものだと感心したものだ。
 しかし今回はその通訳がファイナルウエポン様の策略により行動不能だ。どうにも濃霧の中を歩いているようで、言葉のキャッチボールができているのかどうかすらも怪しくなってきた。

「最近いつ会っても仕事してるから気になって聞いてみたら、最後に寝たのがいつだったかもう覚えてねぇし、そもそも寝るという言葉の定義が何なのかもわからなくなっちまったそうだ」
「ええと、それはつまり?」
「つまり、それくらい寝ていないんだと」

 それで、だからこれなのだろうか。お茶に一服盛って強制的に寝かしつけたと。
 もしかしたらこれはドクターストップならぬ、ファイナルウエポンストップなのかもしれない。少しばかり強引で、わかりづらい気遣いの元に行われたれっきとした攻撃だったのだ。

「この人殺すのは俺だから、過労なんかで死なれちまっちゃ困るんでィ」

 言ってまた、今度は思い切り頬をつねった。それはもうこれ以上ないというくらい幸せそうに笑いながら。
 久々の休息であるのは確かかもしれないが、夢見はきっとかなりよくないだろう。沖田が一度つねる手を離して赤くなっていることに満足し、逆の頬にも手を伸ばしだしたのを今度はもう止めなかった。

「で、副長の座は手に入りそうですか?」
「この人警戒心強くてねィ、なかなか達成できそうにねーや」
「そうですか」

 本当に殺したいのなら薬で眠っている今が好機だろうに。そう思って山崎は、ばれないように笑みを零した。副長様が目覚めればこの平穏はまた忙しさに掻き消されてしまうだろうから、せめて今くらいは二人でゆったりとした時を過ごせばいい。

 時として理解不能、日常的に歩く災害。そんな風に呼ばれている我らがファイナルウエポン様も、どうやらそれなりに人間らしい。
 そう結論付けて、山崎は副長室を後にした。




 テーマは第三者から見た土沖。あるいは最終兵器総悟。
 せっかく休ませてあげても、それまでの仕事をパーにしてしまってはあまり意味がないことを沖田は学習しません。

07/03/14