桜狂い 1.狂人と桜の恋 ひらひらと舞う淡い紅色の花弁。その下で、ふわりふわりと舞う少年。 優雅に空気を切る扇はまるで自身も桜の一部であるのだと錯覚しているかのよう。それを操る少年の目は遥か遠くを見つめていて、現世のことなど知らぬよう。 歌も楽器の音色もない、無音の舞。それは質素で味気ないものというよりもむしろ、その空間に音の入り込む余地のない神聖な空気を生み出していた。 誰もが酒を飲むことも騒ぐことも忘れ、桜と舞に魅了されていた。 女のように扱われることを憎むくせに、沖田は時々こうして舞うことがある。それは誰かに請われてだったり気紛れであったりするが、気に入った人にしか見せないそれはいつも決まって天上の世界に迷い込んだような不安を土方に抱かせるのだった。あまりにも現実離れした優美さのそれが、土方は嫌いだ。 「人がせっかく花見の余興を演じてやったってのに、何でィその不機嫌面は。全く失礼な人だ」 手にしていた猪口にゆらりと沖田の顔が映る。気がつけばいつの間にか舞は終わっていたらしい。土方の顔を見上げる沖田はもう、さっきまで舞っていた人物とは別人だった。ちゃんと、人間らしい音と色がある。不満そうに、子供っぽく唇を尖らせて。 「相変わらず俺の舞はお気に召しませんかィ。ちょっと腕上げたと思ったんだけどなァ」 「そういう問題じゃなくてだな」 「じゃあどういう問題?」 そう問われると土方は答えに詰まってしまった。 説明しようにも言葉が見つからないのだ。その不安と不満は確かに胸の内にあるのに、いざ形にしようとするとバラバラにほどけて手の中から逃げてしまう。自分でもわけがわからなくなってきて、土方はだんだん混乱してきた。少し酒を飲み過ぎたかもしれない。 「土方さんは怖いんでしょう」 出し抜けに沖田は言った。何が、と目で問うと「桜」と短い返事を寄越す。彼方へと視線を飛ばせばもう舞い手はいないというのに変わらずひらひらと花弁は舞い続けていた。そうして舞い続けていればいずれ残らず散ってしまうというのに、気でも狂ったかのように。 「桜はその美しさで人を狂わせるともいうけど、あれはあんたを苛めやしませんぜ」 そんなことはわかっている。いつだってお遊びで、気紛れにじゃれついているだけなのだと。いつか殺されるだなんて本気で思ったことはない。そう、いつだって本気で思われているわけではないのだとわかっているのだ。それでもわかっているからこそ、 「嫌いだね。人を狂わせるだけ狂わせてあっさり散っていなくなる桜なんざ」 もう酒の酔いのせいで自分が何を口走っているのかあまり自覚していなかった。ただ捕まえておかなければたちどころに消えてしまってそのまま永遠に失うような不安に駆られて、がむしゃらに沖田のことを抱きしめた。 「土方さん? 何の話してんですかィ。離せよこの酔っ払い!」 周りの連中の集まる視線も、沖田の抗議も全部無視を決め込んで、初めて人間じみた動揺を見せた桜の精の人間じみた体温に土方は満足を覚えていた。 まるで、永遠を手に入れたような気がして。 2.もう咲く準備はできている 酔い潰れて動かない土方を沖田はしゃがんで観察していた。その寝顔は明らかに苦しそうで、あまりに可哀相なので口と鼻を塞いで楽にしてあげたいと思うのだが残念ながら近藤から禁止令が出されている。 酒を飲んで馬鹿騒ぎを繰り広げている声を聞きながら、沖田はさっきの土方のことを考えていた。 あの時沖田は桜の話をしていたつもりだったのに、土方はどうも違う話をしているようだった。しかし問い質そうとしたところで酒に潰れてしまったため真偽を問うこともできない。置いてきぼりを食らったようで、なんだか気分が悪かった。 ひらりひらりと舞う桜が一枚二枚と土方の上に積もる。ここにずっと置いておけば土方はやがて桜の花びらに埋もれてしまうかもしれない。そうして残らず花が散り緑の葉がそよぐ下で、桜に喰われて人知れず静かに息を引き取るのだ。そうして人間から幻想の一部へと進化する。 そんな想像が頭を掠めて、嫌だなと素直に思った。この人に一年に一度しか会えないような存在になってほしくない。そうすればきっと春以外の季節を全て嫌いになってしまうだろうから。夏も秋も冬も、みんなつまらなくなってしまう。 ふと、桜が本当に怖いのはもしかしたら自分の方かもしれないと考えた。沖田はその美しさで人を呼び寄せ狂わせる桜が恐ろしいのだ。いつかそのまま、沖田の大切な人たちを浚って行ってしまいそうで。 だから沖田は舞うのかもしれない。桜が誰も、沖田の大事な人を浚っていってしまわないように。それが周囲の人間にはどのように映っているのかなど知らずに。 空を仰ぐ。青を埋め尽くさんとする紅色を帯びた白の眩しさに目を眇めた。 今、地上では人々が桜に狂っている。土方と沖田のただ二人を残して。 この美しいものを、土方は嫌いだと言った。心を奪い、すぐに去ってしまうものならいらないのだと。 「俺、土方さんになら全部あげてもいいかなあ」 もしもこの桜にではなく自分に狂ってくれるのなら、奪うだけなんかじゃなくてお礼に全てを捧げてもいいのに。永遠はわからないけれど枯れて土に還るまでずっと傍にいるのに。 桜という酒に溺れて目を覚まさない土方の額にまた一片の花びらが降り注いだ。沖田はそれをどけて、桜から守るようにそっと自分の手を乗せてみる。 どうかいつかこの人が俺に狂ってくれますようにと願いを込めて。 道場時代とかそんな設定で読んでいただけると助かります。 桜の季節になったらきっと書こうと半年くらい前から考えていたネタでした。 07/06/16 |