きらきら星

 それは突然訪れた。うとうととまどろみの中にいたのに飛び起きて、大急ぎで逃げ込んだのは押入れの中だった。

 怖い怖い謎の怪獣、どんごろがやってきたのだ。布団と布団の間に奥まで潜り込み耳を塞ぐ。目を閉じる。押入れの中は真っ暗で何も聞こえなかったけど、どんなに耳を手で覆ってもその恐ろしい唸り声と鳴き声はどうしたって聞かずに済みはしなかった。
 こんな日に限って今日は誰もいない。近藤は近くの川が大雨で氾濫しそうだとかで一時間ほど前から出かけて留守だった。土方はいつも会いに来てくれるわけではないし今日は天気が悪いからきっと来ないだろうと近藤が言っていた。

「ひっ……」

 どーん、と大きな音がした。心なしかさっきより近くで聞こえる気がする。
 見つかったらどうしよう。頭からガリガリ食べられちゃうかもしれない。そんな自分の想像に総悟は余計恐ろしさが増し、逃げ込むときに一緒に連れてきたウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。

 このウサギは総悟の一番のお気に入りだ。一人で留守番することの多い総悟のために土方が買ってくれたのだ。この真っ白でふわふわな総悟の初めてのお友達はだからこうしていつも一緒だ。抱きしめていれば少しだけ寂しいも怖いもなくなる。
 でもこの白いお友達は総悟とお話してくれないし、抱きしめたり撫でたりもしてくれない。土方が毎日遊んではくれないのと同じように、土方の連れてきたお友達はちょっとだけ薄情だ。

 土方さんに会いたい。総悟はそう強く願った。こんなときにいつも思い浮かぶ顔は近藤ではなくなぜかいつもあの人なのだ。大丈夫だよって、抱きしめてくれたならこんな気持ちすぐに吹っ飛んでしまうのに。

「総悟?」

 急に名を呼ばれ、総悟はびくりとした。重い布団のサンドイッチの具になっていたことも忘れ顔を上げようとする。上がらない。もし上げていればしたたかに上に頭をぶつけていただろうけど。

 土方さん、こちらからも呼ぼうとして総悟はハッと口を押さえた。
 たしかにあれは総悟のよく知っている土方の声だけど、もしかしたら偽者かもしれない。上手に隠れた総悟を探し出すためにどんごろが土方に化けているのかも。

 返事をしちゃ駄目だ。息を殺して総悟は外の気配を探った。
 押入れの隙間からわずかに光が差し込む。部屋の電気をつけたのだろう。みしり、畳の軋む音。足音は真っ直ぐこちらに近づいている。外ではどんごろの恐ろしい唸り声が、総悟を探して舌なめずりしていた。

「おい、総悟。いるんだろ?」

 押入れの襖を隔てたすぐ側でまた声が聞こえる。開けられてもいいように、総悟はお友達を抱いて布団のもっと奥にまでもそもそと潜った。

「出て来いよ。なんだ、具合でも悪いのか?」

 土方のふりをしたどんごろは、しきりに総悟をいぶり出そうと呼びかけてくる。それでも無視を決め込んでいるとついに襖が横に動いた音がした。
 総悟のもぐりこんでいるところまでさあっと微弱な光が入り込んでくる。それでもここなら絶対に外からは見えないはずだけど、もしも見つかったらどうしよう。不安と恐ろしさに総悟の心臓はやかましく飛び跳ねた。

 不意に、辺りが強い光に包まれた。総悟とお友達を隠してくれていた布団がどんごろによってめくり上げられたのだ。

 最初に見たのは土方の顔。その後ろ、開けっ放しの障子の向こうにカッと眩い閃光が弾け、薄暗さに慣れた総悟の目を眩ませた。それから立て続けに、どんごろの大きな鳴き声が間近で響く。

「ひっ、わあぁぁっ!」

 やっぱりこれは土方じゃなくてどんごろがそっくりに化けているのだ。確信と同時にパニックに陥り、ガムシャラに総悟は逃げようとした。もうこれ以上進むことのできない押入れの奥へ。

「って待て。何してんだお前は」
「きゃ――」

 逃げようとした足首をぎゅっと掴まれる。と思ったら力いっぱい引っ張られ押入れから引きずり出され、総悟は逆さまに吊り上げられてしまった。
 このまま食べられてしまったら本物の土方と近藤が悲しむに違いない。それにもうあの二人と会えないのなんて絶対に嫌だ。その一心で総悟は必死の抵抗を試みた。

 振り子のように揺れて、足を掴む腕を爪で引っ掻く。偽者の土方は総悟がまさかそんな行動に出るなんて思いもよらなかったのか、驚いて声を上げ、力が緩んだ隙に総悟は抜け出してすとんと畳の上に降り立った。

 そしてすぐさま飛び上がり、渾身の力で顎を蹴り上げた。ついでに仰け反ったところに、

「うさぎさんアターック!」

 顔面にお友達を投げつけた。ちなみにこんなこともあろうかとお友達は鉄のネックレス(と総悟は思っているが実際はチタン製の迷子札)を装備しているので当たるとちょっとだけ痛い。

「ぐは……っ」

 当たり所が悪かったのか偽者の土方は目を押さえてうずくまる。今のうちに逃げよう。そう思って大役を成し遂げ畳に転がっているお友達を拾い上げようとしたところで、またもや捕まった。

「うわっ」
「……っのガキ!」

 今度は反撃に出る前に畳に両手を縫い止められた。頼りのお友達は総悟の頭のあたりに観念したかのように転がっているだけで総悟を助けてはくれない。おまけにこれ以上暴れられないよう、ずっしりと上にのしかかられた。

「離せ! 何すんでィコノヤロー!」
「何するはこっちの台詞だっての。何パニックってんだお前。つか、お友達は武器じゃねぇって何度言ったら覚えんだ。目にプレート直撃しただろ」

 最後の言葉を耳にして、総悟はぴたりと暴れるのをやめた。
 じぃっと土方をよく観察する。全身がずぶ濡れで、総悟の頬にかかる長い黒髪はしっとりと冷たい。総悟とお友達の連係プレーを食らったらしい左目は真っ赤になって涙で潤んでいた。
 それ以外はいつも通りの、総悟の大好きな土方だ。話し方も、体温も、みんな同じ。それに何より、総悟のウサギをお友達と呼んだ。これは絶対にどんごろが知らないことだ。

「もしかして、本物の土方さん……?」
「なんだよそれ。偽者に見えるか俺が」

 恐る恐る尋ねると、呆れたような苦笑を浮かべる。
 ああ、この人は本物の土方さんだ。そう思ったらふにゃりと体の力が抜けて、もう一人じゃないという安心感からボロボロと涙が溢れてきた。

「総悟?」

 両手の拘束が解ける。手を伸ばして首にしがみ付こうとしたら土方はバランスを崩し、総悟の上に倒れこんだ。土方の体重に一瞬息が詰まりかけたが、それでももう絶対離すまいと総悟はもっと強くしがみ付いた。
 突然、ごろんと世界が反転する。それと同時に体への圧迫はなくなって、土方が寝返りを打つようにして総悟と場所を入れ替わったのだと気づいた。今度は総悟が土方の上に乗っている。

「どうしたんだ?」

 優しく親指で目元を拭い、頭を撫でてくれる。そうされているうちに気持ちがだんだん落ち着いてきて、総悟は今までのことをつっかえつっかえ話し出した。

「お友達、とお留守番してたらどんごろが来たんでさァ。それで俺、押入れに逃げて、そしたら土方さんが来て、でもどんごろが化けてるんだと思って、それで」
「ちょっと待て。その、どんごろってのは何だ?」
「どーんていって、ごろごろする」
「ああ、あれか。わかったそういうことな」

 説明の途中で土方は全てわかってしまったらしく、納得顔で頷いた。そしてちらりと外を見る。総悟も同じようにそちらを見たら、まだ夕方だと思っていたのに外は真っ暗で夜のようだった。

「総悟、一旦下りて」

 言われて大人しく総悟は土方の上から降りる。すると土方は起き上がって総悟のことを抱き上げた。
 土方は総悟を抱いて部屋の外へと向かう。肩越しに部屋の中を何気なく見やり、あっと声を上げた。

「お友達!」

 さっきまで総悟のいたところにお友達は転がったままだった。総悟が土方の肩を叩いて知らせると土方は面倒くさそうに舌打ちして取りに戻ってくれる。拾ってもらったお友達と一緒に抱っこされ、今度こそ総悟は部屋の外へ出た。

 空は確かに暗かったが夜とは少し違っていた。低いところを黒い雲が覆っていて向こう側を隠しているのだ。雨はどうどうと降り、風はびゅうびゅうと唸っている。土方の立っている濡れ縁はびしょ濡れだった。

「空をよぉく見てろよ。じきに光るだろうから」

 言われた通り総悟はじっと黒い空に目を凝らした。ごろごろと、どこかでどんごろが唸っている。

「あっ」

 総悟は驚いて声を上げた。一瞬世界が眩いばかりの光に包まれたのだ。カメラのフラッシュに似ているがあんな比ではない。本当に、ここから見える世界全てが白に埋め尽くされたのだ。
 そして今度は、あの一番恐ろしいどーんという音が轟いた。怖くて目を瞑りそうになったが土方に見ていろといわれたのを思い出し、土方の着物をぎゅっと握り締めて凝視する。そうして勇気を出して見上げた黒い空にはなんと、龍が泳いでいた。

 そんなまさかと目を擦って確かめようとした頃にはもう龍はどこにもいない。不思議で仕方なくて土方の顔を見たら、土方は楽しそうに総悟の顔を見下ろしていた。

「土方さん、今の」
「また見れるぞ。ぴかって光るから注意してろ」

 総悟はまた言われた通りにした。すると本当に空が光り、そのすぐ後に龍は現れた。
 龍というのは鱗があって蛇みたいなのだと聞いていたが、総悟が見た龍は全身が光でできていた。空から垂直に、地面へと落ちていくのだ。あるいは黒い天空へ昇っているのか。その後も空に目を凝らしていると何度も龍は総悟に姿を見せてくれた。

「あれがどんごろの正体だよ」
「えっ?」

 あの龍が、と総悟は驚いた。どんごろは総悟が想像していたような恐ろしい怪物ではなかったのだ。むしろもっと美しい、気高いもののような。

「あの黒い雲が起こしてるんだ」
「ごろごろも、ぴかっも、どーんも、みんな?」
「ああ。本当は雷って言うんだ」
「かみなり?」
「そう。家にいる分には何も怖いことなんかねぇよ。そもそも怖いってのは正体がわからないから怖いんだ。見極めちまえばなんてことはねぇ」

 とてもきれいだと思った。空があんな激しい形の美しさを持っているなんて知らなかった。どんごろの正体に総悟は心から感動していた。

「土方さん、外に出ちゃだめ?」
「だーめ」
「どうしても?」

 総悟のお願いにはじめはいい顔をしなかった土方だが、総悟がしつこく食い下がるのでついには諦めて頷いた。

「5分だけ、俺が終わりって言ったら大人しく中に戻ること。その後は俺と風呂に入ること。この二つ守れるか?」
「守りまさァ!」

 元気よく頷くと土方は床に下ろしてくれた。すぐさま走って出ようとして、お友達は置いていけと止められた。お友達が濡れてしまってはたいへんなので土方に預け、今度こそ庭へ飛び降りる。土方はもう止めなかった。

 雨を全身に受け、吹きすさぶ風を両手を広げて感じる。また空が光り、龍が踊った。
 楽しくて仕方がなくて総悟はくるくると回った。こんな素敵なものを見ようともせずに縮こまって震えていたなんて、今までずっととんでもなく勿体無いことをしていたと思った。

「言っとくが、これから雷が鳴ることがあっても絶対勝手に外に出るんじゃねぇぞ。俺か近藤さんに必ず言ってからな」

 一人ではしゃぐ総悟のところまで自分もやって来て、土方は何度も念を押した。
 そうしてしばらく遊んだ後は約束通り二人で風呂に入った。それから髪を乾かして夕飯を食べ、もう一度お友達と一緒に外を見に行ったらもうどんごろは帰ってしまっていた。雨も風も止み、空には一面きらきら光る星たちが輝いている。

「土方さん、次はいつどんごろ来る?」
「さぁなー。お天気お姉さんにでも聞いてみな」

 土方がそう答えたのでテレビをつけて天気予報を見てみたら、お天気お姉さんは「明日は快晴です」と告げていた。おまけに一週間先までお日様マークだ。
 どんごろには当分会えそうにないが、かわりに土方が明日は一緒に遊んでくれると約束してくれたので総悟はそれで満足だった。




土方さんは正体がよくわからないからお化けが怖いんじゃないかと思います。
童話みたいなかわいい描写を目指してがんばってみた。

07/11/01