エンジェルハート 無意識のうちに取り出したライターは横から無言で掻っ攫われた。アホですかと言われれば返す言葉はない。禁煙を検討するのはいつだってこういう生きるか死ぬかの日だ。 今日が新月だったのは果たして幸運だったのか不運だったのか。 今宵、ブラックリスト二人が人気のない路地を巡回することは夜間のパトロール強化の名の下に以前から決まっていたことだった。一体どこから漏れたのか知らないが連中がどこかでその情報を入手したのは確かだろう。もし無事に帰れたなら、情報の安全性を一から確認しなおさねばなるまい。 「土方さん、奴ら全部で何人か賭けましょうぜ。俺50人にコーラ一本」 「じゃあ45人にマヨネーズ1ダース」 「うっわ勝ってもうれしくねぇし」 本気でうれしくなさそうな沖田の様子に土方は不満を口にしかけたが、近づいてくる足音を耳にして息を殺した。その頃にはもう隣からはすっかり気配が消えている。沖田の方がこうしたサバイバルな状況での経験値は上だった。羨ましいと思うべきか否かはよくわからない。 殺気だった気配がすぐ脇を通り過ぎる。この辺りには街灯が一つもないせいで完全に闇で、奴らもだからこそここで仕掛けたのだろうがこっちにとっても幸いだった。 とはいえ気配はそんなに遠くまで行ってくれるわけではなく、すぐまた別の気配が横を通り過ぎる。見つかるのは時間の問題だった。 「お前、この網抜けられっと思うか」 「二人じゃ無理でしょうね」 沖田は即答する。不利を悟ったからこそ奇襲を受けた時点で迷わず逃げの一手を打ったのだ。 「援軍呼べねぇんですかィ」 「携帯の液晶の明かりで来る前に見つかる」 「だから今日は無線持ってこうって俺言ったのに」 「……悪かったよ」 沖田の勘を無視するのではなかったと今更後悔したところで寿命が延びるわけでもない。今するべきことは作戦を立てることだった。袋のネズミになってしまった状況を如何にして打破するか。 「なんかいい案ない?」 「それあんたの役割だろィ」 相棒はなんとも冷たい。夜食のつもりか知らないが懐に忍ばせていたビスケットを一人で口に放り込む。土方も腹が減ったので勝手に手を伸ばして1枚ぶん取った。こんな状況のせいか沖田は珍しく黙認してくれる。 「闇に乗じて一人ずつ殺ってったら確率どんくらいですかね」 「5……いや4割ってとこか。足やられたのがきついな」 言って土方は自分の足を見下ろした。不覚にも左足に一発もらってしまっていて、銃弾が掠めただけなので傷自体は大したことないのだが注意力と反応速度が落ちるのは否めない。 「ふーん。4割。他の案は?」 「ねぇ」 「おやまあ」 洗濯を干そうとしたら俄かに空が掻き曇ってきた時のような、まるでこの状況にふさわしくない軽い反応が返ってきた。本当に考えることに関しては他人事らしい。 おかげで土方のほうまで集中力や緊張感といったものがぷつんと切れてしまった。あとはもう運を天に任せて適当にやろうかと、頭はもう気に入る人生の幕の引き方を考え始める。 「こんな時、祈る神がいねぇってのは不便なもんだな」 何気なく見上げた空には星一つない。そういえば今年は花火を見忘れたなと全くどうでもいいことを思い出した。こんなことになるのなら仕事すっぽかしてでも沖田を連れて見に行けばよかった。祭りの人の多さは好きではないが、祭りに年相応にはしゃぐ沖田を見るのは好きだ。 「神様はね、救ってくれないんですよ」 突然奇妙なことを言い出した沖田に土方は視線を戻した。小首を傾げたその仕草も表情もひどくあどけなくて子供のようだ。 「じゃあ何なんだよ」 「救ってくれたらその人が神様なんですって」 昔、同じようなことを一度耳にしているような気がした。記憶に靄がかかってしまってはっきり思い出せないが、あれも沖田だったろうか。 「どこの宗教?」 「知りやせん。俺も聞いただけですから」 沖田はほとんど中身のなくなったビスケットの箱を土方に押し付けた。条件反射でつい受け取ってしまい、おかげで「誰に」という問いは発するタイミングを失ってしまう。次の瞬間には沖田はもう子供の眼をやめてしまっていた。そこにあるのは剣士の眼。あるいはもっと別の、土方だけが知っている沖田の眼。 「俺があんたを助けてあげる」 その一言だけで、沖田の考えていることがすぐにわかった。 「馬鹿か。何考えてんだお前」 「あんたが4割のカードしか持ってねぇなら俺が10割のカードを出した方がいいだろィ」 咄嗟に沖田の片腕を捕まえた。沖田は迷惑そうにそれを見下ろす。 沖田ははじめからそのつもりだったのだ。だからあんなにも呑気でいられたのだろう。土方一人逃がすだけなら容易いから。 「お前、何考えてんだ」 「あんたこそ」 互いに見つめあい、探り合う。絶対にこの手を離すわけにはいかなかった。 沖田を犠牲にして一人で生き残るくらいなら二人で討ち死にした方がましだ。こんなこと、組織を担うものとしては考えてはいけないのだろうし間違っているのかもしれない。それでも土方は人間なのだ。感情だけはどうしても御することはできない。そしてきっと、してはいけないのだとも思う。 「土方さん、俺はこんなとこじゃ死にやせん」 「総悟」 「自分の身を守るだけでいいなら俺はこれくらいの人数全部殺せます」 生かして捕らえるよりも全て殺してしまう方が沖田にとってはずっと簡単なことなのだ。土方もそのことはよく知っている。それでも今までそれを忘れていられたのは単に土方の意識がそれを拒んだのと、沖田が本当は人を殺すことを嫌っていることを知っていたからだろう。 「だから一つ、お願いがあるんでさァ」 自由なままの方の手を、腕を掴む土方の手の上にそっと重ねた。 「もし俺が殺しすぎてわけわかんなくなっちまったら、絶対にあんたが止めて」 沖田の手が僅かに震えている気がした。それとも震えているのは土方の手の方だろうか。二人共だとしても不思議はなかった。それだけ沖田の出してきた10割のカードは恐ろしいのだ。ジョーカーの名がふさわしすぎるくらいに。 「わかった。絶対に止める」 長い長い時間を経て、ようやく土方は決断することができた。暗闇のせいで確かではないけれど、微かに沖田が笑ったような気配がする。 「あんたにしかできない大仕事ですぜ」 「お前もな。……いいか、絶対に生きろ」 「誰に物言ってんですかィ。いつかあんた殺して副長の座いただくまでは死ねねェや」 「はっ、じゃあ不死身だなお前は」 沖田の手が離れる。土方も沖田の腕から手を離した。 沖田は立ち上がる。 「あんたはここで夜明けまで待っててくだせェ。俺は今から、鬼になってきやす」 何もかけるべき言葉が思いつかなかった。土方に無言で見送られ、沖田の背中は闇に溶けてわからなくなってしまう。 一人取り残された土方は丸めた膝小僧の間に顔を埋める。聴覚だけを研ぎ澄ませ、あとの感覚は全て放棄した。 結局のところ、生き残るために沖田を犠牲にしたことに何もかわりはないのだ。土方は自分の弱さと汚さが嫌で堪らなかった。どうしてこんなことになってしまったのだろう。 断末魔の悲鳴が闇に木霊する。それが惨劇の合図であることを知っているのは土方一人だ。沖田はもうそんなことを考えてはいないだろうから。 早く朝が来ればいいと心から願った。少しでも早く、鬼が人に戻れる時間がきますように。 土方にできるのは、願い、待つことだけだった。 沖田の方が強くて土方を守るべき立ち位置であるということがどうしようもなく萌えだと思います。弱さに凹む土方が書きたかったのでした。 08/02/24 |