(前編より)


「俺、銀杏がいっとう好き!」
 その邪気のない満面の笑顔に、不覚にも胸が鳴った。髪の色が似ているせいかこの少年に銀杏はよく似合う。似合いすぎて眩暈がしそうなくらい。そう、きっとこの風景がいけないのだ。あまりにも都会に不釣り合いなほど美しすぎるから。だから錯覚しそうになるのだ。
「土方さん?」
 急に黙り込んでしまった土方を訝って沖田は頭を下にしたまま降りてきてひょこっと顔を覗き込んだ。淡い色の髪が頬をくすぐってこそばゆい。
「なんでもねえよ。喜んでくれてよかった」
「そうですかィ?」
「でもどうしてそんなに銀杏が好きなんだ?」
 それは話題を変えたくて尋ねてみただけだった。しかし不意に、太陽が雲に隠れるかのように、明るい笑顔がふっと別のものに変わる。
 何かを思い出して、やり過ごそうとしているような。くるりと体の向きを正すとそんな悲しい微笑みをして金色の天を仰いだ。血のように赤い瞳は土方の知らない遥か遠くを映している。そういえば彼は以前どこで銀杏を見たのだろう。
「……総」
「あっ」
 土方が何か問おうとしたのを遮るように、沖田は大きな声を上げると急に前方を指差した。
「土方さん、あれ何ですかィ。変なのがありまさァ!」
 沖田の白い指の先にはクレープ屋の車が止まっていた。学生だろうか、私服姿の白い髪の男とピンクの髪の少し華奢な少年が、メニュー看板を覗き込んで何か話をしている。
 それはさておき、今のは偶然だったのだろうか。それとも遠回しに詮索を拒否されたのか。
考えてみたらこいつは見た目こそ年下の少年の姿をしているが、実際は果てしなく長い時間を生きている異形なのだ。そう気づいたら急に胸に黒い靄のようなものが立ち込めて、嫌な感じがした。
 この感情は一体何だろう。自分自身に問いかけてみる。
「……あれは、クレープ屋だよ」
「クレープヤ?」
 いかにも文字の区切りがわからないという発音をして、沖田はことんと首を傾げた。
「クレープってのはホットケーキを薄っぺたくしたやつに生クリームやフルーツを挟んだ食べ物で……」
「ホットケーキって何?」
「まあ、そうだよな……」
 そんなお菓子、悪魔が知るわけもない。土方が苦笑してみせると沖田はきょとんとして不思議そうに一層首を傾げさせた。
 沖田と出会ってから何度もそれこそ何百回と考える。本当にこの少年は自分の命を脅かす存在であるのかと。そして我が身はそう遠くないうちに果てるのかと。そんな未来はとても遠くて、やはり考えることなどできない。それが現実逃避なのか、当たり前のことなのか、まだ二十年しか生きていない自分には到底判断もつけられないが。
 ただ、その度に考えるのだ。こいつがもしも悪魔でなく人間であったなら、きっといい友達になれただろうにと。時間割の被ることの少ない学友よりも沖田の方がよっぽど自分と近い位置にいる気がする。こんなに毎日一緒に誰かと過ごすなど恋人とでさえなかったことだ。
「ねえねえ土方さん、近くに行って見てきてもいい?」
「え? ああ、別にいいけど」
「やった!」
 あまり遠くに行きすぎるなよ、と口にしかけて飲み込む。いなくなってくれるなら願ったり叶ったりではないか。実際あれと友達になれるなどあり得るはずがないのだから。それなのに自分は何を考えているのだろう。土方は沖田に知られないよう小さく溜息を吐き出した。なんとなく、もう手遅れのような気がする。
 大体悪魔だっていうならもっと恐ろしい外見してこいよ。せめて鎌とか持ってこい。一体どうしてあんな容姿をしているのだ。男のくせに線は細いしさっき抱き寄せた腰の細さといったら、もう。……いやいやいや、違うだろう。自分で自分に言い聞かせて途方に暮れる。
「……え」
 まるで土方の心の声が聞こえでもしたかのように、弾かれたようにこちらを振り返ったのはクレープ屋のメニュー看板を覗き込んでいたピンク頭の少年だった。
一瞬かちあったと思った視線はすぐに逸れる。その眼は明らかに土方ではない、もっと手前の何かを見ていた。そう思った瞬間にたりと好戦的な笑みをのせて猛犬のように地を蹴り走り出す。その先にはパタパタとクレープ屋を目指して飛ぶ沖田の姿が。
 そんな馬鹿な。見えているのか。今まで誰にも、自分にしか見えていなかったはずなのに。それにあの眼に宿る光は敵意などという生易しいものではない。
 自分に向けられたものでもないのにぞっと背中を冷たいものが走り抜ける。
「総悟!」
 土方が叫ぶより早く沖田は高度を上げ、高いところに逃げ出そうとしていた。しかし驚くべきことに少年は同じ高さまで脚力だけで飛び上がっていて、あっという間に沖田を追い越したのだった。そして手が乱暴に頭を掴まえ、勢いよく地面に叩きつける。
 沖田のか細い悲鳴が喉から零れた。