一年後のイブ 3

 こんなにストレスの溜まる年の瀬は人生初めてかもしれない。なぜならもう一月近く、沖田と話していないのだ!
 自分がこんなに忍耐強い性格だとは知らなかった。もちろんその分の報復は日付の分だけ掛け算をして返させてもらうつもりだが。

 もう明日がクリスマスイブだなんて信じられない。まだどこでどう過ごすのか一つも決めていないのに。プレゼントだって買えていない。それ以前にあの馬鹿女のせいで財布にも口座にも金がない。しかし両親に頼るのは後がとても面倒なので、やはりそれは最後の手段だ。

 そんなこんなでただでさえストレスが溜まるのに、更に頭の痛いのは高杉のことである。昼休みのアレは一体なんだったんだ? 余りにも動揺しすぎて途中で席を立ってしまったせいで、余計気になって仕方ない。
 高杉以外の人間なら何もここまで心配はしないのだ。しかし高杉は危険だ。非常によろしくない。あの二人は時々土方が入り込めないと感じるくらい仲がいいのだ。さすが中学時代ツートップだっただけはある。だからあながちそんなこともあり得ないと言い切れないところがとても心配だった。

 ああ、ムカムカする。もしこれであの馬鹿女を始末して戻ってきたら「俺たち付き合うことにしたんでもうあんたはいりやせん」とか言われたら泣けてくる。その時はもう戦ってでも奪い返そう。略奪愛、上等だ。高杉なら多少汚い手を使っても簡単には死なないだろうし。今はコンクリートも高いし手間なのだと、両親がぼやいていたのを思い出す。やはり殺人は後始末が面倒でいけない。

 そんな過激な発想を延々と展開させながら、ようやく一人ぼっちの我が家に戻って来た。お帰りなさいと言ってくれる可愛い人はもちろんいない。そのことに余計憂鬱になりながら鍵を回した。サプライズな奇跡が起こったらいいのにと、願いながら扉を開けるとぱあっと明るい光が中から溢れてくる。電気ならちゃんと消したはずなのに。

「おっかえりー」

 もちろん奇跡は起こっていなかった。スナック菓子を相棒に気持ち悪い笑顔でそう出迎えたのは、何故か高杉で。

「……っめぇ、どうやって中入った!?」

 鍵は絶対に閉めた自信があった。ベランダから入ろうにも高さ的に無理がある。そういぶかしんでいたら高杉はすぐに笑いを引っ込めて、不機嫌そうに小さな物体をつまんで見せた。

「沖田が俺に返しとけってよ」

 それは間違いようもなく、土方が沖田にやったこの部屋の合鍵だった。
 愕然とする。鍵を返すということは、もうここには来ないということだ。しかもそれを高杉に託したということは、つまりそういうことなのだろうか。昼休みの会話の続きは。

 そんなの絶対、認めない。

「てめえに総悟は渡さねえ」
「よく言うぜ。一月も放っておいて、そんなこと言う権利あると思ってんのか?」

 二人の間に剣呑な空気が流れる。思えばこいつと本気でやりあったことはまだ一度もなかった。

「別れ話はした記憶がねえな」
「だから俺たち切れてませんーってか? 馬鹿かてめぇ」
「んだとコラ、やるか? 俺ァ今機嫌悪ぃんだ手加減しねぇぞ」
「やるわけねーだろ、ばぁか。お前とやりあったら俺が沖田に口聞いてもらえなくなる」
「よーし上等だ、かかってこいや……って、え?」

 だからやんないって。けろりとした顔で言う。5秒前の会話なんて忘れたといわんばかりに冷めた態度で、空になった菓子の袋をゴミ袋に投げ込む。カスが床に散っているのでそっちも片付けてほしい。

「なんで俺がお前と沖田取り合わなくちゃいけねーんだよ。あれいらねー俺」
「だって昼の会話……」
「俺、土方のそういうところ結構好きだぜ」

 ニヤニヤと笑う。それでもまだわからなくて、見詰め合ったまま時間を無駄に食い潰す。そうして数秒かけてやっと、自分はからかわれたのだと理解した。ああなんてことだろう。いやそっちの方がもちろんいいのだけど、なんたる不覚だ。

「……てぇか、じゃあなんでお前が来るんだよ」
「そりゃ沖田の嫌がらせだろー」

 確かにメールに来るなとは書いたけど、書いたんだけども。だからってこれはないだろう。ここ数日の溜まりに溜まったストレスをどうしてくれる。

「じゃあ十分堪えたようだしこの鍵は返してやろう」

 やたら上からの物言いにももう口ごたえする気力はなくて、とっとと用を済ませて帰ってもらいたい一心で手を前に差し出した。しかし鍵を渡されたのは手の平のではなくなぜか顔面だった。

 気がついたときにはもうぶん殴られて吹っ飛んでいた。油断していたせいで受身も取れず無様に転がる。口の中に鉄の味が広がって、脳が場違いに空腹を訴えた。

 というかどうして。

「何を言おうが言うまいが、放って置かれたらそれなりに傷つくんじゃねえの」

 相手の目に怒りはなかった。だからこそ深く突き刺さる。
 今度こそ返すと目の前の床に鍵がそっと置かれた。持ち主から無言で届けられたそれにはきっと土方に伝わりきらないくらいの感情が込められているのだろう。だからこそ絶対に、なんとしてでももう一度受け取ってもらわなくてはいけない。

「高杉」
「ん?」
「悪かった」
「そう思うなら早いとこお守りかわってくれ」
「そうだな」

 早く会って話がしたかった。謝って、確かめなくてはいけない。返された鍵の行方を。そしてもしいらないとつき返されたらもう一度。その時は告白からやり直そう。






 一年前に約束をした。しかしあのとき場所と時間は決めていなくて、仕方がないから沖田はずっと昼からそこで待っていた。

 去年約束を交わした場所は、今年も去年と同じようにイルミネーションで化粧をした大きな木が人々を見下ろしている。来てばかりの明るい頃は友達同士や家族の姿が目立ったが、日が暮れてしまうともう右も左も前も後ろもカップルだらけだ。一人ベンチに座ってぼんやり何時間も過ごしている自分はきっとさぞかし浮いているのだろう。

 裸の手にハアと息を吐きかける。気温はどんどん下がっていて、もしかしたら雪が降るかもしれない。そうなったらホワイトクリスマスだなんて笑っていられない。凍死する。絶対する。
 コートのポケットから青い携帯電話を取り出すと、時刻はもうすぐ9時を回ろうとしていた。メールと着信は、相変わらずゼロ。

 退屈しのぎにもう何十回としたかわからないが受信トレイにあるメールを一つ一つ読み返した。姉からの正月は帰るという知らせ、クラスメートからのクリスマスの誘い、そしてやがて一月前のあの日のメールに辿り着く。

 一方的に、何も話さず信じろと押し付けるのはずるいと思う。信じているから大丈夫なんてことはないのだ。それなのに他に縋るものがないから無理やり信じて、縋って。もう一月も、あるいは7時間と34分、ずっと一人で待っている。

 いっそのこと来なければいいと本気で思っていた。そうすればもう信じることをやめられるから。きっかけさえあれば、諦められる気がした。はじめからこんな恋うまくいくわけなかったのだと。
 このまま朝が来てクリスマスなのに風邪を引いて寝込んで、治ったら土方を病院送りにする。そうすれば気持ちよく、実に清々しい気持ちで年を越せる。だから来なくていい。来なくてもへっちゃらだ。言い聞かせて震える肩を抱きしめる。今日はとても寒いから、もしかしたら寒すぎて死んでしまうかもしれない。

 不意に、雑音ばかりの世界に一つのメロディーが流れた。クリスマスソングではない。耳慣れた、けれどどこか懐かしい。

 歌いながら震える青い相棒のサブディスプレイには待ち人の名が表示されていた。もちろん新しい番号なんか知らないから登録していない。沖田の青い相棒が知っているのは古いやつだけだ。

「……もしもし」

 それではこの着信はどこに通じているのだろう。ボタンを押して、震える声で応答する。唇が震えているのはここがとても寒いからだ。

『総悟?』

 聞こえてきたのは土方の声。寒さを忘れた唇が大きく音を紡ぐ。

「土方さん!? なんで――」
『なあお前、今……ああ、いいやもう』


「みつけた」


 声は耳にあてた機械からだけではなく、上からも降ってきた。影が落ちる。
 目の前に土方が立っていた。走ってきたのだろうか。白い息が空中で雪の妖精のように踊っていた。

「よかった。絶対ここだとは思ったんだけど、広いからなかなかみつかんなくて」

 そんな言葉が聞きたいんじゃない。引き寄せて、灰色のセーターに鼻先を埋める。今まで凍えそうだったのにそこはとても温かかった。

「何か、俺に言うことはありやせんか」
「ごめんなさい。許してください。見限らないでください」
「他には?」
「……話すよ、全部」

 申し訳なさそうに手が沖田の頭を撫でる。もう片方の手が抱きしめようとしたのを両手でぎゅっと捕まえた。冷たいとびっくりした顔で言われた。そうだ、だからもっと温めてくれないと。

「脅されたんだ。秘密をばらされたくなかったら付き合えって」
「秘密って?」
「さあ、なんだと思う?」

 沖田の氷のような手にくちづけをした。そこから自分は溶かされて化けの皮を剥がされてしまうのだ。ずっと、平気だって言い聞かせて我慢していたのに。

「土方さんは馬鹿だ。大馬鹿だ」
「うん。でも嫌いにならないで」
「なるかバカヤロー!」

 そんな簡単に嫌いになれたら、はじめから信じてなんかいなかった。だから土方にももっと信じてもらいたかった。

「ちゃんと俺を頼ってくだせェ。そんな風に守られているのは嫌です」

 ひとりにしないで。ずっと、自分でも気づかないうちに閉じ込めていた弱音を勇気を出して吐き出してみる。それはちゃんと受け止めてもらえて、次は絶対そうすると新しい温かい約束をくれた。
 それからもう一つ、小さな小さな包みをもらう。

「クリスマスプレゼント。開けてみて」

 包みがあまりにも小さくて平べったかったからなんだろうと不思議に思って開けてみたら、中に入っていたのは土方の部屋の合鍵だった。一度返したはずのものが、今もう一度沖田の手の中に返ってきたのだ。

「改めて、もらってくれる? ……余裕なくて他のもの用意できなかったんだけど」
「ううん。俺、これがいい」

 一度手放してしまったものをもう一度強く握り締めた。他のどんな高価なものより遥かにうれしかった。願わくばもう二度と使用禁止令が出たりしませんように。

 鍵を大事に閉まってふと、沖田は自分も何かあげなくてはならないことに気がついた。一年前、次こそは絶対何か用意しようと誓ったのにいろいろなことがあったせいですっかり忘れてしまっていた。どうしよう。
 また去年の時のように何か持っていないかと考えて、そうしたら一つだけちょうどいいような全然そうでないような微妙なものがあることを思い出した。

「これ、いります?」

 また、あの時と同じように青い携帯電話を前に差し出した。そこにはなんの偶然か、また例のブッキー君シリーズがぶら下がっている。

「ブッキー君二号でさァ」

 終業式の日に高杉とゲーセンに行ったらなぜか巡り合ってしまったのだ。例によって今回も沖田の本命はこれではなかった。ついでにいえば色とか形とか、細部が一号よりもおどろおどろしくバージョンアップしている。

「世界中でこのシリーズをクリスマスに二年連続でもらう男はもしや俺だけなんじゃねえか?」
「いらないならそう言ってくれていいんですぜ」
「いや、もらうに決まってんだろ。ありがとな」

 確かにこれをもらって喜べるのはこの人だけかもしれない。また同じ場所につけるつもりらしく取り出された古いシルバーの携帯電話には相変わらずブッキー君一号が居座っていて、二号も今日からそこに加わることになった。二体揃うと一層不気味だ。

「というか土方さん新しいケータイは?」
「ああ、あれ? 付き合いで買わされただけだしもう解約するよ。今日はもう店やってねぇかな」
「さあ。とりあえず行ってみます? それよりその、女の方結局どうなったんですかィ」

 こんな日のこんな時間にまだ店がやっているかはわからないが、ここにいても寒いのでとりあえず歩き出すことにする。当然のように繋いでもらえている手がぽかぽかと温かかった。さっきまであんなに凍えそうだったのが嘘みたいだ。
 歩きながら土方は、クリスマスツリーを見上げて世間話のように言う。

「なあ総悟、最近のケータイってすごいんだな。カメラの画像があんなにきれいになってるとは知らなかったぜ」
「ですよねー。音質とかも全然違うっていうし、俺もそろそろ…………!? ひ、土方さんあんたまさか」

 見上げると、そこには沖田の知らない悪人の顔で笑う人がいた。なんのことだと涼しくとぼけて見せる。ああなんて恐ろしい人!

「駄目ですぜ。流石にそれは駄目ですぜ土方さん」
「あ、そうだ。解約前にお前の写真も撮ってやろうか? 結構覚えたんだぜいろいろ」
「リアクションに困るボケはやめてくだせェ!」

 結局この日は店が閉まっていたのだが、後日解約に行って取り出した土方の携帯電話はなんと真っ二つだった。そのため中に一体どんなデータが収められていたのかは沖田の知るところではない。しかし年末年始を平和に過ごし、新学期には例の彼女も元気に登校していたので、もうこのことはすっぱり忘れることにした。思い過ごしだったのだと信じ続けることにしようではないか。

 とりあえず寒いし人が多いので帰ろうということになり、土方のマンションへ向けて二人で歩いていく。その頃には話題は年越しやら正月やらの予定の打ち合わせに移っていて、白紙のスケジュール帳を埋めるのに忙しかった。いつの間にか雪がちらつき始めたことにも会話に夢中で気付かない。

「あ、そうだ。メリークリスマス」
「メリクリでさァ」

 思い出したように二人で定番の文句をかわし、土方の部屋のドアを開けた。
 やっと、帰ってきたのだ。




うちの3z土方は地位というしがらみがないので手段を選びません。悪い高校生。
高杉の話が拾いきれなかったのが心残りです。



09/02/22