籠鳥 〜衝突〜 買い物袋ぶら下げて、立ち往生。目の前には人だかり。たくさんの背中。 何とはなしに野次馬の輪から外れていく人々の話に耳を傾けてみる。 「殺人だってさ。怖いねぇ」 「国の偉いさんなんだろ? なんか子供と一緒に宿にいたところをグサっとやられたとか」 「らしいねぇ。すっごい美少女だったってんだから、きっと浚われちまったんだろうよ。かわいそうに」 「まったく世も末だよ」 本当にその通りで。どいつもこいつも腐っていて、ろくな世の中じゃない。世の中に不満はないが格別な愛情だって持っちゃいない。攘夷にも佐幕にも興味はないが、そんなものに巻き込まれたどっかの美少女とやらが気の毒に思えた。 そんなことを考えてぼんやりとしていれば、ようやく人込みの中に見慣れた姿を発見する。 「いやー悪い悪い。ちょっと道が混んでてなぁ」 「どうせ女の尻でも追っかけてたんだろ」 ようやく現れた待ち人に、土方は不機嫌な顔で言った。別れて買い物した方が早いということで分担して買い物を済ませたら、そうしてできた余分な時間は近藤を待ち惚けする時間に丸々取って変わってしまったのだから不機嫌にもなるというものだ。 「なんだこの人だかり。アイドルでも来てんのか?」 「そこの宿で殺しだと。あんた買い物袋は」 「あれ? さっきまで持ってたと思ったのに、妙だなまさかスられたか?」 「十中八九あんたの置忘れだろ」 「いや待ておやつだけは懐に入れてたから無事だ。安心しろ」 「いらねぇし」 二人並んで人だかりとは反対方向に歩き出し、近藤の分の買い物は諦めて帰り道を辿る。急な入用でもないし明日また買いに行けばいいだろう。今度は絶対一人で行こうと固く心に誓う。 「トシ、お前今日はうち泊まってくのか?」 「ああ。そのつもり」 「そういえばこの前の笑うとえくぼができる女の子のとこ最近行ってないみたいじゃないか」 「フられた。やっぱ5股が限界だな」 それ以上作るとなかなか通えなくなって女の方が機嫌を損ねる。一晩で二人以上廻るのも悪くはないがそれもいまいち風情がないし面倒だ。 「トシはいつかきっと女に刺されるな」 「そんなヘマするかっての」 「いやいやわからんぞ。もしかしたら女の恋人とかに刺され……」 ドンッ 近藤が足をよろめかせ、たたらを踏む。その足元でコロンと何かがひっくり返った。 赤い着物がふわりと翻る。それは小さな子供だった。 「何してんだよ近藤さん。おいガキ、大丈夫――――っ」 手を伸ばしかけて、思わず息を呑んだ。 艶やかな着物は帯がぐずぐずになっていて羽織っているだけに近かった。きれいに結い上げられていただろう長い髪もくずれかけ、それでも簪(かんざし)がかろうじて髪をとめている。 しかし何より目を引いたのは子供ながらに整った顔立ちと、赤と白のコントラスト。 着物を染める赤は染料だけでなく、もう一つの赤は陽に当たったことがないかのような白い肌をも濡らしている。 そして手には、同じく赤で染め上げられた鈍く光る短刀が。 先程の野次馬連中の噂話を思い出す。偉いさんが殺されて連れていた美少女が消えた。浚われたのでなく、少女そのものが犯人だったとしたら。 「おい、お前」 少女は弾かれたように立ち上がった。着物がはだけるのには構わず、短刀を近くにいる近藤に向けて構える。放たれた殺気は子供とはいえ、なかなかに上等なものだった。 何か考えるよりも早く土方は動いていた。買い物袋を放り出して近藤と少女の前に割って入る。短刀を左腕で受け止め、少女の動きが止まったところでその頬を平手で殴り飛ばした。少女の軽い体はそれだけで吹っ飛ばされ、近くの石塀に音を立てて激突する。 左手の痛みよりも、右手の感触のほうに驚いて少女を見た。かろうじて自制をきかせて平手にはしたものの、つい全力を込めてしまった。おまけに石塀に激突だ。打ち所が悪ければとんでもないことになる。 「やべっ、おいガキ、生きてっか!?」 「おい、いくらぶつかって謝らなかったからって殴り飛ばしちゃまずいだろトシ!」 状況を理解していない近藤は無視。土方は少女に駆け寄ろうとして足を止める。受身でも取っていたのかそれとも打ち所が良かったのか、少女は足をふらつかせながらも一人で立ち上がった。 吹っ飛ばされても短刀は手放さなかったようで、両の手でそれを構え直す。 舌打ちして、どうしようかと考えをめぐらせる。取り押さえるのは容易いが、下手をして少女に怪我をさせるのは忍びなかった。 そこに、動きあぐねている土方の脇をすり抜け近藤が立ち塞がった。 「近藤さん」 「トシ、落ち着け。状況はわからんが怯えてるじゃないか。ほらお嬢ちゃん、お兄さんが飴をあげよう」 子供とはいえ刃物を持った人間に隙だらけに歩み寄り、近藤は懐から取り出した飴を一粒差し出した。 持っていた短刀を振るうのも忘れ、少女はきょとんとして近藤と飴を交互に見やる。それからおずおずと片手を伸ばし、親指と人差し指で飴をつまんだ。それを目のすぐ近くに持ってきて近くで観察し、首を傾げる仕草をする。 「お嬢ちゃん、飴食べたことないのか? ほら、こうやって口の中に」 近藤がもう一粒取り出して自分の口に放り込む。少女はそれをじっと見て、ようやく理解したのか近藤の真似をして口に飴を放り込んだ。 「どうだ? うまいだろ」 近藤の言葉に少女はこくんと頷く。 女の扱いは駄目なくせに子供の扱いは手馴れてやがる。土方は溜息をついて後ろ頭をかき、それから人の目が集まり始めていることに気づいた。件の殺人事件のせいで人は多くないとはいえ、それでもまったくのゼロではないのだ。 「お役人さん、こっちです。こっちで刃物持った女の子と人相の悪い男がケンカを!」 思った矢先に角の通りからそんな声が聞こえてきて、どこの誰の人相が悪いのかと文句を言いたかったがそういう場合ではなさそうだった。 「近藤さん。そろそろやばいぜ。悪目立ちしてる」 「それはまずいな。よし、逃げるぞ」 言うなり近藤は買い物袋を土方に投げて寄越し、自分は少女を担ぎ上げた。それでも少女は短刀を手放さず、声一つ漏らさない。しかしもう抵抗する意思はないのか飴を舐めて大人しくしていた。 逃走の痕跡を残さないよう少女の短刀や着物と自分の左手から滴り落ちる赤い液体を足で踏みつけ揉み消しながら、土方は近藤の後を追った。 〜+〜 どうにかうまく役人の目は誤魔化せたようで、近藤宅に戻る頃には誰も追ってくる様子はなかった。人目もうまくかいくぐってこれたと思う。 「で、どうすんだよ」 近藤は少女を降ろして自分の足で床に立たせ、軽く頭をひと撫でしてから振り返った。 「どうするって役人に突き出すわけにもいかんだろ」 「待てよ。いくらガキとはいえ人一人殺してるかもしれないんだぜ。匿う理由もねぇだろが」 「ちゃんと俺が世話するからいいだろ、な、トシ」 「猫拾ったんで飼っていいですか的発言はどうかと思うぞ」 呆れの溜息をつき、土方は額に手をやった。言い方はどうあれ手放す気はないらしい。道場ならまだしもここは近藤の家なのだし、土方に反対する権利はなかった。 「ったく。わーったよ。そのかわりもしなんか問題起こしたらすぐ通報するからな。ガキもよく覚えとけ。それ、くれぐれも振り回さないように」 まだ大事そうに抱えていた短刀を指差して、念を押す。わかっているのかいないのか少女は無言でこちらを見上げていた。 「よかったなーお嬢ちゃん。ここにずっといていいんだぞ。とりあえずその格好じゃなんだし風呂に入らんとなぁ。ほら、それはお兄さんが預かってあげよう」 土方の言葉には無反応だったくせに少女は近藤の言葉には頷いて素直に短刀を差し出した。なんだろうこの差は。まああれだけ力いっぱい殴った後では懐くはずもないのだが。 「近藤さん、こいつの風呂は俺やるからあんたは飯とこいつの寝床の仕度。奉行連中がいちゃもんつけに来たら適当にごまかしとけ。俺なんか人相悪ぃらしいから」 「それは構わんがお前怪我してるだろ。先に手当てした方がいいんじゃないのか」 「手当ても風呂でやるからいい。そっちのが床汚さねぇし」 わざわざ口には出さなかったが、土方は少女のことを信用したわけではなかった。近藤はこの通り警戒心ゼロなので少女が何かしでかしたら取り返しのつかないことにもなりかねない。なのでわざわざ面倒なほうを自分で引き受けたのだ。もちろん役人が尋ねてきたときに家主が出ないと怪しまれるかもしれないということも考えてのことだが。 そんな感じで適当に近藤を言いくるめ、一度間借りしている部屋から自分の着替えと少女用に一番小さそうな着物を取り出して、途中の居間で救急箱を持って戻り、律儀に玄関で棒立ちしていた少女を風呂場へ連行した。 しかしまずは自分の止血の方が先だ。傷は浅いがそろそろどうにかしないとあまりよろしくなさそうな感じに出血している。風呂場に来るまでに既に廊下は血塗れで、どちらにせよ掃除は必須なようだった。 適当なところに座って血で肌に密着している服を無理やり破って剥がし、救急箱から包帯を取り出す。器用に片手で巻きながら、はたと気づいて少女に尋ねた。 「さっき殴ったとこ、大丈夫か? あと他に怪我とか」 少女は首を振って答える。ずいぶんと無口な少女だ。これでは親も育てるのにずいぶん苦労するだろう。それとも親は血の絆とやらで話さなくても通じ合えたりするのだろうか。 それから沈黙が流れ、土方が黙々と包帯を巻くのを少女は立ったままじっと見ていた。 「んだよ。なんか珍しいのか?」 沈黙に耐え切れなくなって尋ねるが、無反応。視線が手から顔に動いたので聞こえてはいるようだが、答える意思はないらしい。 それから少ししてようやく土方は巻き終えた包帯を救急箱に戻し、少女の着替えに取り掛かることにした。しかしその前にふと思い立って尋ねてみる。 「そういやお前、名前は?」 これには口をきくかと思えば、少女は着物の袖に右手を引っ込めて中から布を取り出した。一瞬着物の布かとも思ったがそうではないらしい。差し出されたのでなんとなく手に取ると、古びた麻布であることがわかった。 沖田総悟。麻布にはそう刺繍されていた。 「……お前、男?」 少女、いや、少年沖田総悟は頷いた。 土方はもう一度、改めて総悟をまじまじと観察する。 出会ったときから帯が崩れ、肌蹴られたままの胸元。よくよく赤い返り血の下に目を凝らせば、痣と一緒に見間違いようのない痕がいくつも残っている。 稚児。その言葉の隠されてもいないが含みのある別の意味を思い出し、小さく口の中で唱える。 つまるところ総悟はきれいに女装を施され、そういう趣味の男たちに暴行を受けていたのだ。 「いくつか質問するから、答えてくんねぇか」 いつの間にか口の中がカラカラに乾いていた。土方の思いなどまるで知らず、総悟はぼんやりとこちらを見つめ返している。 「お前は今日、人を殺したか?」 瞳にかすかな迷いが走り、それから間を置いて頷く。土方はすぐに次の質問を重ねた。 「それは誰かに命令されてのことか?」 これにはすぐに頷いた。やはり思った通りだ。 それから少し考えて、最後の質問をした。 「じゃあ、これで最後だ。お前はこれからどうしたい?」 今度は無反応だった。総悟は困ったように、土方を見上げている。何かを言おうと小さく口を開くのだがすぐに閉ざしてしまう。何分も、総悟はただそれをひたすら繰り返していた。 その動作を見守って辛抱強く答えを待っていた土方は、はっとある可能性に気づく。 「お前、ひょっとして声が……」 その言葉に、どこかほっとしたような表情で総悟は頷いた。 ずっと、イエスかノーで答えられない質問には無反応を貫いていた理由をようやく理解した。答える術を持っていなかったから反応できなかったのだ。 まだ10やそこらのうちからこんな目にあって、人殺しまでさせられて、声を失って。 「……いつから話せねぇんだ?」 総悟は困ったように、注意して見なければわからないほど微かに、苦笑を含んだ笑みを浮かべた。それが土方がはじめて見る総悟の表情だった。 無意識に抱きしめようとして、伸ばした手が総悟に触れる前に止まる。 触れていいものだろうか。哀れみなんて感情を抱くのは、失礼極まりないのではないだろうか。この手は総悟にとって下卑た人間たちの持つ手と大差ないのではないか。 どうしていいのかわからず空中を彷徨っていた手は、総悟の小さな両手によって掴まえられた。小さな力で引き寄せられ、手が総悟の頬に触れる。そこには少しの温かみもなく、冬の寒さにさらされてひんやりと死人のように冷たかった。 その手が動き、土方の頬を包む。少し背伸びをして、そこに顔を近づける。 背筋を寒気に似たものが這い登り、総悟の肩を乱暴に掴んで引き剥がした。総悟が何をしようとしたのか、ここに連れてこられた理由をどう解釈しているのか、今の行為だけで手に取るように理解できた。 「……俺も近藤さんも、そんなつもりでお前を連れてきたんじゃねぇ」 拒絶され、不思議そうに総悟は小さく首を傾げた。 それがあまりにも居たたまれなくて、不覚にも涙がこみ上げてきた。こんなところを見られるのはプライドが許さなかったので、両手は総悟の肩を掴んだまま顔はじっと床を見た。ぽたり、小さな音を立てて雫が落ちる。床は気がつけばいろんな血で赤い斑を作っていた。 総悟はしばらく動かなかったが、やがて何を思ったか手を伸ばし、土方の頭をよしよしと撫ではじめた。傷ついているのは自分の方のはずなのに、土方を慰めようとするかのように。 続 05/12/24 |