声が聞こえる 7 遠くの方から聞こえる声にふと足を止め、振り返った。 心など持たなければよかったと後悔するほどの絶望を沖田は知らない。それはきっととても幸福なことなのだろう。そしてそれを知ってしまった沖田の分身たちは不幸なのだ。だってみんな苦しさに耐えられずに死んでしまった。 残る声はこの建物から聞こえる数体と、沖田の記憶だけだ。 アジトだという建物は爆発のせいで防火シャッターが下りていてちょっとした迷路のようになっている。シャッターの脇には基本的に避難用の扉があつらえてあるのだが、煙の吹き出ているところや何かで塞がれていて開かないところもありさっきから思うように進めない。一応声の方向に近づいてはいるのだが、どうもどこかで火事が発生しているようだしできることなら早く退散したかった。 それにしてもここに来てからまだ一度も人に会っていない。さっきから会えるのはかつて人だった肉の塊ばかりだ。みんな、刀で斬り殺されている。 罠か宣戦布告だと土方は言っていたが、沖田はひょっとしたら違うのではないかと思い始めていた。そんなものではなく不測の事態が、連中に襲い掛かったのではないかと。 そして不測の事態の元凶とはおそらく―― 「おい、しっかりしろ! 目を開けるんだ!」 人の声に沖田は息を詰めた。存在を悟られないようそろりそろりとL字になっている廊下を角のところまで近づいていく。ほんのわずかに頭を出して、声のするほうの様子を窺った。 二人の人間がいる。一人は虫の息で、もう一人が必死に元気づけているらしい。両方とも手に刀を持ってはいるが戦えそうな様子ではない。その他には誰もいないようだし危険はないと判断して、沖田は姿を現した。 「真選組!?」 こちらに気付き、一人が仲間を庇うように立ち塞がる。沖田は少し迷ったが刀を抜く理由が思い当たらなかったので何もせず、相手を刺激しないように努めた。 「急いでるんでさァ。ちょっと話が聞きたいだけで戦うつもりはありやせん」 「その髪の色……まさか貴様、オリジナルか?」 「……その言い方やめろ。不愉快でィ」 生き物に使うべきとは思えない単語に沖田は眉を顰めた。髪の色が人とは違うことを暗に言われたのも気に触った。 「そうか。貴様が奴らを操っていたんだな」 「奴ら?」 「とぼけるな。貴様のデータをコピーして作った木偶どものことだ。貴様が我々の命令を上書きしたんだろう!」 声を荒げ、じりじりと間合いを詰めてくる。相手が近づいた分だけ沖田も後ろに下がった。何を言われているのか全く理解できなかった。 「知らねぇよ! 大体そんな便利なことができるなら、わざわざこんな危険なところに一人で来るかっての」 「む……?」 男は歩みを止める。沖田に探るような視線を浴びせ、それから重症の仲間の方へ目をやった。こんなところで無駄な争いをしている場合でないのは彼らだって同じなのだ。 「本当に、貴様の仕業ではないのだな」 「へい」 「それではやはり、奴らは失敗作だったのか……くそっ」 「失敗作?」 その言葉は沖田の胸に小さな棘となって突き刺さった。すごく、嫌な気持ちがする。 「そうさ。奴らは何一つ我らの命令を聞かず、あまつさえ製作者たる我々を皆殺しにしようとしているんだ!」 糸がぷつんと切れてしまったみたいに、男はその場に座り込んだ。刀も放り捨て、やけくそになったように沖田にべらべらと語りかける。 「貴様が何故木偶どものデータ源に選ばれたかわかるか? 鬼のような剣の腕を持ちながら、思想も何もないからだ。貴様のような殺人人形が大量に作れ、自在に操ることができれば我らは桂や高杉などにも劣らぬ強大な勢力となれたはずなのだ!」 「そんな理由で、あいつらを……?」 「そうさ。それなのに奴らはなぜ命令を聞かない? 人形は人形らしく、言われた通りに命令を遂行すればいいのだ。オリジナルの貴様がそうであるようにな」 「……黙れ!」 湧き上がる怒りを抑えきれず、沖田は男を力いっぱい殴り飛ばした。吹っ飛んだ男に掴みかかり、馬乗りになって更に殴りつける。こんな赤の他人に自分や彼らのことを語られたくはなかった。 「俺もあいつらも、人形なんかじゃねぇ! 怒ったり悲しんだり……人を、好きになったり、ちゃんと感情を持ってるんだ!」 彼らはいつも泣いていた。寂しくて悔しくて妬ましくて、絶望していた。そしてその感情のせいでついには自分を殺してしまった。一度だって喜びの声を上げることなく、何一つ幸せを見つけられず。あるいはその幸せすらも壊れてしまって。 「確かに俺は、お前らや土方さんみたいな大層な思想はねぇよ。ただ好きな人の側にいたくて、それだけのために俺は鬼になることを選んだんだ。それはいけないことかもしれない、間違ってんのかもしれない。でも俺は、自分の心でその道を選んだんだ!」 気がつけば気持ちが溢れ出していた。覚えていないはずのことが怒りと一緒にぽろぽろと口から零れてくる。頭では全て忘れていたけれど、心は何も忘れてはいなかったのだと沖田はこの時初めて気付いた。 人を殺すことも、その辛さを殺すことも、本当はものすごく苦しいのだ。それでも耐えて平気なふりをして、必死になって追いかけた。背負ったものの重さに潰されそうになってもずっとがんばってきたのだ。一緒に歩いて行きたかったから。 心があったから苦しかったけれど、心があったからこそがんばれたのだ。それなのにその途方もない過去を心のない人形のような言葉で言い表されるのは、本当に悔しくて腹が立った。 「なんにも知らないくせに! 俺のこと、わかろうともしないくせに!」 何度も何度もがむしゃらに振り下ろした拳を、不意に弱い力で掴まれた。それは沖田が殴っていた男ではなく、瀕死の重傷を負っていた男の方だった。 「すまない。本当に、すまなかった……」 我に返った沖田は肩で荒く呼吸しながら男を見た。男がここまで這ってきた床は血の染みが色濃くできていて、男自身もここまで動けたのが奇跡といっていいほどの怪我をしている。 「それ、あいつらがやったの……?」 「そうだ。しかし俺たちはそれに見合うだけのことをしたのだろう。間違っていたのは俺たちの方だったんだ」 沖田を掴んでいた手がぱたりと床に落ちた。一瞬死んだかとも思ったが、まだかろうじて息はある。しかし顔には死相が漂っていて、もうじき死ぬだろうと沖田は感じ取った。 「こいつだって、奴らが暴走した時からちゃんとわかっていたんだ……ただ、あまりにも、死にすぎた……」 「……うん」 確か山崎が三十人くらいの規模の組織だと言っていた。それがみんなこの二人以外は彼らに殺されてしまったのだろうか。 この人たちは間違っていた。してはいけないことをした。だから彼らはこの人たちを殺そうと決めたのだ。沖田だって、さっきまで死んでしまえばいいと思ってあの男を殴っていた。 沖田に殴られた男は今は気を失っている。相当本気で殴ったので顔は原形をとどめていないし、歯もかなり折れただろう。それでもまだ生きているのは沖田の意思ではなく、男の仲間が止めてくれたからだ。でなければ、きっと殺していた。 「俺も、あんたの仲間が言ってたみたいに、本性は人殺しなんだと思う」 立ち上がり、刀を抜いた。久しぶりに手にするそれはとても懐かしく、まるで親友のようにさえ感じる。この刀と共に、今まで一体どれだけの命を奪ってきたのだろう。 「それでも俺は、何かを護れる存在でありたいんでさァ」 それは人間でありたいと願うのと同じこと。沖田の大好きな人たちはいつだって大切なもののために戦う優しい人殺しだから。 「だから、お前たちは間違ってるんだ」 その言葉は男たちにではなく、もうすぐそこまで来ているもう一人の自分に向けてのものだった。 彼らの心はまだ殺すことを願っている。自分たちを生み出した存在を、そしてそれ以上に沖田のことを。 刀を手に、沖田は男たちを庇うように立ち塞がる。間もなくゼリー人間たちは沖田の前に現れた。 数は3体とそれほど多くはない。しかし他の奴らと違いこの場に留まったことから、彼らは他の者たち以上に強い憎しみを抱いていることがわかる。その証拠に、彼らの声は憤怒と憎悪に満ちていた。 「あの人たちを殺したって何もかわりゃしねぇよ。そんな方法じゃ楽になれないってわかってるんだろィ?」 それは確かに正しい。しかし自分で言っている途中で沖田は気づいてしまった。彼らはどうしたって楽にはなれないのだ。だって沖田は土方が道を照らしてくれなかったら一歩だって歩けやしなかっただろうから。 「お前たちにも、土方さんみたいな人がいればよかったのにな」 ふと呟いた何気ないその一言が、途端に彼らの感情を膨れ上がらせた。 どろどろした汚い感情を声に変えてぶつけてくる。憎しみとも少し違うそれは、嫉妬と呼ぶべき感情なのだとここにきて沖田はやっと悟った。 そういえば爆発が怒ったのは沖田が寝ている前後だった。その少し前から彼らが暴走しだしたのだとすると、それはちょうど沖田が土方に抱かれていた頃だ。 「まあ、そりゃ怒るわな。お前らは一人ぼっちなのに俺だけあんなに幸せだったら殺したくもなるか。……俺もきっと立場が逆ならそうしてらァ。世界の全てを呪って、全部壊してしまいたくなるかもしれねェ」 しかしそれはいけないことなのだ。沖田がそんなことをしたら土方はきっと悲しむし、怒るだろう。そしてたぶん今の沖田と同じことをするのだ。 「それでも俺は、お前らを止める」 沖田は走った。一瞬で一体の懐に飛び込み袈裟斬りにした。噴水のように体液を噴き出すそれを蹴り飛ばして一体に押し付け、残る一体に向けて刀を突き刺す。 刀の使い方は思い出と一緒に忘れてしまったから、沖田はさっき見せてくれた土方の剣技を忠実にまねようとしていた。しかし実際その太刀筋は土方のものではなく、紛れもない沖田本人のものだった。無論そんなことにはこの場にいた誰も気づかなかったのだが。 己に刺さった刀を抜こうとゼリー人間は長い手を伸ばして刀身を握ろうとする。その手諸共沖田は渾身の力で斬り上げ、半ばから真っ二つにしてしまった。 あと一体。斬られた仲間を押し退けてゆらりと立ちはだかる最後の沖田の分身の透けた体内には、卵のようなものが見えた。それは他の者には決してなかったものだ。 「それが俺の記憶だな」 自分を呼ぶ小さな声を耳にして沖田は確信する。おそらく沖田そのものになりたい一心で、人間たちから奪い取ったのだろう。 両者は刀を構えなおし、十分に間合いを取って向き合った。 睨み合う。刀は共に正眼で構え、互いに隙を窺う。 「総悟!」 不意に割り込んできた声。土方のものだ。その瞬間一方は意識が乱れ、一方は迷いなくその隙を突いた。刀を持った腕を落とし、面を叩き込む。 最後まで立っていたのは沖田だった。 しかし土方の声が割り込んでいなければ危なかったかもしれない。沖田の分身の意識が乱れたのは土方への想いが残っていたからだろう。愛という感情のために死んでしまったことは彼らにとって幸せだったのか不幸せだったのか、沖田にはわからなかった。 ピンク色の水溜りに転がっている卵を拾い上げる。両手で包んで胸の位置で抱きしめてみると、ぽかぽかと温かい心地がした。 「帰ってきなせェ。あの人は一人しかいないから、俺も一人だけのほうがいいんだ」 そうすれば愛されぬ悲しみに身を焦がすこともないから。 卵から白い光が溢れ、沖田は意識が遠くなる。 その直前に土方の声を聞いた。それは沖田がずっと探していた『あの人』の声とかちりと重なり合った。途中からあの声の主のことなどどうでもよくなっていたけれど、結局のところ沖田ははじめから手に入れていたのだ。 一番大切な、未来を作っていくのに必要なものを。 声が聞こえる。 「副長、そろそろ消火活動が終わるそうです。今のところわかっているのは死者28名ですが、まだ何人か増えるかもしれません」 「そうか。生存者は?」 「あの二人……いえ、一人だけですね。もう一人は先ほど病院で亡くなったそうなので。ええと訂正します。現在死者29名です」 「わかった。引き続き頼む」 気配が一つ離れていく。しかしもう一つは変わらず沖田の側にいた。 目を開けると飛び込んできたのは真っ青な空だった。眩しさにぱちぱちと瞬きをして少し視線をずらせば横になっている沖田の頭の上の方、つまりは隣で土方が煙草を燻らせている。 「……なんで膝枕じゃねぇの」 「アホ。そんな恥ずかしいこと往来でできるかっての」 膝枕のかわりに上着を貸してくれていたらしく、頭はコンクリートではなくふかふかした布の感触を感じていた。 携帯灰皿に煙草を潰し、土方は沖田の前髪をかき上げる。沖田も触りたくて手を伸ばしたら、体を屈めて届くようにしてくれた。 「それで、思い出したのか?」 「へい。初キッスから初エッチにあんたの初浮気までみんな思い出しやした」 「……最後のは遠慮なく忘れていいぞ」 苦い顔で言う土方に沖田は笑みを零した。やっと全てが元通りになったのだと実感が湧いてくる。こうして終わってみると、記憶をなくしている間のことはまるで束の間の夢であったように思えた。甘く優しく、そして最後だけは悲しかったそれはしかし、決して夢で片付けてはいけないのだ。 「過去をなくしても、俺はまた当然のようにあんたを好きになってやした」 そして過去しか持たなかった沖田もまた、同じように同じ人に恋をした。本当に愚かしいまでに、沖田の本質はただ一人を欲しているのだ。だからこそ、あんな悲しい結末を迎えてしまった。ただ人を好きになっただけだったのに。 「俺もあいつらも心を持った人間なんです。そうありたかったんです」 頭をつかまえ抱き寄せる。一瞬だけ掠めるようなキスをして、耳元で囁いた。 「だからどうか、忘れないでやってくだせェ。あんたが好きで堪らなくて、そのせいで死んじまったもう一人の俺のことを」 人形にも人間にもなりきれなかった彼らへの沖田の思いは同情と呼べるものだろう。しかしそんな感情は彼らに失礼だろうから、沖田はもう彼らのことを思うのをやめようと思う。そのかわりに、彼らの分まで恋をするのだ。 「好きです。土方さん」 「ああ、ありがとう」 親指で目元を優しく拭ってくれる。好きだよと言ってくれる。それだけで沖田の胸は一杯になった。 「副長ー! なんか変なの見つけましたー!」 遠くで山崎の呼ぶ声がして、土方は舌打ちをして立ち上がった。沖田もその後に続こうと起き上がる。別に一人でも立ち上がれたのに、土方はわざわざ手を貸して立たせてくれた。 「さーて、もう一仕事したら寝直すぞ俺は。眠くてたまんねぇ」 「そうですねィ。ところで俺、もう長いこと近藤さんを見てない気がする」 「帰ったら寝る前に顔見せてやれ。あの人ずっとお前のせいで寝込んでたからな」 「へーい」 もう耳を澄ましてみても悲しい声は聞こえない。そのことに少し寂しさを覚えながら、沖田は土方の声に耳を傾けた。 たとえこの先何があろうと、この声と共にあろうと誓いを立てて。 やっと終わりました。長かったです。 こうして終わってみると土方がまるで活躍しませんでした。むしろ銀さんの方が役柄としてはおいしかったような。 小動物のような沖田(前半)とアクション(後半)が書けてとても楽しかったです。 戻 07/09/20 |