カウントダウン 1 「総悟。おい、総悟!」 名前を呼ばれていることに気がついて沖田はハッと顔を上げた。周りを見回すと隊士たち全員がこっちを見ている。 「ええと、すいやせん。全く聞いてませんでした」 自分を呼んだ土方のほうを見て沖田は素直に謝った。それからやっと、今が会議の真っ最中であることを思い出す。一時間後に行われる討ち入りの最終ミーティングをしているのだ。 「平気か総悟。顔色悪いぞー?」 「やめてくだせェ近藤さん。顔が悪いだなんてそんな、ある種のセクハラですぜ」 「いや、顔じゃなくて顔色が」 心配してくれることは正直うれしかったけれど適当に冗談で誤魔化してしまった。近藤はまだ何か言いたそうにしていたが土方が話を元に戻したので渋々自分も元の話に加わっていく。これ以上誰からも聞かれずに済んだことに安堵した。 ここだけのところ今日は人生の中でもワーストを誇る絶不調だ。頭痛と眩暈と吐き気がどれも甲乙つけがたいほどの激戦を繰り広げている。せめてどれか一つだけでも消えてなくなってくれたらいいのに。 今、この体は厄介な病に蝕まれている。前はそんな実感なんてなかったのに、最近ではじわじわとその事実を身を持って思い知らされるようになってきた。 このままではじきに死ぬと教えられた。しかし当然そんなものを無条件で受け入れてやる気はない。だからコンマ以下の奇跡にかけて非合法な薬にまで手を出してがむしゃらにがんばっている。剣術以外でこんなにがんばったことは今までの人生になかったのではなかろうか。 そしてこの絶不調はその薬のせいだった。給料の大半を費やして試した薬の数なんてもう忘れた。しかし今のこの薬が治る可能性のある最後の一つだということだけは揺るがない現実である。とはいえ最後まで保留にされていただけあって副作用が半端じゃなくてむしろこれ自身が悪意の塊だと沖田は思っている。前にもひどいものはあったけどここまでじゃなかった。 病気のことはまだ誰にも話していない。たとえ治らないとしても誰にも話す気はない。だから薬の副作用のせいで具合が悪いなんてことは絶対に知られてはならなかった。 「総悟。総悟!」 「え? あ、はい」 これで二度目だ。思った矢先からまたやってしまったと内心で舌打ちをする。 気がつけばもう散会していてみんな出て行くところだった。近藤がまだこちらを見ていたが他の連中に引かれて名残惜しそうに出て行く。土方と山崎だけが沖田と同じでまだ立っていなかった。 「お前、本当に大丈夫か?」 土方は心配そうに尋ねる。たぶんさっきは沖田が人前で心配されるのを嫌うことを知っていたからあえてスルーしたのだろう。いつものように伸ばされた指が、沖田の頬をなぞる。 「平気でさァ。話がつまんなかったんでボーっとしてただけです」 「つまんねぇって……聞けよコラ」 土方は呆れたように嘆息して手を離した。それと同時にまた思考が泳ぎだしそうになって、集中しようとぱちぱちと瞬きをしてこっそり口の中を噛む。痛みが沖田の思考をかろうじて現に繋ぎとめてくれる。 「もっかい言うけど、今日こいつお前につけるから」 「山崎?」 「ああ。色々あってな。こいつは戦わねぇけどお前と一緒に動くから間違って斬らないように」 「善処しまさァ」 「く、くれぐれもよろしくお願いします……!」 少し怯えたように山崎が頭を下げた。そういうわけだから聞いてなかった分はこいつに聞けと土方が付け加える。話はそれで終わりらしかった。 土方が立ち上がり、山崎と沖田もそれに続く。少し足がふらついたが二人とも気付かなかったようだった。 部屋を出たところで山崎が別方向へ消えていき二人だけになった。だから前を歩く背中の名前を呼んでみる。 「土方さん」 「なんだ?」 振り返る。沖田も足を止めた。 「俺、今日いなきゃまずいですよね?」 目が、何か言いたそうにしていた。しかし半分開きかけた口は何も音を紡がずに一度閉じられる。かわりに伸びてきた手が沖田の頭をくしゃくしゃとやった。 「たりめーだろ。お前がいなきゃまるで話になんねぇよ」 必要だと言ってもらえて、気持ちだけは元気になった。 それからきっかり一時間後に討ち入りは開始された。 沖田の担当は一階全域で、打ち合わせ通り山崎が後からついてくる。時々引き出しを開けたりしているのが目に入ったが聞いてもどうせ極秘だろうから無視して暴れ続けた。 現場に立てば少しはよくなるかと思ったのに具合はむしろ悪くなる一方だ。立っているだけでもかなりしんどかったので、理性のスイッチを半分切って目についた黒くない生き物だけを斬ることにだけ集中する。 周囲に満ちているはずの音はひどく遠いもののようで、血のにおいだけが今どこにいるのかを教えてくれる。それでも思考はゆらゆらと夢の中にいるみたいにたゆたってぼんやりしていた。 生きているうちにあとどれくらいの人の命を奪うのだろう。ぼんやりと沖田は考えた。 いずれ病に殺されてしまうかもしれない自分に殺されてしまう人は不運であるような気がした。まだ沖田が生きているから彼らは今死んでいくのだ。それはなんと奇妙なことなのだろう。これではまるで一人でも多く道連れにして死のうとしているみたいじゃないか。 死ぬこと自体は何も怖くないのに。むしろ沖田が恐れているのは―― 「総悟」 三度目。名を呼ばれて沖田は顔を上げた。いや、顔ははじめからそこにあったのだから意識を向けたと言い換えた方が正しいだろうか。 「土方さん?」 二階の担当のはずなのにどうしてここにいるのだろう。それに着ているものも隊服ではなくいつもの黒い着物で、長い髪を後ろで一つにまとめている。 「行こう」 「どこへ?」 すかさず沖田は尋ねた。しかしこれには答えはなく土方は無言で手を差し伸べる。 そういえば子供の時よくこんなことがあったっけと思い出した。沖田が迷子になったとき、いつも最初に見つけるのは近藤ではなく土方だった。たとえ沖田がどこにいようと迎えに来て今と同じように手を引いて連れて帰ってくれた。だから沖田は安心してどこへでも行くことができたのだ。 どこまでも、どこまでも遠くへ。いつか帰れるその日まで。 「もういいんだ、総悟」 「もう、いいの?」 「ああ」 土方は優しく頷いてくれた。もう、誰も殺さなくてもいいのだと。 「一緒に帰ろう」 あの時のあの場所へ。残された時間を共に。 差し出された手を振り払う理由は何もなかった。その手を掴もうとして初めて自分が何か手にしていることに気付き、何のためらいもなく床に放り捨てる。 「沖田さん!」 名前を呼んだのは一体誰の声だったろう。 続 08/04/10 |