カウントダウン 2

 山崎の叫び声を聞いて土方が駆けつけたとき、一階にはほとんど動く敵は残っていなかった。たくさんの死体を飛び越え向かった先には沖田が倒れていて、山崎が必死に揺さぶっている。

 心臓が止まるかと思った。

「斬られたのか!?」
「あ……副長! いえ、斬られたんじゃないんですが、突然倒れて」
「倒れた?」

 土方は床に膝をついて投げ出された沖田の手を取った。確かにちゃんと温かいし脈もある。返り血で濡れているだけで外傷はないことを確認し一先ずは安堵した。

「かなり熱があるみたいです」
「知ってた。だから適当なこと言ってお前をつけたんだ」
「はぁ!? じゃあ何でこんなとこに」
「……こいつが望んだから」

 会議の後、沖田の頬に触れたときにいつもより熱いことに気付いていた。だから本当は連れて行きたくなんてなかった。いや具合が悪くない時だって、こんなところに連れて来たいと思ったことなんて一度もない。そんなことを口にするたびに沖田はあんたは覚悟が足りないと怒るのだけど。

「その話は後だ。病院へ連れて行く」

 こんなところで物思いに耽っていても何もいいことはない。土方は山崎を黙らせて、ぐったりとして動かない沖田の体を抱き上げた。予想していたよりもずっと軽いことに驚きと小さな不安を覚える。沖田は前からこんなにも軽かっただろうか。

「副長?」

 抱き上げたまま沖田を見下ろして動かない土方を山崎が不審そうに見上げている。その視線で我に返り土方は歩き出した。山崎が騒いでくれたせいで他にも何人か隊士が集まっていて、出るまでの護衛を買って出てくれる。しかしもう敵はほとんど戦意を喪失しているらしく何も面倒なことは起こらなかった。

「総悟!? まさか、おいトシ、斬られたのか!?」

 外に出るなり近藤が真っ青になって飛んできた。他の隊士たちも心配そうに後からやってくる。その背中の向こうには思っていたより一般人の姿があって内心で舌打ちする。あまり人目に晒すのはまずい。

「倒れただけだ。熱があるみたいでな、病院に連れて行きたいんだけどあと任せてもいいか?」
「ああ。中はもう片付いたんだろ? 軽傷の奴らとかもついでに連れて行ってやれ。そっちの方が安全だろう」

 言いながら近藤はちらりと野次馬たちを見た。たぶん土方と同じことを考えたのだろう。この中には間違いなく討ち入りの様子を見に来た攘夷浪士たちもいる。同志を殺された彼らが弱って動けない沖田を狙わないとも限らない。

「悪いな。あと頼むぜ」
「おうよ。総悟によろしくな」

 その間にも遠くに止めてあったはずのパトカーがやって来て、土方は沖田を抱いて乗り込んだ。運転席に座っているのは山崎だ。

「先に出しますか?」
「いや、あと一分待つ」

 人数が揃うのを待ちながら土方は溜息を吐いた。
 倒れるまで戦って、こんなものが沖田の望んだ世界だったのだろうか。尋ねれば沖田は肯定するのだろうが、本心まではわからない。






 沖田は土気色の顔をしたまま目を覚まさない。土方の膝を枕にして後部座席に寝かされてぐったりとしている。しばらくしてから血糊で気持ち悪そうだと気付いて上着とベストを脱がしてやった。ついでに自分のも脱いで助手席にまとめて放り込む。寒いと呟いたら山崎が暖房を強くしてくれた。

「さっきの話ですけど」

 山崎が口を開く。ミラー越しに見えるその表情は珍しく怒っているようだった。

「どうして熱があるのがわかってて無理やり参加させたんですか?」

 きっと山崎には言ってもわからない。そう思い僅かに口許を歪めた。だって土方にもわからないのだから。

「……こいつは戦うことしかできねぇんだ。だからこいつはここで必要とされなかったら、ここにいる意味を見失っちまう」

 眠る沖田を見下ろしてそっと前髪を撫でる。そこにいつもの柔らかい手触りはなく血で固まってべたついている。ハンカチで拭えないかと思ったが上着ごと助手席にあることを思い出し諦めた。

 沖田にとって真選組はたった一つの、かけがえのない居場所なのだ。だから沖田は真選組のためなら何だってする。こんな風に倒れようと、血で汚れようと厭わない。
 そして沖田は、同時に自分が真選組にとってかけがえのないもので在りたいと願っている。本人の口からそんなことを聞いたことはもちろん一度もないけれど土方はそう考えていた。

「たとえ俺が作戦から外したとしても、総悟はきっと屯所を抜け出して勝手に動いただろう。戦場で倒れられるより、俺はそっちが怖かったんだ」

 たとえどんなに危険な場所だろうと、目の届くところならば何かあってもこうしてすぐに駆けつけられる。奇妙な話だが、討ち入りに参加させることが沖田のための最善の安全策だったのだ。

「そんなところで納得したか?」
「はい。……でも、あの」

 頷いた割には山崎はまだ完全には納得していない様子だった。土方にもなんとなく言わんとしていることの見当がついて、言ってみろと先を促す。

「なんか、うまくいえないんですけど、それってこんな無理までしなくちゃいけないんでしょうか? 一回病気で休んだくらいで、沖田さんがここにいる意味って揺らいじゃうんですか?」

 土方もそこが引っかかっていた。真選組の役に立ちたいという理由は理解できる。しかし沖田は無理の結果がどういうことを招くのかもわかっていたはずなのだ。そんな風に足を引っ張ってしまうことを嫌う沖田が、何故こんな無茶をしたのだろう。

 熱で頭が壊れていたと言ってしまえばそれまでかもしれないが、土方の勘はなんとなくそれだけではないのではないかと疑っていた。
 今まで沖田があんな風に自分が必要かなどと確認することは一度としてなかった。いつも弱音こそ吐きはしないがこんな馬鹿な真似をすることもなかったのだ。

 山崎と同じように土方もどこと明確に言えるわけではない。それでもどこか、かなり前から、沖田の真選組への執着は少し病的なもののように感じていた。まるで自分がみんなの中から忘れ去られてしまうことを恐れているような、そんな類の不安定さが今の沖田の中にはあるのだ。

「何か、悩みでもあんのかねえ」

 それならどうして自分に何も言ってくれないのだろう。嘆きの溜息を吐き出す。人差し指で沖田の頬を擦ると熱のせいかいつもより温かい。

 沖田の様子がおかしくなったのはいつ頃からだったろう。それと、こんなに痩せ始めたのは? あんなに肌を重ねていながら今頃そんなことに気付くなんて、自分はどこまで人でなしなんだろうと思う。

 きっと目を覚ましても沖田は何のことですかと空惚けるのだろう。いつだって本当に大切なことは何も口にはしないのだ。下らない文句はいつも零すくせに、そういう大事なものばかり胸に閉じ込めて一人で息苦しくなっている。それが沖田という人間なのだ。

「ひじかたさん?」

 舌足らずに掠れた声で名を呼ばれた。見下ろすと眠たそうな兎の目が土方を見上げている。

「具合はどうだ?」

 尋ねると沖田はきょとんとしていた。寝起きのせいか熱のせいか、状況を理解できていないらしい。

「怖い夢をね、見たんです」

 なんと説明しようかと考えているうちに先に沖田が口を開いた。山崎は後ろを気にしながらも静かに車を運転するロボットのふりをしている。

「夢?」
「お巡りさんになる夢でさァ」

 沖田は奇妙なことを言った。どうやら記憶が混線しているらしい。

「俺も近藤さんも土方さんも、原田さんも藤堂さんもみんな、江戸に行くんでさァ。そこで俺たちはたくさんの人を殺すんです。いい人も悪い人も。中でも一番、俺がたくさん殺しました」

 甘えるように伸ばしてきた手を土方は握り締めた。その手の平はまだ血で黒くぬらついている。

「怖い夢だな」

 口にしたら内側に切ない焼けるような痛みが走った。

「怖かったです。あと、すごい悲しかった」
「俺たちが人を殺すことが?」
「いいえ。それもあるけど、それだけじゃなくて……俺、俺は」

 声が震えた。目に一瞬怯えのような色がよぎる。しかしその怯えの意味は土方にはわからない。

「総悟?」

 沖田は土方の胸にぎゅっとしがみついた。瞳に涙が浮いたように見えたのは果たして気のせいだろうか。

 記憶が混線している今なら、全ての真実が掴めるのではないかと思った。沖田がひた隠しにしているものをこんな形で暴くのは汚いやり口かもしれない。しかしそれでも知りたいのだ。今知っておかないと後で後悔するような、そんなひどい胸騒ぎがする。

「なあ、総悟。何が怖いんだ?」
「なんでもないんです。本当に、なんでも。だって……だって、夢だから」
「いいだろ夢なら。話した方が楽になるぜ」
「駄目でさァ」

 土方を見て沖田はきっぱりと言う。今度こそその瞳には涙が浮いていた。

「だって土方さん、絶対泣くから」

 泣いているのはお前じゃないか。瞬時にそんな言葉が頭に浮かんだけれど、考えることに忙しくて声にするのを忘れてしまう。
 沖田が怯えて土方が泣くような、そんな沖田の隠し事とは一体何なのだろう。土方にはまるで想像がつかない。それともこれは隠し事とは無関係のただのうわごとなのだろうか。

「早く、帰りやしょう? じゃないと近藤さんが心配する」
「え? ああ、そうだな」

 本当は病院に行くのだと教えたほうがいいだろうか。迷った末、茶番を続けることにする。こんなときくらいせめて子供でいさせてやりたかった。

「今日は近藤さんとこに泊まってくんですよね。明日はいつまでいるんですかィ?」
「……ずっといるよ。明日はもうどこにも行かねぇ」
「本当?」
「お前と一日遊んでやるよ」

 そう答えると沖田はとてもうれしそうに笑った。ぎゅっと抱きついて何度も約束ですぜと念を押す。こんなにうれしそうな沖田を見るのはいつぶりだったかと過去を振り返って悲しくなった。覚えていない。

「ずっと、ずーっと一緒ですぜ。俺と一緒にいてくだせェ。俺、もっと土方さんとたくさん一緒にいたいんでさァ」

 その笑顔の奥にもまた、何か切羽詰ったような必死さが垣間見えた気がして思わず抱きしめた。少しでも、せめて本当の夢の中でくらい安心させてやりたくて。もうそちらには帰れないだなんて言えるはずがなかった。

 そうして抱きしめて背中を撫でてやっているうちに沖田はまたくうくうと眠ってしまった。閉じられた睫毛から小さな星が一つ流れ落ちる。結局沖田を泣かせたものの正体はわからず終いだった。

 怖い夢だと言った。そして、すごく悲しかったのだと。そちらこそが本当の現実なのに。
 少なくとも今の沖田にとって真選組はたった一つのかけがえのない居場所だ。しかし過去を含めてもいいのだとしたら、沖田が心から望む居場所とはどこなのだろう。その答えは今の会話の中に存在しているのかもしれない。

 沖田が一緒にいたいと望んだからというそれだけで土方は沖田の手を引いて連れて来てしまった。土方自身もそれを望んでいたから。それが沖田にどんな未来をもたらすかなどろくに考えもせずに。
 本当は沖田は帰りたいのではないだろうか。あの頃に、土方と一緒に。しかしそんなことはもうできないから、がむしゃらに理由を作ろうとしているのかもしれない。あるいはもっと他に何か、沖田を必死にさせるものが存在するのか。

 土方は何も知らない。いつか沖田が話してくれる気になるのを待つしかないのだ。それまで土方にできるのは、沖田が望むようにずっと一緒にいることだけなのだろう。

 ごめんと唇だけを動かし、掠めるようなキスをした。あと5分ほどで着きますと山崎が機械のように言う。



 

08/04/28