カウントダウン 3

 目を覚まして最初に見たのは土方の横顔だった。いつもの黒い隊服に身を包み書類にペンを走らせている。ただしいつもの違うのは背景が沖田の部屋らしいことと、書類の乗っているのが小さな簡易テーブルであること。

「土方さん」

 名を呼ぶとペンの動きが止まる。驚いたようにホッとしたように、そして少しだけ切ない色を宿して、沖田を見た。

「具合はどうだ?」
「平気でさァ」

 大きな手が伸びてきて前髪を掻き揚げる。熱はねぇなと呟いて安心したらしかった。
 今こうしている限りでは本当にもうなんともなかった。やはりあの薬がよくなかったのかと改めて思う。だって終いには幻覚まで見えたもんなあと呆れながら土方をじっと見つめた。もちろん黒い尻尾はどこにも見当たらない。

「討ち入りはどうなりました?」
「無事に済んだよ。お前が倒れたときにはもうほとんど片付いてたしな。これ今書いてんのその報告書」
「俺、どれくらい?」
「二日経った。今日明日はまだ大事とって寝とけ」
「えー」

 もう平気なのに、土方はそう言っても取り合ってはくれない。今日を含めてあと二日も一人で寝て過ごすなんて耐えられない。どうせ死んでからいくらでも寝られるのだからと言ったら土方の表情が引きつった。
 我侭言うなと力任せにほっぺたをつねられて、痛かったけど楽しかった。だってまだ生きている。

「総悟、今起きられるか?」
「たったいま寝てろとほざいたのはどの口ですかィ」
「起きて見廻り行って来いとは言ってねぇよ。起き上がれるかって聞いてんだ」
「はぁ」

 それくらいなら楽勝だと、沖田は少し勢いをつけて起き上がった。そうしたら一瞬くらりときて頭が白くなったけど土方は気がつかなかったらしい。
 土方の目は外へと向いている。半分開いた障子の向こうに人の気配はない。明るさからしてちょうど昼のようだから、みんな仕事をしているか食事を取っているのだろう。

 人に聞かれたくない話でもあるのだろうか。そう思い大人しく話を待つ姿勢でいたら突然抱きしめられた。あまりの強さに息が詰まりそうになり、どうか弾みで咳が止まらなくなったりしませんようにと意識を集中させる。

「なあ、俺は間違ってたか?」
「え?」

 なんのことだかわからない。まさか病気のことがばれたのだろうかと背筋が冷たくなった。しかしどうやらそういうわけではないらしい。

「お前本当は昔のままの方がよかったんじゃないか」

 ふと、倒れる前に見た幻覚のことを思い出す。もういいのだと言われて沖田は本当に救われた気持ちになった。もしかしたらあれは沖田の深いところにある願望だったのかもしれない。

「土方さん……何か、あったんですかィ?」

 抱き締められた背中に手を回して、よしよしと撫でてあげる。疑問系で口にしたけれど本当は確信していた。なぜなら土方が沖田の前で弱くなるときは、いつも必ず理由があるのだ。

「……怖い夢だって言ったんだ。今を」
「俺が?」
「ああ」

 病院へ運ばれる途中で自分が一度目を覚ましたことを沖田はこの時初めて知った。そんなことを口走った記憶なんて全くない。他にも何かろくでもないことを言ってはいないかと不安になったが、藪蛇になるのが怖くて聞けなかった。

「総悟、本当のことが聞きたいんだ。お前はこれでよかったのか?」


 土方の声はまるで縋るかのようだった。これがきっと沖田が目を覚ましたときに感じた切ない色の理由なのだろう。二日間、ずっと自分を責め続けていたのだろうか。

「あんたは何も間違ってなんかいやせん」

 沖田はゆっくりと、一語ずつはっきり口にした。
 土方を安心させるための嘘ではなく本当に心からそう思っていた。なぜなら一緒にいることが今も昔も沖田の願いなのだから。

「あんたは俺の望みを叶えてくれただけです。俺は今でもあんたの手を取ったことを一度も後悔なんかしてない」

 どうか過ちだったなんて言わないでほしい。土方がそう疑っているものを守るために沖田は今、不安を押し殺して戦っているのだ。

「じゃあもしも、過去に戻れるとしたらどっちがいい?」
「……っ」

 差し出された手のことをまた思い出す。たぶん本当にああやって手を差し出されたら、沖田はまた同じようにその手を取ってしまうのだろう。

 後悔はしていない。けれど、帰れるのなら帰りたい。あるいは時を止めてしまうことができたなら。そうしたら死という別れの怖い夢に怯えることはなくなるだろうに。
 それでももう戻ることはできないから前に進むしかないのだ。なかったことにできないのなら絶対に治さねばならない。

「お願いです。どうか、後悔しないで。俺は本当に幸せなんです。だから過去じゃなくて、今と未来を見ていて」
「……総悟?」

 やばい。泣きそう。心の糸が切れそうになるのを歯を食いしばってぐっと堪えた。その気配を悟ったのか土方が顔を見ようとするのを嫌がって更にきつくしがみつく。心が弱っているのは自分も同じだったのだと思い知った。

「俺にも言えないことなのか」

 顔を見るのは諦めて、あやすように頭を撫でてくれる。問い詰められたら話してしまいそうだったから、聞かないでくれてよかったと感謝した。

「……言えやせん」


 あなただからこそ、絶対に。


「じゃあこれだけは絶対に忘れるな。何があろうと俺は最後までお前の味方でいるから」
「……へい。ありがとうございやす」

 その言葉だけで十分だった。気持ちがすっと楽になっていくのがわかる。あと何回倒れようと絶対に治そうと改めて誓った。これからもずっと一緒にいるために。

 顔を上げると待っていたかのようにキスされた。やっと、笑い方を思い出せた気がする。寝ていた分を含めなくてもこんな風に穏やかに笑えたのはずいぶん久しぶりの気がした。

「ああ、やっと笑った」
「あんたも笑ってんだろィ」
「ばーか、お前につられてんだよ」

 軽口を叩いて沖田の頭を一撫ですると土方は手を離した。沖田が目を覚ましたから誰か呼びに行くのだろう。わかっていたはずなのに立ち上がろうとしたのをつい、手を伸ばしてしまった。

「あ……」

 上着の裾を思わず掴んでしまったのだ。しかしまだここにいてほしいだなんて正直に言えるわけがなくて固まってしまった。土方は忙しいのだ。そんな子供みたいな我侭を言ってはいけない。

「いや、ええと、これは……」

 言い訳を探す間も手は本音に忠実で土方を行かせようとはしなかった。離さなくてはと思うほどに離したくない思いが募り、自分でもわけがわからなくなってぐるぐるしてくる。やっぱりまだ熱がある。
 土方はそんな沖田を珍獣でも見るような目で見下ろしていた。土方もやはり沖田の行動が意外だったらしい。しかしふっと柔らかく笑って安心させるように言った。

「厠行って二人分の飯取って来るだけだから、すぐ戻るよ」
「えっ? 仕事は?」
「だから、あれ」

 土方が指差した先にはペンと書類の乗った簡易テーブルがあった。そういえばこの人どうしてここで仕事してるんだという今更な疑問がわいてくる。

「約束したからな。お前が動けるようになるまで俺ここで仕事するから」
「約束?」

 きょとんとして尋ねるが教えてくれる気はないらしい。額にちゅっとキスをされ、なんだか誤魔化されてしまった。しかしすぐ戻って来ると聞いて安心したのかいつの間にか手は自然に裾を掴むのをやめていて、体ってなんて正直にできているんだろうと感心した。

「そうだ総悟、病院で薬もらったから数日は飲んどけよ。高いんだから捨てるんじゃねぇぞ」
「そいつは味次第でさァ」

 にやりと不敵に笑ってみせると、捨てる間もないくらいすぐ戻るからと言い残して土方は出て行った。足音は早くて本当にすぐ戻ってきてくれるつもりらしい。

 一人になるとすることもなく退屈だったので、何かおもしろいものはないかと部屋を見回した。すると枕元に体温計やタオルと一緒に白い袋があるのを発見する。これが土方が念を押していった薬らしい。
 一体どれほどあるのかと中を覗き込んでみるとそんなに多くはない。それにカプセルだ。粉よりずっと飲みやすいので非常にありがたかった。

 それから今度は袋の外を観察してみた。一日二回、食後、一錠。三日分。他の薬は服用しないこと。

「え……?」

 余白に書かれたメモは強く沖田の目を引いた。他の薬は服用しないこと。そして最後に、担当医のサイン。嫌になるほど見覚えのある。

 倒れた沖田の具合を見てくれたのは沖田の病を治す手助けをしてくれている先生だったらしい。あそこは真選組もよく利用する大病院で、この先生のところに沖田のカルテはあるのだから何もおかしいことはなかった。
 先生は沖田が誰にも病気のことを知られたくないことを知っている。さっきの土方の様子からしても何も洩れていないことは確かだろう。でも今はそんなことはどうでもよかった。

 他の薬は服用しないこと。それはつまり沖田を床に貼り付ける原因となったあの薬をもう飲むなということだ。これはそういう内容の暗号に間違いない。沖田の具合を見てあの薬は病を治せはしないと判断したのだろう。

 そしてそれが意味することは。


「もう……治らない?」


 沖田は呆然と呟いた。いや、自分が呟いたことなどまるで自覚がなかった。
 これが最後の薬だったのだ。これで駄目なら運命を受け入れるしかないと何度も言われた。それでも奇跡を、信じていたのに。


 夢を見ているのだと思った。とても、怖い夢を。


 覚めなくちゃ。そう思って何度も瞬きをするのに世界は一向に切り替わってくれない。どうして。どうして?
 目の前の白い袋に触れているのも恐ろしくて開け放された障子の外へ投げ捨てた。見えなくなる。それでもまだ夢は終わってくれない。

「やだ……嫌だ……!」

 ガチガチと歯が震えてうまく噛み合わなかった。左手の甲を右手で何度も引っかく。赤がじわじわと滲み手を汚す。夢なら痛くないはずだ。大丈夫、ほら、痛くない。

「総……っ、馬鹿! 何やってやがる!」

 戻って来た土方が手に持っていた膳を放り出して沖田を捕まえた。二人分の食事がやかましい音を立てて散らばる。壊れて食べられない、いらないものになってしまう。

「離せ! 離してくだせェ!」
「離すか馬鹿野郎! んなことしたら痛ぇだろうが!」
「こんなの、痛くなんか……!」

 痛かった。手首を伝って赤い血がぽたリぽたりと白い布団に染みを作った。こんな風にたくさんの血を流して自分はもうすぐ死ぬのだ。

 死にたくない。まだ、もっと一緒にいたい。他には何もいらないのに全部捨てたっていいのに、どうして許されないのだろう。これはそんなにも大それた願いだろうか。

「ふ……、ぅっ、うえぇ……」

 ぼろぼろと涙が溢れ出して止まらなかった。早く止めないと変に思われる。治らないのなら尚更、隠し通さねばならないのに。

「総悟? ……どっか痛いのか?」

 土方がひどく驚いた顔をして手を離した。その首に腕を回してきつく強く抱きしめる。一瞬だってもう離れたくなかった。

「痛いんです。すごく、すごく痛くてだから、涙が止まらないんでさァ」
「医者呼ぶか? あるいは何か、ほしいものとか」
「いいえ、なんにもいりやせん」

 何をしたってもう時は手に入らないから。カウントダウンはもう既に始まっている。戻ることも止まることもできず、前に進むしか道は残されていないのだ。道が途切れるその最後の刹那まで。

「土方さん、俺のこと離さないで。ずっと、ずっと一緒にいてくだせェ」


 今だけでいいから。どうか、離れなくてはいけない日まで、あと少しの間だけ。


「あんたは俺にとって世界の全てだから」





テーマは沖田が一番不安定だった時期でした。そして最後で突き落としました。なんだかいろいろとすいません……。



08/05/26