ネバーランド 1 オシアワセニ。 数日前、土方にもらった言葉がずっと頭の中でグルグルしている。ただの短い意味なんかあってないような言葉のはずなのに、何故だかそれに蝕まれている。 もしかすると自分はこのまま目に見えない何かに食べられて死んでしまうのかもしれない。悪夢から目を覚まし、それでも覚めない現実がひどく憂鬱だった。 どんなにイライラしていても物にあたるのはいけないことだ。 そんなことしょっちゅう人(山崎限定)にあたりちらしている野郎に言われたくないのだが、なるほど確かにそのとおりだ一人納得してしまった。 寝起きで重たい手の中には切れたゴムがひとつ。床には同じようなかわいそうなゴムが5つ。全滅だ。 土方は嘘吐き大魔王だが、真実を吐くこともある。これは真実だったなと思ったら余計にへこまされた。朝からなんてこと。もう死ねばいいあの××野郎。 ただでさえ頭の中がぐちゃぐちゃしていてストレスが溜まっているのに問題が一つ増えてしまった。これでは髪を結べない。不幸中の幸いにも今日はオフなので暴れる予定はなかったが、どちらにせよ今日中にどうにかしなくてはならなかった。 そこで問題が更に一つ。 沖田はあまり自分の金を間食以外に費やさない。理由は周りの大人たちが沖田を甘やかすからだ。中でも特にひどいのはあの馬鹿野郎の嘘吐き大魔王こと、土方である。 沖田には全く理解不能だが土方は沖田に贈り物をするのが趣味らしく(前に理由を聞いたら面倒くさそうにそう言っていた。語尾にハテナマークをつけて)沖田が必要としているものもしていないものも割となんでも買ってくれる。その大半が沖田にとって使い道のないものだったが、ゴムは数少ない例外で沖田にとって有用な贈り物だった。 つまり沖田はいつも自分の髪を結ぶものを土方に買ってもらっていたのである。 だから今回も土方に買ってもらうのが筋のような気がするのだが、しかしどうにも今はちょっとおねだりがし辛かった。まさか今までもらったやつ全部怒りに任せて引き千切りましたとは言い辛いし、そもそも昨日副長室に爆弾を投げ込んで半壊させてばかりなのだ。本当に、どんなにイライラしていても物や人にあたってはいけないと思い知った。こういうのをインガオウホウというのだろうか。違うかもしれない。 そんなわけで目を覚まして早々沖田は困り果てていた。けれど元来頭を使うのに向かないタチなので30秒で思考は切り替わってしまう。 とりあえず朝ごはんだ。それから今日は一日予定もないので、なんとかチャンスを見つけて土方にゴムのことを話してみよう。 そして、昼に至る。 思い返せば最近険悪ムード以外での会話をした記憶がなかった。最後の会話の記憶は昨日の副長室爆破事件の事情聴取だ。出来心でした、なんて適当に動機を供述したためそこで会話は強制終了してしまった。最近はお説教すらないのが逆に気味が悪い気に入らないくたばれ。 そういうわけでつまりわかりやすく言うと、沖田は土方と会話のチャンスを見出せないでいるのだった。 どうしよう。早く手を打たないと、このままでは朝と昼に続き夕食後にもシャワーを浴びる羽目になる。朝と昼はそれぞれ納豆とチャーハンに撃沈したのだった。髪を結ばずに食事をすることがこんなにも難しいことだったなんて今まですっかり忘れていた。 ストーキング中の空き部屋(副長室が爆破されたのでかわりに土方が使っている部屋)の外に体操座りして、沖田は溜息を吐きつつ毛先に指を絡めた。なんとしても夜は髪を結んで楽しく食事をしたいと思うのだが、どうしても土方を見ると体が回り右してしまうのだ。おかげで土方のほうも沖田の挙動不審さに気味悪そうにしている。 そんな沖田の苦悩を知ってか知らずか、障子の向こうで仕事をしている土方はサボって携帯をいじくっていた。いつも沖田がサボっているとうるさいくせに自分だってサボっているではないか。やっぱり最低な嘘吐き大魔王だ。こんなのの言葉一つで動揺するなんて馬鹿げている。そう憤慨しかけたところで、今度は突然沖田の携帯が鳴った。 「うわっ?」 びっくりして声を上げ自分の携帯を取り出すと、光るサブウィンドウは土方からのメール着信を告げていた。 『朝からずっと何してるんだ?』 タイトルもなく、内容はその一行だけだった。顔を合わせると沖田が逃げるのでこういう手段に出たらしい。 返さなきゃ。そうは思うものの「話しかけるきっかけを探していました」と正直に白状するのは癪でならなくて、とりあえず事実だけを述べる。 『ひじかたさんをストーカーしてた』 『だからその理由を聞いてんだろ。というかお前、尾行するなら携帯の音切れ。仕事でやったら洒落にならねえぞ。』 一体どこまで沖田を苛立たせるのだろう。メールでまで説教してくるなんて。あまりに腹が立ったので『うるさいしね』とだけ打って返したらすぐにまた返事が来た。 『久々の休みなんだから、暇ならこういう日こそ堂々とよそへ出かけてこい。とりあえず爆弾だけは 絶 対 却 下 !!』 土方のくせに、空白まで使って主張してきやがった! マジでマヨネーズで腹壊して死ねばいい。しかし怒る一方で、ここまで邪魔者扱いされると怒りを通り越してなんだか悲しくなってくるなと思った。 何も沖田はゴムがほしいだけの理由で土方をつけまわしているのではないのだ。本当はそんなことはどうでもよくて、ただ純粋に。 (かまってほしい?) ふと浮かんだ言葉を自分に問いかけてみる。もしかしたら、そうなのかもしれなかった。 最近の土方は沖田に何も贈り物をくれないし、沖田がどこでサボっていようと何も言わない。爆弾を部屋に投げ込んでやっと、土方は沖田と向かい合った。そこまでしないと土方の関心を引くことができないのだと実感し、確かに自分はとてつもなく大きなショックを受けたのだ。 前は当たり前だったはずのことがいつの間にかとても遠いことになっていて、そのことは沖田をひどく戸惑わせた。変化を嫌う沖田にとってそれは重大な事件だった。 だから沖田は戻そうとしていた。一緒に並んで買い物に出かけたらきっと元通りになると、心のどこかで淡い期待を抱いていたのだ。 それなのに土方は沖田にそっけなくて、それが悲しかった。あたしたち前はもっと違ったのに今はどうして。 『ひじかたさんはあたしのこと嫌いなの?』 メールを打って送信する。すぐに部屋の中でバイブが鳴って到着を知らせたが、沖田に返事が届くのは今までのメールより倍以上の時間が経ってからだった。 『なんで?』 時間の割にはとても短い文章がウィンドウに浮かぶ。 『だってずっとあたしに冷たい』 『俺、冷たいか?』 『つめたいよ』 『ごめん』 謝られるとなんて返事をすればいいのか困ってしまった。だって沖田は謝ってほしいわけではないのだ。それに土方の謝罪が今までのことだけに対してのものなのか、これからの分も入っているのかわからなかった。 そうして迷っているうちに、新しいメッセージがメールでなくて今度はちゃんとした声で届く。 「嫌いじゃない」 障子越しの声はどこか寂しげで、まるでそれがいけないことのような響きをしていた。 「俺はずっと、一人の女としてお前のことが好きだったよ」 「え……」 何を言われたのか理解できなくて頭の中が真っ白に塗りつぶされてしまう。何も考えられなくなって、望んだわけでもないのに頭の中で何度も同じ言葉がリピートされる。長い長い沈黙が流れた。 ひとりのおんなとして。それはつまり、特別な好きということだろうか。確かめようにも沖田の唇はまるで貝にでもなってしまったかのように全く動いてくれない。もしかしたら知ることを望んでいないのかもしれなかった。 だって考えたこともなかった。土方が自分のことをそんな風に思っていただなんて。少しも、これっぽちも思わなかった。 その感情は沖田にとって未知のもので、未知とはつまり恐れるべきもののことだ。だからその感情は沖田にとって変化を招く斬らねばならない敵なのだ。ずっと今のまま優しい日々が続いてほしいと願う沖田の心に爪を立てる。沖田とその周囲を無理やり変えてしまおうとする。 それはとても苦しくて、切ない。そして、気づかされる。 (――なにを?) わからない。一瞬だけ確かに掴みかけたのに、するりと沖田の手から逃げていってしまった。遠ざかる。また、暗い淵へ。 「そんなの聞きたくない! 土方さんなんか嫌いだ!」 耳を塞ぎ我を忘れて叫んだ。何も贈り物をくれない、頭を撫でてくれない、かまってくれない、胸を苦しくさせるだけの、好きだったと過去形で言う土方は嫌いだった。本当は大好きだったかもしれないのに、今は大嫌いだった。 「答え、出たんじゃねぇか」 土方がふっと笑った気配がした。 「俺はもうお前に必要以上に干渉しないから、お前はお前の惚れた奴と幸せになったらいい。お前に優しくできないのも、きっといずれなおるから」 それはどこまでも静かに、冷たい冬の雨のように沖田の心に降り注いだ。もう元通りになんてなれないのだと、本能が察してしまった。土方はもう今までの沖田とのことをみんな、忘れようとしているのだ。 そう思ったらどうしようもなくなって、とても悲しくて寂しくて苦しい感情が押さえきれずに溢れ出した。心の赴くまま、土方のいる部屋の前で大声を上げてわあわあ泣いた。 そうしたら流石に土方が様子を見に顔を出して、大泣きする沖田を見下ろし困ったような顔をした。いつも沖田が泣いたり拗ねたりした時にするように頭を撫でようとして、しかし結局その手は沖田に届くことはなく少し上の空中をいつまでも彷徨っているだけだった。 土方が頭を撫でてくれないから、沖田はもっと悲しくなった。 続 08/09/25 |