ネバーランド 2 「髪、切ろうかなあ……」 蜘蛛の巣のように己に絡みつく髪を一房、手にとって呟いた。 大泣きしてしまったせいで屯所に居辛くなった沖田は万事屋に逃げてきていた。こんな真っ赤な目をして行ける場所なんて屯所以外ここしか思いつかなかったのだ。 沖田の顔を見ても銀時は何も言わず、いつもと全く同じに出迎えてお茶を出してくれた。そして沖田がいつまでたっても喋らないので何事もないかのように向かいのソファにうつ伏せになってジャンプを読んでいる。しかし沖田がしばらくして唐突に口を開くと、当たり前のように銀時は返事をくれた。 「もったいねぇな。お前天パにとってそれがどんだけ高嶺の花なのか知らねえだろ」 「だって、髪結ぶものがなくなっちゃったんだもん」 「いや買えよ。お前俺よりよっぽど収入あるんだろ。衣食住みんな保証されてくるくせにいいよなーまったくよぉ」 「……あたしは、土方さんに買ってほしかったの」 しょぼくれて膝を抱える。動くたびに髪が体に絡まって邪魔で仕方なかった。 泣き止まない沖田に土方は、なぜ髪をおろしているのかと尋ねた。そして沖田が正直にゴムを切ってしまったことと、土方に買ってもらおうと思ったことを話すと土方は言ったのだ。自分はもう何も沖田に贈り物をするつもりはないのだと。 自分たちは一体いつからこんな風になってしまったんだろう。沖田はそればかり考えていた。好きとか嫌いとかではなくそのことだけが沖田の頭の中を支配し続けている。今日だけではなく、もうずっと前からだ。 「好きだった」ということは、もう好きではないのだろう。土方の中でもう沖田はいらない存在になってしまった。 嫌われるようなことをしたのなら謝らなくてはいけない。それなのに何がいけなかったのか沖田にはわからない。どうして冷たくするのかと何度も沖田は尋ねたけれど土方はきちんとした答えを一度もくれなかった。 わからないことがあったら人に聞けと教えたのは土方のくせに、教えてもらえないときはどうすればいいのかなんて教えてもらっていないから、どうしていいのかわからない。それともわからないくらい頭が悪いから、土方ももう相手をするのが嫌になってしまったのだろうか。そこまで考えて、また悲しくなってくる。 「お前さあ……なんでここまできて気づかねえの」 いつの間にか銀時は沖田の隣にいて、向かいのソファにはジャンプが寂しそうに置き去りにされていた。 手が伸びてきて、頬を拭われる。それからよしよしと頭を撫でられた。ぐしゃぐしゃになった髪を指で梳く手が優しかったのと、さっき土方がしてくれなかったことだったのとで、それだけで胸が苦しくなる。真選組最強の女剣士はいつからこんなに弱くなったんだろう。 「お前はあれだよ。向いてないんだよな」 「何が?」 「いや、つうかむしろ早いのか?」 「だから、何が」 すん、と鼻を鳴らして問う。銀時は沖田を見下ろしてううんと考えていた。 「なあ、これからどうしたい?」 「どう……?」 「だって嫌なんだろ。このままじゃ」 どうしたいかなんてわからない。けれどどうなってほしいかならはっきりしている。 「あたしは土方さんと、前みたいに仲良くしたい」 好きとか嫌いとか、世の中はわからないことだらけだ。謎に満ちている。苛立って全て斬って捨ててしまいたくなるほどに。 でも、なくしたくない。それだけはたった一つの本当。切実な願い。 「じゃあそうお願いしてみたら?」 「え?」 「一方的に終わりにされて、はいそうですかって引き下がるのか? 真選組の隊長さんは」 きょとんとして銀時をみつめる。そんなこと今まで考えもしなかった。自分はどうにかしてこの状況を受け入れて、その上で何か変えていかなくてはいけないのだと思っていたのだ。たとえば難しい感情論の勉強とか。 「いいのかな」 「悪いこたねぇだろ」 「でもあたし、まだなんにもわかってないよ」 自分が結婚したいくらい好きなのは誰なのか、沖田はその答えをまだ見つけていない。土方のことが本当は嫌いなのか好きなのか、それともそれ以外なのか、それすらもまだわからないのだ。だからきっと土方は沖田に呆れて嫌いになってしまったに違いないのに。 「なあ、ちょっと」 不意に手が頬に添えられた。うごかないで。低い声で囁かれる。動くなといわれたから、動かなかった。 顔が近づいて、そして、笑う。 「今、俺が何しようとしてるかわかる?」 数秒黙考し、思ったことを口にしてみた。 「……頭突き?」 「そうきたか!」 ぶはっと銀時は噴き出した。沖田から離れ、ソファの背凭れに腕と顔を押し付けておかしそうに笑う。笑い続ける。わけがわからない。 「おっまえさー、今年でいくつよ? 何、屯所にはテレビないわけってかもしかしてドラマとか見ない?」 「眼鏡探偵ドッキマンなら毎週見てる」 「うっわ知らねェー」 答えたら一層笑いがひどくなった。やべえ腹いてえと一人で騒ぎ出して、長いことひいひいいっていた。こんなに笑い転げるところを見たのは初めてだ。何がそんなにおかしいのだろう。不思議なので尋ねたけれど、いいのいいのと笑うばかりで教えてくれない。大人はいつもこれだ。きっと何かいかがわしいことなんだ。勝手にそう決めつける。 そうしてたっぷり5分は笑い続けてから、やっと銀時はこっちの世界に帰ってきた。まだ目尻にうっすら涙を溜めて、指で拭いながら言う。 「やっぱ早いんだよなまだ。わからないなら今はまだそれでいいんじゃねぇ? 好きとか嫌いとか、まだそういうの考えられないってんなら素直に土方君にそう言やァいい」 また手が頬に伸びてきて、今度はぐにっとひっぱられた。変な顔と笑う。なぜだかとても機嫌がいいように見えた。ああこの目は近藤さんと一緒だなと銀時の目を見上げて思う。この目は温かいから好きだ。兄というものがいたのなら、もしかしたらこんななのかもしれない。ふと唐突に考える。 「どうせどんなに嫌がろうがいつかは大人になるんだし、急ぐ必要なんざねえよ。お前はお前のペースでやっていけばいい。あのマヨ星人が拗ねて自己完結してんのはお門違いもいいとこだし、なんとかなるって」 「なんのこと?」 「あーいい。知らなくていいから」 とりあえずよく話し合ってごらん。そう、銀時は沖田に言った。でもそんなこと、できるだろうか。 「土方さん、あたしの話ちゃんと聞いてくれると思う?」 「何言ってんだ。駄目なら脅すとか捕まえてふん縛るとか得意だろお前ら」 「半殺しとか?」 「そうそう。それもありだな」 どうせやるなら徹底的に。二人してにやりと笑う。でもその一方で心の中では本当にうまくいくだろうかと考えていた。 だってゴムを買ってほしいとお願いするだけであんなに苦労したのだ。話しかける勇気が出なくて、結局メールに頼ってしまったし。 (……ああ、そっか) やっと、今まで何もかも駄目だった理由を見つけた。 「あたしはまだ、なんにもしてなかったんだ」 話しかけられないから気付いてもらおうとつけまわしていた。かまってほしいから爆弾を投げ込んだ。苦しいから万事屋に逃げた。逃げてばかりで人任せで、まだ一度も自分で動いちゃいなかったのだ。嫌だとかかまってほしいとか、自分の口ではまだ一度も伝えていない。 「今からでもまだ、間に合うかな」 「まずはやるだけやってみろよ。それで駄目なら、そん時はまた話聞いてやる」 「本当?」 「たりめーだろ。万事屋だぜここは」 「うん。潰れる寸前のね」 笑って言ったら小突かれた。それからやっと笑ったなと、沖田を見下ろして笑う。なんだか少しがんばれそうな気がしてきた。 「よっし、がんばろ」 善は急げだ。沖田は早速立ち上がり、屯所へ帰ることにした。まずは土方と話をするためとっ捕まえて縛り上げなければならない。あとはもうなるようになれだ。冷戦なんて互いに柄じゃない。正面衝突ぶっつけ本番が一番隊流だ。 「ま、がんばれよ」 「うん!」 元気に頷いて、それからふと気になって沖田は一つ聞いてみた。 「そういえば万事屋さんは好きな人っている?」 なんとなく聞いてみただけなのだが、銀時はそんなことを聞かれると思っていなかったのか少しびっくりした風だった。それでもはぐらかすことはなく、そうだなと沖田をじっと見つめて笑う。 「そうだな、やっぱ神楽と新八だな。うん」 「そっか。家族だもんね!」 「そうそう。家族ですから」 くすりと小さな苦笑を漏らして、いっといでと背中を押される。一度振り向いて手を振って、ありがとうと伝えて沖田は階段を駆け下りた。屯所へと走り出す。 苦笑の中に隠された真意を沖田が知ることはこの先もずっとない。ただ沖田は銀時がよき相談者であり続けてくれたことに感謝しているし、もしも違う境遇で育ちこの人と先に出会っていたのなら、未来は変わっていたのかもしれないとさえ思う。 しかしそれを沖田が思うのは、あくまでも沖田が「沖田」でなくなった数年後の未来の話なのである。 戻 続 08/10/14 |