ネバーランド 3

 まずは飛び蹴り。それから顔面ふんずけて。動かなくなるまで踏んで。踏んで、踏んで、踏んで。縛り上げる。
 それともはじめから刀でいったほうがいいだろうか。あるいは飛び道具。夕食に毒を盛るっていう手もある。爆弾は先日使ってばかりで芸がないので却下。
 屯所へ帰る道すがら、沖田はずっとそんなことばかり考えていた。基本的に暴れるのは大好きなのでこういうことを考えるのはとても楽しい。

 昨日の爆弾事件はただ自分の存在を気にかけてほしかっただけの子供の我侭だった。でも今度のは違う。全然違う。土方とちゃんと話をするための手段だから。こうしてほしいと願いながら待つのはもうやめにしよう。自分から動かないと、きっと何も変えられないのだ。

 どうやって切り出そうとか何を伝えようとか理解しようとか、そういうことを考えていたこと自体そもそもらしくなかったのだ。
 わからないなら他の人に聞けばいいと土方は言っていた。だから沖田は土方に力ずくでも聞いて、聞かせる。今思っていること全部。わかってほしいだけじゃなくて、わかりたいとも思うから。小難しい感情なんかじゃなくて、もちろん土方のこと。

 早く帰るため近道しようと沖田は大通りを逸れて小道に入り込んだ。ほとんど全力疾走のような早足のせいで長い髪が風に揺れて心地いい。
 風に誘われて空を仰ぐと建物の隙間から見えるのはなんともきれいな秋晴れだった。土方も書類ばかりじゃなくてこういうものも見ればきっと、目つきが怖いと小さな子供に泣かれることもなくなるんじゃないだろうか。それとももう大人だから手遅れかもしれない。

 なんてことを考えていたら通りすがりのオバサンと正面衝突しそうになって怒られた。ごめんなさいと謝って少し歩調を緩める。この道は細いが便利なので昼間はそこそこ人通りがあるのだ。
 遠回りでも別の道を使って走った方が速かったかもしれない。今からでも引き返そうか。今まであんなに避け続けていたくせに、今は一刻も早く会いたくてたまらなかった。こんなに長く土方と話さないのはたぶん初めてで、どうしてさっきまでの自分が我慢できていたのか不思議なくらいだ。

 うん。やっぱり別の道で行こう。前方から今度は親子二人がこちらへやってきて沖田はそう決断した。人一人すれ違うだけで精一杯のこの道で全力疾走はとても危険だ。警察が走っていて子供を跳ね飛ばしましたなんて記事が新聞に載ろうものならまたお説教コースにのっかってしまう。それだけはなんとしても遠慮したい。

 そういうわけで沖田は足を止めた。来た道を引き返そうとして、やっぱりやめる。たった今戻ろうとしていた背後にはさっきのオバサンじゃない、殺気を放つ何かがいた。

「どちら様?」

 振り返らずそのままで問う。そろそろと右手を腰の柄に伸ばした。

「真選組の一番隊隊長さんですね?」
「うん。でもナンパならお断りだよ。保護者が過保護でうるさいの」
「そうですか。恨みはないのですがここで死んでください」

 鍔鳴り。

 体を捻り、抜き様に刃を合わせる。鈍い音が空気を震わせ、刃の震えが刀身を未だ埋めたままの鞘にも響く。頭上で鳥がばさばさと飛び立ち小さな影が走った。

「う……っく」

 強引に刃を滑らせ全部引き抜く。その反動で相手の刀を弾き、後ろへ飛んで間合いを取った。さあ次の手は。

「うああぁぁん!」

 不意に、後ろで泣き声が上がった。さっき前を歩いていた親子のことを思い出した。

「逃げなさい。早く!」

 振り向いている余裕はない。沖田は敵と対峙したまま背中に向かって叫んだ。伏兵は絶対無いとは言い切れないが少なくともここに居続けるよりはずっと無事の確率は高い。この手のタイプは戦いの邪魔とみなせば女子供も平気で殺しかねない。
 おそらくは母親だろう。はい、と引き攣った返事をし、逆方向へ駆けて行く。それでも完全に足音が聞こえなくなるまで沖田はそこを動かなかった。

 警戒はそのままに敵を観察する。知らない顔だ。というか沖田は手配書の人相書きを全く記憶していない。やたらよく会う桂くらいしか実はわからなかったりする。非常に残念な頭だとは自分でも思うがこればかりはどうしようもない。

 背丈は土方と同じか少し上くらいだろうか。細身だが筋肉のバランスはいい。ぴんと背を伸ばした構えに隙はなく強い人間の匂いがした。

「おじさん誰に雇われたの?」
「それは教えられません。しかし金は二の次です。わたしがほしいのは貴女を倒したという事実ですから」
「人斬りさん?」
「ええ、そんなところですね。……お喋りはもうこれくらいでいいでしょう?」

 男が大きく一歩踏み出し、切っ先が喉を貫こうとする。沖田はそれを低く屈むことでかわし懐に潜り込もうとした。体格差があればこそできる芸当だ。しかし敵も相当の手練れのようで少しも怯むことなく半歩退き防いできた。

 そんな攻撃の応酬がしばらく続いた。その間前からも後ろからも誰も来ず、勝負は誰にも邪魔されることなく続いた。
 刃のぶつかる音だけが響き、遠くの喧騒を掻き消す。そうして刃を交えてどれだけの時が流れただろうか。はじめは互角だった戦いは、徐々に沖田が押されだしていた。

「どうしました? 動きが鈍いですよ」
「余計な、お世話っ」

 ほぼ勘だけで刀を弾く。募る焦りと苛立ちが余計に沖田から集中を奪っていた。もう何度目か知れない舌打ちをすると品がないと頭の中でどこかの馬鹿の声がした。うるさい黙れ。

 何が誤算だったかって、髪が邪魔で仕方ないのだ。長いそれらは沖田が動くたびに揺れ、時には顔の前に躍り出て視界を塞ぐ。そうでなくてもいつもの頭の上を跳ねる感覚がないせいで動きのリズムを掴み辛いし、派手に動いて視界が塞がれるのが怖くて思うように戦えなかった。

 いくら沖田の剣の腕が立つとはいってもこんな狭い場所で目を閉じたまま自由に動けるなんていうことはないのだ。それに持って生まれた性別が沖田の体力に低い天井を作ってしまっている。長引けば長引くほど沖田は不利になっていくのだ。

 考えろ。冷静になれ。沖田は自分に言い聞かせた。あの馬鹿野郎をぶん殴るまで、真選組を守り抜くまで、絶対に死ねないのだ。あんな喧嘩したまま死んだらあまりにも悔いが残りすぎる。だからちゃんと、帰らないと。

 そうだ、今最優先すべきなのは生き残ること。それならばまだ道はある。

 沖田は両手で握っていた刀を片手に持ち替えた。空いた方の手を引っ込めて服の中を探る。財布、違う。警察手帳、違う。携帯電話、違う。……あった。中指がやっとそれを見つけてしっかり握りこんだ。あとはこれを――

「何をする気ですか?」

 片手で威力を失った刀を払われ、がら空きになった心臓に敵の刃が空気を裂いて襲い掛かった。間に合わない。


 …………っ。


 赤い、鮮やかな色が飛び散った。痛みで真っ白に塗り潰されそうになる頭を唇を噛み締めて叱りつける。止まるな。まだ死んでいないのだから。生きている限り動け。動き続けろ。

 奇跡的に心臓は無事だった。自分でも意識したわけではなく生存本能が、沖田の体を僅かに後ろに反らさせたのだ。そのかわり腕の付け根が焼けるように熱いがちゃんと感覚はある。望みはまだ途切れていない。

 やるべきことは簡単だった。服の中で握り締めているそれを外に捨てるだけ。
 白いピンポン玉がころんと真新しい血の染みの上に落ちる。するとそれは唐突にぷしゅーと音を立て白い煙を吐き出し始めた。これで駄目ならマジで死ぬかも、考えたらなぜだか不思議なことに浮かんだのは微笑で。それと、あの野郎。

「これは……!?」

 不測の事態に陥ったとき人は誰しも防御に徹するものだ。これがただの煙幕であることに気付き敵が攻撃を思い出すまでおそらく数秒。休み時間はそれだけあれば十分だ。

 ピンポン玉を落とすと同時に沖田は既に敵から遠ざかっていた。無事な方の手で刀を持ったまま器用に両手で散らばっていた髪を一つにまとめる。

 これだけでもう三秒。煙幕の中から敵が抜け出してあっという間に距離を詰めてくる。


 ああ、せっかく伸ばしたのに。


 それでもゴムがなかったから、ためらいなく根元にあてがった刀を持ち上げた。ざ、という小さな泣き声。
 一瞬にして頭が軽くなった。片方の手の内に残った思い出の結晶は手放したら弱い風に流されて、皆して敵に襲いかかる。まるでトランプの兵隊だ。そして沖田も彼らと共に大地を蹴った。きちんと両手で刀を握って。


「さよなら」


 それが何に向けてのものだったのかは沖田にもわからない。
 勝負は一瞬で決した。刃の下を潜り抜け、敵を両断する。その一太刀で名も知らぬ人斬りは地面に倒れ、屍になった。

 肩で呼吸をしながらもまだ気は抜けない。周囲に目をやり意識をより研ぎ澄ませ、あたりに他に殺気のないことを十分に確認してからやっと息を吐いた。近くの壁に背を預けてそのままずるずると座り込む。
 少しの間そのまま何も考えず呼吸を整えることだけに専念した。きっちり百秒心の中で数えて休み、それから携帯電話を取り出して屯所にかける。長いコール音の後にようやく繋がり聞こえてきた声は。

 びっくりして応答するのも忘れて耳から離し、画面を確認した。確かに屯所は屯所だったけど、無意識に慣れたほうへかけてしまっていたらしい。

「……もしもし、土方さん?」
『今、忙しいんだけど』

 不機嫌そうな声が言う。でもそんなことは全然、今の沖田は気にならなかった。

「沖田です。たった今襲われたんで報告に。人数は一名。所属・名前は不明。ちょっとギリギリだったんで殺っちまいました」
「そうか」

 それからしばらく間があって。

「今こっち立て込んでてな、そっちに人やれるまで少し時間かかりそうなんだけど待てるか?」
「うん、大丈夫」
「たぶん20分ちょいかかると思う。きっちり現場保存しとけよ」
「りょーかい」

 他に報告はあるかと土方が問う。報告はなかったけど大した手間じゃないだろうから、一つ頼み事をした。

「余裕あったらでいいんですけど、こっち来るやつにできたら包帯持ってくるよう言っといてくれる?」
「……っまえ、怪我してんのか!?」

 わかったの一言でそっけなく切れると思ったのに。鼓膜が破れるかってくらいの大音声に驚いて肩を竦ませた。怪我に響く。
 もしかしたらこのまま現場に誰か来るまでお説教タイムになるのかもしれない。沖田は一番隊を率いる隊長だから、情けない勝ち方をしてはいけないのだ。

「場所は?」
「駄菓子屋の奥の」
「そっちじゃねぇ怪我だよ阿呆!」
「左腕と、いや、やっぱそれだけ」

 髪は自分で切ったんだし怪我じゃない。たぶん。

「わかった。今すぐそっち行く」
「え?」

 予想外にも電話はぶつりと切れてしまった。お説教どころか煮え切らない返答への追及すらもなかった。それに時間かかるって言ったくせに今すぐって結局どっちだ。それにあれでは土方自身がやってくるような物言いではないか。

 何がなんだかわけがわからなかったけど、わざわざかけ直すのも面倒くさい。どうせ待っていればいずれ誰かしらやってくるだろう。そういうことにして沖田はとりあえず待つことにした。
 また連絡があるかもしれないから携帯電話を座っている横に寝かせて、さっきまで命の奪い合いをしていたところへ目を移す。そこには一つの屍とたくさんの血と、沖田の髪があった。

 元気な方の手で自分の首の後ろを触ってみた。そこにはもういつものさらりとした感触はない。かといって結んでいる時のざらざらした手触りもなく、あるのは毛先が手の平に刺さるちくちくだけだ。本当になくなってしまったんだと改めて実感する。さっきまで切ろうかどうしようか迷っていたくせに、いざなくなると無性に寂しくなる。

 そもそも沖田が髪を伸ばし始めたのはただ単に土方と近藤の真似だった。だから二人が髪を切ったとき、もちろん沖田も同じようにしようとした。そうしたら二人が勿体無いというので、結局流れてしまったのだ。
 それでも沖田が長いのを鬱陶しそうにしているのを見かねて近藤は切ってもいいよと言ってくれた。土方は、不器用で紐だとなかなかうまくいかない沖田にゴムを買ってくれた。それで結局沖田は髪を伸ばし続けたのだ。今日までずっと。

 それはもしかしたら結果からすると土方のために伸ばしていたことになるのかもしれない。それなのにこんなことになってしまった沖田の頭を見て、土方はどんな顔をするだろう。さっき電話で髪のことを言えなかったのはそのことが気になったせいもあった。

 いっそツケ毛でもしようか。あるいはカツラか。そうすれば少しは誤魔化せるかもしれない。沖田がその案について真剣に検討し始めたところでちょうど、パトカーのサイレンがこっちに近づいてきた。
 時間がかかると言っていたくせにまだ5分と経っていない。なので別件だろうかとも思ったのだが、サイレンはすぐ傍で止まり(ここは道が細くて入ってこられないのだ)、かわりに足音が一つ、真っ直ぐこちらへ駆けてくる。


「――――!」


 よく知っている声が沖田の下の名前を呼ぶ。いつも「お前」ばかりだから、名前を呼ばれるのはとても久しぶりな気がした。ちょっとだけくすぐったい。
 平隊士が忙しくてこの人が忙しくないわけがない。それなのにどうして自ら、それも一人で来たのだろう。すごく驚いて、でも、それ以上にうれしかった。だって今、二人で太陽の下にいる。ああ何ヶ月ぶりだろう。

「ひじかたさ」

 最後まで呼びきる前に抱きしめられて声は押し潰されてしまった。沖田自身もぎゅうぎゅうと締め付けられ、怪我したところが洒落にならない痛みを訴えだしたので潰されながら痛いと文句をたれるとようやく解放してくれた。冗談抜きで、もげるかと思った。

「よかった。無事で」

 土方は安堵の表情で言う。そんな顔をされたのは本当にいつぶりだかわからなくて、自分で押し退けたくせにやっぱり抱きしめてほしくなってしまった。お願いしたらまたやってくれないだろうか。

「ていうか土方さん忙しかったんじゃ」
「忙しい。事件がこれ抜かして3つ重なって今すごいことになってる」
「じゃあなんで……」
「怪我してる奴一人で待たせておけるかっての」

 ぽん、と沖田の頭に手を置く。何気ない仕草だったけど心配されていたのだと理解した。怒っていたわけではなかったらしい。

「結構深いな。かなり痛むんじゃねえの」

 土方は気遣わしげに沖田の傷を覗き込んだ。こんなの褒められたものではないのであまりじろじろ見ないでほしい。そう思い身を捩って逃げようとしたら動くなと怒られてしまった。懐から、真っ白い清潔そうな包帯が出てくる。

「本当は今すぐ病院連れてってやりたいんだけど俺がこっち来ちまったからな。向こうごたついてるだろうし現場放っとくわけにもいかないから、悪いけどもう少し我慢できるか?」
「うん、できる」

 沖田が頷くと土方は一度ことわってから服の邪魔な部分を切り捨て包帯を巻き始めた。病院いらないんじゃないかというくらい丁寧な作業を沖田もなんとなく無言で見守る。
 怪我はかなりしんどかったが、このまま誰も来なければいいのにと思ってしまった。だって土方と二人きりで過ごせるのは本当にとても久しぶりなのだ。
 土方と二人でいることがこんなに心の落ち着くことだったなんて今までずっと忘れていた。だってずっと、沖田はほったらかしにされていたのだ。

「髪、切られたのか」

 包帯の仕上げをしながら突然土方はそう尋ねた。ちょっとの間本気で忘れていたので答えに窮して、結局誤魔化しようがなかったので正直に白状することにする。

「自分で切ったの。その……動くのに邪魔で」

 土方の目が沖田を見つめる。すうっと細められたそこには悲しみの色があって、ああしなければたぶん死んでいたけれど、それでもやっぱり切るんじゃなかったとひどく後悔した。こっちまで悲しくなってくる。ああへこむ。

「ゴム、やっぱ買ってやればよかったな」
「やっぱだめかな短いの……」

 その声が自分でも思った以上に沈んでいて驚いた。土方も面食らったようで、沖田は気恥ずかしくなって俯いてしまう。慣れない怪我なんかしたせいで気が弱くなっているのかもしれない。

「似合うよ」

 真摯な声にびっくりしてすぐ顔を上げる。目が合って、その言葉がその場限りの慰めではないのだと教えられた。今まであんなにうるさく切るなと言っていたくせに今更何をと思わなくもなかったが、今はそれよりも安堵感の方が強くて駄目になってしまう。悪態が喉につっかえて出てこない。どうしようもないくらいほっとしていて、生き延びてよかったと心から思った。

「ああでも、やっぱ毛先はちょっと整えた方がいいな。怪我よくなったら美容院でやってもらえ」

 大きな手が沖田の短くなった髪に触る。きれいに包帯の巻かれた自分の腕や手と見比べて、男の人の手だと思った。当たり前のはずなのに今初めて知ったような衝撃を受けたのはどうしてだろう。

「ねえ土方さん。土方さんが切って」

 この手にもっと触ってもらいたくて沖田はおねだりした。それに元々土方のために伸ばしていたのだから、土方に切ってもらうのが一番ふさわしいように思えた。

「いや俺、いくら器用っつってもさすがに自信が」
「あたし、土方さんがいい」

 そう駄々を捏ねてみたら土方はかなり驚いたようだった。
 しかしその言葉は沖田の胸の中にすとんと落ちて、ずっと探していた答えが今やっと見つかった気がした。

 だからもう一度、確認したくて口にしてみる。


「あたし、土方さんがいい」




 


08/10/28