胡蝶係恋 2 その後も神威は子供を手元に置き続けた。 連れて歩いたり、ついてくるに任せたり、構い方はその日の気分によって多少違ったものの子供がこれといって怪我をすることはなかったし、寝るときはいつも一緒のようなので、神威なりにちゃんと面倒は見ているらしい。 いつものヘンテコなマイブームの一貫にしては今回は随分と長続きしている。ひょっとしたら神威が食事と戦闘以外のものに3日以上執着するのを見るのは初めてかもしれない。 団員たちも団長の奇行を徐々に気味悪がりはじめ、動揺が広がっていた。大きな声では誰も言わないが育てて食べるつもりではないかと噂されている。さすがにそれはないと信じたいのだが、他に現実的な理由が思いつかないのも事実だ。我らが団長様は人格に関してはあまり信用がないらしい。 そして話はそれだけではなく、団長はあの子供を連れて帰るつもりではないかという憶測も飛びかっている。なぜなら子供が食べ頃になるまでにはまだまだ時間がかかるからだ。 天下の春雨最強部隊に子供がいるのはどうなのだろうとは思う。しかし今のところは食料庫に置いておく分にはありとする容認派が多数なので、やはり皆あまり真剣に考えていないのかもしれない。そもそも団長に逆らえるはずがないので春雨最強集団たちは意外にも受け身なのである。情けないことこの上ないが上司があれなので仕方ない。ご本人様は「みんな情けないなあ。もっと突っ掛かってきていいのに」と物足りないらしいことを時々零すが、ここは絶対的忠誠ということで納得していただいている。無駄に夜兎の血を減らさないために。 それにしても食べるつもりかどうかはさておき、本当に神威はあの子供をどうするつもりなのだろう。 もし万が一食用に育てているのだとしても、一万歩くらい譲ってこの退屈な仕事の間の道楽ならば構わない。しかしその先のこととなると話は別だ。あんな夜兎でもないただの子供を共に連れていくなど絶対にごめんである。今のこの状況だってこの惑星にいる間だけだと思えるから許せるのだ。 阿伏兎にとって神威は気高い生き物なのだ。夜兎の理想という名前の。神威は阿伏兎のこんな考えなど喜ばないどころか鬱陶しくさえ思っているのかもしれないが、阿伏兎にとって神威という存在が他の何者かによって汚されることは許しがたいことなのである。それはある種の独占欲ともいえるかもしれない。 その、阿伏兎の理想とする神威は見ず知らずの子供などに執着を見せはしない。そのはずだった。それなのに今、現実の神威はどうだ。毎日子供を連れ回し、阿伏兎や他の団員のこともお構い無しに子供ばかりを可愛がっている。この惑星にきてからは一度も暴れてすらいない。 そんな神威を阿伏兎は知らない。だからきっとこのままではとてもよくないことが起こる。阿伏兎は日増しにそんな考えに襲われるようになった。 一つの可能性を考える。もしかしたら神威は夜王の真似事をしようとしているのではないか。だとしたら行き着く先はどこだ? 戦場を捨て、退廃へと潜っていってしまうというのか。 「……まさかな」 あり得ない。あの戦闘馬鹿に限って。あってはならないことだ。何度もそう言い聞かせては納得し、それではあの子供はと考えて、また同じところに戻ってきてしまう。そんなことをもう何度繰り返したことだろう。阿伏兎は神威の部屋のドアを見つめ、溜息を洩らした。この惑星へきてからこの部屋を訪れることは一度もなかった。なぜなら神威だけでなくあの忌々しい子供もいるからだ。それにしばらく顔を見せるなと言われていたので。 鉄のドアの向こうからは子供の泣き声が聞こえる。団長が使う部屋だけあって宇宙船の中では一等部屋なので、防音効果もしっかり備えているはずだ。それなのに外にこれだけ声が聞こえるということは相当激しく泣いているということだろう。 もうこれだけで回れ右して帰りたくなった。しかしいい加減いつまでこの星にいればいいのかお伺いを立てねばらなないし、それを口実にさりげなく「しばらく」がもう終わったのかどうなのか探りを入れなくてはいけない。あんまり放っておきすぎるのも逆効果なのだ。 「おーい、団長」 試しにノックして声をかけてみるが反応はない。いないのだろうか。それとも泣き声がやかましくて気づいていないのか。仕方がないので部屋のロックを解除しようと備え付けのタッチパネルに手を伸ばす。もうロック解除のキーは完璧に手が覚えていて、部屋主がいなくとも中に入ることはとても容易かった。 しかし、もしいないのだとしたら。それで子供が何か不慮の事故を起こして泣いているのだとしたら。 何も聞かったことにしてこのまま放っておいたらあの忌々しくもか弱い生き物は消えてくれるのではないか? 黒い考えがよぎってパネルに伸ばした手が止まった。途中までしか打ち込まれなかった数字はエラーとみなされ、ビーっと不快な音が鳴る。ドアの向こうからはもっとやかましい子供の泣き声が続いている。 部屋に入るべきか放っておくべきか。阿伏兎の中で二つの案がせめぎあう。我々は悪党だ。今更みなしごの子供一人見殺しにしようと痛む心は持ち合わせていない。しかしこの子供が死んでしまったら神威は悲しむだろうか。阿伏兎のせいだと知ったなら恨むだろうか。そんな未来は全く想像できなくてとても遠かった。誰かのために涙を流すなど、そんなものは阿伏兎の知る神威ではない。 それでも、もしも神威が阿伏兎のせいで本当に泣いたとしたら? 「……ああ、くそっ」 子供はどうでもいいのにこっちは考えただけで胸糞悪い。 阿伏兎は悪態を一つ吐いてもう一度タッチパネルに指を滑らせた。今度はピッと短い音と共にドアが横にスライドして開く。部屋の中は真っ暗で、外の通路からの光でぼんやりと照らされた室内は相変わらず物で散らかっていた。居候がいるせいかいつもより若干輪をかけてひどい。 常々不思議に思っているのだが、本来神威の部屋は非常に物が少ないのである。それなのにいつも、いつの間にやらこの有様で、一体この物たちはどこから沸いてくるのだろう。どう考えてもわけのわからないものをわざわざ拾ってきて床に撒いているとしか思えないのだ。だとしたら一体何の目的で撒いているのか甚だ謎だ。あまりにも目に余るので阿伏兎が定期的にまとめて捨てているのだがそれに対して抗議されたことはかつて一度もないので、それほど執着があるわけでもないらしい。 ならばいっそのこと、やはり部屋を片付ける名目でこのうるさい生物も捨ててしまっていいのではないか。またそんな悪い考えが頭をよぎって首を振る。 とにかく様子を確かめようと部屋の中に一歩足を踏み入れた。その瞬間ドアが自動で閉まって暗闇に飲み込まれる。阿伏兎は慣れた手つきで腕だけ伸ばして壁のパネルを操作し部屋に明かりを灯した。白い光に一瞬だけ目を眇め、そして、部屋を見回してぎょっとした。 てっきりいないものだと思い込んでいたのだ。それなのに予想を裏切って部屋の主はちゃんと部屋の中にいた。ふかふかした大きなベッドで小さく体を丸めて、目を閉じてすやすやと眠っている。淡い色の長い髪は束ねられておらず白いシーツの上に思い思いに散らばり、恐ろしい力を発揮する手はいたいけにゆるく握りしめられ、華奢な肩が安らかに上下している。それはあまりにも幻想的な光景で目眩がした。 無防備に眠っている時だけは、まるで無害で可憐なだけのお姫様のようで現実とのギャップに悩まされる。これがもしも本当に外見を裏切らず横暴でなくて我が儘でなくて気紛れでなくて異常食欲でなくてそれから上司でもなくて、且つ夜兎の娘であったなら、もしかしたらどこかでうっかり間違って恋に落ちていたかもしれない。その点では神威が同じ性別の生き物として生まれてきてくれたことは最高のファインプレーだったと信じて疑わない。そんな奇跡の生き物よりも阿伏兎は今の欠点だらけで完璧な夜兎の少年を気に入っているので。 それはさておき、この状況を一体どうしようかと阿伏兎は頭を捻った。 偽りの姫君が眠るベッドの足下で忌まわしい生き物がけたたましい声を上げて泣いて暴れている。大方寝ている神威に落とされたか自分で誤って落ちたかしたのだろう。残念なことに一見したところでは外傷は見られない。神威のベッドは頑丈な分標準より少し高さがあるので、ベッドに自力で戻れず泣いているようだ。 それにしてもこんなにやかましいのに神威はよく眠っていられるものだとその図太さに感心した。自分などさっきから耳栓がほしくて堪らないのに。むしろできることなら口と鼻を塞いで黙らせたい。力ずくで今すぐ永遠に黙らせたい。 一体神威はこれのどこがそんなにお気に召したのか。試しに阿伏兎はひょいと子供の首根っこを捕まえて持ち上げてみた。その途端、子供はぴたりと泣き止んで夜兎には遠い青い空の色の瞳で不思議そうに阿伏兎を見上げる。じいっと、何かおもしろいものを見つけたかのように一途に見つめてくる。 この子供はこんな顔だったかと、阿伏兎はふと小さな違和感を覚えた。何かどこかが違うような気がするのだ。しかしそれがなんなのかはわからない。こうしてまじまじと見てみると、最初に持った印象ほど気味悪くはなかった。この生き物に目が慣れたせいだろうか。 「っう、わ……」 子供が何の前触れもなく動いたのでびくっとした。ぞんざいな持ち方をされたまま笑顔で小さな両手をこちらに伸ばしてくる。うっかり落とすところだった。そういえばこれは生き物だから動くのだ。 こんな小さな生き物が動いて喋るなど、やはり気味が悪い。阿伏兎にはこれが少しずつ大きくなって人間になるということが全く想像ができないのだ。小さな子供と触れ合ったことなど一度もないのだから仕方のないことである。自分が子供だった大昔のことさえ思い出そうとするとどうにも奇妙な心地になる。 「あうー、おー?」 これがいずれ自在に言葉を話すようになるのか。まだ鳴き声のような音を発するだけなのに。 神威はその成長を見届けたいのだろうか。こんなどうでもいい、我々と何の繋がりもない子供なのに。 阿伏兎は神威を起こさぬよう、密かに深い溜息を吐いた。考えたところでわかるはずがないのだ。どうせ自分にこの生き物は殺せないのだから、早くベッドの上に戻して立ち去ってしまおう。そう思い実行しようとしたのだが、子供をベッドに戻す前に神威の長い睫毛が震える。 「ん……」 「悪い。起こしたか」 「と……?」 何か言葉にならない音を紡いで、眠そうな青い瞳が阿伏兎を見上げて微笑む。しかしその笑みは阿伏兎が知っている、形だけのものでも無邪気なだけのものでも殺しの作法のものでもなくて。 幸せそうに、花が綻ぶような柔らかさのもので。 「おかえりなさい」 言葉の意味を理解するほどの余裕はなかった。頭が真っ白になるとは間違いなくこういうときのことをいうのだろう。今度こそ手から零れた子供がベッドの上にぽすんと軽い音をさせて転がった。 「おいで」 かぐら。 甘ったるくとろけた声が知らない言葉を話す。それが固有名詞である可能性など欠片も思い付きはしなくて、阿伏兎はただただ狼狽えるばかりだった。神威はそんな阿伏兎をもう一度見上げると奇跡のような微笑みをして、ふっと目を閉じる。そのうちまたすやすやと安らかな寝息が聞こえてきて、腕に抱かれた子供だけが興味深げに阿伏兎のことを見上げていた。 「あうー?」 「っ……!」 子供の声でまるで呪縛から解かれたように、ハッと我に返った。一刻も早く、可及的速やかにここから出なくてはならない。そう脳が命じるままにふらふらと体を動かし、気が付いた時にはもう神威の部屋の外の通路に一人立ち尽くしていた。 あまりにも焦っていたため電気を消し忘れた気もするがもう一度あそこに戻る気にはなれなかった。心臓が、戦いの時でさえありえないというくらいバクバクと鳴っている。 神威は寝呆けていたのだろう。おそらく朝になれば全て忘れているに違いない。仮に覚えていたとしてもどうせなかったことにしてしまうはずだ。 何もわからない、とはいえない。しかしわかりたくないのは確かだ。何も考えたくなどなかった。 阿伏兎が唯一確信しているのは決して見てはいけないものを見てしまったということだ。その深い後悔がじりじりと胸を焼く。阿伏兎の知らない見たことのない優しい微笑みが瞼の裏に焼き付いていつまでも離れない。 悪夢だ、と苦く呟く。 戻 続 20012/07/18 |