籠鳥 〜虜囚〜

 まだ外に出るのは危ないからと、総悟は外に出ることは控えさせられている。別にそのことに不満はないが、土方が遊びに来なくて近藤も出かけてしまったときは一人になってしまうので嫌だ。
 二人とも気を使ってできるだけ家にいてくれるのだがそれでも一人になってしまうことはある。それが今日で、総悟は朝から一人きりだった。

 部屋にも庭にも遊び道具が散乱していて、土方が見たら怒るに違いない。しかしそんな玩具も既に遊び飽きて一人でいる時間を潰すにはあまりにも役不足だった。

 そんなわけで結局のところ、たくさんの玩具に囲まれて総悟はいつもの縁側で空を見上げているのだった。今日も青空、いい天気、とても暇。暇という名の非日常。

 何か起こればいいのに。玄関を叩く音を耳にしたのはそう思った矢先だった。

「こんにちは。どなたかいらっしゃいませんか」

 もちろんそれは近藤や土方の声ではない。誰かが来ても絶対に玄関を開けてはいけないと言われているので、総悟は玄関の前にちょこんと体育座りをして客人が帰るまで息を潜めていようと思った。

「わたしはただの玩具屋です。怪しいものじゃありませんよ。とっても楽しい玩具があるんだけど入れてもらえませんかね。今なら特別にサービスしますよ」

 楽しい玩具という言葉に少々惹かれたが、近藤の言いつけを破るわけにはいかない。それに玩具ならもうたくさんあって、どれも土方や近藤と一緒にいること以上の楽しさを与えてくれはしないのだともう学習している。

 引き戸を叩く音はしばらく続いたが、やがて「留守のようですね」という声とともにぴたりと音はやんだ。どうやら帰ったらしい。
 ここにいても仕方ないので縁側に戻ろうと背を向けた矢先、再び引き戸は叩かれた。今度はさっきより強く、切羽詰った感じで。

「大変だ、近藤氏がそこで車にはねられた! 誰かいたら開けてくれないか!」

 ぎょっとした。近藤が車にはねられたとはどういうことだろう。これは非常事態だと思い、総悟は玄関へ走りよって大慌てで鍵を開けた。飛び出さんばかりの勢いで引き戸を力いっぱい開ける。

 そこにいたのは三人の男で、後ろには飛脚が使うような駕籠があった。
 総悟は言葉を失う。そのうちの一人は見覚えがあった。

「総、やっぱりここにいたか。目撃証言ってのも案外馬鹿にできねぇなぁ?」

 あの宿の主人だ。総悟を買い取り、飼い馴らした。

 脇に控えていた二人の男の太い腕が総悟に伸びる。反射的に後ろに飛び退って、さっと身構えた。殺し方と一緒にある程度の戦い方は仕込まれている。倒すことはできなくても、身を守りつつここから逃げるくらいなら自信がある。

 総悟を追って前に出ようとした二人を主人が片手で制す。それだけの力を総悟に与えたのは他ならぬ彼らなのだ。その能力も性格も把握してのことだろう。

 主人は懐に手を入れてある物を取り出した。

 声を忘れた口がわずかに開く。わざと総悟の気を引くように、それを自分の顔の前で右へ左に動かした。構えも忘れて、気がつけばただ一心に総悟は目でその動きを追っていた。

「ほぅら、これがほしいだろ。お前の宝物だもんなぁ?」

 気色の悪い猫撫で声。その手にあるのは安物のかんざしだった。赤と緑の小さな二つの花をあしらえた、生前に母親が大切にしていた代物。総悟はこのかんざしが好きでよく眺めていた。母親が亡き後もこれだけは取り上げられまいと、父親の目から必死に隠していて、売られたときに服以外で唯一総悟が持っていたものだ。

 手が動く。かんざしは宙高く放り上げられた。空中で二つの小さな花が揺れる。総悟は何かを考える前に既にかんざしを目指して走り出していて、捕まえようと空中に両手を差し出した。

「やれ」

 冷たく低い声がした。
 かんざしを手にすると同時に頭に強い衝撃を受け、総悟の意識は闇の淵に沈んでいった。それでもこれだけは離すまいと、最後の力を振り絞ってかんざしを懐に収めた。

 今日も青空、いい天気。暇という名の非日常。日常が非日常に取って代わり、本当の日常が帰ってくる。

〜+〜

 土産の芋羊羹を片手に、いつもより少し遅い時間に訪れた。途中で近藤とも合流し、いつも通りの雑談を交わしながら総悟の待つ館へ歩く。

「ただいま、お土産たくさん買って来たぞー!」

 いつもなら笑い声を上げはせずともどこかうれしそうにパタパタと軽い足音させてまっしぐらにやって来るはずなのに、近藤の声に答えたのは沈黙のみ。二人揃って玄関でそのまま少し待ってみたが一向に現れる気配はなかった。

「寝てんじゃねぇの」

 今まで夜行性だったので生活リズムがあわず苦労しているらしいことは知っていたので、どうせそんなところだろうと思っていた。
 寝ているのなら静かに寝かせてやればいいのに近藤は大声で名前を呼びながら総悟を探しに行った。脱ぎ散らかされた草履にやれやれと吐息をついて揃えてやろうと上体かがめて、土方はおやと片眉を持ち上げる。

 玄関が汚い。昨日掃除してばかりだと思ったのにもう泥が落ちている。気になって近藤の靴を裏返してみたが、泥がつくような道を歩いた形跡はなかった。もちろん土方の靴もだ。

「おい、近藤さんちょっと」
「なんだ、勝手に上がっていいぞ。おーい、総悟ー!」
「いやそうじゃなくて」

 奥のほうから返ってくる声にいいから戻って来いと声を上げる。すぐに近藤は戻ってきて、まだ玄関口にいる土方に首を傾げた。しかし向こうの問いを待たず、こちらが先に問いを投げる。

「玄関昨日掃除したよな。あれから玄関が泥で汚れるようなことしたか?」
「してないぞ。ここ数日は雨も降ってないし庭の土も乾いているし」
「そういやあんた、玄関の鍵なんで閉めなかったんだ?」
「俺はちゃんと閉めたぞ? さっきだってきちんと鍵を開けて……あれ、開けてないな。なんでだ?」

 草履を乱暴に脱ぎ捨てて中に上がった。総悟の部屋、縁側、庭、台所、どこを見てもあの珈琲牛乳みたいな頭は見当たらない。人の気配というものが感じられない。呼びかけに答えるのは沈黙だけ。いつだって沈黙だったけれどそれとはまた違う、何もないというただそれだけの沈黙。

「総悟がいねぇ。あいつの草履は縁側に脱ぎ捨ててあった」
「しかも鍵が開いていた、と」
「ああ」

 玄関に戻ってきて、二人で顔を見合わせる。
 導き出せる答えは一つしかなかった。

「トシ、この前話してたやつの場所は掴んでるな」
「当然だ。一度下見もしてっから道もわかる」
「よし行こう」

 近藤の言葉に一つ頷いて、二人は館を飛び出した。

〜+〜

 目が覚めたのは見慣れた檻の中。足を伸ばすこともできないほどに狭い空間だが、すっかり慣れた寝床なのでそのことによるストレスは感じない。総悟はもちろん知らないが、本来それは大型犬や獣などを輸送するときに使うものだった。

「こいつ勝手に髪切りやがって髪も立派な商売道具だってのに」
「まぁまぁ、別に短くてもまた放っておきゃ伸びてくるんだいいでしょう。それにこいつぁ器量がいいから髪が短くなったくらいで客が減ったりないだろうし」
「そうだな。ま、今夜から早速仕事再開させるか。総の奴目当てで来てる奴も多いしな。殺しの技の指南をしに来てるあの人なんざ近頃じゃこいつ以外にゃ酌もさせないんだぜ」

 こちらに背中を向けて勝手な相談事。そのうち一人は総悟を連れ戻しに来たこの宿の主人だ。この宿は全てこいつが取り仕切っている。
 総悟が目を覚ましたことにも気づかずに(あるいはどうでもよかったのかもしれない)彼らは話しながら部屋を出て行った。パタンとドアが閉められて、ご丁寧なことに部屋の鍵まで閉めていった。そもそも檻に鍵が掛かっているのだからかけなくてもいいだろうに。

 はぁ、と小さな溜息を漏らして頭に手をやった。触るとひりひり痛んだが、こぶができたくらいで血は出ていないようなのでよしとする。これくらいの痛みなら慣れているから我慢できた。

 暗闇に目を凝らし、改めて辺りを窺ってみる。
 ここはすすり泣きと両親を呼ぶ声ばかりがする檻だらけの子供部屋ではなかった。総悟以外には誰もいない。仕置き部屋だ。周囲を見て総悟はすぐに見当をつけた。何かよからぬことをした子供はここに放り込まれ、大人たちの気が済むまで折檻される。総悟も何度か入れられたことがあった。
 おそらく外の世界を見てきた総悟が他の子供に悪影響を与えないようにという配慮か、仕置きをするために始めから部屋を移しておいたかのどちらかだろう。

 どちらにせよ、総悟は戻って来てしまった。
 懐に手をやれば、意識を手放す直前に隠したままの状態でかんざしが収まっていた。たぶん回収し忘れたのだろう。どちらにせよ今日から仕事らしいので着替えのときに取り上げられるに決まっている。

 このかんざしと引き換えに、手に入れかけたものを全て失った。暖かい寝床、たくさんのご飯、輝く太陽、白い雲に青い空、そして家族。もう何もない。また何もない。

 今まで通りの生活に戻るだけ。
 それなのにどうしてだろう。こんなにも悲しいのは。


 そうか、おれはかえりてぇんだ。


 気づいて、総悟は小さな苦笑を漏らした。
 それならば始めからかんざしなんて放って置けばよかったのだ。なのに今だって未練たらたらに握り締めている。

 このかんざしは総悟の全てだったのだ。父親から逃げ隠れているときも、ここで飼われている間も、これだけが総悟のたった一つの心の拠り所だった。そこに目をつけられて、殺しの仕事をするため外に出される度に取り上げられた。
 返してほしかったら殺しておいで。絶対に逃げたりしてはいけないよ。いつだってそう言って、主人は総悟を送り出した。


 ひじかたさん、こんどうさん、おれをたすけにきて


 音のない口を動かしてみて、そんな夢を見たって絶望するだけだと、何度も自分に言い聞かせた。



 

05/12/28