声が聞こえる 2 沖田のせいで仕事が増えることなんて実に日常茶飯事で、阿呆らしいまでにポジティブなものの見方をすればこれも日常の延長といえた。 しかし世間一般でいう日常には、たぶん記憶喪失なんてものは存在し得ないのではなかろうか。というかあってたまるか。 「……つまりだ、山崎。今のお前の15分もかけた長い報告を要約すると、何もわかっていませんということでいいんだな? それが遺言でいいんだな?」 「まあそういうことになりますね……すんません切腹は勘弁してくださいマジ困るんで」 冷や汗をだらだら流しつつ明後日の方向へ視線を彷徨わせる山崎。切腹は冗談としてもせめて一発くらい殴っておこうかと思ったが、面倒な姿が頭にちらついてやめた。ただでさえ第一印象でいじめっ子認定を受けているのだ。これ以上怖がられる要素を増やす必要もない。 「で、死体は結局何人だった?」 「7人です。先ほど述べたとおり身元は現在確認中です」 沖田が斬ったと思われる連中はあまりにも損傷が激しくて年齢の特定すら困難な有様だった。身に着けていたものから攘夷派の浪人だろうと思われるが、所属組織といったものはまだわかっていない。しかも目撃証言から察するに、他にまだ生き残りがいるような感じがある。沖田の記憶のことも含め、結構厄介なことになりそうな予感がした。 「そのまま連中の身元の洗い出しを続けてなんとしてでも潜伏先を特定しろ。それとどこかの星に記憶をどうこうする類の技術がないかも調べてくれ。こっちもとっつぁんに当たって調べてみる」 「はい。潜伏先については既に調査を始めています。目撃証言もあるしこちらのほうが身元より先に判明するかもしれません」 「そうか。じゃあやっぱ問題はあいつの方だな」 あいつ、というのはもちろん沖田のことである。あれから一応病院で検査も受けさせたが特にどこにも異常はなく頭を強打したなどの形跡もなかったので、土方は沖田の記憶喪失は人為的なものではないかとにらんでいた。もしそうであるならば、連中を捕まえて吐かせればいいだけなので本物の記憶喪失よりも若干話は早い。今のところは、そう自分に言い聞かせてやるべきことをやろうと思った。何せ沖田の記憶喪失にショックを受けて近藤が寝込んでしまったので土方ががんばるしかないのだ。 「ところで副長、沖田さんのことなんですが」 「なんだ、またやられたか?」 「はい。見事にやられました」 またか、と土方は嘆息した。 何を考えているのかは知らないが、昼間沖田は活動せず木の上や屋根の上でじっとしている。そして夜になると動き出し、どうも屯所内を徘徊しているらしい。しかもそれだけならまだいいのだが、食事にも降りてこないせいか台所に忍び込んで荒らすのだ。野性の猿じゃあるまいし、全く勘弁してほしい。 「わかった。そっちは俺が何とかする。お前はお前の仕事をしろ」 「はい、お願いします」 一礼して下がる山崎を見送って、仕事に一段落つけたところで土方は立ち上がった。食事は隊士の士気にも影響することなので早々に解決せねばなるまい。 忘れられたことにへこんでいる暇のない自分に少しの同情と、大きなありがたさを感じた。 煙となんとかは高いところが好きというが、空を仰いで歩いていれば沖田はすぐに見つかった。お気に入りの銀杏の木の枝に座って遠くを見つめている。その目はどこか遠く、実際に映る世界ではない遥かなるところを映しているような、野良猫の目をしていた。 土方が近くまでやって来ると、沖田はすぐに気がついて身構えた。 「いじめねぇよ」 山崎曰く誰に対してもそういう反応らしいのだが、なんとなく根に持たれている感じがして少しだけ傷つく。少しだけ、本当にちょこっとだけ。 「んと、ふくちょ……じゃなくて、土方さん」 「そうそう。よく覚えたな」 沖田ははじめ、隊士たちが土方を副長と呼ぶのを聞いてそれが名前だと勘違いしていたらしい。記憶と引き換えに礼儀を手に入れたと一時は騒然となったがなんてことはなく、ただ単に沖田が馬鹿なだけだった。 「なんか用ですか」 「差し入れだよ。シュークリーム買ってきた」 食べ物の名前に沖田はぴくりと反応した。買って来た箱を高く掲げ、左に動かすと沖田も左を向き、右に動かすと右を向く。ついでにぐぅ、と腹が鳴った。一日一食で生活していれば当然だ。 「くれんの?」 「降りて来たらな」 その条件に沖田はためらう素振りを見せた。しかし空腹には勝てなかったのか、辺りに他の人間がいないことを確認すると恐る恐る地面へと降りてくる。周囲への警戒を怠らずおずおずと歩いてくる様はまるで本物の野良猫か野猿そのもので、おかしさと悲しさが綯い交ぜになった苦笑を零した。 「誰もとらねぇよ。ほら、座ってゆっくり食え」 「へい」 沖田は素直に頷いて木の下に座り込み、膝の上にシュークリームの箱を置いてもぐもぐと食べ始めた。本当に腹が減っていたと見えものすごい勢いでシュークリームはなくなっていく。もっとたくさん買ってくればよかったかもしれない。 「そんなに腹減らすくらいならちゃんと降りて飯食いに来い」 「ふぁ、ふぁっへ」 「……いいよ、食い終わってからで」 「んっ」 一心不乱に食べる沖田の隣に座り、自分も一服する。沖田が記憶をなくして以来こんな風に二人でいることはなかったので、なんだかやけに落ち着いた。こうしていると沖田の記憶喪失なんて嘘のようだ。 「終わった」 満足そうに手についたクリームをぺろぺろ舐めながら沖田は言ったが、箱の中にはまだ一つシュークリームが残っていた。 「まだ残ってんじゃねぇか」 不思議に思って尋ねると、沖田はそれを取り出して土方の前に差し出した。 「おいしかったから、お礼に一つ土方さんにあげまさァ」 まだ口にクリームをたくさんつけたまま、沖田は人懐こく笑った。その笑顔に一瞬、全てが悪い夢だったのではないかと疑いそうになる。だってこれは野良がする表情じゃない。 「お前、本当になんで人に寄りつかねぇの?」 もらったシュークリームを一口で平らげてから、改めて土方は台所荒らしの根本的な理由ともいえるものを尋ねた。沖田はしゅんとなって、空になった箱に目を落とす。 「俺は馬鹿なんで、一度にここの人たち全員は覚えらんないんでさァ。つか、実はまだ土方さんと山崎以外覚えてねぇんですが。でもあの人たち、俺見ると寄って来るでしょう?」 「あー……まあ、お前気に入られてるからな」 なんとなく理由が読めてきて、土方は苦笑した。つまるところ、周囲の人間の構い過ぎがいけないのだ。ここは仕事柄強面の連中が多いし、年上ばかりに囲まれては怖がりもするだろう。たとえ悪意はなくとも記憶のない不安定な状態の沖田にとってはきっと十分に脅威だったのだ。 「奴らにもよく言っとくから、ぼちぼち慣れてやってくれ。今みたいにしてりゃあみんな喜ぶぞ」 「本当ですかィ?」 「みんなお前のことを心配してるんだよ」 「そっか。……じゃあ、がんばりまさァ」 少しだけ苦笑いで沖田は頷いた。まだいろいろと問題はあるかもしれないが、一度に全てをどうにかすることはできないだろうし今日のところはこんなところでいいだろう。あとは沖田の努力次第だ。 仕事が一つ片付いたことに満足してもう一本煙草を取り出した。沖田も木の上に戻るつもりはないらしく隣で大人しくしている。人の手の届くところにいることが、沖田なりの努力の第一歩なのかもしれない。 「土方さん、本当は俺、いっこだけ覚えてることがあるんでさァ」 突然、ことんと頭を土方の肩にもたせかけ、沖田はぽつりと呟いた。 何も覚えていないと聞かされていたのでこれは初耳だった。もしかしたら何か事件の手がかりが掴めるかも知れないと思うと自然、緊張で表情が強張る。 「もしかしたら夢だったのかもしんないけど、暗闇で、誰かが俺を呼んだんです。俺、返事をしないとって思ったのに、できなかったんでさァ。……名前、思い出せなくて」 沖田の声が悲しそうに小さく震えた。見ていられなくて、肩を抱いてやると体をすり寄せてくる。俯いていたのでどんな表情をしているのかはわからなかったが、スンと小さく鼻が鳴った。 「大事な人だったはずなんです。だから、会いに行かないと。それなのにもう声は聞こえやせん。聞こえるのは、あの人を……」 「総悟?」 肩にもたれていた頭が滑り落ち、上半身が土方の方に倒れてきた。慌てて両手で抱きとめてやり名前を呼んでみるが聞こえている様子はない。どこか具合でも悪いのかと焦ったが、額に触れても熱はないし顔色もいたって良好だった。 「一人は寂しいよ、土方さん……」 それはただの寝言だった。土方の腕の中で沖田は静かに眠っている。 たぶんずっと気を張っていて眠っていなかったのだろう。沖田はちょっとやそっとではとても起きそうになかった。 「ゆっくり眠れ。俺がずっと側にいるから」 抱きしめたまま、前髪に唇で触れた。土の上に落ちていた手をそっと握り締めてやる。 こうして無防備な寝顔を晒してくれるのは、少しは信用してくれた証拠だろうか。それでも今の沖田は一人ぼっちで、自分の中の欠けたものを探して彷徨っている。自分の中に残されたひとかけらの記憶を頼りに。 あの時、おそらくは記憶を失う直前、沖田は一本の電話を寄越した。しかし何度こちらから呼びかけても返事はなく、そのうち故障でもしたのか切れてしまった。 もしかしたら沖田の言う声とはあれではなかったのかと、考えて苦笑した。沖田の大事な人になりたがっている自分に気がついて。 それにしても気になるのは、沖田が最後に言いかけていたことだ。「あの人」に関わる何かが聞こえると言おうとしているようだったが一体なんだったのだろう。 もしかしたら事件の鍵は、沖田の中にこそあるのかもしれない。 その日の夜、目を覚ました沖田の手を引いて一緒に夕飯を食べに行った。といっても外食ではなく屯所の飯で、仕事を終えた隊士たちでにぎわっている。 沖田の寝ている間に山崎から連絡させておいたので隊士たちは沖田へは会釈くらいしか寄越さなかった。しかしその代わりに、沖田の席の前にだけ山のようにゼリーが積み上げられていた。 「なんだこりゃ」 「隊士たち全員から、沖田さんにお見舞いです。もちろん俺の分も中に入っています」 二人分のお茶を持って来た山崎が説明してくれた。どうやら今夜のデザートとして支給されたものらしく、二人分の膳にはやはり同じものが一つずつ添えられている。 「いいんですかィ。これ、もらって」 「くれるって言うんだ。もらっとけ」 土方が頷くと沖田は目を輝かせた。ついでなので土方の分のゼリーも山の一角に添えてやる。 「あ、あの、みんなっ。……その、ありがと、ございます」 連中を見回して恥ずかしそうに沖田が小さくお辞儀をすると、あちこちで喝采が沸き起こった。 「よっしゃあ沖田隊長が喜んでくれたぞ!」 「山崎ィ、酒持って来い! 沖田隊長と局長の快復を祈って飲むぞー!」 「だからてめぇら、騒ぐなっつってんだろ! おい、酒遅ぇぞ山崎ィ!」 「えぇっ、矛盾してますよ副長!?」 こうして突如始まった宴会を、沖田はゼリーを食べながら腹を抱えて笑っていた。この調子なら、きっと明日から毎日みんなと一緒に食事もできるだろう。 たとえ急には無理でも、こうやって少しずつ失ったものを取り戻していけたらいいと思った。 戻 続 07/07/14 |