声が聞こえる 5

 明日は大仕事が控えているというのに土方は寝つけなかった。

 沖田が記憶を失っていろいろなことがあった。一度は乗り越えたはずの壁を二人で一緒にもう一度乗り越えていくような日々は、決して辛いことばかりではなかったと思う。記憶を失っても沖田が沖田のままであるならそれでいいとさえ思えるくらいに。

 しかし沖田が失くしたはずの記憶を持つものが現れてしまった。
 自害したそれの残骸を松平に頼んで分析してもらったところ、どうやら極めて人工的な生物らしい。おそらくあの生き物は宇宙から輸入された兵器なのだろう。あるいは本来別の用途で用いられるものであったのかもしれないが土方の知るところではない。
 ただ一つ確かなのは、誰かが沖田の記憶を使ってよからぬ企みごとをしているということだ。あのゼリー人間の剣筋は沖田のそれと全く同じで、あんなものが量産されればどんな事態になるかは容易に想像できる。そしてそれを見た沖田がどう思うのかも。

 しかしもう幸いにも連中のアジトの場所の目星はついた。沖田が声が聞こえるという方向を監察に徹底的に調べさせたのだ。山崎の話だとある建物の窓から一度だけ、土方と沖田が見たのと同じゼリー人間が見えたというから間違いない。

 明日、そこへ踏み込んで連中を捕縛すれば全てが終わる。たぶん沖田の記憶を取り戻す術だって見つかるだろう。たとえそんなものなくても手がかりくらいはきっとあるはずだ。

 それなのに、土方はあまり明るい明るい気持ちにはなれなかった。記憶が戻れば今の沖田は永遠に失われてしまう気がして。

 もちろん過去と現在を比べるつもりはない。どちらがより大切かなんて比べられるわけがない。ただ、また多くのものを背負わせるのかという思いが頭から離れないのだ。それに今の沖田が本当に記憶を取り戻したいのかどうか、土方は本人の口から答えを聞いたことがまだ一度もなかった。

 と、そこで土方は枕に頬杖を付いていた顔を上げた。ぺた、と裸足で床を踏む音に耳をそばだてる。ぺた、ぺた、とそれはだんだん近づいて来て土方の部屋の前で止まるが、なかなか部屋に入ってくる気配はない。なので歩く時の体重のかけ方やリズムなどで相手が誰かは知れていたから、こちらから名を呼んでみた。

「総悟か?」
「へ、へい。あの、入ってもいいですかィ?」
「ああ」

 思えば記憶を失ってから沖田が土方の寝所を訪ねて来るのは初めてだった。
 土方の返事を待って静かに音を立てないように障子が人一人分の隙間だけ開けられる。そこにはいつもの白い着物姿の沖田が立っていて、両手に黒い塊を抱えていた。

「それ、なんだ?」
「隊服でさァ。明日は忙しそうだから、今夜のうちに着方を教えてもらおうかと」

 そういえば記憶をなくしてから沖田はずっと隊務を休んでいたので隊服も長いこと放ったらかしにされていた。もちろん明日だって着る必要はないし、更に言えば沖田が無理してついていく必要もないのだ。調べ物も探し物も、全て終わって静かになってからでいい。

 そう言おうと土方は口を開きかけたが、それより先に沖田が言葉を紡いだ。

「明日、俺も連れてってくだせェ。これは俺個人の問題ってこともありますが、何より俺はみんなと同じ真選組の隊士として一緒に行きたいんでさァ」

 そう口にする沖田の瞳は決意を秘めた色をしていた。揺らぐことのない真っ直ぐな。
 土方はこの眼に弱い。いつだってこういう時の沖田にはかなわないのだ。沖田は自分で決めたことは絶対に曲げない。もしここで駄目だと言えば、了解したふりをしてたぶん勝手について来てしまうだろう。

 それでも一つだけ、土方は問いを投げかけた。

「お前は本気で、全てを思い出したいと思っているのか?」

 事実を知って尚、まだ人殺したちの一人でありたいと願うのか。

 たとえ過去は消せずとも、未来ならまだ救えるのだ。これ以上血を塗りたくるような道に無理に引き返すことはない。たとえそれが二人の関係をもリセットしてしまうことになろうとも……いや、むしろあんな不自然な関係などなくなってしまったほうが沖田のためなのかもしれない。

 土方の心を見透かそうとでもするみたいに沖田はじいっと土方の顔を見つめていた。何か考えているというよりも、少し困っているような風だった。何か言いたいことがあるのに言い出せずにいる時の顔をしている。

「どうした?」
「言っても怒らない?」

 上目遣いで奇妙なことを尋ねてくる。
 首を傾げつつも頷いてやると、沖田は土方が想像もしていなかったようなとんでもない回答を口にした。


「ぶっちゃけどちらでもよかったりするんですが、なんか俺どっちかに決めた方がいいんですかね」


 ……思えば今までいろいろなことがあった。苦しいこともあったし楽しいこともあった。
 その18年間をほしいでもなく、いらないでもなく、どうでもいいのだと言う。しかも冗談ではなく本気でそう思っているらしかった。

「ちょっ……待て、落ち着け総悟。お前自分の記憶だぞ。18年分だぞ。マジでいいのかそんな適当で」
「ほら、やっぱり怒ったァ」
「怒ってねぇよ驚き呆れてんだよ!」

 自分が今まであんなに思い悩んでいたのは一体なんだったのだろう。仕事も手につかなくなるくらい悩んでいたというのに、なんだって沖田はいつも土方の苦労を水の泡にしてしまうのが好きなのか。悪気の欠片さえもなく、無邪気にまるで子供のように。あるいは小悪魔のように。

 とにかく、三つ子の魂百までというが沖田のアホは記憶と一緒になくなってくれはしなかったらしい。
 しかしそれがまた沖田らしくもあって結局のところやはり何も変わっていないではないかと、思ったらうれしくなって土方は低い笑い声を上げ始めた。呆れられて笑われて、沖田はきょとんとしている。

「なんでィ。まったく腹立つ人だなあ」

 膨れ面をして手を伸ばし土方の頬をつねる。ぐにぐにと引っ張るのをそのまま好きにさせていたら次第にもぎ取る気かという凶悪さがにじみ出てきて、流石に上から手を重ねてやめさせた。すると今度はいたわるように、熱を宿した頬に指先を滑らせて薄く笑む。

「そりゃあ確かにはじめは不安だったり怖かったりで、早く全部思い出そうと思いやした。人を殺したことがあるって聞いたときは、逆に思い出すのが怖いとも思った。
 なのに俺、おかしいんでさァ。あの時あんたの顔見たら、そんなのどうでもよくなっちまったんです。ああ、あんたが俺を総悟と呼んでくれるんなら、もう過去なんてどうでもいいやって」
「総――」

 言葉を紡ぎかけた土方の唇を沖田はすっと同じもので塞いだ。不意打ちのキスに軽い眩暈さえ覚える。しかし一瞬触れただけで唇は離れ、すぐ現実に引き戻された。
 それは沖田も同じだったようで。

「え、俺……あれ?」

 自分の口元に手の甲を当てて沖田は狼狽する。それからすぐに顔を真っ赤にして土方に言い訳を始めた。

「ちが、違うんでさァ! 今のはなんか、体が勝手に動いて」

 どうやら沖田は自分のしたことに頭がついていけていないようだった。
 おそらくは本当にキスなどするつもりはなかったのだろう。今の沖田は土方と自分の関係なんて覚えていないし教えられてもいないのだから当然だ。それでも土方にキスをしたのはきっと、条件反射とでも呼ぶべきものなのだと思う。たとえ頭では覚えていなくとも、沖田の中の動物めいた直感と本能は土方のことを忘れてはいなかったのだ。そう、願いたい。これはただの土方の我侭でしかないけれど。

「すいやせん。あの、びっくりしましたよね?」
「した。すっげーした」

 正直に答えると沖田の顔がみるみる泣きそうに歪んだ。こういう感情を隠すことなく表に出すことは普段ならまずありえないので不謹慎かもしれないがその反応にうれしくなった。

「……俺のこと、嫌いになりやした?」
「ありえねぇ」

 たとえもしどんなひどい裏切りを受けたとしても、それだけは絶対にないと断言できる。だってこんなにも愛しいのだ。好きで好きで、気が狂いそうなくらいに堪らなくて、嫌いになどなれるわけがない。

「わっ、ふぇ!?」

 土方は我慢できなくなって強引に抱き寄せた。沖田の膝の上にあった隊服が滑り落ちて崩れた膝に踏まれてぐしゃぐしゃになる。沖田は目を白黒させ、しかし嫌がる素振りは見せずされるがままになっていた。

「ひ、土方さん? あの、何して――」
「好きなんだ」
「はいぃぃ!?」

 頓狂な声を出して抱きしめられたまま無理に顔を上げる。呼吸し辛そうに見えたので少し腕の力を緩めてやった。

「今も昔も、俺はお前のことが好きだ」

 人生二度目の告白。沖田は信じられないといった風に間近にある土方の顔を見上げている。しばらくぽかんとしていて、やがておずおずと口を開いた。

「俺たち、その、前にもキスしたことってあるんですか」
「あるよ。それ以上のことだってな」
「マジで!?」

 大層驚いて、そして、首を傾げた。

「……男同士ってどうやんの」
「教えてやろうか」
「え」

 それがどういうことだかすぐに理解して沖田は硬直する。また顔が真っ赤になって、恥ずかしそうにごにょごにょと何事かを言いながら下を向いてしまう。そういえばこんな初々しい頃もあったと懐かしくなった。

「嫌ならしねぇよ」
「や、やじゃないでさァ!」

 耳元で囁いたら沖田はぱっと顔を上げ訴えた。そして掻き消えそうな小さな声で恥ずかしそうに尋ねてくる。

「していいから、もっかいキスしてもいい?」

 そんなこと問われるまでもなかった。

 頷いて、唇を重ねる。今度はそれだけで離してやる気なんてなかったから、舌先で唇を割って中に滑り込ませた。驚いて沖田が肩を強張らせたのを頭を撫でてあやしてやる。
 逃げ腰になる沖田の舌をくすぐり、絡め取る。どうすればいいのかようやく沖田も理解しだしたのか、熱心にそれにこたえようとしてきた。

 甘い痺れが体中を駆け巡り、呼吸が苦しくなるまで熱を求め合う。
 そうしてしばらくして一旦唇を離し、畳の上に組み敷かれて沖田は荒い息で呟いた。

「俺、やっぱ記憶取り戻しまさァ。じゃねぇと恥ずかしくて死ねる」

 両腕で隠したその顔は、本当に言葉どおりの様子をしていて笑いがこみ上げてきた。
 本当にそんな理由でいいのかとも思ったが沖田にとっては大問題のようなので土方は何も言わないでおく。

 そのかわりに、寛げた首筋にキスをした。




 

07/08/23